風邪がやっと治った瑠比人にとって、今日が三学期になって初めての登校日だ。
クラスメイト全員から温かく迎えられもみくちゃにされ、ショートホームルームが終わると担任から実力テストはどうするかといった話題で職員室まで連行され、『リスさん』チームで久し振りに面を突きつけ合わせたのは昼休みになってからだった。
「……それで、るい。これは?」
「俺からのささやかなお礼の気持ちです」
「えっうまっ!?」
「食うの早過ぎだろ!」
俺らの机の上に置かれたのはビニール袋に入った大量のクッキー。ディアマンクッキーと紹介されたそれは、正真正銘瑠比人の手作りだ。病み上がりの昨晩にせっせとこさえたそうだ。いや寝てろよと思うけれど、本人の気持ちを考えると致し方ないとも思う。
「瑛に聞いたよ。お見舞い品のお金出してくれたんでしょ」
「あっお礼ってそれかー!」
「全然気にしなくて良かったのにな。つか灯哉、お前いくつ食った?」
「わかんない! うまい! 止まんない! 誰かオレを縛り付けてくれぃ!」
一生食べてしまう! と叫ぶ灰谷の後ろへ、いそいそと立ち上がり自分のネクタイで縛ろうとする水町。もちろん灰谷はガチで抵抗を始めた、抵抗すんならそんなこと言うなよという気持ちにしかならない。ふたりが揉めている間に御木本が一枚食べて、目を輝かせる。美味いよな、めっちゃわかる。
「え、これ店だろ。流石に」
「凄まじい褒め言葉だ」
「照れるなあ……」
「あらら、たっつーも食べ始めちゃった。僕も貰おう」
灰谷と遊ぶことをやめ、水町は自分の席に戻ってクッキーを手に取った。一枚食べ、まだ口の中に入っているのにも関わらずもう一枚とる。美味いんだな……。
「これ市販じゃないの?」
「本当に嬉しい……」自分のほっぺを自分の両手で覆う瑠比人。「寿命が伸びちゃう」
「伸びろ伸びろ」
「伸ばそう、土方百二十歳計画始動させよう」
「いち褒めあたり何日伸びるかな?」
「初物食うと七十五日伸びるらしーよ」
「じゃあそれと同じにしておこう」
「こっちで勝手に決めて良いの、それ」
勝手に長寿計画が始まり困惑する瑠比人の、困惑っぷりが面白過ぎる。ツッコむところがいち褒めあたりの寿命の伸び率なのが面白い。俺は腹を抱えて笑う。
「ちょっと瑛、笑い過ぎだからそれは」
「だ、だってお前……!」
「まじでるいてぃー、うちの部で次期エースになれるわー」
三人がクッキーを食い散らかしていると、灰谷が唐突にそんなことを言った。確かに家庭科部だと製菓に精通している部員がいてもおかしくはない、というか去年の文化祭での出し物から製菓メインの部員がほとんどを占めていそうだった。層が厚そうなのに、その中でも次期エースを狙えるほどとは流石瑠比人だ。幼なじみとして誇らしい。
「ちなみに現エースは二年ふじ組の釜戸センパイ」
「誰ぇ……?」
「ま、わかんないかっ」
しゃあないしゃあない、と笑う灰谷に俺ははっとした。
一昨日のことである、中庭でランチをしていた俺と灰谷にいきなり声を掛けてきた上級生がいた。二年ふじ組に所属する沖田先輩、彼は何故か瑠比人を探していたのだ。探している理由については口を割ろうとせず、不審がった俺らを見てそそくさと退散していったのである。
予鈴が鳴ってから教室に戻る時、灰谷が「オレ二年ふじ組に知り合いの先輩いるから訊いとくよー」と言ってくれた。なるほど釜戸先輩がその先輩なのか、綺麗な伏線回収だ。
「あ、そうだー、るいてぃー昨日なんだけど……」
そして灰谷は昨日のことについて話そうとしている。瑠比人だけに話そうかとも思ったけれど、ふたりに隠しておく理由もないため五人いる時に話そうと昨日通話で決めたのだ。なんの話だ、と言いたげな顔で瑠比人だけでなく、御木本、水町も耳を傾ける。そんな時だった。
「土方瑠比人さん、いますかっっっ」
一年あおば組の扉をのろのろと開けたと思ったら、腹からはっきりと声を出して瑠比人の存在を尋ねる人物が登場した。水色の髪をしたその人は、上級生カラー(一個上だと青だ、俺らは紫である)のラインが入っている上履きを履いている。どっからどう見ても、昨日会ったあの先輩、沖田先輩だ。
「なあ、……誰?」
御木本が瑠比人に尋ねる、瑠比人は首を大きく傾げた。やっぱり顔見知りではないか。昨日の向こうの言い方的に、会ったことある奴を探してる言い方じゃなかったんだよな。それと俺らの座席は扉寄りだから、扉からだと瑠比人の顔は結構はっきりと見えるはずだ。そこで反応しないということは、である。
「……今日もお休み?」
「あ、初世サン。おるよ、土方クン」
一向に名乗り出て来ないのを不思議に思った沖田先輩が弱々しく呟けば、俺らからは死角になっていたところから人がひとり現れる。マッシュルームカットをした男で、明確に関西訛り。敬語を遣っているので、恐らく俺らと同学年だ。その彼は瑠比人の方に手を差し伸べて、沖田先輩を誘導した。
「あのーいきなりごめんな、土方クン。今ちょっっっとだけお時間もらえません? ユスリとかタカリとかそういうんやないので」
「一緒にバンドやりませんかっっっ」
「ああ……ああ……初世サン、そんな直球で……」
再度腹からはっきり声を出した沖田先輩に、瑠比人はこの世の終わりみたいな顔をしてその場に立ち竦んだ。
だけどそれも一瞬だけ。すぐに表情を整えて「ちょっと出てくる」と言って、そのふたりがいる方へ歩いて行った。
土曜の部活が終わってバスに乗り込む。今年こそは県ベスト8に、と意気込む先輩たちの気合いは充分過ぎるほどで俺らの学年にもその影響は濃い。どんな厳しい練習だって乗り越えられる! と言いたくなるほどのアドレナリン分泌量、そしてそれは練習後に毒となる。全身に鉄の重りをくくりつけられた、みたいな疲労感が半端ない。帰るにも気合いが要るとはこれいかに。
バスの座席に全身を預けて、窓の外を見る。四時前でもすっかり夕暮れ時なのは冬至前だからだろう。西の方がオレンジと紫が混ざって、煌々と輝いていた。
家の最寄りのバス停に着くと、停留所のベンチには瑠比人が座っていた。
バスが来ているのに乗り込まない変な奴がいるな、とか思ったら普通に幼なじみだとか。やめろよ、普通にびっくりしたわ。
「お疲れ」
「はちゃめちゃに疲れてる……」
「まじで疲れてるじゃん」
満身創痍の俺を見て瑠比人は呆れたように、穏やかに笑った。そして少しだけ逡巡する面持ちとなり、
「ちょっと歩かない?」
象の公園行こうよ。瑠比人はそう言う。
