情けは人のためならず

「あっれれ、ハリィ今日は購買?」

 特定の人物からしか発されないあだ名を耳にしたので、嫌々振り返ると案の定その『特定の人物』がそこにいた。同じ一年あおば組、剣道部所属の黒澤柚月(くろさわゆづき)だ。
 仲良いと認めた奴に外国人よろしくなあだ名をつけることで有名なこいつは、俺の手元を覗き込んで「またか」みたいな顔をした。

「ハリーって購買の時、いつもドーナツじゃね? てかイオンのフードコートでもそうじゃん!」
「うるせえな……良いだろ、好きなんだよ。ドーナツ」
「見かけに寄らず甘党だよね~。今度、ゴンチャ行こうよ! 決まりね!」
「えータピオカ? あんま興味ねえんだけど……」

 俺の意見も聞かず、黒澤は誰かに呼ばれて走って行ってしまった。恐らく同じクラスで剣道部の寺地晴央に呼ばれたんだろうな。あのふたり、やたら仲良いから。
 ……そんなドーナツばっか食ってるかな、俺。

 

 期末テストが終わると芯から冷えるような日が増えてきた。最近は寒いを通り越して痛いと感じる日が多くて、朝起きてから家を出るまで遅延行為を働きたくて仕方がない。朝練があるので無理なんだけど。どれだけ朝練で汗をかこうが、手足が冷たいままなのは本気で意味がわからん。代謝は良い方なのに冷え性とはこれ如何に。
 
「瑛、寒い?」

 教室に入って席に着いても指先を摩っている俺に瑠比人が声を掛けてきた。寒いというか冷たくて不快。私立なだけあって教室はエアコン完備な弊高校だけど、こうした冷え性起因のものにはそこまで効果がないのがなんだかなあという感じである。あっためて、と俺が手を差し出せば瑠比人は両手で包み込んだ。

「冷たい……夏までこれ保存出来ないかな」
「その場合、既に手に血は通ってないな」
「だよねー。……可哀想に」

 割れ物を扱うかのように、丁寧に指先まで摩ってくれている。あまりにも柔らかいタッチ過ぎて少しくすぐったいし、そもそも全然無骨な手をしていると思うのでそこまで繊細に触らなくても大丈夫なんだが。お前の手先の方がよっぽどしなやかで弱々しく見える。

「綺麗な手だな」
「……あ、俺のこと?」
「お前以外に誰がいるんだ」
「綺麗と言われましても……微妙っす」

 綺麗は微妙なのか、良いことを聞いた。そのまま無言で瑠比人は俺の手を摩り続ける、気付けばもう片方の手を取られてそちらも同様に。俺より後で席に座った灰谷がぎょっとした顔で俺の手元を見てきた。見てんじゃねえよ。

「見えたんだって! ごめんね!」
「謝るようなことでもねえけど……ん、ありがと瑠比人。大分動くようになった」
「そう? それなら良かった」

 俺より余程嬉しそうに笑う瑠比人を見て、こいつはどうしてこんな顔が出来るんだろう、と疑問の方が勝る。喜ぶべきは俺だろ、好きな奴に慈しむように触れられて喜んで然るべきだろ。
 その様子を灰谷はじっとりした目付きで見遣ってきた。なんだよ、どういう感情なんだよ。

「や、なんか、んーお腹いっぱい!」
「朝御飯食べ過ぎた?」瑠比人のすっとぼけた言葉がやたら頭に響く。「朝御飯はちゃんと食べた方が良いからね」
「オレはいつもご飯と味噌汁と納豆だぜ……!」お前も乗るな。俺よりしっかり食ってんじゃねえか。

 予鈴が鳴り、瑠比人は自分の席に戻るが灰谷は俺の方を向いたままだ。意味深だなあと思いながら、その妙な湿度と粘度のある視線に引いてしまう。さっきもだけど、マジでどういう感情……?

「良いもん見させてもらいました、みたいな!?」
「見物料とるぞ」
「やだもー、アキラの守銭奴ー」
「生まれて初めて言われたな、守銭奴とか」

 普通に悪口だしこいつがそれをわかっていない訳もない。アンガーマネジメントと唱えつつ、目を細めて灰谷を見ないようにした。するとこいつは何かに気付いたのか、わお! と声を上げて再度俺に話し掛けている。本鈴鳴ってるんだけど? BGMとしても機能してない?

