醒めない夢に溺れてる

 文化祭後、初めての登校日。
 俺はこの日に備え、振替休日の二日間でなんとか心の準備をしてきた。
 文化祭で遥陽(はるひ)に本当にキスをされて、その夜には抱かれる夢まで見てしまって……正直、落ち着こうとしても落ち着けない状態が続いた。というか、今だって落ち着いてはいない。
 でも、今こそ遥陽と向き合って、彼の気持ちを聞き、自分もこの想いを伝えなければならないことは分かっていた。
 キスをしてしまった以上、良くも悪くもこれまで通りの関係を続けることはできないから。
 だから、覚悟を決めたはずなのに――。
 
「……聖來(せいら)、あの、」
 
「っ、お、おはよう遥陽。一時間目の準備しなきゃね」
 
 いざ登校して話しかけられたら、遥陽と目を合わせることすらできないじゃないか!
 わざわざ俺の席まで来てくれたのに、思わずロッカーに教材を取りに行くふりをして逃げてしまった。
 
 どんな顔で、どんな声で話したらいい?
 何から、どうやって、どんな風に?
 
 この二日間、何度も同じことを考えて、何かしらの結論を出したような気がしていた。
 だけど、何百回のシミュレーションも、リアルの一瞬一瞬を前にするとまるで赤子のようだ。
 
 今回の一件の引き金である千晃(ちあき)には、まだ何も話していない。
 あのキスがどう転ぶか分からなかったし、伝えるなら上手くいってからにした方が変な責任を感じさせずに済むと思ったから。
 よって、どうすれば良いのかを相談する相手もいない。
 
 ……いないんだ、俺には。
 
 これまでの人生、俺は誰かと深い関係を築くことはおろか、表面上だけでも仲良くしようという姿勢さえ見せなかった。
 今思えば、小中の頃に周りから浮いていたのは、俺が人間関係を簡単に諦めてしまっていたせいでもあるのだろう。
 元々の性格上一人で過ごすのも楽だけど、クラスメイトと仲良くするのが嫌だったわけじゃない。
 むしろ話しかけてもらえたら嬉しかったし、今自分から気軽に話せたら……と思ったことだってたくさんある。
 でも、それを言葉にして伝えたことも、態度で見せようとしたこともなかった。
 周りは俺の心の内など知る由もないのだから、気取っているとか調子に乗っているとか思われるのも仕方なかったのかもしれない。
 
 高校生になってからはずっと、安心して友達だと言える遥陽という存在がいた。
 
 “席変わっても話しかけていい?”
 “クラスが変わっても話しに行っていい?”
 
 もしも一年生最初の席替え以降、「遥陽が」話しかけてこなくなっていたら。
 もしも一年生最後の放課後に、「遥陽が」傘を貸してくれなかったら。
 きっと今頃、俺たちは他人みたいに――。
 
 ――いや、違うな。
 確かに最初の席替えの頃は、完全に遥陽の方から距離を縮めにきてくれていた。
 でも、一年生最後のあの日は……花時雨の降ったあの夕方は、違う。
 傘を忘れたと嘘をついたのも、シャワーを浴びていかないかと引き留めたのも……ちゃんと「俺が」やったことだ。
 遥陽は……生まれて初めて、俺が自分から繋ぎ止めようとした人。絶対に離れたくないと思った人なのだ。
 
 逃げたら逃げた分だけ気まずくなって、遥陽との心の距離が大きくなってゆくだけ。
 ここまで二人で築いてきたもの、経験してきたこと、その全てをただの思い出にはしたくない。
 今度こそ覚悟を決めろ、俺。
 
 何度も遥陽と二人で過ごした図書室で、決意を固めた昼休み。
 午後の授業が始まる前に、放課後の約束を取り付けたい。
 そう意気込んで教室に戻ったのに――。
 
「あれ……?」
 
 遥陽が、いない。
 まだ教室に帰ってきてないだけかと一瞬思ったが、机の横にかけてあるはずのリュックもない。
 まさか、早退? 具合が悪くなった? 家族に何かあった?
 それとも……俺が関係してる?
 
