彗斗との距離が少しづつ縮まりつつあったある日、膝の上でくつろぐさくらをなでていると、華絵がしずくを訪ねてきた。珍しいこともあると訝しく思ったが、無下にするわけにもいかない。部屋に通すとどすんと腰をおろし、我が物顔でくつろぎ始めた。
膝の上にいたさくらが慌てて逃げてしまう。ぴょんと庭に出ると、茂みの向こうに走り去った。
「いつ見ても不吉な黒猫だわ、嫌になっちゃう。奥様に懐いていらっしゃるんですね、不吉なもの同士、馬が合うのでしょうね」
「かわいい猫ですよ」
嫌味はさらりと受け流すものだ。いちいち真に受けていてはやっていられない。これも本家で学んだ処世術だ、実に役に立つ。
「これが奥様の部屋なのね、ずいぶんと狭いわ」
「日当たりがよく、気に入っております」
「ふうん私はもっと大きな部屋をいただくことにするわ、これじゃあろくに物が置けない。奥様だって、彗斗様からの贈り物の置き場に困ってはいません?」
「いえ、特に贈り物はいただきませんから」
そう答えると、華絵はひどく驚いたように「まあ」と甲高い声を上げる。
「彗斗様は私にいろいろと贈り物をくださるんですよ。誕生日はもちろん、お出かけになった際にいろいろお土産をくださいます。彗斗様は貿易商もなさっているでしょう? 大陸から渡ってきた珍しいお化粧品やお菓子なんかもたくさん持ってきてくださるの。嬉しいけれど置き場に困ってしまって……奥様にはそういったものを贈られないのですね……どうしてかしら」
不思議そうに首をかしげてみているが、その目が笑っている。しずくは内心ため息を吐いた、義妹の淳子にそっくりである。対処法は心得ている。
「私はこの生活で十分満たされております。旦那様もそれをわかってくださっているのでしょう。特別な贈り物はいりません」
「ふうん。ま、彗斗様にとって奥様はその程度ってことよね。奥様、お庭を案内してくださいません?」
「ええ」
イライラした様子の初野に断りを入れてから、華絵と一緒に中庭に出る。季節ごとに花が咲くように設計された中庭はしずくのお気に入りの場所だ。
「なんだかパッとしないお庭ですね。私の部屋からは大陸から渡っていた庭師に造らせた薔薇園があるんですよ」
「すれは素敵ですね。ですが、私はこの庭を気に入っております」
「雑草ばかりではありませんか」
「そんなことはありませんよ、どれも美しい花を咲かせるものばかりですし、これなんかは薬草になります。基材と混ぜるとアカギレによく効きますよ」
「薬なんか、もっと良いものを仕入れたらいいのよ。雑草なんかよりも効果の高いものが得られるわ」
「確かに、仰る通りです。ですが、野草の知識があるのも悪いことではありませんよ」
「そんなことより奥様、もっと向こうのほうも案内してくださいな」
「あちらは屋敷の外になります、勝手に出歩くわけにはいきません」
「そんな固いことを言わないで、さ、行きましょう」
華絵は強引にしずくの手を引くと、屋敷の外に出てしまう。
「そうだ、美味しいカフェーができたのよ」
「いけません華絵様、勝手に……」
「いいのよ、彗斗様にも奥様と仲良くしてあげなさいって言われているの。だって、いずれ一緒に暮らすようになるかもしれないだから」
「それはどういうことでしょうか」
「聞いてないの? 本来なら私が彗斗様の奥様になる予定だったのよ帝が番なんて古い風習を持ち出してくるから、反故になってしまったのだけれど、彗斗様は私を妻に迎えたいみたいなの。だからいずれ一緒に住むことになるわ」
「そう、でしたか……」
少しだけ心に影が差す。彗斗の心が自分にないことはわかっていたが、夫の意中の相手が目の前にいるというのは些か落ち着かない。
「仲良くやりましょうね、ほら、あそこのカフェーよ」
「え……」
突然、口元を抑えられる。甘い香りがして、意識が遠のく。
「ああ、本当に邪魔な女……ご協力くださり感謝しますわ。彗斗様には西城家に逃げ帰えったって伝えておきます」
「よろしくお願いしますよ、あと、報酬のことも」
「ええ、借金のことですよね、お父様にお願いしておきますからご安心ください。それに、私が彗斗様の奥様になったあとはあなたが出世できるよう進言してあげます」
「ありがとうございます。しずくのことはお任せください。決して家の外には出しませんから」