「そういや今日いよいよ順位わかんね! 期末の順位!」
「順位……ああそうか、てかなんでそんなテンション上がってんの?」
「上がるっしょ! オレ、高校入学していっちばん勉強したし!」
「ふーん」

 あ、担任が入ってきた。そろそろ黙ろう。そう思って口を閉ざすと、不安そうな顔付きになった灰谷が小声で俺に語り掛けた。

「アキラってマジでなんか、自分が興味あることしか興味なくね? 生きてる?」
「人間として普通だろ!? 生きてるわ!」
「おーい灰谷と針生、先生今、ホームルームやってまーす、聞こえてるー?」

 さながら中継からスタジオに飛ばす声のように、担任が俺ら名指しで呼び掛けた。元気良く返事をした灰谷と、気まずくなって謝った俺にクラスには笑いの渦が巻き起こった。大変不本意である。



「順位にまつわる約束とか何もしてないよな? 順位争い的な」

 昼休み。『リスさん』チームで昼食を食べているところ、唐突に御木本がそんなことを吐露した。もちろん俺の記憶にもないし、水町と瑠比人もきょとんとしていた。では何故不安そうなのかと言うと、ひとり、灰谷だけがやたらとハイテンションだからである。

「や、オレは自分と戦ってるだけだから! 自己との闘争がいちばん盛り上がるタイプだから!」
「初めて聞いたんだけど。ともは職人だなあ、って今再認識したよ」
「テスト職人の朝は早い、いやこれだとテスト作ってる人みたいだね」
「お前はなにを言ってるんだ」
「テストはむしろ他人と比べた方が良い成績もたらさないか……?」

 御木本の意見ももっともである。競争社会がどうとかいう話は置いといて、上にいる人間を認識した方が順位を上げるという目標は達成しやすい。
 しかし灰谷は聞こえない振りをして(根っからの平和主義者だからまあわかる)、そうだ! と嬉々として俺らに迫った。

「順位でインディアンポーカーみたいなことしたら面白そうじゃない!?」
「なんで数字が少ない方が良いとされる順位で、数字が多い方が優位性とれるゲームをするんだよ」
「それにメンツ的に、ざっくり誰が勝つかわかるだろ」
「ギャンブル性がないインディアンポーカーって、良さが全部死んでない?」
「普通に見せ合うにしてもテスト始まる前に約束していないとなあ……フェアじゃないよね」

 ぼっこぼこである。
 頭を抱えて机に突っ伏してしまった灰谷に同情する者は誰もいない、身から出た錆だからしょうがない。
 結局普通に順位を見せ合ったところ、あおば組でも上位層である御木本が普通にいちばん良い順位だった。四位、……四位ってどうやってとるんだ?

「毎日予習と復習して、週二回塾に行けば……?」
「そんなっ不可能だ……っ!」
「ともちの絶望のハードルが低過ぎる」
「編み物なら言われなくてもやるのにぃ……っ!」
「うんうん、それはそこにある編針と毛糸が全部悪いね」

 瑠比人が灰谷の方を一切見ず、宥める言葉を唱えていて少し面白かった。
 そう言えば……や、テストが返却された時に点数は確認しているから全然今更な話だし、瑠比人には既にテスト用紙を見せびらかし済みなんだけど……うん。

「……瑠比人」
「なによ」
「どや」
「あー……」瑠比人は引き攣った笑みを見せる。「見ましたよ、もう何度も、なんっかいも」

 順位表には全教科の得点が記載されている。俺が瑠比人に見せびらかしたのは古典の数字、そこには『63』というアラビア数字が克明に印字されていた。



 頑張るつもりはなかった、というと嘘になる。だってあんだけ瑠比人が真面目に教えてくれたんだし、何より『ご褒美』に釣られた。我ながら現金な人間だなあ、もちろん『ご褒美』の内容にもよるんだろうけど。
 部活が終わって昇降口に向かうとなぜか瑠比人がいた。驚いて事情を尋ねると俺と一緒に帰りたくて時間を潰すため図書室に行き、図書委員の水町と閉館時間まで駄弁っていたり委員会の仕事を手伝っていたらしい。

「水町にはなんて言って一緒にいたん?」
「え? 普通に瑛と一緒に帰りたいからーって」
「ほおん……」

 素直なのはよろしいが、素直過ぎて俺が照れる。というか明日、水町と会うのもなんか気まずい。だってあいつ、俺の気持ち知ってるし。
 どちらともなくバス停へと歩き始める。そして話は自然に、っていうか多分瑠比人はこれを話したかったんだろうな、『ご褒美』について瑠比人は話し始めた。

「六十点以上とったことは素晴らしいんだけど、そもそもご褒美の内容ってまだ何も決まってないじゃん?」

 どうしようかなって、と言われて俺は首を捻った。どういうことだ、えーと?