 いてもたってもいられなくて、遥陽の仲良しグループの輪に飛び込んだ。
 
「あ、あの!」
 
「っ!? せ、聖來くん?」
 
「遥陽……っ、遥陽って、早退したの?」
 
「あ、うん、体調悪いみたいで……あの、もしかして、遥陽と何かあった?」
 
 どうしよう、責められる?
 彼らは俺たちが二人で文化祭を回っていたことも知ってる。
 遥陽に何をしてくれたんだと、怒っているかもしれない。
 
「……今日の遥陽、すごい元気なさそうだったな」
 
「ああ。あんな遥陽、初めて見た」
 
「っ、ぁ、ご、ごめ――」
 
「だから聖來くん、頼んだよ!」
 
「ぇ……?」
 
「遥陽ってさ、普段俺らの前では絶対弱いとこ見せねぇの。でも、聖來くんのことになるとこれだから」
 
「そうそう。今の遥陽を元気にできるのは聖來くんだけだよ」
 
 ちゃんと話したのは初めてだったのに、彼らは俺の背中を優しく押してくれた。
 類は友を呼ぶという言葉を、これほどに実感したことはない。
 
「みんな……本当にありがとう。俺、行ってくる!」
 
「うん、先生には俺たちから上手く伝えとくよ」
 
 みんなに頭を下げてから急いで荷物をまとめ、まもなく授業が始まろうとしている学校を飛び出した。
 そして、スマートフォンを取り出し、迷わず通話ボタンを押して――。
 
『……もしもし』
 
「遥陽、今どこにいる? 話がしたい!」
 
『……』
 
「っ、遥陽!!」
 
『……神社』
 
「へ……? 神社?」
 
『聖來の家の近くの、神社』
 
「なんで……っ、と、とりあえず、分かった! お願いだからそこにいて! 会いに行くから!」
 
 通話を繋げたまま、必死で脚を前へ前へと動かした。
 遥陽みたいに運動神経は良くないけれど、一秒でも早く会って顔を見たかった。
 
 
 神社に到着すると、拝殿に向き合う遥陽の後ろ姿を見つけた。
 手を合わせるわけでもなく、ただただ神様の方を向いて美しい姿勢で立っていた。
 
「……遥陽!」
 
 大きな声で名前を呼ぶと、遥陽はゆっくりと振り向く。
 その瞳には、甘い熱も苦い悲しみもない。
 ただ、凪のように落ち着いた誠実さだけが、彼の覚悟として伝わってくる。
 
「遥陽……今朝はごめん。俺も話したいと思ってたのに、いざ顔を合わせたらドキドキしちゃって――」
 
「やめて、聖來」
 
 ずっしりと低く響く遥陽の声が、俺の言葉を遮った。
 
「……謝らなきゃいけないのは俺の方なんだよ、聖來」
 
「っ……文化祭の、キスのこと?」
 
「それだけじゃない……俺は……」
 
 遥陽はそこで言い淀んだあと、何やら手に持っているものを見せてきた。
 
「あ、それ、この神社の……」
 
「そう、聖來の家にもある鯉の置物。あの日……聖來の家でシャワーを浴びた日にこれを見つけたとき――」
 
 ――――――――――――――――――――――――
 
『聖來の本棚に飾ってあるやつ、あれって鯉の置物?』
 
『Koi……あ、ああ、あれね! そう、鯉の置物……近所の神社に売ってあって、今年の初詣のときに買ったんだ』
 
『へぇ、何か願いが叶う感じなの?』
 
『な、なんだっけな……可愛いから買ったんだけど、肝心なところ忘れちゃったかも』
 
 ――――――――――――――――――――――――
 
「――っていう会話したよね。あのとき、聖來は誤魔化してたけど、嘘をついてるってすぐに分かった。きっと魚の『鯉』とかけて、『恋』の願い事を叶えるようなものなんだろうなって思った」
 
