東城家と西城家の契約結婚

 瞬く間にしずくが嫁ぐ日になった。使用人たちはしずくとの別れを惜しみ、その身を案じてくれたが、父は西城家からしずくの輿入れに使用人をつけてはくれなかった。それどころか、ろくな嫁入り道具も持たせてはくれなかったのである。
 東城家からそれなりの支度金が贈られたというのに、借金を返すために使ってしまったのだ。義母の求める豪華な暮らしを支えるため、金はいくらあっても足りなかった。

 東城家と西城家の結婚式は盛大なものになった。
 多くの人を呼び、ふるまう料理も引き出物も豪華なものである。もちろん、主役となる彗斗もしずくも着飾ることとなる。
「まったく、どうして私が奥様のお世話なんか焼かないといけないのかしら、貧乏くじを引かされたわ、どうせなら旦那様のほうがよかった。もしかしたらご褒美がもらえるかもしれないじゃない? 目に留まればお妾になれるかも」
「し、聞こえますよ」
「いいのよ、旦那様も奥様にはかけらもご興味がないじゃない。帝都の結界を維持するための形ばかりの結婚なんだから。あなただって、嫌な役回りだなって思ったでしょう?」
「それは……そうですけれど」
「でしょ、ま、パパっと終わらせちゃいましょう。粗相があっても恥をかくのは奥様だけ。旦那様に私たちが叱られることはありませんよ」
「介添えは誰がやるの? 私は嫌よ」
「私も嫌ですよ」
 扉の向こうで東城家の女中たちが話しているのが聞こえる。西城家の人間は女中たちにも嫌われているらしい、教育がよく行き届いていると言えるのだろう。主人の仇敵は自分の仇でもあるわけだ。
 しずくは女中たちの会話を気にもかけていなかった。西城の家から女中を誰ひとり連れてくることができなかった時点で自分の周りは敵だらけだと思っている。そもそも少々言われたくらいで凹むたちではない。その点でしずくは手厳しかった継母や我がままだった弟妹に感謝した。
「失礼いたしします、奥様」
 扉の向こうの会話が嘘のように女中たちはすました顔で部屋の中に入ってきた。
「お支度のお手伝いをいたします」
「よろしくお願いします」
 椅子に浅く腰かけて背筋を伸ばし、凛とした声で答える。女中たちは一瞬たじろいだように見えたが、すぐにとりなし、しずくの支度を手伝い始める。
「旦那様は軍服をお召の予定ですので、奥様も洋装にいたしましょう」
 そう言ってひとりの女中が純白のドレスを手に取る。洋装に身を包んだしずくを見て、一瞬ため息を吐いたように見えた。
「か、髪の毛を整えましょう。なにかご希望はございますか」
「あなたにお任せします。ただし、髪飾りは珊瑚を選んでください」
「わ、わかりました」
 ドレスに合うよう髪を結い上げ、珊瑚の髪飾りを挿す。耳飾りと首飾りは真珠を用意するようお願いした。東城家を象徴する珊瑚と西城家を象徴する真珠を選ぶことで両家の結婚を印象付けるためである。
「お化粧をいたします」
「はい」
 思いの外、女中たちは親切に支度を手伝ってくれた。花嫁姿になったしずくを見て、満足そうな顔をしている者もいる。しずくはにこりと微笑んだ。
「みなさん、ありがとうございました。全員もう下がって結構です、ほかの場所を手伝ってください」
 しずくがそう言うと女中たちは目を丸くした。
「誰かひとりは残ります」
「大丈夫です。何かあれば自分で対処いたします。来賓の目があるでしょうから式の間は誰かひとりついてください」
 女中たちは互いに顔を見合わせて「失礼します」とぞろぞろと部屋を出て行った。
 ひとりになったしずくは息を吐きだす。思ったよりも緊張していたようだ。この調子でどうにか過ごしていくしかない。
 部屋の中を見渡すと、豪華な調度品が目に留まった。傾きかけている西城家と違って東城家は裕福なのだろう。かつて東城家を陥れて裕福になったとされる西城家と陥れられた東城家は今、逆の立場になろうとしているのかもしれない。
 西城家の継母や義妹は家計が傾いていることから目を背けていた。義妹に関しては知らなかったのかもしれない。しずくが輿入れするにあたって、東城家から多額の支度金が支払われたはずだ。
 東城家の当主は口惜しかったことだろう。帝の命でなければ、一銭たりとも支払いたくなかったに違いない。
「しずく殿、準備はできたか」
