情けは人のためならず

 あき、と、俺のことをそう呼ぶのは水町真汰(みずまちまなた)しかいない。帰りの掃除前のショートホームルームが終わったあと。あき、ちょっと。教室で自分の席に座りささくれを気にしていた俺に、水町は密やかな声掛けをする。周りを見て瑠比人がいないことを確認し、俺は水町に従って階段の踊り場まで歩いて行った。
 いつものこと、である。

「今日は何?」
「えー、その、どうなんだ、るいとの関係は……」
「お父さんみたいな訊き方、やめれる?」

 水町に俺が瑠比人に恋をしている、と気付かれたのはいつのことだったか。恐らく出会って結構すぐだったはず。今年の六月には察されていたので、入学式で出会って二ヶ月後にはバレていたのか。俺がわかりやすいのか、こいつの洞察力が段違いなのか。後者であって欲しい。

「いやお前がわかりやすいだけだよ」
「そんなことはねえよ。お前がすごいだけ」
「いやいや」
「やめろやめろやめろ」

 これ以上水町の話は聞きたくない。何故かと言えばすっごく恥ずかしいからだ。自分から好きの気持ちが溢れ返っている、なんて想像もしたくない。だからやめろ、口を閉ざせ、何も言うな。

「じゃあ黙りますけど」
「助かった、その調子で頼む」
「それはそうとして、好きは駄々漏れだよ、お前」
「黙るんじゃなかったのかよ!」

 ふざけんな! と両肩を掴んで揺さぶる。身長はあまり変わりがない俺らだが、運動部である俺の筋肉量に文化部である水町は圧倒的に敵いっこない。面白いくらいにぐわんぐわん揺れている。少しして可哀想になったので、肩から手を外した。

「悪ぃ、取り乱した」
「大丈夫。ちょっと世界が揺れてるだけ」
「まじですまん……」
「良いよ」

 菩薩のような笑みを見せてくれる様に一瞬絆されそうになったが、元はと言えばこいつのせいだった。危ない。
 真汰はずれたブレザーの、肩のラインを合わせる。

「俺のことは良いんだけど、告白とかしないのかなあって」
「またその話……」
「ずっとヒヤヒヤさせられてるこっちの身にもなってほしい」
「ぐう……」

 ぐうの音が出てしまった。縮こまる俺に、水町からの冷ややかな視線が降り注ぐ。
 こいつに瑠比人のことが好きだとバレて早五か月、つまり瑠比人に好きバレしたくない俺のフォローに水町が奔走するようになってから五か月ということだ。それに関しては大変申し訳なく思っている、今すぐにでも菓子折りを走って持ってきて良い報告をしたいくらいには。

「是非ともそうしていただきたい」
「は、はいぃ……」

 骨格の問題か実際の身長よりもっと小柄に見える水町だが、何故か今は俺より全然大きく見える。圧力が凄まじいのだ。つい情けない返事が出てしまった。
 水町は腕を組み、やれやれ、とでも言いたげに首を振った。

「何度も言うけど、あきが好きっていうのは多分るいにもバレてるし……」
「いやそれはない」

 俺は余韻を消す勢いで否定した。水町が顔を顰める。ごめん、こればっかりは自信があるんだ。瑠比人は俺に恋愛的な好意を抱かれているとは微塵も思っていない。幼なじみの勘というか、幼なじみの直感というか。

「俺がいちばんあいつのことをよく知ってるんだ、これだけは間違いない」

 俺は渾身の力を込めて言い切る。水町は渋い顔をしていた、梅干しみたいにしわくちゃだ。現実を見たくないようにも見える。

「……そこまで言うなら、そうなんだろうね。よし掃除しに行こう」
「おっけー。いつもありがとな、水町」

 立ち入り過ぎだと嫌がる人間もいるかもだが、俺としては気にかけてくれるのは本当に有り難い。いくら友達だからと言っても、同性間での恋愛をここまでバリアフリーで考えてくれる人間早々いないはずだ。加えて水町は俺の意見をいちばんに尊重してくれる、意見が合わなくても不機嫌になることはないし『人間が出来ている』とはこういう奴のことを言うのだろう。

