恋知らぬ冷徹官僚と薄幸のかすみ草

「…朝餉なんて、どうでもよくなってきたな」

「…駄目です。もう用意していただいておりますから」

「真面目だな。こんな時まで」

「朝餉を用意する大変さはわかります。本日からは何が何でも食べていただきますから。私と一緒に」


 そう言い切る私に少し苦笑いしては、ようやく解放し服を手に取る。


「ずいぶん気が強くなったな。女将のせいか」

「定期的に、お手伝いに行きたいのですが、かまいませんか?」


 女将は人手不足に悩まされている。早くに旦那様を亡くし、普段は一人でやりくりをしているのだ。そのため、私が久我に戻るとなると、かなり辛そうな表情をしていた。

 私もあそこでの仕事は楽しかった。もっと働きたいとも思っていた。だから、久我に戻った後も、なんとかあそこで働けないか、旦那様にはお願いをしていたのだ。


「…名前を呼んでくれたら考える」

「な…!」


 こんなずるい人だとは知らなかった。旦那様は少し微笑み、「どうする?」と問いかけてくる。

 名前を呼ぶだけで働きに行かせてもらえるのであれば…。そう腹をくくり深呼吸をする。


「…誠也様」


 そう名前を呼ぶと、旦那様は少し目を見開き、近づいてくる。


「…もう一度」

「誠也様」


 その瞬間強く抱きしめられ、私は身が固まる。


「やっぱりだめだ。可愛すぎる。この家で大人しく刺繍をしていろ」

「旦那様!」


 私の怒った声に少し笑って離れると、額に優しく口付けた。驚いている私に対し、旦那様は柔らかな表情をしている。


「帰りは迎えに行く。必ず」

「…はい」


 ようやく並んで向かう、温かい朝餉の匂い。それは、義務でもない。私達が紡ぐ夫婦の暮らしの始まりだった。朝陽を浴びて、ぴったりと寄り添い、歩んでゆく。



「恋知らぬ冷徹官僚と薄幸のかすみ草」完