「……お前が俺の言うことなんでもいっこ聞いてくれるんじゃねえの?」
「初耳なんですけれども……」
「うっそだろまじか!? ……まじだ! うわー!」

 よくよく考えると確かに内容についての話は一切なかった。瑠比人も不審そうな面をする訳だ。ガチで俺の認識ちがいでしかない。勝手に盛り上がってたってこと? うわ、はずっ。消えてなくなりたい!

「……なんかごめん」俺の動揺を察したのか瑠比人が謝罪をしてきた。お前が謝ることはない。
「いいよ、俺が早とちっただけだし」
「最初に『こういうことをします』って言っておけば良かったなあ……」

 ま、でも、とこいつは気を取り直したように言って、俺の方を向く。

「お前も頑張ったしね。よし、なんでも言うこといっこ聞いてあげよう」

 瑠比人の声が耳に入るが、意味が上手く汲み取れない。文字通り、そのまま、そう自分に言い聞かせて、やったあ! と快哉を叫んだ瞬間バスが来た。タイミングが普通に悪過ぎる、もっと余韻に浸して欲しい。

「えっえっまじ? 本当に言ってる?」
「その、命だけは勘弁していただきたい……」
「命貰っても困るんだわ」

 戦国武将じゃあるまいし、上手く扱える気もしない。バスに乗り込み、ふたり掛けの椅子に並んで座る。こっち向きのバスは夕方五時過ぎだと案外混まない。だからと言って広々使う気もないので、俺らは身を寄せ合ってこじんまりとバスに揺られる。命を却下された瑠比人は、何故か少し落ち込んでいるようだった。なんでだよ。
 第一、『ご褒美』について俺は元々なんでもいっこ言うことを聞いてくれるものだと思っていたので、して欲しいことについてはとっくに考え済みなのだ。
 付き合ってほしい、とかはまあ……言えるようなキャラではないんですが。ガチだから、逆に冗談っぽく言えないというのもある。

「あのさあ、」

 俺は話を切り出す。ほとんどひとは乗っていないとは言え迷惑にならないようひっそりと、走行音に紛れるくらいの声のトーンで俺は言葉を紡ぐ。何も言わなくても体を屈めて(身長差はそんなにないと言っておく。俺の名誉のために)耳を傾けてくれた瑠比人に、そういうとこが好きだなあと思った。
 多分、きっと、こいつは優しいので誰にでもそうしているんだろうけど。
 話し終わって、瑠比人は驚きで目をまん丸にさせていた。

「……そんなことで良いの?」
「そんなことってなんだよ」

 俺にとっては人生の一大事項に類するものだし、記憶喪失になってもこのことだけは忘れないだろう、そんな宝物なのだ。
 熱量を持って伝える俺の姿が滑稽だったのか、はたまた別の理由があるのか、瑠比人は俺のことをにやにやと見つめていた。



 今日明日では出来ないことだったため、次の休み。土曜日の部活の午前練習が終わって速攻で帰宅する。鍵を開けながらただいまと言えば、家の奥からおかえりという元気の良い声が返ってくる。

「ただいま、彗(けい)」
「おかえり、にいちゃん!」リビングに行くと間違い探しの本を見ていた弟、彗が元気な笑顔を見せてくれる「きょう、るいくんくるの?」
「そうだよー。ばあちゃんに教えてもらった?」
「うん!」

 彗の返事と共にアイランドキッチンの向こう側からばあちゃんが現れる。彗から「だよねー」と言われてなんの話かわからず困惑気味だった。ばあちゃん、すまん。

「おかえりなさい、あきちゃん。部活動お疲れ様」
「ただいま。今日もありがとうね」
「気にしなくていいわよ。家にはじいちゃんしかいないし、家にいたら逆に気が滅入るわー」
「あははー」

