東城家と西城家の契約結婚

 夕刻、ひとりの美しい娘が空を見上げていた。茜色に染まる空の端に、ひときわ輝く星がある。
「見て、宵の明星。今日もとっても綺麗」
「本当ですね」
 夕餉の準備を終えた女中同士の会話かと思えばそうではない、はじめに空を見上げた娘は呪術師の名家、西城家の長女、しずくである。先妻の子であるしずくは、当主である父が後妻を迎えて以来、西城の娘でありながら、女中のような暮らしをしていた。
 しずくに呪術の才能がないからである。帝都を守るために呪術を使うことを生業としている西城家にとって、呪術を扱えないことは人として無価値であった。
 力のない娘を父は顧みず、自分の子ではないしずくのことを後妻の淳子はぞんざいに扱った。
 おかげで娘とは名ばかりに、使用人に混ざって雑務をこなしているのである。
 しずくは女中のように簡素な仕事着に美しい髪を結い上げて布で隠し、両手に籠を持って運んでいた。中には夕餉の支度に使う食材が山のように入っている。これからほかの女中と一緒に明日の朝餉の支度をするのである。
「しずくさん、ちょっといらっしゃい」
 屋敷の中から甲高い声がする。後妻の淳子である。
「はい、ただいま」
「しずく様、おひとりで大丈夫ですか?」
 仲の良い若い女中が心配そうな顔で声をかけてくる。
「大丈夫ですよ、慣れていますから」
「ですが、あんまりです。淳子様はしずく様に対して特別あたりが強いではありませんか……」
 しずくは口元に人差し指を当て、怒ったような顔をする女中をなだめる。
「めったなことを口にしてはいけません。どこで誰が聞いているかわかりませんよ」
「……ごめんなさい」
 申し訳なさそうに頭を下げる女中に笑顔を返して、しずくは屋敷の中に戻った。階段を上り、淳子が使っている部屋の扉をノックする。
「奥様、しずくです」
「入ってきていいわ」
「はい」
 静かに扉を開けると、意地の悪い笑みを浮かべた淳子と腹違いの弟妹、信也と由美子が立っている。いつものようにしずくに無理難題でもけしかけようとしているのだろうか。
「あなたなんかが東城家と縁があっただなんて知りませんでしたわ」
 しずくは淳子が手に持っている手紙に目を通す。しずくは東城家と西城家の確執をよく知らされてはいなかった。
「東城家とはなぜか折り合いが悪いようですが、これを期につながりができるのは僥倖です。東城家のせいで信也の出世にも支障が出ているのです。東城の当主も西城の娘を妻にしたならば、少しは態度を軟化させざるを得ないでしょう。お父様はこの家にいらないしずくならば東城家に嫁いでも問題ないっておっしゃっています。嫁ぎ先が決まってよかったわね」
 淳子は楽しそうに目を細める。
「しずくさん、嫁いだところでまともに扱ってはもらえないとは思いますが、当主にたてついたりしてはいけませんよ。大人しくつつましやかな妻でいるのです。西城家の名に泥を塗ることは許しませんよ。呪術の力がないことも隠さなければいけません。ああ、それにしてもしずくさんでよかったわ、由美子さんが選ばれていたかと思うと心配で心配で……」
「でもお母様、当主の東城家は名家ですよ。しずくさんにはもったいないではありませんか。私にだってよい縁談が欲しいです」
 由美子が不満そうに訴える。
「大丈夫ですよ、あなたにはちゃんと良い縁談を探してきます。それに、東城家の当主が西城の娘をまともに妻にするとは思えません。帝の命ですから一応妻に迎えるでしょうが、どうせは死ぬまで離れに軟禁されるのが目に見えております。縁さえ結べばよいのですから。跡継ぎを産むべくほかに幾人も女性を囲うに決まっていますよ、しずくさんのお母様のようなつまらない女をね」
 その言葉にしずくは義母を厳しい目つきで見る。
「お母様を侮辱なさるのはやめてください」
「生意気を言うんじゃありませんよ、あの女の娘であるあなたはこの家に置いてもらえるだけでもありがたいと思ってもらわないと困ります。まったく、躾が必要なようね。明日の夜まで食事はなしですよ、今夜は厩舎で過ごしなさい」
「……発言を撤回してください。それから厩舎に向かいます」
 しずくが引く様子を見せないと、義母は持っていた扇子でしずくの頬を叩いた。
「はやくいきなさい!」
 しずくはキッと義母をにらむと、「失礼します」と部屋を出た。部屋の中から母子の声が聞こえてくる。
「ああ、いい気味だ。東城家の当主といえば、社交界にも全く顔を出さない根暗な男性ですよお母様。案外しずくさんとお似合いかもしれません」
「でも美男子だってうわさもあるんですよお兄様、軍部でも名をとどろかせていらっしゃるではありませんか」
「家庭を顧みない男なのさ、結婚すれば不幸になる。でしょうお母様」
「ええ、なんにせよあの生意気な娘がこの家から出ていくことになって清々しますわ」
「本当に」
 高らかに笑い合う声を背なかで聞きながら、しずくは女中たちのもとに向かう。
「しずく様! その頬の傷……」
 心配そうな顔で若い女中が声をかけてくる。
「ちょっとしたかすり傷です。すぐに治りますよ、今夜は厩舎で過ごすことになりました。私の食事はいらないのでみんなで食べてください」
「そういうわけにはいきません、あとでこっそり厩舎にお持ちします」
「お義母様に叱られますよ」
「馬丁のおじさんにこっそり渡しますから、ちゃんと食べてください」
「ありがとうございます、でも無理のないようにしてください。危ないようならやめること、いいですね」
「わかりました」
 一緒に働いている女中たちはしずくにとても親切だった。この家で義母と妹に虐げられながらも、耐えられているのはみんなのおかげだ。
 厩舎で馬と過ごすのも慣れている。馬丁もしずくに親切だった。しずくの母が使用人たちにも優しく接していたようで、みんなしずくにも親切にしてくれる。もちろん、しずくの人柄の良さもあるのだが。
「それにしても、私に縁談が来るなんて……」
 由緒正しい名家の西城家の娘とは言え、日陰者だったしずくに縁談が舞い込んでくるとは思わなかった。先祖の代に酷い仲たがいをしたようで、犬猿の仲だと言われている東城家だが、西城家と並ぶ名家である。
 しかも事業の失敗で落ちぶれた西城家に比べて帝の覚えもよい東城家との婚約はとんでもない良縁だ。
 だが、正直に言うと、しずくはこの家を離れるのが嫌だった。父には捨て置かれ、義母や弟妹はしずくのことを虐げたが、使用人たちとは仲が良かったからだ。東城家で今よりも良い暮らしが待っているとは思えない。義母たちが話していたように西城家の娘であるしずくを、東城家の人々が温かく迎えるとは思えなかった。
「でも、逃げ出すわけにはいかないわ。覚悟が必要ね……」
 しずくはひとり心を決めたのだった。