多分思った以上にへとへとな俺が出てきて迷ったんだろうな。ただここで拒否するのも負けた心持ちになるので(なにと勝負してるんだか)、俺はふたつ返事で了承した。重力が七倍くらいになってる足を引きずりつつ、瑠比人のあとをついていく。
『象の公園』というのは瑠比人が住むマンションの裏手にある公園だ。正式名称は青柳公園。象の滑り台がある、面積も広くなければ遊具も小さい、低年齢向けの公園だ。俺らも小さい頃はよく通ったし、うちの弟は現役で通いまくっている。
公園に着く頃には、どっぷりと夜になっていた。宵の明星が瞬くのが、街灯に使われる蛍光灯のせいでよく見えなかった。
「えーと、それで」
公園のベンチで横並びに座る。前傾姿勢となったこいつは何かを言いたそうに口をもごつかせている。何か話したいことがあって待っていた、というのは停留所にいた時から察していた。こいつ、こういう時にやたら遠回りする癖があるんだよな。メッセージで送るとかでも良いのに、そういうことはしないんだよ。
「それで?」
助け船を出してやると、瑠比人は目だけ一瞬こちらに向けて、また自分の真下を凝視した。これでも言わんか、と俺は溜息をついた。
「悩んでんだろ、またギターやろうかどうか」
「……仰る通りで」
苦笑交じりに肯定する瑠比人、昨日現れた謎の二人組はこいつを軽音部に所属する自分のバンドのメンバーとしてスカウトしに来たそうだ。
季節外れの突然の勧誘に慌てふためいたらしいこいつは、一旦その場では断ったそうなのだが、沖田先輩ではなくもうひとり、マッシュルームカットの方に言いくるめられて保留という扱いになったらしい。
「てかあの関西弁の人ってうちの学年だよな」
「うん。やまぶき組の永倉だって」
「へー、やまぶき組に知り合いおらんな。そういや」
俺が部活の関係者等を脳裏にピックアップさせていくと唐突に瑠比人が「俺もそうだと思ったのよ」と宣った。そうだと思った? どういうこと?
「なんであのふたりがわざわざ俺を一本釣りで狙いに来たのか。この、入学してから一瞬も音楽らしい音楽を学内でやってない俺を」
「確かに謎だな、うちのクラス美術選択だし。なんで?」
「――やまぶき組にはね、斎藤がいるんだよ」
「あっっっ」
斎藤、その名前を聞いた瞬間、頭の中には怒涛のメモリアルが展開される。脳内が今、仕掛け絵本みたいになってる。どっから読めばわからない、取っ散らかった記憶の数々。
斎藤というその男は俺と瑠比人と同じ中学出身であり、瑠比人とは同じ部活動に所属していた人物である。
「あの、お前の音だったら離れててもわかる、って隣の校舎からすっ飛んできた奴か?」
「それ都市伝説だからね? 三つ隣の教室だから、正しくは」
「どっちにしろ怖えよ」
お前の音だからってすっ飛んでいく理由はないだろ、本当怖い。
瑠比人は中学時代、ジャズアンサンブル部という一風変わった部活動に所属していた。そこでギターを弾いていたのだ。諸事情あって引退前に部活は辞めてしまったのだが、その辞めた理由があんまり良いものではなく……まあこの話は良いか。
そんなこんなでこいつは高校に上がってからは帰宅部で、音楽というかギターは家で弾く程度だ。こいつの部屋、防音に作り替えられてるし。
「要するにあのバンド、リードギターが色々あっていなくなっちゃって、で急遽探さなきゃ! となり色々情報を集めてたところ斎藤が永倉に俺のこと言ったらしくて、今に至るって感じ」
「いや本当なんか、斎藤ってお前のこと好き過ぎじゃね?」
「脳焼かれてるって言うの、あれは。脳焼いたつもりないんだけどさ……」
罪な男ですよ、と自称し始めた瑠比人を半目で眺めて俺は「どうすんの」と尋ねる。進退について、完全決着していないはずだ。
そもそもこいつは本当に嫌ならちゃんと断れる。いくら言いくるめられたとは言え、相手に保留にさせたということは少なからず悪からず思っているのだろう。そこを突いてみると、面白いくらいに跳び上がった。
「そっそそそんなことは……」
「お前が良さそうと思ってんなら『当たり』だよ、それは。お前はそういう奴だから」
「……買い被り過ぎだって」
「んなこたないです」
今の『リスさん』チームだって、瑠比人が懐き始めたから俺だって仲良くしようと思ったし、こいつの人間関係における嗅覚は一級品だ。中学時代は、どうしようもなかったけど。こればっかりは選択の幅が狭すぎるのが原因だ、あと中学時代の経験があっての今、という考え方も出来る。
「でも、これダサくない?」急に妙なことを言い出した。「いかにももう二度とやりません、みたいな顔して辞めたくせに」
「あのメンバーではもう二度とやりたくなかったのはそうなんじゃねえの?」
メンバーが問題なだけだと俺は思っていた。まったく異なる環境で始めるなら、問題はないだろうと。
「これでまた問題が起こったら、その時はその時だしな」
「うっ……確かに……?」
「だからチャレンジしてみれば?」
瑠比人がチャレンジするというなら、俺はとても応援する。幼なじみが、好きな奴が好きなことのために一歩を踏み出そうとするなら、それを応援しない道理はない。
したくないというならそれはそれで認める。だけどこいつはこういう時、ちゃんと飛び込める奴だと俺は思っている。
「……頑張るかあ」世界救うか、みたいに言うなあ。「真面目にやってみよう」
「おっ良いぞ。その意気だ」
頑張れーと拍手をする俺に、瑠比人は何故かボディビルのポーズで応える。音楽とまったく関係がない。
よしよし良い顔になった。とても嬉しい。ただひとつ心配があるとするなら沖田先輩の人柄だ、ただこれに関しては──
「あ、そう言えば……」
「なんだよ」
「沖田先輩、なんだけど、話したことある、よね……?」
どうやら勧誘時に俺と灰谷に瑠比人の居所を訊いた、という話を仕入れたらしい。瑠比人は顔を真っ青にさせていた。
「だ、大丈夫! 安心して? 沖田先輩、良い人は良い人だから! マジで!」
「良い人らしいってのは聞いたよ、灰谷に」
「ともち? なんで?」
かくかくしかじか。灰谷の部活の先輩に沖田先輩と同クラの人(やっぱり釜戸先輩だった)がおり、その人からの情報だ。少し純真過ぎるきらいがあって変な奴にしか見えないけど、変な奴なだけで倫理観はちゃんとしてて良い子だぞ、と。地域の守り神の説明でもされてるみたいだった、とは灰谷談。
「守り神って……わかんなくもない! 今日初対面だけど!」
「俺もわかんなくもない、って思った。言語化能力高い奴の先輩も言語化能力高いんだな」
「それもそう……? 家庭科部ってなに?」
よくわかんない、とふたりして笑い合う。話が一区切りついたところでスマートフォンが震えた、あ、やっべ。もうこんな時間?