 笑って良いのかは若干謎だ。まあばあちゃんが笑ってるなら別に大丈夫か。
 うちは片親なため、近所に住んでいるばあちゃんが頻繁に様子を見に来てくれる。俺は高校生だからまだしも、彗はまだ五歳だ。ひとりで何かをするには不安が付きまとう年齢である。

「瑠比人くん、何時に来るんだっけ」
「昼過ぎかな? あ、ばあちゃんごめん、サラダ油ってまだ量ある?」
「サラダ油ならこの間買って……あれ、うちの話かなそれ」
「……ちょっとあとで見とくわ」

 不安である。家二軒を往復するばあちゃんは時折生活用品の在庫状況がごっちゃになってしまう、これは俺がちゃんと見とかないと駄目な話だ。
 サラダ油の量を訊いたのは、単純に今日必要だからである。これから来る男が使うのだ。なんか家から持ってくるとか言ってたけど断った、こっちがお願いしている側なのにそこまでしてもらうのは気持ちが悪い。親しき中にも礼儀あり、というのが関係を長く続ける秘訣だ。

「じゃあばあちゃんは帰ります。お昼作ってあるから、けいちゃんはばあちゃんと一緒に食べたからね。それじゃまたねー」

 ターッチ、と言ってばあちゃんと彗は両手でハイタッチをする。俺も求められたので両手ハイタッチ。うちでのばいばいの合図だ。
 お昼ご飯は焼きそばが作ってあった。ばあちゃんの焼きそばは水っぽくなくて、胡椒辛いし味が濃くて美味い、どこか夜店の焼きそばを思い出す味がする。

「ねね、にいちゃん」焼きそばに乗ってる目玉焼きを割ろうか考えていると、彗が声をかけてきた。「るいくん、ばんごはんもいっしょ?」
「あー……」

 それの選択肢はなかったな。今から誘っても大丈夫だろうか、行儀は悪いけど即座にスマートフォンを取り出す。すると逆に、メッセージSNS『I!talk(イットーク)』には瑠比人からのメッセージが届いていた。内容は、……盗聴されてる?

『言うの忘れてた。今日、晩飯も一緒していい? なんか作るよ』

 以心伝心や阿吽の呼吸という言葉があるけれど、身近に起こると気持ち悪いなこれ。幼なじみ歴は長いがなんかやだ。
 しかし彗は喜んでくれるはずなので、笑顔を作って目を合わせる。

「彗、瑠比人も一緒に食べたいって。瑠比人が作ってくれるっぽいんだけど、どうする?」
「やったー! るいくんの、あかいすぱげってぃたべたい!」
「ナポリタンか」

 作ってくれるかな、そう思いながら俺は『彗はナポリタンをご所望です』と返せばあいつから即座にスタンプが送られてきた。やたら頭身の高いカモノハシの、少しキモイ(キモカワイイなのかも知れない)イラストのものだ。最初に送られてきたのは踊りながら振り向きざまに驚くもの、次に送られてきたのは変なステップを踏みながらオッケーと言うもの。
 見てるだけでめっちゃイライラする、本当にこいつの感性がたまにわからない。
 だけどあっさり了承してくれてはいる。……こいつのこういうところ、ちょっと心配になるな。意志薄弱っていう訳じゃないんだけど、ひとに流されやすいというか拒否権を端から使おうとしないというか。もちろん断る時は断る奴だって知ってるんだけど、なんていうか……。

「にいちゃん?」
「あ、ごめん。赤いスパゲッティ作ってくれるって」
「ほんと!?」彗は両手を上げて、大きく足を広げる「なんていいひだ!」
「なんて良い日だ……」

 ワードチョイスにツボる。うちの弟、天才かも知れない。



「なんて良い日だ……すごいな、言葉のセンスが」
「だろ。うちの弟たまに天才だなって思う」
「俺は彗くらいの頃はそんなワードチョイス出来なかったなあ」
「いや結構お前も天才寄りだった気がする」
「えー?」

 そうだっけ、と首を傾げながら瑠比人はエコバッグから食品を次々に取り出す。要冷蔵のものは俺が冷蔵庫に入れ、そうじゃないものとすぐ使うものはシンク台へ置いておく。

「つかあとで金払うからレシートくれ」
「えー、良いよ」
「何も良くない。ドーナツは兎も角晩飯は出させろ、うちが我儘言ってんだから」
「はいはい、もう、律義なんだから」
「そんなところが好きなんだろ」

 ……いつもの軽口みたいな感じで、そんなよくわからないことを言ってしまった。ちょっと待って、結構痛い奴になってないか俺。うっわ! 今の発言取り消したい! 無理だけど! 無理なんだけど!

