「すっげ、マジかよ。さすが匠じゃん」
そんな声が教室の中からカラーボールが飛び出したようにぽんっと高く上がる。思わずそちらへと視線を向けると、匠の横に居た安田が、スマートフォンを片手にそれを周りの人に見せて回っている。
「いや、さすが。匠イケメンだしな」
「これあたし一緒に居たんだけど、やっぱなーって感じだった」
スマホを覗き込んでいるメンバーが口々に呟き頷く中、匠本人は興味ないと言わんばかりに窓の外を眺めていた。けれど、本人の意思に代わって、安田やその周りの友人たちは話を進めて盛り上がっているようだ。
何の話だろうと思いつつ、席を立ってまで聞きに行く勇気はない。
「匠って顔は良いけど服が地味だから、この前一緒に行って選んであげたんだ。派手過ぎるとイカつ過ぎるじゃん? この位の柄よくない?」
そう言いながら、一台のスマートフォンを覗き込む数名が深く頷く。俺はどこか面白くない気持ちで、それを眺めていると、不意に匠の視線がこちらに流れてくる。
俺が慌てて視線を下げると、今度は千葉たちが一軍へと視線を向けた。
「何騒いでんだろ」
「知らね。それよりこの前のアニメの続き。お前アレ見てる?」
瀬尾の話を早々に、千葉が別の話題へと話を切り替えようとしていた。俺はそれに少しほっとしながら、千葉に視線を向けると、
「凜」
と、名前を呼ばれる。
まずい、と思いながらもゆっくり振り返れば、そこには匠が少し困ったように眉を下げながら立っていた。どうして、こういう時俺のところに来ちゃうかな――と、迷惑と言うよりも、どう対応して良いか分からなくて、ただただ見上げるだけに留めて置くと、
「ちょっといい?」
と、教室の外へと誘われた。
「千葉、瀬尾ごめん。借りる」
「どうぞ~」
匠は俺の二の腕を掴むと、殆ど力任せのように席から引き上げて、足早に教室を出ようとする。
「匠どこ行くの~」
一軍女子が追いかけるように声をかけてきた。
「便所」
……うそつき。
俺は俺よりも背の高くなった広い背中を少し睨みつけながら、無言で匠の後ろを歩いた。廊下には、昼休みのまったりとした空気が流れている。外の天気が良かろうが悪かろうが、室内では何の関係もない。
「匠、どしたの?」
できる限り声色に感情が籠らないように、背中に声を投げてみる。丁度階段手前の曲がり角で立ち止まると、匠はこちらに向き直った。男子トイレは数メートル先に見えていた。
「デートじゃないから」
唐突に切り出されて、一瞬思考が固まる。
「マジで俺服のセンスねーから、そういうの得意な奴に見てもらっただけで、デートじゃないから」
表情は殆ど変わらないのに、声音だけが上ずっている匠に、俺は黙って彼を見上げた。彼は俺に日本語が通じているのだろうかと言うような、眉を下げた表情で、見つめてくると、何かもどかしそうに軽い舌打ちをした。喉元に詰まっている言葉が、どうしても出て来ないと苛立っているようなその仕草に、胸の奥が甘く苦しい。
俺の為に焦ってる? ――なんて、聞けないけれど。
「凜も知ってるだろ? 俺がすんげ―地味な服しか選ばないの。俺マジで白か黒か灰色だし、てか、それ以外選ぶ勇気ないし……!」
少し早口に捲し立てながら、けれどうまく自分の伝えたい事を言葉にできていない不安を憎むように、匠は声を詰まらせた。その姿が、少し情けなくも、とてもいじらしく見えてしまう。
「とりあえず、デートじゃないから。あの女子と出かけたけど、そんなんじゃねえから。ホントマジで、似合う服教えてもらってただけ」
別に俺達、今付き合ってないだろう?