「ばあちゃんから今日の夕飯お前誘えって言われてたんだった。これから暇だよな?」
「暇だけど……もっと早めに言ってくんない? ギリギリ過ぎでしょ」
「ちなみに今日はから揚げパーティーらしい」
「なんて素敵な響き……! こうしちゃいられない、今すぐに行こう」
「現金な奴だな……」
帰ろうかと瑠比人はテンションが上がり切ったのか昔のノリで手を差し出してくる。
我に返ったか慌てて引っ込めようとしたがそうは問屋が卸さない、俺は自分でもドン引くほどの瞬発力でこいつの手を握ってやった。互いのじんわり手汗をかいていて、あんまり気持ちの良い感覚じゃないけど悪くはない。
俺が勝ち誇ったように笑って、瑠比人は諦めたように腕を振り出した。
おい! 肩外れるわ! と俺が騒ぎ出して、こいつも可笑しそうな笑顔を見せた。
「いやあ、捨てる神あれば拾う神ありというか?」
「なんの話だよ」
「俺の話!」
弾けるような、打ち上げ花火よりもずっと見ていたくなるような笑顔を浮かべる瑠比人に、ああ、悔しいな、と思ってしまう。対象は瑠比人ではなく、沖田先輩とかギターとかそこら辺だ。特定個人じゃなくて抽象的な物体。瑠比人が心の底から愛している、そこら辺一帯に。俺だけだときっと、こういう顔はさせてあげられないから。
でもまあ良いや。何がこいつを笑顔にさせたか、で競っていない。こいつの笑顔が維持出来ていることに、俺は勝利の味を覚えるのだ。
★ ★ ★
二月下旬。御木本太弦が生徒会副会長に当選した。
対抗馬はいたがほぼ盤石と言われていた前評判のまま、順当に席を獲得したのである。昼の放送で公示が出され、一年あおば組はちゃんとしたお祭り騒ぎとなっていた。具体的に言えば菓子パの実施である。高校生というものはお菓子パーティーを生き甲斐にして生きているものと言っても過言ではない。
「……いやそれは過言だろ」
「どうした、たっつー。急に毒電波でも流し込まれた?」
「アルミ箔の帽子をかぶるのにはまだ早い。なんだろ、気のせいかな」
菓子パが終わったあとのこと。太弦は推薦責任者であった真汰と囲碁将棋部の部室へ行き、そこで何故かバックギャモンに興じていた。恐らくOBの誰かの持ち物だったのだろう、囲碁将棋部とは既に名前だけ、今やボードゲーム部と名称を変更される局地に立っている部活である。
そうだ、と太弦は背筋を伸ばし向かいで頬杖をつく真汰を正面から見据えた。
「この度は本当にありがとうございました」
「そんな、頭を下げられるほどのことはしてないよ」
何より友達の頼みだし、と下げた頭を真汰は上げさせる。どうやら今日一日、太弦はこの一言を言うためにタイミングを計っていたらしい、と真汰は気付いた。よく考えると公示以降不自然な動きが多かった、部活に「行かない?」と誘われたのも記憶だと今日が初めてだ。
こういうところに可愛げがあるから嫌味にならないんだろうな、と真汰は目の前にいる一見すると完璧な男を分析する。
「水町さんが推薦責任者で、かつ演説の添削もしてくれたから当選までこぎ着けられたのであって」
「いやいやいや、自分の去年の働きを卑下し過ぎじゃない?」
確かに今回の選挙で真汰は全面的に太弦をバックアップしたが、流石に褒め過ぎである。そもそも生徒会選挙は一年生が初めて参加する、秋の後期生徒会選挙以外で演説だけで勝てるものではない。二年次以降は前年度の実績を鑑みて投票される。対抗馬の中で太弦の実績が抜きん出ていたから、副会長に当選出来ただけなのだ。微力を貸したというにも烏滸がましいくらいだ。
「でも今回のおれの最大マニフェスト、『七夕祭の改革』は水町さんの添削がないとツッコミどころだらけになってただろうし……」
「まああれに関しては大分ザルだったけど、先輩方も唖然としていたし」
「うっ……おれって本当、無から有は生み出せないというか、ゼロから一が生み出せないというか……」
頭を抱えてしまった太弦に真汰は苦笑した。事実『七夕祭』という形骸化されて久しい学校行事の改革案は、太弦の草案だと文化祭と区別はついていないし予算も何もかも足りない代物と化していたけれど、それでも毎年やっている校内アンケートの内容や女子部の意見を柔軟に取り入れて刷新していく様は天晴れの一言に尽きる。ゼロから一は出来なくても、一から百、万、と出来るんだからそれも稀有な才能だ、と真汰は心中賞賛していた。……声に出すと、もっと委縮しそうだな。
溜息をついて、諦めて感謝を受け入れることにした。
「……まあ、感謝されるというなら有り難く受け取りましょう。それより『七夕祭』の件、実現に向けて頑張れ」
「うん、頑張る。七月まで幸い時間はあるし、……って言ってると秒なんだよな」
「そうだよ。三月になったらまた忙しいから、さっさと彼女に会える内に会っておいた方が良い」
「そんなこと言われなくてもわかってるわ!」
太弦は生徒会の活動で、彼の恋人は受験のため互いに忙しくなることは必然だ。離れていても心は繋がっている、という美辞があるが現実はそうもいかない。会えない時間に育まれた愛は憎悪へ変わるのも一瞬だ、すれちがいを阻止するためにもこまめに、十数分でも良いから会える時に会っておいた方が絶対良いのである。
「つか、美矢子さんに会えないとおれが終わる」
「ははは、熱量が高いね。良いなあ」
「……あのさあ、訊いて良いかわからないんだが」
試合が終わり片付けようとすると太弦から待ったが入る。もう一戦かと思ったらそういうことでもないらしい、後片付けを終わらせてふたりで昇降口から出る。このまま歩きながら話したい、とのことだ。教室の中ではなく、外で。どうして?