「は、遥陽、鋭いね……」
 
「……聖來がどんなことを叶えたくてこれを買ったのか、どうしても気になって仕方なくて……聖來の家から帰る途中、この神社に寄り道したんだ」
 
「えっ、そうだったの!?」
 
「うん。まあ結果として、置物の売り場には『恋愛運上昇』って書いてあるだけで、聖來の具体的な願いはもちろん分からなかったけど……せっかく来たし、恋愛運上昇させたかったし……ってことで、俺も同じの買ったんだ」
 
 遥陽がそんなことを考えてわざわざ神社を訪れ、鯉の置物を買っていたなんて……全く知らなかったからかなり驚いた。
 しかし、なぜそれが今謝ることに繋がるのだろう。
 
「……これを買った日からだった」
 
「な、何が……?」
 
「明晰夢って知ってる?」
 
「っ!?」
 
 心臓が飛び跳ねた。
 口から出て空へ飛んでいったんじゃないかと思うくらい。
 でも、俺はここで死ぬわけにはいかない。
 
「これは夢だって認識できる夢のこと。俺の場合は、夢の中で自由に動いたり喋ったりもできた」
 
 なんということだろう。俺と全く同じ状況ではないか。
 これは……ただの偶然と呼ぶにはあまりにも――。
 
「……嫌われる覚悟で言うね。俺、この半年間ずっと明晰夢を見てたんだ。それで夢の中で……っ、聖來と、恋人みたいなこといっぱいしてた。キスだって数え切れないほどした」
 
「っ……!」
 
「こんなこと続けたらダメだって分かってた。いつか、夢と現実がごちゃ混ぜになる予感がしてた。なのに……聖來への気持ちがどんどん暴走して……止められなくて……」
 
 次第に声が震え険しい表情になる遥陽。
 思わず駆け寄って、その腕を掴んだ。
 にわかに信じられないほど、この現実は夢よりも夢みたいだ。
 
「遥陽、そんなに、俺のこと、好きなの……?」
 
「……なんでそんな、っ、嬉しそうな顔、してんの……」
 
「だって……嬉しいし……」
 
「……ねぇ、分かってる? 『そんなに』俺のこと好きなのって聞いてきたけどさ、聖來の中の『そんなに』ってどの程度?」
 
 今度は遥陽が逆に俺の腕をぎゅっと掴んで、グッと引き寄せてくる。思わず唇が触れてしまいそうなほど、互いの顔が近づいて……。
 
「俺、聖來のこと独り占めしたいし、聖來が何も考えられなくなるくらい愛したい。聖來を俺の仲いいグループに入れなかったのは、他の男に触らせたくなかったから。体育の着替えだって本当は誰にも見せたくないけど、まだ俺が見張っておけるから耐えられてる」
 
「っ、は、はる、ぁの、」
 
「ねぇ聖來がなんで告白されないか知ってる? 告白しそうな奴を俺が先回りして止めてたからだよ。というか告白だけじゃない、聖來に用事がある人見つけたら、俺が代わりに伝えとくって言って接点を潰してたし、」
 
「す、すすストップ!! 分かったからストップ!!」
 
 顔が熱くって心臓がうるさくって、迫ってくる遥陽を押し返す力も出ないから、胸元をキュッと掴み顔を埋めて訴えた。
 
「……引いたでしょ」
 
 掠れた声でそんなことを言うのが聞こえたから、遥陽の胸にぐりぐりと頭を押しつけるようにして否定の意を示す。
 
「引いてない、全然……むしろ遥陽が……好きな人が、こんなに大きな気持ち抱いてくれてること、嬉しいって、思ってる……」
 
「っ……俺、これまでずっと、あんまり何かに執着しないようにしてたんだ。でも、聖來だけは特別。どうしても感情の抑えが効かなくて」
 
「……普段……自分の気持ち、抑えてるの?」
 
 遥陽は周りをよく見てて気遣いもできて……やはりその分、自分の想いは後回しにしてきたのだろうか。
 埋めていた顔を少しだけ傾けてチラリと見上げると、遥陽は少し視線を彷徨わせたあと、今は見られたくないという風に俺の顔を再び胸の中に閉じ込めた。
 