なんて、意地悪い事すら言ってしまう事が、躊躇われる程、あまりにも必死で、俺は彼に続く言葉を見つけられずにいた。
気にしてない、も自分の気持ちに反しているし、分った、と頷くのも何となく恥ずかしい。
アンバランスな俺と匠の組み合わせを横目で過ぎて行く、人の流れの中、俺は「あー……」と言葉を濁してから、匠を見上げる。
あの頃よりもぐっと背が伸びて、差が開いてしまった身長。それでも眼差しの奥にいる、匠は何一つ変わっていない。それがくすぐったくて、口元が緩みそうになってしまう。
先ほど感じた不安の漣も、彼の眼差しの奥で消えることなく灯り続けている真摯さに、凪いでいく。
「……匠、服選ぶの苦手だったよな。そう言えば」
「そう。それで、色々アドバイス貰った」
「そっか、……そうなんだ」
曖昧な愛想笑いがぎこちなく、俺と匠の間に降りて歪な空気をかき混ぜる。その微妙な距離感が、恥ずかしくて情けなくて、不格好だけれど、愛おしい気がした。
誤魔化すこと一つない、不器用な混じり合いを、あの頃にもできていたら……なんてふと思ってしまう。
けれど、今ここにいるのは、あの頃を経た二人で、過去はもう過ぎてしまったこと。そして、俺たちはすれ違ったけれど、もう一度やり直したいと思っている二人で……。と、考えていると、匠が俺の手首を掴んだ。
「どこいくの?」
「ちょっと来て」
強い力で引っ張られると、そのまま階段を上がり、俺たちは屋上手前の踊り場まで移動した。周りの声が少しだけ遠くなって、気配もゆっくりと二人分だけになっていく。
「俺が好きなのは、凛だけだから」
「い、今言う?」
「じゃあいつ言うのは許されるんだよ」
そう言われると、言葉に詰まる。俺が逃げるように視線を足元に落とすと、匠が「凛」と俺を呼んだ。逃がしてくれない声音が、逃げようとする俺を追いかけてくる。
「好きだよ」
「わ、分かった」
「分かってねえよ、全然」
そう言いながら、二の腕を強く引き寄せられて、そのまま抱き締められた。平らな胸同士がぴったりと重なり合い、身体の中で暴れている心臓の音が伝わってしまいそうだと、汗が吹き出る。——けれど、その身体を押し返すようなことはしたくなくて。恥ずかしくて、矛盾していて、卑怯なのは承知の上だけれど、抱き締めてくれることが嬉しい。
あの時もらえなかった体温を、今受け取っているのだと思うと、嬉しくて堪らない。
俺は身体の横で垂れている両腕を、少しだけ持ち上げた。このまま彼を抱き締め返したら、少しくらいはこの気持ちが伝わるだろうか。
俺の気持ちが伝わったら、今の曖昧な関係からまた、恋人という形に収まることになったら、俺たちは今度、どうなるのだろう。
怖い。怖いけど——。
不意に予鈴が鳴り響いた。強制的に昼休みの終了を告げられて、はっと我に返ると、俺たちはどちらからともなくそっと離れた。
「ごめん、ちょっと荒ぶった」
「いや、うん……全然、大丈夫」
そう顔を上げると、少し頬を赤くしている匠と目が合った。俺たちはしばらく見つめ合ってから、
「教室戻るか」
という匠の手に引かれて、階段を降りる。人が見えると、繋いだ手も、どちらからともなく解いていた。名残惜しくて、最後まで触れていた指先がちりちりと痺れている気がする。
まだ胸の奥や顔や、身体全部が熱い。
「凜、顔赤い」
「匠のせいじゃん」
「俺のせいか」
「そうだよ」
教室へと流れ込む人波に紛れながら、俺は匠の背中を叩いた。叩いたはずなのに、匠はどこか嬉しそうに「そっか」と笑うから、今度はもう少し強く叩いてみる。
「痛えって」
「匠のせいだよ」
「え~?」
「なんかすっげえ腹立つ、そのえ~ってやつ」
「なんでだよ」
匠は俺の文句にも、なぜか嬉しそうに笑っているから、なんだか俺までつられておかしくなってきてしまった。
穏やかな空気が流れて、俺たちは予鈴なんて気にすることなく、教室までの道のりを、わざとゆっくり歩いて進んだ。