「理由を先に言ってよ。何をもじもじしてるのかわかんないけど」
「……出来ればいちばん近くのイオンのフードコートとかで話したい」
「話すために場所変えたい、って僕、どういうこと言われるの? 悪口?」
真汰が冗談めかして言ったことに対して、太弦がむっつりと押し黙る。
不機嫌になってしまった彼へ、真汰は低い声で謝罪をした。意図せず逆鱗に触れてしまったらしい。
「別に良いんだけど、その、水町さんって恋愛について妙に詳しいだろ?」
「そうかなあ……?」
「恋愛っていうかひとの機微か? いやわからんけど、それでそんな水町さんがどうして針生には告白を急かしていたんだろう、って」
なるほど、確かにそれは手ぶらで話すのには心許ない。ふたりは走ってバスに乗り込み、いちばん近くのイオンまで向かった。
フードコートは少し混み合っていた。太弦がファストフード店でポテトとチキンナゲット、飲み物を買ってくる。すべてLサイズだった。
「どうぞ召し上がってください。おれの奢りです」
「では有り難く……で、話の続きなんだけど」
「告白を急かした理由な」
目が輝く太弦に真汰は思わず噴き出した。どれだけ気になっていたのか、そんな大した話じゃない、と前置いてから話し始める。
「恋愛において大事なのは、相手との関係値」
「だな」
「それと、原則早い者勝ちという意識」
「ああ……確かに?」
「バイ、水町弟」
「弟!?」
素っ頓狂な声を上げる目の前の男に、悪戯っぽく笑って見せる真汰。水町真汰には弟がいる、しかも双子の弟だ。
「双子なのか、知らんかった」
「ともくらいしか知らないよ。多分」
あの子は同じクラスだったこともあるし、と数年前の記憶をほじくり返す。今は同じ高校で仲良くやっている灯哉だが、真汰にとっては弟の友達という印象の方が最初は強かった。弟の友達だからいじめを撲滅する時に手伝ったのだ。
「うちの弟は、とんでもなく恋愛体質でね。恋人がいない時期がないような奴なんだ」
「へえ……なんかこういうとアレだけど、似てないんだな」
「そうなの。顔だけは瓜二つなのに、中身は全然ちがうの。僕は恋したことないっていうのに」
言っちゃった、と真汰が心中ひとりごちる。果たしてこの発言に太弦はどのような返しをするのか。試す行為は最低だけど少し気になってしまった。無関心を貫くか、やんわりと励ますか。逆鱗に触れる行動をとるとは思えないけれど……、
「あれだな、水町さんの分の惚れっぽさまでお腹ん中で全部持ってったんだな、弟くん」
「……なるほど、そう返すのか」
「ん? あんましだったか? センスなし?」
「いや特待生」
「プレバト?」
生まれつきそういう人がいる、ということに対してそう表現されるのは「上手いな」の一言に尽きる。真汰は仄かに抱いた悔しさを打ち消すため、ナゲットにでっぷりとバーベキューソースを付けた。食べた。味が濃い。
「話は戻るんだけど」
「あ、はい」
「恋愛は原則早い者勝ち。関係値にリードがあっても、その時交わした一言二言で人生が変わればリードなんて無用の長物。むしろ疎ましいものに変わることもある、関係の長さが雑さに繋がることもあるからね」
「その考えから急かしてたのか」
「まあね。でもあんまり関係なかったんだけどさ、あのふたりには」
確かに、と太弦は遠い目をした。真汰の理論も理解出来るし、加えて真汰が急かすのを辞めた理由も思い当たる。何を言おうが、何があろうが、あのふたりが互いを思い合うことには変わりない。不可逆な事実がそこに転がっていて、本人たち以外にはそれが見え過ぎているという状態だ。わざわざ水を差しに行くのも無粋だし、何よりふたりから嫌われそうだ。
「そうなんだよ、嫌われそうだから辞めたんだ。僕、あのふたりの友達でいたいから」
「いやめっちゃわかる。おれもそうだもん、怖くてなにも言えなかったの」
「でも解像度大分上がって、あのふたりがその程度でこっちを嫌いになることはないとわかって、」
逆に急かし続けてれば良かったなあと思った。
真汰は、珍しく、弱々しく吐き出した。きっとそれは見てしまったからだろう、ひとひとりが運命を変えるシーンを。土方瑠比人が、針生瑛でない誰かのおかげで人生が変わった瞬間の片鱗を感じ取ってしまったから。
陸においていかれた金魚のようだなあ、と太弦は不貞腐れる真汰を見据えた。
「大丈夫だ」
「……何を根拠に言ってるの」
「根拠は、針生と土方の方がよく自覚してるだろ、たぶん」
「それは、そうだね」
だから大丈夫、と繰り返し太弦は声を出す。
運命が変わろうが人生が変わろうが、それ起因で恋愛関係に持って行けるのはフィクションならではだ。実際の人間はもっと複雑で、訳がわからなく、おどろおどろしい。そして生温かくて、善人ぶろうとするものなのだ。
「幸せになってほしいね」
真汰は枕元で囁くように言った。
「だな。あと、おれらと一生遊んで欲しい」
「それね」
クラスメイト全員から温かく迎えられもみくちゃにされ、ショートホームルームが終わると担任から実力テストはどうするかといった話題で職員室まで連行され、『リスさん』チームで久し振りに面を突きつけ合わせたのは昼休みになってからだった。
「……それで、るい。これは?」
「俺からのささやかなお礼の気持ちです」
「えっうまっ!?」
「食うの早過ぎだろ!」
俺らの机の上に置かれたのはビニール袋に入った大量のクッキー。ディアマンクッキーと紹介されたそれは、正真正銘瑠比人の手作りだ。病み上がりの昨晩にせっせとこさえたそうだ。いや寝てろよと思うけれど、本人の気持ちを考えると致し方ないとも思う。
「瑛に聞いたよ。お見舞い品のお金出してくれたんでしょ」
「あっお礼ってそれかー!」
「全然気にしなくて良かったのにな。つか灯哉、お前いくつ食った?」
「わかんない! うまい! 止まんない! 誰かオレを縛り付けてくれぃ!」
