ポストスプリクト・ラブ


 遅い昼のラーメンを食べた後、俺たちはショッピング街をうろつき、本屋さんやゲームセンターで、だらだらと取り止めのない時間を過ごした。何気ないことばかりで、特別な感覚はなかったけれど、その緩やかな日常が、とても愛おしく感じられた。

 今どんな服を好み、どんな漫画や小説を読むのか。歩く速度や、学校以外で見せる匠の表情や眼差しを見ているだけで、時間はあっという間に過ぎ去ってしまった。

 あの時に想像していたことが、今目の前で実現できたのだと思うだけで、胸が詰まる。本当に好きだったから——そして、今も好きだから。

 毎日の中に消えていく、「いつも」の匠が見られて嬉しい。ずっと、このまま二人でいられたらいいのにと、何度も感じた。

 しかし、ゆっくりと傾いていた日が沈み始めた頃、そろそろ解散しようかという空気が出てきた。

「明日も学校かぁ」
 匠は電車の窓の外を眺めながら、うんざり気味に呟くと、小さくため息を吐いた。俺はそれを隣で眺めながら、
「でも、四日行けば土日だよ」
 と彼を励ましてみる。匠はちらりと俺を見下ろしてくると、
「まあ、学校行けば凛に会えるけど」
 と、仕方なしと言う声音で呟いた。

 俺は学校に来る理由の一つになれているのかと思うと、何だかどう言葉を返していいのか分からず、笑って誤魔化した。

「でも、瀬尾と千葉が凛にべったりだしな……」
「そんなことないだろ」
「そんなことある。いっつも三人でさァ、凛は全然こっち見てくれない」
「そんなこと言ったら、安田だって匠に……」

 責められた気がして、思わず言葉を選ばずに言いかけてしまうと、俺は慌てて口を黙し、残りの言葉を飲み込んだ。しかし、それを見逃してくれるような優しさは、匠にないようで。
「安田が、何?」
 と、どこか嬉しそうに言葉を促してくる。

「別に」
「……安田にもうくっつくなって言っとくな」
「何でだよ、俺何も言ってないって!」

 何だか、言葉にすればするほど、ドツボにハマっていく気がする。そして、言葉にすればするほど、匠の笑みが深くなっていくから悔しくて。

「……ほんとかわいい」

 そう言いながら、長い人差し指の背で、頬を擽るように撫でられた。まるで子猫を愛撫するみたいな、優しい眼差しで。俺はその瞳に、どきりと心臓の音を大きく鳴らした。身体の中心から、熱いものが外に向かって大きく波を広げていく。それは末端まで余すところなく身体を覆い、見ずとも自分の顔や耳が赤くなっているのだろうと、予想できた。

「……真っ赤」
「匠が恥ずかしいことするからだろ……っ」

 自分ばかりが意識させられているみたいで、突き放すように訴える。けれど、そんな言葉も今の匠には効かないようで、ただ嬉しそうな眼差しを向けられてしまった。

 本当に、ずるいやつ。

 俺は悔し紛れに匠を睨みつけるけれど、彼の大きな掌が、俺の髪を優しく撫でて、
「よしよーし」
 なんて、犬猫をあやすみたいに声をかけてくる。
「揶揄うな、ばか!」

 俺は静かに笑っている、匠の手をぺちりと叩き落とした。

「凛は昔から素直だよな」
「匠は前より性格が悪くなったよな」

 そんな言い合いをしていると、車内アナウンスで地元駅の名前が流れた。

「なあ、家まで送らせて」
 予想外のお願いをされて、なんで? と、俺は首を傾げた。

「え、まだ明るいし、俺男だよ?」
「そんなの分かってる。そうじゃねえよ」

 匠は少しムッとしながら、少し屈んで俺の耳元まで唇を寄せてきた。
 電車内は混雑していないから、こんなに寄り添っていたら、周りから変に見えてしまうかもしれない——そんなことが頭を過ったけれど、俺は少しも動けなかった。

「もう少し、一緒にいたい」

 俺だけが聞こえるような声音で、そっと告げられる。匠の声音が温かく、鼓膜の奥まで浸透してきた。彼はすぐに体を離すと、電車のドアに寄りかかりながら、
「いいだろ?」
 と首を傾げる。

 そんな気障ったらしい態度をとる匠の頬は、態度に似合わず赤くて、眉も少し下がっていて。まるで、俺の意思を押し退けるよりも、懇願するような眼差しで。

「いいよな?」

 ——いいって、言って。

 窓から差し込む夕暮れのせいなのか、それとも俺と同じ理由からなのかは分からない。でも、その熱った頬の理由を、夕日のせいじゃないと思いたい自分がいる。

「……やっぱ匠って恥ずかしい」
「なんでだよ……っ」

 電車が滑らかにホームに入ると、俺は匠からの申し出を断れないまま、同じ方向に向かって歩き出す。足元のコンクリートはほんのりと橙色に照らされ、影は細長く黒く地面に生えた。
大きくも小さくもない駅前から住宅街へと、ゆっくりと取り止めのない話をしながら歩く。やっぱり、お互いの胸の奥に隠れている部分には触れないまま。

 匠は俺のことを、本当に「親友」と思っているのだろうか。家まで送ってくれる理由は? 瀬尾や千葉の約束を反故させたその理由は?