「……俺、小さい頃、親がシングルマザーで。母さん毎日忙しそうで寂しかったけど、だからこそ依存しないように俺がしっかりしなきゃって……そう思うようになったのが始まりかな」
 
「……そう、だったんだ」
 
「小学校入る頃に母さん再婚してさ。生活は楽になったし、すぐに弟もできて幸せだったよ。ただ、父親と血のつながりがないこととか、たまに寂しく感じて……でも、絶対気づかれたくなかったから、明るく元気な自分を作るようになった」
 
 その話を聞いて、水族館で家族の話題を避けられた理由がやっと分かった。
 これはきっと遥陽の非常にセンシティブな部分で、それを誰かに話すのは、心の一番柔らかくて脆いところを外気に晒すような行為なのだろう。
 
「この前、聖來は『遥陽の方が芸能人みたい』って言ってくれたけど、いつも自分を演じてるって点ではそうかもなって思う」
 
「っ、そ、そういうつもりじゃ、」
 
「分かってるよ。ちゃんと、分かってる……」
 
 ぎゅう、と俺を切なく抱きしめる力に、抱きしめ返すことでしか返せなかった。
 俺がもっとちゃんと他人と関わってきたなら、こういうとき遥陽が欲しい言葉をかけてあげられたのだろうか。
 
「……ごめん、色々話しちゃったけど、まあそんな感じでね……俺は寂しいって思うほど誰かに入れ込んだり、自分の感情を曝け出したりすることはないって思ってたけど……聖來に出会ってから全部覆されちゃって。でも、絶対に順番間違えないように、絶対ゆっくり進めるんだって頑張ってたのに……いきなりキスしちゃって、本当にごめんなさい……」
 
「っ……」
 
 俺も、言わなきゃ。遥陽が全てを見せてくれたのだから。
 俺も、同じように――。
 
「……遥陽、俺もね、謝らないといけないことがあるんだ」
 
「え……?」
 
 身体を離すと、遥陽が不思議そうな顔でこちらを見ていた。
 今からもっと不思議で嘘みたいなことを言うのに大丈夫かな。
 
「正直、俺も驚いてるんだけど……さっき遥陽が言ってた、俺たちが恋人みたいなことする明晰夢、あるじゃん」
 
「ぅ、うん」
 
「それ……俺も見てたんだよね」
 
「…………ん? えっと……ん?」
 
 案の定、俺が何を言っているのか分からないという様子だ。
 ふざけているとか嘘をついているとか思われるのだけは避けたいから、とにかくそのまま素直に話すしかない。
 
「っ、えっと、だから……俺もこの半年間ずっと、遥陽とイチャイチャする明晰夢を見てたんだ」
 
「…………マジで?」
 
「うん……」
 
「た、例えばどんな……」
 
「た、例えば? それは……文化祭準備の休憩中に自販機のとこでキスしたり、遥陽が千晃に嫉妬して俺のベッドでいっぱいキスしてきたり……ってこんなに言わせないでよ、恥ずかし、」
 