一生食べてしまう! と叫ぶ灰谷の後ろへ、いそいそと立ち上がり自分のネクタイで縛ろうとする水町。もちろん灰谷はガチで抵抗を始めた、抵抗すんならそんなこと言うなよという気持ちにしかならない。ふたりが揉めている間に御木本が一枚食べて、目を輝かせる。美味いよな、めっちゃわかる。
「え、これ店だろ。流石に」
「凄まじい褒め言葉だ」
「照れるなあ……」
「あらら、たっつーも食べ始めちゃった。僕も貰おう」
灰谷と遊ぶことをやめ、水町は自分の席に戻ってクッキーを手に取った。一枚食べ、まだ口の中に入っているのにも関わらずもう一枚とる。美味いんだな……。
「これ市販じゃないの?」
「本当に嬉しい……」自分のほっぺを自分の両手で覆う瑠比人。「寿命が伸びちゃう」
「伸びろ伸びろ」
「伸ばそう、土方百二十歳計画始動させよう」
「いち褒めあたり何日伸びるかな?」
「初物食うと七十五日伸びるらしーよ」
「じゃあそれと同じにしておこう」
「こっちで勝手に決めて良いの、それ」
勝手に長寿計画が始まり困惑する瑠比人の、困惑っぷりが面白過ぎる。ツッコむところがいち褒めあたりの寿命の伸び率なのが面白い。俺は腹を抱えて笑う。
「ちょっと瑛、笑い過ぎだからそれは」
「だ、だってお前……!」
「まじでるいてぃー、うちの部で次期エースになれるわー」
三人がクッキーを食い散らかしていると、灰谷が唐突にそんなことを言った。確かに家庭科部だと製菓に精通している部員がいてもおかしくはない、というか去年の文化祭での出し物から製菓メインの部員がほとんどを占めていそうだった。層が厚そうなのに、その中でも次期エースを狙えるほどとは流石瑠比人だ。幼なじみとして誇らしい。
「ちなみに現エースは二年ふじ組の釜戸センパイ」
「誰ぇ……?」
「ま、わかんないかっ」
しゃあないしゃあない、と笑う灰谷に俺ははっとした。
一昨日のことである、中庭でランチをしていた俺と灰谷にいきなり声を掛けてきた上級生がいた。二年ふじ組に所属する沖田先輩、彼は何故か瑠比人を探していたのだ。探している理由については口を割ろうとせず、不審がった俺らを見てそそくさと退散していったのである。
予鈴が鳴ってから教室に戻る時、灰谷が「オレ二年ふじ組に知り合いの先輩いるから訊いとくよー」と言ってくれた。なるほど釜戸先輩がその先輩なのか、綺麗な伏線回収だ。
「あ、そうだー、るいてぃー昨日なんだけど……」
そして灰谷は昨日のことについて話そうとしている。瑠比人だけに話そうかとも思ったけれど、ふたりに隠しておく理由もないため五人いる時に話そうと昨日通話で決めたのだ。なんの話だ、と言いたげな顔で瑠比人だけでなく、御木本、水町も耳を傾ける。そんな時だった。
「土方瑠比人さん、いますかっっっ」
一年あおば組の扉をのろのろと開けたと思ったら、腹からはっきりと声を出して瑠比人の存在を尋ねる人物が登場した。水色の髪をしたその人は、上級生カラー(一個上だと青だ、俺らは紫である)のラインが入っている上履きを履いている。どっからどう見ても、昨日会ったあの先輩、沖田先輩だ。
「なあ、……誰?」
御木本が瑠比人に尋ねる、瑠比人は首を大きく傾げた。やっぱり顔見知りではないか。昨日の向こうの言い方的に、会ったことある奴を探してる言い方じゃなかったんだよな。それと俺らの座席は扉寄りだから、扉からだと瑠比人の顔は結構はっきりと見えるはずだ。そこで反応しないということは、である。
「……今日もお休み?」
「あ、初世サン。おるよ、土方クン」
一向に名乗り出て来ないのを不思議に思った沖田先輩が弱々しく呟けば、俺らからは死角になっていたところから人がひとり現れる。マッシュルームカットをした男で、明確に関西訛り。敬語を遣っているので、恐らく俺らと同学年だ。その彼は瑠比人の方に手を差し伸べて、沖田先輩を誘導した。
「あのーいきなりごめんな、土方クン。今ちょっっっとだけお時間もらえません? ユスリとかタカリとかそういうんやないので」
「一緒にバンドやりませんかっっっ」
「ああ……ああ……初世サン、そんな直球で……」
再度腹からはっきり声を出した沖田先輩に、瑠比人はこの世の終わりみたいな顔をしてその場に立ち竦んだ。
だけどそれも一瞬だけ。すぐに表情を整えて「ちょっと出てくる」と言って、そのふたりがいる方へ歩いて行った。
土曜の部活が終わってバスに乗り込む。今年こそは県ベスト8に、と意気込む先輩たちの気合いは充分過ぎるほどで俺らの学年にもその影響は濃い。どんな厳しい練習だって乗り越えられる! と言いたくなるほどのアドレナリン分泌量、そしてそれは練習後に毒となる。全身に鉄の重りをくくりつけられた、みたいな疲労感が半端ない。帰るにも気合いが要るとはこれいかに。
バスの座席に全身を預けて、窓の外を見る。四時前でもすっかり夕暮れ時なのは冬至前だからだろう。西の方がオレンジと紫が混ざって、煌々と輝いていた。
家の最寄りのバス停に着くと、停留所のベンチには瑠比人が座っていた。
バスが来ているのに乗り込まない変な奴がいるな、とか思ったら普通に幼なじみだとか。やめろよ、普通にびっくりしたわ。
「お疲れ」
「はちゃめちゃに疲れてる……」
「まじで疲れてるじゃん」
満身創痍の俺を見て瑠比人は呆れたように、穏やかに笑った。そして少しだけ逡巡する面持ちとなり、
「ちょっと歩かない?」
象の公園行こうよ。瑠比人はそう言う。
多分思った以上にへとへとな俺が出てきて迷ったんだろうな。ただここで拒否するのも負けた心持ちになるので(なにと勝負してるんだか)、俺はふたつ返事で了承した。重力が七倍くらいになってる足を引きずりつつ、瑠比人のあとをついていく。
『象の公園』というのは瑠比人が住むマンションの裏手にある公園だ。正式名称は青柳公園。象の滑り台がある、面積も広くなければ遊具も小さい、低年齢向けの公園だ。俺らも小さい頃はよく通ったし、うちの弟は現役で通いまくっている。
公園に着く頃には、どっぷりと夜になっていた。宵の明星が瞬くのが、街灯に使われる蛍光灯のせいでよく見えなかった。
「えーと、それで」
