恋知らぬ冷徹官僚と薄幸のかすみ草

「ただ、跡継ぎは必要だ。今日これからとは言わないが、いつかその時が来ることは、覚悟しておいてくれ」


 跡継ぎ、という言葉に身が引き締まる。夫婦であれば必要なこと。そのために政略結婚を交わす夫婦も少なくはない。いつかその時が来るのはわかっていたことだ。

 私は静かに「かしこまりました」と返事をした。それ以外の回答はない。

 彼は静かに頷くと、ふうと軽く息を吐きだした。


「今日は休んでいい。下がってくれ」

「かしこまりました。お先に失礼いたします」

「ああ」


 旦那様はすでに私の方を見てもいなかった。私はそれを確認し、応接室を出た。

 目を合わせ、会話をしてくれる。話しかけてもきちんと答えてくれる。返事をしてくれる。たったそれだけで人間として扱われていると思った。久我家では奴隷としての扱いを受けなくてもいい。

 きっとあんな荒廃したお屋敷でも、めいいっぱい愛でられて育てられた百合奈からすれば、こんなに立派なお屋敷で暮らすことを許されても、愛がない生活はさぞ苦しかったことだろう。

 百合奈からすれば人を愛し、愛されることは当然。また、それと同じくらい、貶していい人物と、貶してはいけない人物がいることも理解している。ここでは誠也さんには媚び諂う対象で、女中は貶す対象。

 先程歩いているとき、軽く耳にした。


『前のは着いた瞬間からひどいもんだったけど、今度のはおとなしいのね』
『いつ本性を現すか。華堂家の人間なんて、卑しい人間しかいないでしょうに。どうして大旦那様も若旦那様の結婚相手にあんな家の方を選んだのかしら』


 百合奈はここで多くの敵を作った。だから、私も当然歓迎されない。だが、それでもいい。私はここでひどい扱いを受けようと、そんなこと慣れている。愛がない生活? それも慣れている。

 ただ人間として扱われ、自由を許されただけで、彼は私の救世主なのだ。