「待って!」
 
「っ!? な、なにっ」
 
「ま、待って……嘘だろ……」
 
 遥陽が頭を抱えてしまったから、心臓がヒヤリと冷える。
 さすがに俺の夢の内容は度が過ぎていて、不快にさせてしまった可能性が――。
 
「聖來」
 
「ひゃい!」
 
「俺たち……全く同じ夢を見てたっぽい」
 
「……えっ!?」
 
「今、聖來が話してくれた夢の内容……明らかに俺が見たのと一緒だ」
 
 まさか一日の間に、いやこの十分そこらの間に、気が動転するような事実の発覚が二度も起こるなんてあり得るのか。
 今まさにあり得ることが証明されてしまったのだが。
 
「……文化祭準備の夢、聖來りんごジュース飲んでたよね」
 
「の、飲んでた……」
 
「千晃さんに嫉妬した夢で、俺ここにキスマークつけたよね」
 
「つ、つけられた……」
 
「ちなみに……あの日、千晃さんが泊まりに来るってチャットで教えてくれたけど、ちょうどその夜にその夢見た?」
 
「うん……まさに千晃が泊まってる夜に見た……」
 
 きっと、遥陽も同じ結論に行き着いてる。
 科学で証明できるかと言われたら多分無理だろうけど、これはほぼ間違いなく……。
 
「ねぇ聖來、俺たちの明晰夢って……」
 
「……リアルタイムで繋がってたってこと?」
 
 二人して目をまん丸にして数秒間ポカンとしていたが、徐々に思考回路が機能してくると、体温も心拍も上がっていく。
 
「じゃ、じゃあ、あのときのあれも、あれも、全部、俺の妄想じゃなくて……遥陽が自分の意思でやってたってこと?」
 
「っ、せ、聖來こそ……ぁ、だからあのとき……」
 
「な、なに、俺なにしたっけ、もう恥ずかしくて溶ける……」
 
「キスマークつけたあと、『いつかほんとにしてよ』って言ってたから、俺はどれだけ自分に都合のいいセリフを夢見てんのかって思ってたけど……あれほんとに聖來が言ってたんだ」
 
「ぅ……も、もうやめよ、もうダメだ俺……」
 
 脚に力が入らなくなってきたのでしゃがんで顔を覆ったら、遥陽も隣にしゃがみ込んで大きく息を吐いた。
 そして、指の隙間から覗かせた俺の目をまっすぐに見てくる。
 
「……夢の中の俺、妄想じゃないからね。むしろあれが本当の俺だよ。それでも、いいの?」
 
「遥陽……っ、うん、いいに決まってる」
 
 顔を隠している場合じゃなかった。
 まだこの気持ちをはっきりと言葉で伝えていないじゃないか。
 
「聖來、立って」
 
 差し伸べられた手を取って立ち上がり、今ここにいる本当の遥陽に真正面から向き合った。
 
「色々、ビックリだったけど……文化祭でできなかった告白、させてください」
 
「……うん」
 
 夢の中でたくさんデートしたり、ハグしたり、キスしたり……恋人みたいに過ごしてきた俺たちだけど。
 これからはもう「夢」じゃなくて、恋人「みたい」じゃなくて――。
 
 
 
「俺……聖來のことが大好きです。入学式の日から毎日好きになってます。もし、よかったら……俺の恋人になってください!」
 
「……俺も、遥陽のことが大好きです。俺でよかったら……遥陽の恋人にしてください!」
 
 
 
 俺たちは、正真正銘の恋人だ。
 
 
 
 ◇
 
 
 
 帰り道、ふと気になって遥陽に尋ねた。
 
「そういえば、なんで神社にいたの?」
 
「ああ……鯉の置物をね、返納しようかと思ってたんだ」
 
「えっ」
 
「夢で好き勝手して聖來を傷つけた自分への戒め、みたいな。まあ結局今もリュックに入ってるけど」
 
「あ、良かった……ふふ、色々遥陽とのお揃い持ってるなぁ。水族館のキーホルダーとスポーツタオルと鯉の置物と……」
 
 そんな話をしていたら、いつのまにか家の前に着いていた。
 もうバイバイか……と落ち込みかけたとき、遥陽が「あっ!」と何かを思い出したような声を出す。
 
「聖來、文化祭で作ったミサンガ交換しよ! 今持ってる?」
 
「そういえばそうだね! 俺のは部屋にあるよ」
 
「お、じゃあ取ってくる? ここで待っとくから」
 
 他の選択肢など頭にないという風な爽やかな笑顔に胸が痛む。
 寂しいのも欲深いのも俺だけなのかと思うと悔しくて、ちょっといじけたくなった。
 
「……遥陽は、それでいいんだ」
 
「えっ」
 
「っ、俺は、まだ、離れたくないのに……夜まで、誰も帰ってこないし……」
 
「……は……」
 
 遥陽が呆然としているからいたたまれなくて、急いで玄関の鍵を開けて中に閉じこもろうとした。
 しかし、遥陽は閉まりかけた扉をこじ開けて中に入ってくる。
 そして、その行動に俺がときめいている間に、カチャ、と玄関の鍵を内から閉めた。
 