「まあね。瑛には敵いませんよ」
「お、おお……」
「なんだそのキレのない返事」

 しっかりしてくれよと笑う瑠比人に、内心冷や汗びっしょりだ。良かった変に思われてなかった、スルーしてくれたってことだよな? やっべえまじで焦った。
 今までだと水町が俺の好きバレフォロー(好きだとバレそうな言動を良い感じに茶化すこと)をしてくれたが、ちょっと前に話し合ってそれがなしになった。理由には納得した、『きょとんとしている瑠比人が見ていられないから』うん、正直わかる。だからこれからは自戒しなければだったんだけど、今のところ緩みっぱなしだ。まじでなんとかしないと、もう誰でもフォローしてくれないんだぞ!?

「じゃあ早速ドーナツ作りますか」
「はっ、やった、わーい」
「サラダ油あるよね?」
「あ、うん、普通にあった」

 ばあちゃんが不安なことを言っていたが、ちゃんとストックがあった。よしよし、満足そうに瑠比人は頷く。そして勝手知ったる我が家のキッチンで調理にとりかかった。
 うちは片親だけど、瑠比人の家は共働きでしかも親御さんはどっちも結構忙しい。こいつの料理スキルが上がったのはそういう背景故のものだ。あと瑠比人は案外小器用で凝り性なところがあったりする。レシピ本買って全メニュー作ったりとか。蟹クリームコロッケとか、ローストビーフとかせっせと作ってたな。あれはいつ頃のことだったっけ。

「じゃあ作りますので、彗をこっちに来させないように」
「おっけ、油危ないもんな」
「彗に何かあったら俺は何を差し出せば……」
「治療費とかだろ。命はやめろ」

 なんですぐ命の話になるんだよ。貰っても困るって。
 俺はリビングに戻り、折り紙を熱心に折っている彗の隣に座った。

「なに折ってんの」
「かめ!」
「渋い。にいちゃんにも折ってよ、亀」
「いいよー。にいちゃんはね、ぎんいろでおっちゃう」
「え、いいんですか、そんなレアな折り紙」
「きんいろはるいくん!」

 どうやら俺は少しランクが下がっているらしい。泣いてないもん。

「あかいすぱげってぃ、つくってくれるからー」

 それはそう。好意に準じている訳ではなく、成果に準じているようだ。

「にいちゃん、どーなつすきだねえ」

 シルバータートルを折ってくれた彗は、ゴールドタートルを折りながら呟く。この間も誰かに言われたけど実際ドーナツは大好きだ。というか俺は基本甘いものなら何でも好きだ、タピオカには興味ないけど誘ってくれれば全然行くし飲むし。でも、瑠比人のドーナツだけは別格。
 瑠比人のドーナツはそんなに凝ったものじゃない。原材料はホットケーキミックスと卵、牛乳、砂糖、そして揚げるための油だけ。ちゃんとしたドーナツというよりアレンジメニューの一種で、レシピさえあれば誰でも同じようなものが作れる。
 俺がこれに対して異様な執着を抱いているのは、凝り方とか味とかそういう次元の話じゃないのだ。もっと心に根差す、記憶の話なのである。


「これ、初めて作ってくれた時のこと覚えてる?」

 あつあつのドーナツを、キッチンペーパーが敷かれた皿に並べている瑠比人へ問い掛けてみる。いつだっけ、とか、そんなの覚えてないよ、とか言われることを予想していたが、意外にもこいつはその時のことを覚えていたらしい。「お葬式の時でしょ」と流れるように答えた。

「……よく覚えてんな」
「まあね。俺が、自分で初めてお菓子を作りたい、って言ったのがあの時だったし」
「そうだったん!? 知らんかった、そんなの話したことないよな?」
「……するのもちょっとね、躊躇いますよ」

