瞬夏終冬(しゅんかしゅうとう)

 周と電話でやりとりを交わしたあの日。
 俺は通話を切った後、公開していたデモ動画を非公開にした。公開した時と同じく何の前触れもなく設定を変更したため、突然見ることが出来なくなった理由について様々な憶測が飛び交った。

『もしかして誰かスタッフが勝手に流出させたやつだったとか』
『久々の活動を盛り上げたいがための話題作りかも』

 あれこれとSNSで書かれたが、理由は簡単だ。聴かせたかった相手に届いたから、他の誰かに見せる必要がなくなっただけだ。

 その後、歌詞はそのままに、アコースティックな雰囲気からガラリと曲調を変えたものを『瞬夏終冬(しゅんかしゅうとう)』のタイトルでリリースした。当初の予定通り、初夏に公開された映画の主題歌として使われたその曲は、30代女性と男子大学生という年の差のふたりの恋愛ストーリーにぴたりとハマった。監督から「ざっくりとしたプロットだけでお書きになったと聞きましたが、こんなにフィットする曲をありがとうございました」と礼を言われた時には、俺自身、相手と年齢差があるからだとうっかり言いそうになった。

 通信制で単位を取得した周は高校の卒業資格を得て、大学に入学した。本人は「条件クリアのためだけに通ってる」と言いつつも、話の端々からそれなりに楽しんでいるのがビデオ通話でもよく分かった。

 いくつかの夏が過ぎる中、俺はただただ歌詞を作り続けた。

 『氷菓』『スパイシールーム』『記憶の中で君は』『Age gap』など、あの夏の2カ月はもちろん、これまでの俺たちや今のふたりの状況を綴っていった。出来上がったものを海津に見せるといつもニヤつかれるのでイラッとするのだが、俺はあいつにかなり大きな借りがあるので「もう好きなだけイジれよ」と思うようにしている。

 YKの公式チャンネルで曲を公開する度、誰か分からない人々から色々な感想が書き込まれた。
 休止前とは180度異なるテイストに『YKは変わった』と言い、『ファンやめます』とご丁寧に宣言をする人がいる一方で、『私も何もかもどうでもいいと思えるような恋愛をしたい』といった共感の声が寄せられるなど、まだコメント欄は少し騒々しい。

「聴き手の意見に左右されんなよ。媚びたモノ作りなんてつまんねぇぞ」

 肩を小突いてくる海津に、俺は答える。

「安心しろよ。ブレたりしねぇから」

 誰にどんな曲を届けたいのか、自分の中にある気持ちはもう分かっている。
 俺は屋外展示場でゴロリと寝そべるゴマフアザラシを眺めながら、これまでのことを思い出していた。

「締め切り明けの葉くんにそっくり」

 周が悪そうな顔で笑っている。
 大学を卒業した周は、来月から社会人としての生活をスタートさせる。
 その前に行こうということで、今、俺たちはあの水族館に来ていた。

「あそこまで無防備じゃないだろ」
「いや、屍みたいになってるって」
「意識がないという点では確かに屍だな」

 リニューアルした当初はかなり混雑していたようだが、数年経って客足も落ち着いたのか、みんな穏やかな笑顔を浮かべながら展示を見ている。

「そういえば、さっきレストランの前を通った時にさ、僕見ちゃったんだよね」
「何を」
「ちょっとオシャレな感じのメニューが並んでる中に『春季限定さくらカレー』ていうのがあったんだよ」
「春っぽいじゃん。それの何が気になったんだよ」
「普通のカレーの上に揚げたサクラマスの切り身が載ってた」
「それは……水族館で魚を食べるシュールさに目を瞑れば、どっちかっていうとアリじゃないか?」
「そうなんだよね。『冷やしカツ丼あったかうどん付き』を出してたとこと同じとは思えなくて」
「いいんじゃね。この水族館の未来は明るいってことで」

 ピラルク、ミズダコ、アンドンクラゲ。
 あの時にもいたかもしれない生き物たち。興味深い顔で水槽の中を覗き込む周の横顔を見ながら、俺は思った。

 もう子どもじゃないんだな。

 13歳で出会った小生意気な中学生は、繊細でよく泣く癖に思ったことは自分の言葉で真っ直ぐに伝えることが出来る、いい男になった。

 大学の卒業式の日、姉からは「預かり者感覚でうちの子と一緒になるつもりなら、はっ倒すからね!」と背中をバシバシ叩かれ、周の父親は俺の手を両手で握り締め、「息子をよろしくお願いします」とぼろぼろと泣きながら頭を下げてくるので、俺はその倍以上の深さでお辞儀を返しまくった。

「葉くん、ここじゃないかな」

 かつて、入場ゲートを抜けた先にあった巨大な水槽を思わせる広い展示エリアに、ウミガメたちはいた。

「あの時のウミガメはどれだ」
「どんな子?」
「一匹だけ全く動かないのがいたんだよ」

 分厚いガラスの向こうで微動だにしなかった、あのウミガメ。

「うーん、水槽が大きすぎてわかんないな。あっちに回ったら違う角度から見えるかも」

 歩き出そうとする周の手を摑まえると、俺はポケットから取り出した鍵を握らせた。

「……何これ」
「うちの鍵」

 周は、手の中にある鍵と俺の顔を何度も見比べた。理屈を捏ねないと言葉ひとつ言えなかったあの時の自分が、俺の中から消えていく。同じ言葉でも、別れるためではなく始めるために言うんだ。

「俺は、周が好きだよ」

 始まりはごっこ遊びだった。
 でも、それがなければあの歌は生まれなかった。
 瞬く夏が、俺たちの冬を終わらせたんだ。

「一緒に暮らそう」

 周の目からぼたぼたと涙が零れる。
 その様子は周の父親ととても似ていた。

『もう失恋作詞家じゃなくなったのかな』

 デモ動画を公開した際、書き込まれたこのコメントに対して当時の俺は「そうなるといいんだけど」と思ったものだが、ありがたいことに今のところ、失恋の曲を書く予定はなさそうだ。
 周はぎゅっと鍵を握り締めながら、「海を見に行こう」と言った。

「あの階段でさ、歌ってよ」
「外で歌うの、恥ずかしいんだけど」
「約束したでしょ」
「約束……したな。してたな」

 周は俺の腕を取り、ふふふと笑う。

「『瞬夏終冬』葉くんバージョン、初披露だ」

 忙しない春と、まだ眠っているような海の匂い。
 また、ふたりで過ごす夏が来る。