 扉の向こうから彗斗の声がした。感情のこもらない声からは、しずくを歓迎していないことがよくわかる。
「はい、今参ります」
 扉を開け、彗斗を見たしずくは驚いた。豪華な刺繍の施された紋付を羽織っている。洋装のしずくを見て、あからさまに顔をゆがめた。大変な美丈夫だと思うがしずくを見る目はあまりに冷たい。
「しずく殿、その格好は……」
 女中たちは勘違いをしていたのか、それとも、嫌がらせで彗斗は軍服だと言ったのか。とにかく、今すぐに服装を合わせる必要がある。
「申し訳ございません、あまりに美しい洋装に見入ってしまって、ドレスを着てみたかったものですから」
 なんにせよ女中のせいにするわけにはいかない。言い訳をしたところで様相を着ているという事実が変わるわけではない。しずくの答えに、彗斗はいらだったため息を吐く。
「身勝手な……」
「申し訳ございません、すぐに整えます」
 しずくは部屋の中を見回し、衣桁にかけてある白無垢を手に取る。ドレスの上から着物を羽織り、髪を自ら結上げた。
 あっという間に和装に仕上げたしずくを見て、彗斗は驚いたような表情になる。
 それからすぐに表情をもどした。
「しずく殿、あなたは東城家に嫁がれる身、今後はこのような勝手は控えていただきたい」
「はい、申し訳ございません」
「それから、結婚後はこれまでのように仮装舞踏会などには参加されぬよう、私の妻である自覚を持ち、慎ましく生活してほしい。結界を維持するためには縁が必要だが、そこに愛は必要ない。私はあなたに欠片の興味も抱いていないが、東城の名が傷つくのは困る」
 一瞬、何を言われているのかわからなかった。しずくは舞踏会など出たことはない。
「承知いたしました」
 静かに答えてから、彗斗の後ろについて歩き始める。どうせなら綿帽子も見つけられたらよかった。視界が狭まる分、余計なものが目に入らなくなるから。
 東城家の人々はこちらを見てはひそひそとなにかささやいているようだった。気にかけてなどいられない。歓迎されていないことは端からわかっている。
「西城家から奥様を迎えられるっていうからどんな女性が来るのかと思えば、ずいぶん身勝手な方が来たのね。白無垢の下にドレスを着ているなんて、格式高い東城家の結婚式には不相応よ。とっても不格好で恥ずかしいわ。彗斗様は凛々しい袴を着ていらっしゃるのに」
 甲高い声がした。声の主は流行りの柄の着物を着た若い女性だろう。しずくの姿を頭のてっぺんから足の先まで見定めているようだ。それから隣の彗斗に甘い声をかける。
「彗斗様、ご結婚おめでとうございます。正直祝いたくありませんわ、私が奥様になる予定でしたのに、こんな阿婆擦れと……」
「華絵、話はあとにしなさい。後で君のもとにいくから」
「わかりましたわ、必ず来てくださいね、おひとりで、約束ですよ」
 しずくは華絵と呼ばれたのそばで一度立ち止まり、華絵をじっと見つめる。
「な、なに、文句でもおありなのかしら」
 華絵が驚いてしずくをにらんでくる。
「今日はご参加くださりありがごうございます」
「あなたにお礼を言われる筋合いはないわ、私は彗斗様のために来たのよ」
「主人のお客様は私にとってもお客様です。素敵なお着物ですね、私も用意していただいたドレスが素敵だったので、両方着てみたくなったのです。黎明館での舞踏会では、着物とドレスを上手く合わせることが流行なんですよ」
 しずくが反論してきたので、華絵はたじろいだ。まさか言い返されるとは思っていなかったのだろう。
「は、流行ものにすぐに手を出すなんて軽率ですわ」
「華絵様のお召し物もハイカラな柄ですが、とても素敵ですよ。お似合いです」
「な……!」
 顔を真っ赤にした華絵はふんっと鼻を鳴らしてその場を離れた。
 人々が集まる広間に入り、彗斗の隣に腰かけると、先ほど用意を手伝ってくれた女中たちがこちらを見て青い顔をしているのがわかった。中には申し訳なさそうな顔をしているものもいる。なるほど、本当に彗斗が軍服を着てくると思っていたようだ。
 どこで情報が違ったのだろうか。もしくは、意図的に違う情報を流されていたのか。どちらでもいい、寛容なのは、うまく切り抜けられたことだ。今後もこのようなことは尽きないだろう。そのたびに自分で何とかしなければいけない。
 しずくはちらりと視線を上げ、伴侶となる男の顔を盗み見た。
