元皇帝、二度目は悪徳辺境伯

 死ぬときは戦場で、と思っていたが床の上で死ぬことになるとはな……。
 ――統一帝国を任せたぞ。
 最期にそう言い残し、俺の意識は永遠の闇に飲まれた。一代で統一帝国皇帝にまで成りあがったグル・カン・ジャダランの物語はここで終わる。
 
 ……。
 …………。
 死とは意識も何もかも失うものではなかったのか?
 再びの目覚め。しかし、見知った床の上ではなく貴族らしい重厚な作りの部屋を上から見下ろしている。
 見下ろす先には若い夫婦と赤子の姿。
 俺は赤子の動きに合わせるように彼の真上から見下ろすようにして視界が動く。自分から動くことはできず、目をつぶることも耳を塞ぐことも叶わなかった。
 赤子の名はヨハン・フェンブレン。フェンブレン辺境伯の嫡子だということが分かる。彼の父親がそう言っていたから。
 一年が何十倍もの速度となって俺の脳裏に刻まれる。その間、眠ることも空腹に襲われることもなかった。
 ともあれ、ヨハン・フェンブレンは幼いうちはともかく、十五を超えるころからどうしようもない放蕩息子となる。
 俺が奴の父なら、塔へ幽閉だな。それでも考えを改めなければ追放まで考える。
 しかし、彼の父はヨハンを好きなようにさせ、あろうことか彼が二十歳の時に落馬事故で亡くなってしまう。
 そのため、彼が後を継いだのだが、それはもう酷いものだった。よくもまあ、このような治世で未だ辺境伯領が成り立っている。
 三年とは決して短い時ではない。三年あれば栄えた一国が衰退し滅ぶことさえあるのだ。
 そんな奴にも天罰が下ったのか、治世が行き届かなかったために荒れ放題になっていた石畳に頭をぶつけてお陀仏となった。
 何故、お陀仏になったと分かったのかというと、意識が暗転したから。これまで彼が寝ようが気絶しようが音も光にもない真っ暗闇の空間になることはなかったのだ。なにより彼の姿が見えない。
 よくわからぬ俺の意識もようやく眠りにつくことができるのだろうか? 神はヨハンの人生を見ることで俺の意識を断ってくれるの……か……。
 