「水町みたいな奴を好きになる奴が、『見る目ある』って感じするよな」
「……えーと、俺んとこ来ないか?」
「お前、氣志團とか聴くん?」
「ぱっと思い付いたのがそれしかなかった。大喜利力の低下を感じる」
「なんの、なんだって?」

 時折よくわからないところもあるが、それも人間的魅力ということなのだろう。そうしておこう。
 俺たちの掃除班は『リスさん』チームと呼ばれる。よくある教室の席順で決まる班のことだ。現在の担任は席替えを行わないため、入学してこの方ずっと同じメンバーで掃除やグループ発表を行っていた。何故『リスさん』なのかと言うと、動物の名前なら何でも付けて良いよ、と担任に言われて班内の投票で決まったのがリスだった。他の班は『ケルベロスさん』とか『ドラゴンさん』とかつけていたけど、あまりにも男子校仕草である。

「あー! 真汰にアキラどこ行ってたの! もう大体掃き終わっちゃったんですけどー」

 今週の掃除場所は渡り廊下。既にほうきとちりとりを持った男が三人いた。
 俺と水町の姿を見て突き進んできたのは灰谷灯哉(はいたにともや)だ。両手を掲げて、わかりやすく怒りのポーズを取っている。

「ちょっと野暮用。ごみは僕らで捨ててくるよ」
「ならよし、許して進ぜよう」
「やったねあき、許されたよ。ここから先は僕らの天下だ」
「オレの天下なくなった!? 三日天下どころか三秒天下!?」

 一度の許しで天下人を奪還されたのは不憫極まりないし、その発想になれる水町が恐ろしい。凍えたのかと錯覚するほど震える灰谷が後ろにくっついてきたのでやや邪険にしつつ、俺はごみが積もったちりとりを受け取りに他ふたりの方へ向かった。

「ちりとりってこれ?」
「あ、それそれ。今日これだけだったんだよ」

 そう言って俺にちりとりを手渡すのは御木本太弦(みきもとたつる)。昨日に比べて大分ごみの量が少ない、今朝方雨が降ったから? 落ち葉の類があまりにもない。

「じゃあちりとり持って焼却炉まで行くわ。水町は掃除道具片付けといて」
「え、良いの? ごめんね、ありがとう。じゃあ明日は僕が八面六臂の活躍を見せよう」
「焼却炉行くの?」

 俺と水町の会話に割ってきたのは瑠比人である。焼却炉、というワードに反応したようだ。どうしたと問えば、俺も用事がある、とこいつは言った。

「用事ってどんな、」
「じゃあふたりで行って来いよ。三人いればどうとでもなるし」
「あと片付けだけだしね! 真汰が全部やってくれるらしいし!」
「まかせりなずな」

 水町の小気味良いギャグ? を耳にして、それならとふたりで焼却炉に向かう。しかしごみを捨てる以外に焼却炉へ用事なんてあるものだろうか。普通ない気がする。そう思って瑠比人に視線を送れば気まずそうに逸らした。
 ……やっぱりか。

「そんなに俺とふたりきりになりたかったんですか?」

 揶揄するように言えば瑠比人はむっすりして、そういう訳じゃない、と呟いた。

「じゃあどういう訳だよ」
「今日も部活じゃん、お前」
「そうだけど、基本水曜以外はある」
「最近話せてないなあ、と思っただけ」
「そうかあ?」

 あんまり思い当たる節がない。部活はいつも通り、生活環境の急激な変化もない。強いて言うならもうそろそろテストだけどお互い塾には行っていないし、学校に居残りして勉強なんて殊勝な行いもしていない。どこら辺でこいつはそう思ったんだ?

「逆に訊くんだけどさ、瑛は最近の俺との会話で事足りてる?」
「なんの質問だよそれは!?」
「や……事足りてるなら別、に、良い、けど……?」

 声がどんどん小さくなる瑠比人。最後の方は蚊の鳴く音の方が大きいくらいだ。睫毛が長いせいか、瞬きが多くなっているのも丸分かりだ。風がそよぐので。
 事足りてるかと問われれば、足りている訳ではないと答えられる。好きな相手とは四六時中一緒にいたいものだし、朝起きてすぐも寝る直前も会話をしていたいくらいだ。そう言ったところで重いと感じさせるだけだし、実現は不可能なので言わないけど。
 だからどっちかと言えば、