 聞きたいことが山のように溢れてくるけれど、それは何一つ、言葉になってくれない。
 ——臆病なのは、俺だ。
 俺だけが中学二年生の気持ちのまま、一人で置いて行かれている。いっそのこと、気持ちを告げて玉砕して、心を入れ替えられたら。

 そんな投げやりな気持ちになりながらも、言葉は一つも溢れてこなかった。
 なんで俺だけ、こんな気持ち抱えたまま、ここまで来てしまったのだろう。
 後悔ではない、けれど、捨てきれない気持ちを惜しむ、苦いものが、胸の中に広がった。一緒にいるのに、背後にはぴったりと寂しい気持ちが張り付いていて、心から匠の隣にいることを、喜べない。

 心から一緒にいたいと思っているのに、一緒にいればいるほど、辛い。

「そういえば、交換したタオル返すの忘れてた」
 一人でぐるぐる考えていると、匠が思い出したように呟く。

「あ、俺もだ。明日でいい?」
 頷く匠の背後で、二羽の鴉が戯れ合うように、橙色と藍色の混じり合う空を、飛んでいるのが見えた。

「ここら辺全然変わってないな」
「一年半じゃ変わらないよ」

 辺りを見渡す匠に笑って答えると、もう家まで数十メートルの距離だと言うことに気付く。それと同時に、もう少し一緒にいたい、と言ってくれた匠の気持ちに同調する自分も見つけてしまった。

 まだ少し、一緒にいたい。どこかで電車一本乗り過ごせたら良かったのに。

 そんなことを考えている間に、すでに見慣れた玄関先が目の前にあり、ドアの横に付いている凹凸のある磨りガラスから、灯りが漏れていた。ゆっくりと足を止めると、匠は俺の家を見上げながら、
「久しぶりだ」
 と呟いた。

「よく来てたよね、小学生の頃」
「うん、懐かしい」
「……あ、寄ってく?」

 なんとなく誘ってみると、匠はあっさりと首を横に振った。

「いや、流石にもう夕飯時だし」
 そう遠慮を見せるので、それもそうだと納得しつつ、何だか残念な気持ちが拭えない。
「わかった。じゃあ、また学校で」
 俺がそう声をかけると、匠は何かを言いた気に頷いた。

 俺は名残惜しくてその様子を少し見てから、家の玄関前の門に手をかける。

 すると、
「やっぱ待って」
 突然手を引かれた。身体の重心が揺らいで、条件反射のように振り返る。

「凛、好きだ」

 匠は躊躇いもなくそう言い切った。

 あまりにも唐突な告白に、俺は何も言えず、ただ放心しながら匠を見つめてしまう。けれど、彼は俺とは反対に、まるで今まで堰き止めていた何かを放出するみたいに、言葉を連ね始める。まるで我慢してきたことを、一気に吐き出すみたいに。

「本当はずっと凛のことが忘れられてない」
「でも、俺のこと親友だって……」

 俺は体育祭などでの苦しい気持ちを吐露した。匠はそんな俺に「違う」と首を振った。

「凛は確かに俺の親友だ。それはずっと変わらないけど、でも好きな人だよ。一番大事で、一番好きな人」
 絞り出すように、明言してくれるその言葉たちを受け取るだけで、俺は何もできないまま匠を見つめた。

「今の高校に凛が来てくれら、……今度こそもう一度って思ってた。俺は全然凛のこと諦められてない」
 はっきりとそう言い切る匠の強い眼差しに、俺はたじろぎながら、言葉を探す。

「これからまた凛にもう一度好きになってもらえるように……また俺のこと、彼氏にしたいって思ってもらえるように、本気で落としにいくから」

 匠はそう宣言すると、俺が言葉を放つよりも先に「じゃあ」と俺の手を離した。

「ちょ、ちょっと待って」
「明日学校で!」

 匠は言うが早いとばかりに、素早い足取りで来た道を戻って行ってしまう。待って、と次に声をかけようとする頃には、声が届かないような位置まで離れてしまった。

 残された俺は、無遠慮に放たれた言葉を何度も頭の中で繰り返す。そしてゆっくりと噛み砕いき、その一つひとつを、自分の中に染み込ませた。

 ——本気で落としにいくから。

 頭の奥がかあっと一気に熱を持つ。

 俺は崩れるようにその場にしゃがみ込むと、額を膝にくっつけながら、どくどくとうるさい心臓に耳を塞がれた。

 好きだ。
 ずっと凛のことが忘れられてない。

 聞いたばかりの言葉たちが、匠の必死な眼差しと共に、頭の中で壊れたテレビみたいにループする。

 匠が俺のことを、今でも好き?
 もう一度、付き合いたいと思っている?

 はっきりと伝えられた言葉を自覚すると、何も考えられなくなってしまい、俺は頭を振るってから、立ち上がると、大きく深呼吸した。

 混乱していた頭が少しずつ冷静さを取り戻してくると、喜びよりも恥ずかしさに、頭を抱えた。先ほどまでの不安が嘘のように吹き飛んで、戸惑いが心を震わせる。

 俺は明日どんな顔をして匠に会えばいいのかと考えながら、頬が冷めるのを、誰もいない住宅街の道で一人待つ。

 夕暮れはあっという間に深くなり、辺りの街灯がちらちらと点り始めていた。俺はゆっくりと玄関先の門を開いて、一度だけ匠の消えて行った方へと視線を投げる。

 そこには匠も車も、人の気配もなく、いつも通りの静かな一本通行の道路が続いていた。