公園のベンチで横並びに座る。前傾姿勢となったこいつは何かを言いたそうに口をもごつかせている。何か話したいことがあって待っていた、というのは停留所にいた時から察していた。こいつ、こういう時にやたら遠回りする癖があるんだよな。メッセージで送るとかでも良いのに、そういうことはしないんだよ。
「それで?」
助け船を出してやると、瑠比人は目だけ一瞬こちらに向けて、また自分の真下を凝視した。これでも言わんか、と俺は溜息をついた。
「悩んでんだろ、またギターやろうかどうか」
「……仰る通りで」
苦笑交じりに肯定する瑠比人、昨日現れた謎の二人組はこいつを軽音部に所属する自分のバンドのメンバーとしてスカウトしに来たそうだ。
季節外れの突然の勧誘に慌てふためいたらしいこいつは、一旦その場では断ったそうなのだが、沖田先輩ではなくもうひとり、マッシュルームカットの方に言いくるめられて保留という扱いになったらしい。
「てかあの関西弁の人ってうちの学年だよな」
「うん。やまぶき組の永倉だって」
「へー、やまぶき組に知り合いおらんな。そういや」
俺が部活の関係者等を脳裏にピックアップさせていくと唐突に瑠比人が「俺もそうだと思ったのよ」と宣った。そうだと思った? どういうこと?
「なんであのふたりがわざわざ俺を一本釣りで狙いに来たのか。この、入学してから一瞬も音楽らしい音楽を学内でやってない俺を」
「確かに謎だな、うちのクラス美術選択だし。なんで?」
「――やまぶき組にはね、斎藤がいるんだよ」
「あっっっ」
斎藤、その名前を聞いた瞬間、頭の中には怒涛のメモリアルが展開される。脳内が今、仕掛け絵本みたいになってる。どっから読めばわからない、取っ散らかった記憶の数々。
斎藤というその男は俺と瑠比人と同じ中学出身であり、瑠比人とは同じ部活動に所属していた人物である。
「あの、お前の音だったら離れててもわかる、って隣の校舎からすっ飛んできた奴か?」
「それ都市伝説だからね? 三つ隣の教室だから、正しくは」
「どっちにしろ怖えよ」
お前の音だからってすっ飛んでいく理由はないだろ、本当怖い。
瑠比人は中学時代、ジャズアンサンブル部という一風変わった部活動に所属していた。そこでギターを弾いていたのだ。諸事情あって引退前に部活は辞めてしまったのだが、その辞めた理由があんまり良いものではなく……まあこの話は良いか。
そんなこんなでこいつは高校に上がってからは帰宅部で、音楽というかギターは家で弾く程度だ。こいつの部屋、防音に作り替えられてるし。
「要するにあのバンド、リードギターが色々あっていなくなっちゃって、で急遽探さなきゃ! となり色々情報を集めてたところ斎藤が永倉に俺のこと言ったらしくて、今に至るって感じ」
「いや本当なんか、斎藤ってお前のこと好き過ぎじゃね?」
「脳焼かれてるって言うの、あれは。脳焼いたつもりないんだけどさ……」
罪な男ですよ、と自称し始めた瑠比人を半目で眺めて俺は「どうすんの」と尋ねる。進退について、完全決着していないはずだ。
そもそもこいつは本当に嫌ならちゃんと断れる。いくら言いくるめられたとは言え、相手に保留にさせたということは少なからず悪からず思っているのだろう。そこを突いてみると、面白いくらいに跳び上がった。
「そっそそそんなことは……」
「お前が良さそうと思ってんなら『当たり』だよ、それは。お前はそういう奴だから」
「……買い被り過ぎだって」
「んなこたないです」
今の『リスさん』チームだって、瑠比人が懐き始めたから俺だって仲良くしようと思ったし、こいつの人間関係における嗅覚は一級品だ。中学時代は、どうしようもなかったけど。こればっかりは選択の幅が狭すぎるのが原因だ、あと中学時代の経験があっての今、という考え方も出来る。
「でも、これダサくない?」急に妙なことを言い出した。「いかにももう二度とやりません、みたいな顔して辞めたくせに」
「あのメンバーではもう二度とやりたくなかったのはそうなんじゃねえの?」
メンバーが問題なだけだと俺は思っていた。まったく異なる環境で始めるなら、問題はないだろうと。
「これでまた問題が起こったら、その時はその時だしな」
「うっ……確かに……?」
「だからチャレンジしてみれば?」
瑠比人がチャレンジするというなら、俺はとても応援する。幼なじみが、好きな奴が好きなことのために一歩を踏み出そうとするなら、それを応援しない道理はない。
したくないというならそれはそれで認める。だけどこいつはこういう時、ちゃんと飛び込める奴だと俺は思っている。
「……頑張るかあ」世界救うか、みたいに言うなあ。「真面目にやってみよう」
「おっ良いぞ。その意気だ」
頑張れーと拍手をする俺に、瑠比人は何故かボディビルのポーズで応える。音楽とまったく関係がない。
よしよし良い顔になった。とても嬉しい。ただひとつ心配があるとするなら沖田先輩の人柄だ、ただこれに関しては──
「あ、そう言えば……」
「なんだよ」
「沖田先輩、なんだけど、話したことある、よね……?」
どうやら勧誘時に俺と灰谷に瑠比人の居所を訊いた、という話を仕入れたらしい。瑠比人は顔を真っ青にさせていた。
「だ、大丈夫! 安心して? 沖田先輩、良い人は良い人だから! マジで!」
「良い人らしいってのは聞いたよ、灰谷に」
「ともち? なんで?」
かくかくしかじか。灰谷の部活の先輩に沖田先輩と同クラの人(やっぱり釜戸先輩だった)がおり、その人からの情報だ。少し純真過ぎるきらいがあって変な奴にしか見えないけど、変な奴なだけで倫理観はちゃんとしてて良い子だぞ、と。地域の守り神の説明でもされてるみたいだった、とは灰谷談。
「守り神って……わかんなくもない! 今日初対面だけど!」
「俺もわかんなくもない、って思った。言語化能力高い奴の先輩も言語化能力高いんだな」
「それもそう……? 家庭科部ってなに?」
よくわかんない、とふたりして笑い合う。話が一区切りついたところでスマートフォンが震えた、あ、やっべ。もうこんな時間?