「あの、ほんとにさ……俺の理性を破壊しようとするのやめて」
 
「っ……だ、だって、」
 
「だって、さっき付き合ったばっかだよ? 交際三十分未満で手出すような男になりたくないのに……」
 
「もう文化祭でキスしちゃったじゃん」
 
「ゔっ、それを言われると……」
 
「そ、それに! ゅ、夢の中では俺のこと抱いたくせに!」
 
 そのせいで俺はずっと、身体が熱るような感覚を忘れられないのに。ちゃんと恋人になれた今、その熱を留めておけというのは生殺しだろう。
 
「……聖來、今なんて言った?」
 
「ぇ、だ、だから、夢の中で、」
 
「俺が聖來を抱いたって? そんなわけないんだけどな」
 
「え? つい三日前、文化祭終わった日の夜だよ……?」
 
 直近の、しかも過激な内容の夢なのに……忘れちゃった、なんて言われたら、今度こそ家から追い出していじけてやる。
 
「本当にありえない。俺、絶対それだけはしないように我慢してたもん。それに……文化祭でキスしちゃって自己嫌悪に陥ってたし、その日は明晰夢見ないようにしてた」
 
「見ないようにする? どういうこと?」
 
「あれ、聖來は違うのかな。俺の場合は、鯉の置物を撫でてから寝ると明晰夢を見れたんだけど」
 
「えっ……俺は見るかどうか自分で選べないし不定期だった……って、待って待って、じゃあなんで俺は抱かれて……も、もしかしてあれは普通の夢ってこと? 確かに自由に動けなかったし、ぼんやりとしか覚えてないし……」
 
 よくよく考えてみたら、明晰夢を見るようになったからと言って、普通の夢を全く見なくなったわけじゃない。ただ、普通の夢は明晰夢に比べたらインパクトもなく、起きたら忘れていることがほとんどで……いや、そうは言っても、どうしてこの可能性に気づけなかったんだろう。
 
「……あ〜、ムカつくなぁ」
 
「っ!?」
 
 遥陽の苛立った声にビクッとした刹那、両頬を包まれて額をコツンと合わせられる。
 二人して発熱しているみたいに熱いから、今日の早退はサボりじゃなくなった。
 
「夢の中の俺にめちゃくちゃ嫉妬してる」
 
「っ……」
 
「聖來の初めてもこれからも全部、俺だけにしたいのに」
 
「ゅ、ゆめ、だから。現実は、その、初めて、だから」
 
「当たり前だろそうじゃなきゃ許せない」
 
 そのまますぐに唇を奪われた。
 まだ靴も脱いでいないのに。
 扉の一枚向こうでは、近所の人が歩いてるかもしれないのに。
 
 ゆっくりと侵食されるようなキスに溶かされて、力の抜けた肩からリュックが落ちていく。
 遥陽の荒くなる息遣いも、自分の鼻から漏れる花の蜜のような甘い声も……もう、夢じゃない。
 
 いよいよ意識がぼんやりとしてきたとき、遥陽はやっと酸素を取り込ませてくれた。
 呼吸は楽になるけれど、身体はむしろ辛いと叫ぶように疼いていた。
 
「……ごめん、がっついて」
 
「……ねぇはるひ、みさんが、おれのへやにある」
 
「……」
 
「……いこ?」
 
 首に手を回して提案すると、遥陽は一瞬だけ眉間に皺を寄せたあと、軽々と俺の身体を持ち上げた。
 
「おれのへや、あっち」
 
「ん」
 
「……はるひ、すき」
 
「……俺も好きだよ」
 
 まもなくその身体はベッドに優しく下ろされることになる。
 遥陽は淡いピンクと純白のミサンガを右手首に結んでくれた。
 俺は遥陽が選んだ二色に赤色をプラスした三色のものを、同じく彼の右手首に結んだ。
 
「何をお願いしたの」
 
 と問われたから、耳を寄せるよう手招きする。
 
「秘密」
 
 と囁いてから頬にしたキスは、始まりの合図になった。