 思い出すのがしんどいことだし、と瑠比人は川の底に沈んだ透き通った石を掬い上げるように言う。
 お前がそうやって丁寧に掬い上げてくれるから、少し気持ちが楽になるんだ。
 どうしても見たくない記憶って雑に扱いがちで、良いことも沢山あったはずなのに同じ箱に入れて適当に放っておいてしまう。もっかいその箱から出して磨いてあげるのは、相当時間が経ってメンタルが復活してきても辛い。動けなくなった時の自分を思い出して、受けてきた痛みを再び味わうんじゃないかと怖くなる。お前がそう言ってくれることで、箱の中には怖いものしかない訳じゃない、と認識出来るのは俺にとって有り難い限りだ。

「母さんが死んで、もうすぐ六年? はっや」
「彗も大きくなったよねえ」
「本当に。ビビるわ、俺が今高校生ってことにもビビる」

 うちは片親、母さんは弟の彗を産んでしばらくして死んでしまった。彗がお腹の中にいる時に病気がわかり、自分の命よりお腹の中の命を選択したのだ。
 ……そう言うと彗に対して恨みがあるように聞こえるかも知れないけど、そういうのは一切ない。選択したのは母さんだし後押ししたのは父さんだ、だから仮に恨むとしたらそっち。まあ恨まないけど。

「もう大分ぬるくなったから食べて良いよ」
「わー、うまそ……いただきます」
「どうぞ。……彗は?」俺の一口目を遮り、瑠比人は尋ねる。「どこ行った?」
「揚げてる間に眠くなったらしくて、あそこで寝てる」

 そう言って俺が指差したのはソファの上。俺が掛けたタオルケットとダンスを踊るように、独創的な寝相で熟睡中だ。良い塩梅で起こさないと夜眠れなくなるな。

「……彗って天才?」
「お前もそう思う? 俺もそう思う」

 ふたりで彗を起こさないよう、声を殺して笑い合う。
 こうして家族のことで笑えるようになるまで、結構時間がかかったなと思う。特に彗のことに関してはどうしても母さんの死が付きまとうから、母さんをよく知ってる人やそれこそじいちゃん、ばあちゃんと話せるようになるまでかなりかかった。三年はかかったな。じいちゃんとも未だに疎遠だし。
 近くに住んでいるのに全然会いに来なくなったじいちゃんの話を聞く度、悲しいな、と思っていた。あんなに仲良かったのに。一緒に焼肉とか食べに行ったし、いちご狩りとかも行った。でももうああいう時間は来ないんだな、と当時の俺はすっかり思い込んでいた。だけど別に、その時間は来なくなったとしても別の時間は来る。時間が経てば傷は癒える、新しいことに目を向けられる、記憶が遠くなってしまうことも悪いことばっかりじゃない。

「今年のクリスマスパーティーなんだけど」
「お、もうその話?」
「もうじゃねえよ、あと一か月もねえんだから。……で、」

 俺は話を続けた。我が家のクリスマスパーティーは例年土方家と合同だ、みんなとご馳走やケーキを食べてプレゼントの交換を行ったり、ボードゲームをしたりする。
 そこに、だ。

「今年はうちのじいちゃんも来るから」
「そ、れは嬉しいね。えっ嬉しいね、はりきっちゃうね!」
「ノリノリのお前キモイな」
「そんなはっきり言っちゃう!? あ、なんか韻踏めそう」
「キットカット買っとかんと的なやつな」
「全然ちがう」

 一瞬にして極寒と化した瑠比人の表情に、俺は気の抜けた笑い声が出る。そして手元を見て首を横に振った。いけないいけない、ドーナツ全部食うところだった、彗に泣いて怒られる、あれ面倒臭いんだよ。
 
「そう言えば、おいしい?」
「うまい、世界一」
「そうか。じゃあ次は宇宙一を目指そうかな」
「向上心の塊かよ、応援するわ」
「ずっと、」

 そこで瑠比人は一回区切って、息を吸い込んだ。

「これからも、食べてくれる?」
「毎日でも良い」
「俺の負担を考えろよ!? 結構面倒なんだよ油使うの!」
「強制はしてねえから! 毎日食いたいほどってだけだから!」
「あっそう! 所詮口だけってこと!?」
「ねーえうるさぁーい!!!」

 ソファから彗の苦情が飛び込んできた。あまりにもな声量だったのでふたりして驚いて、ごめん、と互いに小さい声で謝った。
 我が家のカースト最上位はやっぱり弟様だ。ドーナツ追加で揚げようかな、と呟いた瑠比人を、夜御飯食べらんなくなるから、と俺は必死で止めることしか出来なかった。