「会話っつか、遊びたいなとは思う」

 こっちの方が近い。遊びに行くというか、我が家に遊びに来てほしいなと常々思っている。……ああそうか、会話が足りていないとこいつが思ったのは多分そこだ。夏休みによくうちに来て駄弁ってて、二学期になってその機会が激減したからそう思ったんだ。なるほどな。

「じゃあ、テスト終わったら遊びに行っていいの。瑛んち」

 俺の推測は正解だったらしい。恐る恐ると言った風にお伺いを立ててきた瑠比人に、俺はしょうがねえなあという気持ちを乗っけて口角を上げた。

「もちろん。いつでも来いよ」

 何を遠慮しているんだか。互いの家への行き来なんて、もう思う存分やってきた仲だっていうのに。でもわざわざ言われると嬉しいのもそうだし、定期的に言葉にしてもらうと嬉しさが段違いだな。
 そんな感じでダラダラ話しながら向かっていたから、焼却炉の稼働時間ぎりぎりについて、委員会の人に少し怒られてしまった。周りが見えなくなるの、本当に良くないなとn回目の反省を行った。

   ★   ★   ★

「と、いう訳で結局今回も目標未達でして」
「惜しかったよ! 真汰は頑張った!」
「なまじ相互理解が深過ぎるのが難点だよな……」

 掃除が終わり部活動や委員会のない生徒は下校する時間帯。人気のなくなった昇降口に三人の男子生徒がたむろしていた。
 ひとりは栗毛色の髪に赤いニット帽をかぶっている垂れ目の男、彼が灰谷灯哉だ。その隣に立っているのはいかにも理知的な顔立ちにメタルフレームの眼鏡を掛けた男、彼は御木本太弦である。そしてそんな彼らと向かい合っているのが、目元ぎりぎりまで前髪を下ろしている小柄な男、水町真汰である。
 あえて言っておくが強制されたものではなく、自主的な居座りだった。
 話している内容は瑛、瑠比人の恋路について。この三人は彼らの両片思いの被害者とも言うべき人物で、なるべく早く成就して解放されたいという切実な願望を抱いていた。
 ただいまの議題は、真汰の瑛への唆しについて、である。

「折を見て告白を促しているんだけど、いよいよ無理っぽいなと思っています。何故なら僕ら程度では、あきととも、どっちの深い思考まで読み取ることは不可能だから」
「互いのことはいちばんお互いがよく知ってる、ってやつだな。……おおよそ当たってるのに、なんで肝心な互いに恋愛的に好きだっていう部分だけ見逃せるのか、ただただ謎」

 そこだよね、と三人で項垂れてしまう。
 三歳の頃からの幼なじみである針生瑛と土方瑠比人は、共に過ごしてきた時間の長さからその言動は最早阿吽と言っても差し支えない。相手のことは自分のことがいちばんよくわかっている、とマウントの登頂する姿には「もう好きにしてください」と言いたいばかりだ。しかしそんなふたりでも、互いの恋愛感情については一ミリも勘付く素振りを見せない。恋はキラリ、ミステリーである。

「単純に距離が近過ぎるからってのもありそー」
「ほう。と言うと?」

 真汰に促されて灯哉が言葉を組み立てる。

「あーと、親が恋愛感情を持つ生き物だって、ふたりはいつ頃知った? みたいな」
「……あーそもそも、そういう感情があることを認識していない、ってことか」
「なんかわかる気がする。扱い方が少し違うんだよね」

 真汰が見た、自分への恋愛感情を瑠比人は認識していないと断言する瑛の顔は、悲しげではなくむしろそうあってもらわないと困るという色合いすらあった。端から諦めているというよりもっと根深いものを感じる。

「作戦を練り直す……いやもう、触らない方が良いのかも知れない」

 余計なお世話であることは間違いないしね、と真汰は遠い目をする。この三人が幼なじみ達の恋愛成就に尽力し振り回されるようになって半年近く経つが、未だ大きな成果は得られていない。それどころか、日に日に自分達への行為への疑問は増していくばかりだ。そろそろ引き際なのか。