「ばあちゃんから今日の夕飯お前誘えって言われてたんだった。これから暇だよな?」
「暇だけど……もっと早めに言ってくんない? ギリギリ過ぎでしょ」
「ちなみに今日はから揚げパーティーらしい」
「なんて素敵な響き……! こうしちゃいられない、今すぐに行こう」
「現金な奴だな……」
帰ろうかと瑠比人はテンションが上がり切ったのか昔のノリで手を差し出してくる。
我に返ったか慌てて引っ込めようとしたがそうは問屋が卸さない、俺は自分でもドン引くほどの瞬発力でこいつの手を握ってやった。互いのじんわり手汗をかいていて、あんまり気持ちの良い感覚じゃないけど悪くはない。
俺が勝ち誇ったように笑って、瑠比人は諦めたように腕を振り出した。
おい! 肩外れるわ! と俺が騒ぎ出して、こいつも可笑しそうな笑顔を見せた。
「いやあ、捨てる神あれば拾う神ありというか?」
「なんの話だよ」
「俺の話!」
弾けるような、打ち上げ花火よりもずっと見ていたくなるような笑顔を浮かべる瑠比人に、ああ、悔しいな、と思ってしまう。対象は瑠比人ではなく、沖田先輩とかギターとかそこら辺だ。特定個人じゃなくて抽象的な物体。瑠比人が心の底から愛している、そこら辺一帯に。俺だけだときっと、こういう顔はさせてあげられないから。
でもまあ良いや。何がこいつを笑顔にさせたか、で競っていない。こいつの笑顔が維持出来ていることに、俺は勝利の味を覚えるのだ。
★ ★ ★
二月下旬。御木本太弦が生徒会副会長に当選した。
対抗馬はいたがほぼ盤石と言われていた前評判のまま、順当に席を獲得したのである。昼の放送で公示が出され、一年あおば組はちゃんとしたお祭り騒ぎとなっていた。具体的に言えば菓子パの実施である。高校生というものはお菓子パーティーを生き甲斐にして生きているものと言っても過言ではない。
「……いやそれは過言だろ」
「どうした、たっつー。急に毒電波でも流し込まれた?」
「アルミ箔の帽子をかぶるのにはまだ早い。なんだろ、気のせいかな」
菓子パが終わったあとのこと。太弦は推薦責任者であった真汰と囲碁将棋部の部室へ行き、そこで何故かバックギャモンに興じていた。恐らくOBの誰かの持ち物だったのだろう、囲碁将棋部とは既に名前だけ、今やボードゲーム部と名称を変更される局地に立っている部活である。
そうだ、と太弦は背筋を伸ばし向かいで頬杖をつく真汰を正面から見据えた。
「この度は本当にありがとうございました」
「そんな、頭を下げられるほどのことはしてないよ」
何より友達の頼みだし、と下げた頭を真汰は上げさせる。どうやら今日一日、太弦はこの一言を言うためにタイミングを計っていたらしい、と真汰は気付いた。よく考えると公示以降不自然な動きが多かった、部活に「行かない?」と誘われたのも記憶だと今日が初めてだ。
こういうところに可愛げがあるから嫌味にならないんだろうな、と真汰は目の前にいる一見すると完璧な男を分析する。
「水町さんが推薦責任者で、かつ演説の添削もしてくれたから当選までこぎ着けられたのであって」
「いやいやいや、自分の去年の働きを卑下し過ぎじゃない?」
確かに今回の選挙で真汰は全面的に太弦をバックアップしたが、流石に褒め過ぎである。そもそも生徒会選挙は一年生が初めて参加する、秋の後期生徒会選挙以外で演説だけで勝てるものではない。二年次以降は前年度の実績を鑑みて投票される。対抗馬の中で太弦の実績が抜きん出ていたから、副会長に当選出来ただけなのだ。微力を貸したというにも烏滸がましいくらいだ。
「でも今回のおれの最大マニフェスト、『七夕祭の改革』は水町さんの添削がないとツッコミどころだらけになってただろうし……」
「まああれに関しては大分ザルだったけど、先輩方も唖然としていたし」
「うっ……おれって本当、無から有は生み出せないというか、ゼロから一が生み出せないというか……」
頭を抱えてしまった太弦に真汰は苦笑した。事実『七夕祭』という形骸化されて久しい学校行事の改革案は、太弦の草案だと文化祭と区別はついていないし予算も何もかも足りない代物と化していたけれど、それでも毎年やっている校内アンケートの内容や女子部の意見を柔軟に取り入れて刷新していく様は天晴れの一言に尽きる。ゼロから一は出来なくても、一から百、万、と出来るんだからそれも稀有な才能だ、と真汰は心中賞賛していた。……声に出すと、もっと委縮しそうだな。
溜息をついて、諦めて感謝を受け入れることにした。
「……まあ、感謝されるというなら有り難く受け取りましょう。それより『七夕祭』の件、実現に向けて頑張れ」
「うん、頑張る。七月まで幸い時間はあるし、……って言ってると秒なんだよな」
「そうだよ。三月になったらまた忙しいから、さっさと彼女に会える内に会っておいた方が良い」
「そんなこと言われなくてもわかってるわ!」
太弦は生徒会の活動で、彼の恋人は受験のため互いに忙しくなることは必然だ。離れていても心は繋がっている、という美辞があるが現実はそうもいかない。会えない時間に育まれた愛は憎悪へ変わるのも一瞬だ、すれちがいを阻止するためにもこまめに、十数分でも良いから会える時に会っておいた方が絶対良いのである。
「つか、美矢子さんに会えないとおれが終わる」
「ははは、熱量が高いね。良いなあ」
「……あのさあ、訊いて良いかわからないんだが」
試合が終わり片付けようとすると太弦から待ったが入る。もう一戦かと思ったらそういうことでもないらしい、後片付けを終わらせてふたりで昇降口から出る。このまま歩きながら話したい、とのことだ。教室の中ではなく、外で。どうして?