 彗斗様は、私のことなど顧みないだろう。自分の身は、自分で守らなければ。
「縁を」
「はい」
 彗斗の声かけに従い、慣例通りに祈りをささげる。互いの祈りが捧げられた盃に酒を酌み、飲み干すことで縁が結ばれる。
 盃を交わすと眩い光が弾けた。まるで星が煌めくように、辺りに散らばる。
 彗斗としずくの間で縁が結ばれた証であった。

 警戒していたが、結婚式は驚くほど淡々と終わった。彗斗も東城家の人間も、積極的にしずくに害をなしてくる雰囲気はなかった。
「しずく殿の部屋は奥の部屋を使うといい。離れを用意するつもりだったが、急な結婚でまだ仕上がっていない。案内させるから寛いでくれ、今日はご苦労だった」
「ありがとうざいます。旦那様もお疲れ様でございました」
 深く頭を下げお礼を告げると、彗斗はまた驚いたような顔になる。今日一日で何度も見た表情だ。彗斗という人間は、想像していたよりも感情豊かな男のようだ。
「あとで女中をよこす」
「不要です、自分のことは自分でできます」
「あなたのことを監視するものが必要だ。なにをしでかされるかわかったものではない。先ほどの華絵嬢への態度も褒められたものではない」
「そうですか、わかりました。華絵様には本当のことを申し上げたまで、ですが、旦那様の気分を害してしまったのなら謝ります」
「……これだから西城の娘は、噂通り傲慢で困る」
 しずくの返答に彗斗は苦い顔をした。
 自室にと案内された部屋は、こじんまりとしてたが、清潔で日当たりもよさそうだった。思いの外待遇もよい。実家から持ってきた荷物も運ばれてきている。
 しずくは手際よく着替えを終え、普段着に着替えると、着物と洋装を衣桁にと衣紋掛けにかける。髪をほどいて結いなおし、少ない荷物をほどき終えると、部屋の中をくるりと見渡した。調度品は少ないが、品の良いものばかりである。少々埃っぽいのはしばらく使われていなかった部屋である証拠だろう。後で箒と塵取りにぞうきんを用意してもらおうと思う。
 ふと、鏡が目についた。しずくのために用意されたものか、もともと置いてあったものなのかはわからないが、鏡があるのはありがたい。正面に立って布を外すと、化粧を施した自分の顔が写った。
 西城の家で暮らしていた時は自分が化粧をする日が来るとは思わなかった。女中たちはずいぶんと綺麗に仕上げてくれたようだ。先入観から西城の人間であるしずくに対して敵対的だが、根の悪い人たちではないと思った。
 これは、今日一日の贅沢だろう。すぐに落としてしまうのは惜しいが、ずっとこのままいるわけにはいかないので、後で風呂場を教えてもらって顔を洗いかなければいけない。
 押し入れから布団を取り出して、寝具を整え終えたころ、女中が部屋を訪ねてきた。
「奥様、失礼いたします。お着換えを手伝いにまいりました、遅くなって申し訳ありません」
「どうぞ」
 部屋に入ってきたのは、結婚式の着替えを手伝ってくれた女中のうちのひとりだった。一番年若いものだろう、貧乏くじを引かされたようだ。
だが、若い娘はしずくがすっかり着替えを終え、自分で荷をほどき、寝具の用意までしているのでひどく驚いたようだった。
「誰か先に訪ねてきましたか? それとも、お、奥様がこれを?」
「勝手をしてすみません」
「い、いえ、とんでもないです。私のほうこそお手伝いが遅くなってしまって、お手間をおかけいたしました」
 若い女中は深々と頭を下げる。
「後片付けが忙しかったことでしょう。気にしないでください」
「奥様……」
 若い女中は少し顔をゆがめる。それから、きゅっと口元を引き結んだ。
「私にできることはありませんか?」
「お風呂の場所を教えてください、化粧を落としたくて」
「かしこまりました。湯船にもつかりますか?」
「お湯を沸かすのは手間でしょう? 手ぬぐいと桶をいただけたら汗を流せます。お化粧、ありがとうございました」
「え……」
「綺麗に仕上げてくださって、とても気に入りました」
「……よかったです。あ、あの、奥様……」
「なんでしょうか」
 若い女中はきゅっと唇を引き結ぶ。まるで、泣くのを我慢しているようだ。大きな目でしずくを見つめると、ばっと頭を下げた。
「申し訳ありませんでした」
「何が、でしょうか」