 意識が覚醒すると共に激しい頭痛が襲い掛かる。
「ぐ……」
 思わず呻くと壮年の片メガネの男がホッとした表情を見せた。
「ヨハン様、大事ございませんか?」
「酷く頭が痛むが、他はいたって問題ない」
「控えておりますので、少しでも異変を覚えましたら鈴を鳴らしていただけますよう」
「分かった。下がってくれ」
 バタン、と扉が閉じる。
 頭痛にさいなまれながらも、俺は自分の置かれた事態に困惑していた。
 頭を上げ自らの手を膝の上で開いて閉じる。
 自らの目で、自らの体で、そして痛みさえも……俺は俯瞰してヨハンを見ていた状態からヨハンそのものになっているのか?
 頭をぶつけた時、暗転しヨハンは死んだ。その肉体に俺が入った?
「分からん、一体何が起こっているのか」
 荒唐無稽が過ぎる。死んだ人間が再び生を得るなど。まるで魔法のようだ。
 この世にはあらゆる地域で魔法の噂を聞く。
 しかし、そのどれもが噂に過ぎず、魔法ではなかった。
 魔法などない、そう結論つけた俺であったが、死後のヨハンを俯瞰した状態や今自分が置かれている状況は魔法としか考えられない。現実に起きているのだから、否定のしようもなく誰が何の目的で俺に再び生を与えたのだ?
「神がもたらした奇跡……いや、罰かもしれんな」
 自嘲し呟く。
 そうこうしているうちに頭痛も随分とおさまってきた。
 天蓋付きベッドから降り、顎に手をあてながら部屋を右に左に歩きつつ考えを巡らせる。考えるときはじっとしていられないたちでな。
 窓から見える太陽の傾きから、時刻は夕刻。間もなく日が暮れることだろう。
 何日眠っていたのはかはさして問題はない。ヨハンは領主であるものの、まるで治世に絡んでいないからな。動くとむしろ治世を滞らせる。
「俺はヨハンになった……? いずれ戻るのかもしれんが、ヨハンの意識は完全に消失している」
 頭の中で整理をしながら言葉にもしていく。こうすることで案外考えがまとまったりするのだ。他には羊皮紙かパピルスへ書くのもよい。ヨハンを通じて見た記憶によると、どちらも宮廷にあった。近く取り寄せるか。
 優先すべきことは俺とヨハンの関係性ではないのだが、ここを自分なりにけりをつけとかないと事あるごとに頭をよぎるに違いない。
「グル・カン・ジャダランである俺は死に、ヨハンを空から見下ろす何かとなった。俺とヨハンの関係性は同じ魂であると考えるのが自然か……となれば、俺はヨハンの前世……酷すぎる」
 生まれ変わった自分がヨハンのような放蕩の限りを尽くし、傍若無人を絵にかいた者となるとは、嘆かわしいにもほどがある。
 別の意味でおさまってきた頭痛が復活しそうであるが、ぐっとこらえ叫ぼうとする自分を抑えた。
 コンコン。
 その時、扉を叩く音とともに低い中年の声が聞こえてくる。
「ヨハン様、ネアルコです」
「入れ」
 入室したのは先ほど俺を診てくれたいた壮年の片眼鏡の男だった。
 彼は確か宮廷お抱えの典医ではなく、市井の医者だ。ヨハンとは距離をとっており、医者の矜持として宮廷にも顔を出していた。
 ヨハンと繋がりのある者の多くは彼をよいしょする腐敗した者で占められている。彼がヨハンを診るのは辺境伯内で一番の医者だと名高いからだ。俺様は一番以外には診てもらいたくない、といつものワガママの結果、彼が診察しているってわけさ。
 嘆かわしいことだ。
 医者の前ではさすがにウロウロと室内をするわけにはいかず、彼の入室前にすかさずベッドに潜りこんでいる。
「ゴホン。どうやらお元気なご様子」
「おかげさまで頭痛は収まってきたよ。診てくれて感謝する」
 感謝を述べたら、俺を診察していたネアルコの指がとまり、柔和な表情もそのままで固まってしまった。
 彼の態度を見て、こちらもハッとする。
 傍若無人な辺境伯がしおらしくお礼を述べたら気でも触れたのかと思われてもおかしくはない。
「……っつ。失礼。ヨハン様、まだご調子が優れないのでは、今晩は静養してくださいますよう」
「……今日は女は無しか? 明日ならばよいのだな?」
「頭痛が完全に引いていれば。頭を強く打った場合、唐突に倒れる患者もいます」
「丸一日過ぎれば安心なのだな?」
 ヨハンらしいセリフを並べたら、ネアルコもいつもの調子を取り戻してくれた。
 神妙な顔で深く頷いた彼が念押しをしてくる。傍若無人で奔放なヨハンに諫言をするなど、彼くらいのものだろう。本当に彼のことを思って諫言をしてくれる人物はヨハンの周りでは彼くらいのものだ。
 彼のような高潔さを持つ人物を放っておかない手はないが、今はまだ動けないな……。
「どうか明日の夜まではご静養ください。リアーナ様との婚姻も控えておられることです」
「そうだな。俺様に大事があっては世界の損失だ。隣国ヌアイアも我らがリンガイア王国も俺様に両国の未来を託したのだ。ははははは」
 高笑いをしたら頭痛が……顔が引きつりながらも笑うことをやめずヨハンらしく振舞う。
「くれぐれもご自愛くださいませ」
 深々と礼をし、ネアルコが部屋を辞する。
 続いてワゴンを押したやたら肌色が目立つメイドが入室し、枕元でかしずく。
 メイドがヘソ、肩、太ももを見せるなんて、前世の俺グル・カンがヨハンの感性を理解できる日は来ないと断言できる。
 いずれ彼女らの服装も改めさせたい。
 目のやり場に困る服装をしたメイドはサラサラとコップに粉を入れ、ポットのお湯を注ぐ。
「ネアルコ様からお薬を、と」
「心配症だな。仕方ない。俺様とて婚姻を控えている身だからな」
「では、失礼いたします」
「待て、自分で飲む」
 薬を口に含もうとしたメイドを押しとどめ、奪い取るようにしてコップを手に取り薬を飲み干す。
「ヨ、ヨハン様、わたくし、何か粗相を……」
「そのようなわけはなかろう。お前に頭痛がうつるといけないと思ったのだ」
 頬を染めるメイドに平静を装うも、内心焦っていた。
 頭痛は風邪が原因じゃないのに、うつるわけないだろ。幸いメイドは感じ入った様子なので、これ以上は何も言うまい。
「添い寝も必要ない。理由は言わずとも分かるな?」
「は、はい」
 肩ひもを外そうとしたメイドにそう告げ、やれやれと内心ため息をつく。
 ようやく一人になれたわけだが、薬によるものか休息に眠気が襲ってくる。