「理由を先に言ってよ。何をもじもじしてるのかわかんないけど」
「……出来ればいちばん近くのイオンのフードコートとかで話したい」
「話すために場所変えたい、って僕、どういうこと言われるの? 悪口?」
真汰が冗談めかして言ったことに対して、太弦がむっつりと押し黙る。
不機嫌になってしまった彼へ、真汰は低い声で謝罪をした。意図せず逆鱗に触れてしまったらしい。
「別に良いんだけど、その、水町さんって恋愛について妙に詳しいだろ?」
「そうかなあ……?」
「恋愛っていうかひとの機微か? いやわからんけど、それでそんな水町さんがどうして針生には告白を急かしていたんだろう、って」
なるほど、確かにそれは手ぶらで話すのには心許ない。ふたりは走ってバスに乗り込み、いちばん近くのイオンまで向かった。
フードコートは少し混み合っていた。太弦がファストフード店でポテトとチキンナゲット、飲み物を買ってくる。すべてLサイズだった。
「どうぞ召し上がってください。おれの奢りです」
「では有り難く……で、話の続きなんだけど」
「告白を急かした理由な」
目が輝く太弦に真汰は思わず噴き出した。どれだけ気になっていたのか、そんな大した話じゃない、と前置いてから話し始める。
「恋愛において大事なのは、相手との関係値」
「だな」
「それと、原則早い者勝ちという意識」
「ああ……確かに?」
「バイ、水町弟」
「弟!?」
素っ頓狂な声を上げる目の前の男に、悪戯っぽく笑って見せる真汰。水町真汰には弟がいる、しかも双子の弟だ。
「双子なのか、知らんかった」
「ともくらいしか知らないよ。多分」
あの子は同じクラスだったこともあるし、と数年前の記憶をほじくり返す。今は同じ高校で仲良くやっている灯哉だが、真汰にとっては弟の友達という印象の方が最初は強かった。弟の友達だからいじめを撲滅する時に手伝ったのだ。
「うちの弟は、とんでもなく恋愛体質でね。恋人がいない時期がないような奴なんだ」
「へえ……なんかこういうとアレだけど、似てないんだな」
「そうなの。顔だけは瓜二つなのに、中身は全然ちがうの。僕は恋したことないっていうのに」
言っちゃった、と真汰が心中ひとりごちる。果たしてこの発言に太弦はどのような返しをするのか。試す行為は最低だけど少し気になってしまった。無関心を貫くか、やんわりと励ますか。逆鱗に触れる行動をとるとは思えないけれど……、
「あれだな、水町さんの分の惚れっぽさまでお腹ん中で全部持ってったんだな、弟くん」
「……なるほど、そう返すのか」
「ん? あんましだったか? センスなし?」
「いや特待生」
「プレバト?」
生まれつきそういう人がいる、ということに対してそう表現されるのは「上手いな」の一言に尽きる。真汰は仄かに抱いた悔しさを打ち消すため、ナゲットにでっぷりとバーベキューソースを付けた。食べた。味が濃い。
「話は戻るんだけど」
「あ、はい」
「恋愛は原則早い者勝ち。関係値にリードがあっても、その時交わした一言二言で人生が変わればリードなんて無用の長物。むしろ疎ましいものに変わることもある、関係の長さが雑さに繋がることもあるからね」
「その考えから急かしてたのか」
「まあね。でもあんまり関係なかったんだけどさ、あのふたりには」
確かに、と太弦は遠い目をした。真汰の理論も理解出来るし、加えて真汰が急かすのを辞めた理由も思い当たる。何を言おうが、何があろうが、あのふたりが互いを思い合うことには変わりない。不可逆な事実がそこに転がっていて、本人たち以外にはそれが見え過ぎているという状態だ。わざわざ水を差しに行くのも無粋だし、何よりふたりから嫌われそうだ。
「そうなんだよ、嫌われそうだから辞めたんだ。僕、あのふたりの友達でいたいから」
「いやめっちゃわかる。おれもそうだもん、怖くてなにも言えなかったの」
「でも解像度大分上がって、あのふたりがその程度でこっちを嫌いになることはないとわかって、」
逆に急かし続けてれば良かったなあと思った。
真汰は、珍しく、弱々しく吐き出した。きっとそれは見てしまったからだろう、ひとひとりが運命を変えるシーンを。土方瑠比人が、針生瑛でない誰かのおかげで人生が変わった瞬間の片鱗を感じ取ってしまったから。
陸においていかれた金魚のようだなあ、と太弦は不貞腐れる真汰を見据えた。
「大丈夫だ」
「……何を根拠に言ってるの」
「根拠は、針生と土方の方がよく自覚してるだろ、たぶん」
「それは、そうだね」
だから大丈夫、と繰り返し太弦は声を出す。
運命が変わろうが人生が変わろうが、それ起因で恋愛関係に持って行けるのはフィクションならではだ。実際の人間はもっと複雑で、訳がわからなく、おどろおどろしい。そして生温かくて、善人ぶろうとするものなのだ。
「幸せになってほしいね」
真汰は枕元で囁くように言った。
「だな。あと、おれらと一生遊んで欲しい」
「それね」