「それから端的にこっちは好きバレ促進させてるつもりなのに、あきには好きバレフォローされてるって認識されて気まずいのもあるし……」
「真逆の行為だもんねー、確かにココロが痛い……これが、ココロ……?」
「ひとりかつてロボットだった奴がいるな。たった今、感情が芽生えたっぽいけど」

 余計な茶番を一匙振り入れた灰谷に、他のふたりは気が抜けたように笑った。

「ところでふたりはさ、なんであのふたりを応援してるんだ?」

 太弦の唐突なる問い掛けに、灯哉と真汰は視線を上に向ける。ふたり揃って左上を見ているため、記憶を遡っているのだろう。
 しばらくしても答えが発されない、寒風がそよぐ音のみが場を支配する。

「そーゆーみきもとセンセーはどうなんすか!」

 気まずくなったのか、それとも自分の記憶を遡るための時間稼ぎをすべくなのか、灯哉が太弦に逆質問をする。不満そうな声を上げながらも太弦はスラスラと話し始めた。

「単純に『リスさん』チームで同じになって、ふたりの様子を間近で見て親心が芽生えたというか」
「おやごころかー……その発想はなかった」
「マジか」

 逆にそれ以外はあるのかと言いたそうな太弦だったが、わかる、と真汰に差し込まれて今度は灯哉がもどかしげな顔付きになった。

「僕はわかる。僕は、ふたりきりの世界を守りたいって思ったから」
「真汰はちょっと、視点がちがうってゆーか……」
「ああ、それもわかる」
「わかんの!? なんでっ!?」

 どうやらこの場において灯哉は少数派らしい。どんな意思を持ってこの立ち位置にいるんだ、太弦が疑問を投げ掛けようとした瞬間彼は明確に話を変えた。

「そーいえば、もうすぐテストなんですけども」
「そうだな」
「そう言えばそうだね」
「勉強会しませんかっ、みんなでっ」

 急な提案に驚きつつも、灯哉の成績事情をふと思い出してふたりは納得した。

「次やばい、って言ってたよなお前」
「マジでヤバい。数学の補習で冬休みなくなるかも知んない」
「なくならせとけば?」
「人非人! 真汰がレミゼラブル過ぎる!」

 ああ無情。情も失いたくなるものだろう、自分達を良いように扱おうとするなら。

「そーゆーつもりじゃないんだよー、アキラとるいてぃーも巻き込んで単純接触効果倍増させたいっていうのもあるしー」
「それならそのふたり誘えよ」
「ふたりだけ誘うのも変じゃん、いつも五人一緒なのに」

 五人一緒という言葉に少し嬉しくなってしまう太弦と真汰である。上手いことノせられていると自覚しつつも抗うことが出来ない。灯哉はこうやって急所を捉えるのが上手い、つい言うことを聞きたくなってしまうほどには。

「あとオレはアキラにだけは勉強教わりたくない!」
「なんでだよ」
「あの子数学出来るし、教えるのも上手いのに」
「負けた気がするから!」

 オレとアキラは対等でいたい! という謎の主張をする灯哉。じゃあ太弦と真汰に教えてもらうのは良いのか、そこは対等とか関係ないのか。

「真汰とセンセー相手なら靴くらいは舐めれる」
「おれらの気持ちとかって考えたことある? 舐められたあとがクソ気まずいんだが」
「そんなカッコつけて言うことでもないよ。最悪だよ」

 三者三様に溜息をつき、誰からともなく駐輪場に向かう。宵闇の奥に黄金が揺れる空を背景にして灯哉と真汰は自転車を引き、太弦は駅の方へ歩いて行った。
 自転車に跨って、真汰はゆっくりと口を開く。

「あのさ、とも」
「なんだい、真汰」

 結局どうしてあのふたりを応援するのか、の灯哉の理由だけ聞けなかった。そのことが心残りであるがここで尋ねるのもちがう気がする、真汰は息を短く吐いて言葉を変える。

「今度、真珠の耳飾りの少女の物真似やってよ」
「なんで? 良いけど」
「良いんだ……」

 どうして即OK出来るんだ。唖然とした真汰に、じゃあまた明日ねー! と肩から手を振って自転車を漕ぎ出す灯哉。
 片手運転は危ないぞと思いながら、真汰はペダルを踏み出した。