「お着物です。私たち、彗斗様が軍服を召されると聞いていましたので、本当に驚きました。ですから、奥様にドレスを勧めてしまって大変なことをしてしまったと。でも、奥様は白無垢を召されていて、私共のことも糾弾されなかったのではないかと……お叱りがなかったので」
 女中の言葉に、しずくはなんと答えようか困った。
「衣桁に白無垢があってよかったです。なんとかなりました」
 ふふっと微笑むと、若い女中は泣きそうな顔になる。
「私は初野と申します。先ほどのご無礼をお許しください」
「無礼……?」
 記憶を手繰り、結婚式前に女中たちが話していた会話の内容を思い出した。きっとあれらのことだろう。
「かまいません、私は西城の娘ですから」
 自然と力ない笑顔が漏れる。すると、初野は泣きそうな顔のまましずくに向かって深々と頭を下げた。
「これからどうぞよろしくお願いします、奥様」
「は、はい、よろしくお願いします、初野さん」
 初野の反応にしずくは心が温かくなるのを感じた。もしかしたら、思ったよりも居心地よく過ごすことができるかもしれない。東城のひとびとは、心の底から西城のことを憎んでいるものばかりではないだろう。
 初野のように根の直で優しいものもいそうだ。
「奥様、私、すぐに湯殿の準備をしてまいります。旦那様がつかるのでお湯の準備はできているのです。少しお待ちください」
 そういうと初野は慌てて駆けて行った。すっかり片付け終わった部屋で次に何をしようかと考えていると初野が戻ってくる。
「奥様、まいりましょう」
「あ、ありがとうございます」
 初野について湯殿に向かう途中、すれ違う人々は奇妙なものでも見るような目でしずくを見た。しずくは気にしていなかったが、初野は申し訳なさそうな顔をする。
「気にしないでください。覚悟はしてきておりますから」
「……すみません」
 湯殿に案内され、体を清めてから温かなお湯につかるとふっと力が抜けた。西城の家では湯につかることなどなかなかできなかったのだから、広大ぐうだとさえ思う。初野のおかげだ。
 少し温まって湯殿を出ると、初野が誰かと話しているのが聞こえる。
「やめときなよ初野、奥様にお夜食なんか出したら旦那様や家令の三田様に叱られるかも」
「だけど、奥様はあまり食事を召しあがっていらっしゃらなかったし」
「だからってあんたが怒られることないよ」
「奥様、私たちをかばってくれたじゃない。誰かが旦那様は軍服を召されるって言っていたでしょう? 聞いてきたのは誰? 奥様は私たちのせいにすることだってできたのに」
「それは……華絵様がそう言っていたので信じてしまって……」
「とにかく私、不義理なことはしたくないの」
「そういうなら好きにしなさい」
 どうやら先ほど出会った華絵が女中に軍服を着ると話していたらしい。彗斗がそう言っていたのを直前で反故にしたのかわからないが、どちらにせよしずくを困らせようとしていた意図は伝わる。
 部屋に戻ると初野が夜食を持ってきてくれた。温かなおにぎりがお皿の上に載せられている。
「おなかがすいているかと思いまして」
「ありがとうございます。でも、初野さん、自分のことも大切にしてください。私にあまり肩入れしないようにしてください」
「ご迷惑でしょうか」
「あなたがいじめられるようなことがあったら私もよい気はしません」
 初野は何か言いたそうに目を潤ませたが、深々と頭を下げて出て行った。初野が出ていくと部屋の仲が静かになる。気が付けばしとしとと雨が降り始めていた。彗斗が訪ねてくることはあり得ないだろう。そろそろ眠ろう、そう思って明りを消そうとすると、縁側から見える庭の暗闇にふたつの目が輝いているのが見えた。猫のようだ。黒猫だなんて不吉だわ、しずくはそう優しくつぶやいて手招きをする。
「こっちにおいで、雨宿りしましょう」
 しずくの声に気が付いたのか、猫は黄色く輝く目でしずくを見つめると、速足で駆け寄ってくる。しずくが体を拭いてやろうとすると一瞬警戒するようなそぶりを見せたが、すぐに素直に体を預けてくる。しずくを安全な存在だと認識したのだろう。
 黒猫に部屋の一部を提供し、しずくも眠りにつくことにした。
 些か疲れたようだ。横になると一気に睡魔が襲ってくる。初野のおかげでおなかが満たされていたこともあるだろう。
 しずくは朝がくるまで泥のように眠りについた。