華絵が誰かと会話している声が遠くで聞こえる。聞き覚えのある男の声だ。体が宙に浮いたのは分かったが、しずくの意識は遠のいていった。
膝の上にいたさくらが慌てて逃げてしまう。ぴょんと庭に出ると、茂みの向こうに走り去った。
「いつ見ても不吉な黒猫だわ、嫌になっちゃう。奥様に懐いていらっしゃるんですね、不吉なもの同士、馬が合うのでしょうね」
「かわいい猫ですよ」
嫌味はさらりと受け流すものだ。いちいち真に受けていてはやっていられない。これも本家で学んだ処世術だ、実に役に立つ。
「これが奥様の部屋なのね、ずいぶんと狭いわ」
「日当たりがよく、気に入っております」
「ふうん私はもっと大きな部屋をいただくことにするわ、これじゃあろくに物が置けない。奥様だって、彗斗様からの贈り物の置き場に困ってはいません?」
「いえ、特に贈り物はいただきませんから」
そう答えると、華絵はひどく驚いたように「まあ」と甲高い声を上げる。
「彗斗様は私にいろいろと贈り物をくださるんですよ。誕生日はもちろん、お出かけになった際にいろいろお土産をくださいます。彗斗様は貿易商もなさっているでしょう? 大陸から渡ってきた珍しいお化粧品やお菓子なんかもたくさん持ってきてくださるの。嬉しいけれど置き場に困ってしまって……奥様にはそういったものを贈られないのですね……どうしてかしら」
不思議そうに首をかしげてみているが、その目が笑っている。しずくは内心ため息を吐いた、義妹の淳子にそっくりである。対処法は心得ている。
「私はこの生活で十分満たされております。旦那様もそれをわかってくださっているのでしょう。特別な贈り物はいりません」
「ふうん。ま、彗斗様にとって奥様はその程度ってことよね。奥様、お庭を案内してくださいません?」
「ええ」
イライラした様子の初野に断りを入れてから、華絵と一緒に中庭に出る。季節ごとに花が咲くように設計された中庭はしずくのお気に入りの場所だ。
「なんだかパッとしないお庭ですね。私の部屋からは大陸から渡っていた庭師に造らせた薔薇園があるんですよ」
「すれは素敵ですね。ですが、私はこの庭を気に入っております」
「雑草ばかりではありませんか」
「そんなことはありませんよ、どれも美しい花を咲かせるものばかりですし、これなんかは薬草になります。基材と混ぜるとアカギレによく効きますよ」
「薬なんか、もっと良いものを仕入れたらいいのよ。雑草なんかよりも効果の高いものが得られるわ」
「確かに、仰る通りです。ですが、野草の知識があるのも悪いことではありませんよ」
「そんなことより奥様、もっと向こうのほうも案内してくださいな」
「あちらは屋敷の外になります、勝手に出歩くわけにはいきません」
「そんな固いことを言わないで、さ、行きましょう」
華絵は強引にしずくの手を引くと、屋敷の外に出てしまう。
「そうだ、美味しいカフェーができたのよ」
「いけません華絵様、勝手に……」
「いいのよ、彗斗様にも奥様と仲良くしてあげなさいって言われているの。だって、いずれ一緒に暮らすようになるかもしれないだから」
「それはどういうことでしょうか」
「聞いてないの? 本来なら私が彗斗様の奥様になる予定だったのよ帝が番なんて古い風習を持ち出してくるから、反故になってしまったのだけれど、彗斗様は私を妻に迎えたいみたいなの。だからいずれ一緒に住むことになるわ」
「そう、でしたか……」
少しだけ心に影が差す。彗斗の心が自分にないことはわかっていたが、夫の意中の相手が目の前にいるというのは些か落ち着かない。
「仲良くやりましょうね、ほら、あそこのカフェーよ」
「え……」
突然、口元を抑えられる。甘い香りがして、意識が遠のく。
「ああ、本当に邪魔な女……ご協力くださり感謝しますわ。彗斗様には西城家に逃げ帰えったって伝えておきます」
「よろしくお願いしますよ、あと、報酬のことも」
「ええ、借金のことですよね、お父様にお願いしておきますからご安心ください。それに、私が彗斗様の奥様になったあとはあなたが出世できるよう進言してあげます」
「ありがとうございます。しずくのことはお任せください。決して家の外には出しませんから」
華絵が誰かと会話している声が遠くで聞こえる。聞き覚えのある男の声だ。体が宙に浮いたのは分かったが、しずくの意識は遠のいていった。



