ポストスプリクト・ラブ


 元恋人である匠と再会してから、一週間が過ぎると、ある程度クラス内でも自然とグループが分かれていく。
 俺ももちろん、周りからあぶれることなく、あまり目立つ事を好まない、三人組の中の一人に落ち着いた。

 一方の匠は無論、クラス内でも「一軍」と呼ばれる顔の良い騒がしいグループに収まっていた。雰囲気としては、俺の知っている匠とはあまり合うような気はしないけれど、俺と会わない間にいろいろあったのかもしれない。賑やかなグループの中でも、彼はいわゆる「クールキャラ」のような立ち位置で、仲間の雑談を傍観している。

 時折盗み見する匠は、ぼんやりと周りや窓の外を眺めるばかりで、何か発言することはあまりなさそうだった。そんな彼を周りが気遣う雰囲気もない。――楽しいのかな、なんて邪推しては、今の自分が口出しするような立場ではないと、その考えを頭から追い出した。

「匠、これ見て。可愛くね?」
「猫動画の方が可愛い」
「えー……白ビキニは正義だぞ?」

 俺はちらりと教室の後ろ側の席で、人に囲まれている匠を盗み見た。
 すらりと長い手足に、つまらなさそうな横顔はとても静かで、女子がひっそりと「国が傾く美男子」と称賛している気持ちが、なんとなく分かるほど、儚げで綺麗だ。

 しかし記憶の中の匠と、目の前の匠の乖離があまりにも大きくて、俺は未だに彼の外見に違和感を感じていた。匠なのに、匠じゃない。不思議を通り越して、これはもう魔法だ。

「なあなあ! 来月のリクリエーション横浜だって」

 どこからか情報を仕入れてきたのか、前の席の瀬尾が振り返る。俺は「横浜」という言葉に、海と中華を思い浮かべた。

「中華街と江の島だって」
「マジで? やった!」
「食べ放題とかありかな?」

 後ろの席の千葉が会話に混ざってくる。俺は椅子を引いて振り返ると、それもいいな! と、同意した。

 一年生の親睦会のような校外学習が、キャンプだという話は良く聞くけれど、俺にとって山に籠っての作業は拷問でしかない。
 俺たちは学校の懸命な判断にひとしきり喜んでから、それぞれが観光スポットをスマホで検索し始める。

「日程どうなんだろう」
「殆ど自由行動だろ?」
「だよな。キャンプとか力仕事させられるなら休むかって思ってたから、マジで有り難てぇわ」

 深く頷く千葉と瀬尾に、だよなあ、と頷いたところで、
「それマジ?」
 と、声が落ちてきた。

 顔を上げれば、いつの間にかそばまで来ていた匠とクラスメイトの安田が俺達を見下ろしていた。
「横浜って何情報?」
 匠の肩にしなだれかかる安田が、目を輝かせながら聞いてくる。瀬尾は少し迷うように俺を見てから「隣のクラスの奴がプリントもらったって」と答えた。瀬尾の眼差しが、彼らは苦手だと、ありありと訴えてくるので、俺は苦笑いで応える以外に何もできない。

「やったー! 中華街!」

 匠の肩から離れた安田は、子どものように喜んで、いつも溜まっている後ろの席へ戻って行ってしまった。けれど匠は、俺の前に立ち尽くしたまま、まだじっと俺に視線を向けてきている。
 相変わらず何を考えているのか分からないけれど、何か俺に言いたいのだろうな、ということだけは辛うじて分かる。言葉数が多い方ではないのは、昔からなので、きっと今は頭の中で言葉を組み立てているのかもしれない。

「……凜、中華好きだったよな。あんかけ焼きそば」

それは小学校の頃の、給食の思い出だな。

不意に昔の好物を持ち出されて、恥ずかしいような嬉しいような気持ちが湧いて来て、俺は言葉を濁した。

「今も好き?」
 問いかけてくる声音の中に、かすかな期待のような明るさが灯っている。
「うん、好きだよ。匠はまだ揚げパン好き?」
「……好き」
 彼は少しだけ口元をほころばせると、
「今度一緒に食べに行きたい」
 匠はそう呟いてから、長い指先で俺の髪を、優しくかき混ぜてグループの方へ戻っていく。

「……お前らの関係性が未だに分からん」
「謎過ぎ」
「……俺も思う」

 確かに地味男子と一軍男子じゃ釣り合わないだろう。けれど匠は再会したあの時から、今となってはもう無効な接点しかないにも関わらず、こうやって距離を保って話しかけてくる。あの苦い思い出以外の記憶を持ち出す事もあれば、おはよ、という短い挨拶に留まる事もあった。
「おはよ」
「またね」
 たったそれだけの日でも、俺が匠の視界の中に入れば、彼は欠かすことなく俺に声を掛けてくれる。

 そして俺は、それが嬉しかった。

 曖昧に流されてしまった気持ちを、何度も思い出してしまうくらいには、昔の彼の不器用な優しさを感じている。

 あの頃、俺が一人で匠のことを考えている間、匠は何を考えていたのだろう。俺のことを少しは考えてくれていたのだろうか。それとも、早い段階から、なかった事にしたかったのだろうか。

 不器用過ぎて、手も足も出なかった感情の欠片が、今もまだ胸の片隅で燻っている。もう一度あの頃の形を思い出そうと、あがいているのを感じる。――諦めきれていないのかもしれないし、ただの感傷かもしれない。

 そんな事を考えると、教師が教室に入ってきて、生徒に着席を促した。がたがたクラスメイトが各自の席に戻っていく中、俺は机に上半身を預けながら、浅くため息を吐いた。
 どうしよう、再会するなんて思ってなかった。いつか思い出す事も難しくなるくらい、化石となって、記憶の地層のずっと奥にしまう事になると思っていたのに。

 そんなことをぼんやりと考えていると、不意にまた後頭部を撫でられた。顔を上げれば、匠が擦れ違いざまに俺の頭に触れたのが分かった。わずかにこちらに振り返り、小さく手を振ってくるから、心臓が妙な音を立てる。

 一本ネジを失くして転がるような、頼りない音。

 ――ああもう、やめてほしい。

 俺はそう強く思いながら、それとはまた別の感情を身体の何処かで自覚しながら、軽く手を振り返した。