ポストスプリクト・ラブ



『明日、十二時に駅前で』

 大事な用事があると言う割に、そっけないメッセージを受け取ったのは打ち上げも終わって、帰宅してからだった。
 それでも沸々と湧き上がる嬉しい気持ちを無視できないまま、俺は自分が持っている服の中で一番新しいものを引っ張り出した。着る服、持っていく鞄、アクセサリーは持ってないからつけないとしても、隣にいて恥ずかしくない格好をしたい。

 匠はどう思っているかわからないけれど、俺にとってこれは、あの時果たせなかったデートのリベンジと言っても過言ではないのだから。

 そんな気持ちで何度も鏡の前で、変なところはないかと確認してから、できるだけ早く起きて、髪型のセットもしようとベッドに入った。

 体育祭で疲れていたということもあり、ベッドに入った瞬間寝落ちて、朝の五時なんていう、普段見ない時間を確認することになった。しかし、後悔はない。

 二度寝防止のために、そのまま起きて朝から丁寧な朝食をいただき、家を予定より三十分も前に出てしまった。
 家にいても、やることがなかった。
 正確に言えば、やることは作ろうと思えば作れたけれど、何をしていても、手が付かない気がした。今日は何をするのだろうとか、何かを言われるのかなど、言葉数少ない匠の言動や行動の先が見えなくて、不安ばかりが募って、何も手がつかない。

 家から駅までは、どんなにゆっくり歩いたとしても十五分しか掛からない。俺はその道のりを、亀よりも遅い足取りで進んだ。

 夏の陽気を纏った六月の晴れ間。まだ梅雨明け宣言はまだないけれど、今日の最高気温は二十七度まで達するようだ。

 だから今日は、薄いシャツとTシャツを合わせた、楽で涼しい格好を意識した——が、それでも暑い。じりじりと照りつけてくる太陽を睨みつけて、俺はそれでも歩く速度は変えずに、のろのろと駅に向かった。

 約束の二十分前。流石に早過ぎだろうと自覚しながら、駅前を見渡す。それなりに人はいるけれど、平日の昼間ということもあってか、俺のような若い人よりも、お年寄りや大人の姿が目立っていた。

 俺は時間を潰そうと、ちょうど駅の隣にあるファストフード店へと足を踏み入れる。しかし、昼時近いということもあり、店内はひどく混雑していた。ひっきりなしに注文が飛び交い、客に渡された呼び出し番号が、天井から吊るされたモニターに列を作って表示されている。

 これは、注文して商品を受け取るだけで、食べる時間はなさそうだ。
 俺は迷いながらも結局諦めて、踵を返した。

「凛?」

 ふと背後から声をかけられて振り返ると、そこには少し驚いたような顔をした匠が立っていた。
 いつもの制服姿とは全く違う、ラフな大きめなTシャツに緩いブラックデニム。いつも空白の右手首には、シルバーのアクセサリーが品良く添えられていた。前髪も、今日はセンターパートに分けられていて、整った顔立ちが顕になっている。

 言葉に詰まってしまうほどかっこよくて、俺は無意識にじろじろと匠を見てしまったかもしれない。

「……凛? 俺なんか付いてる?」
「え、あ、いや。てか、なんでここに……?」
 はっとして話を戻すように聞くと、
「いや、凛も早過ぎじゃね?」
 と、逆に指摘されてしまった。俺はそれになんと言い返せばいいのかと、言葉を濁しながら頭をフル回転させる。

「あ、えっと……昼、どうするか分かんなかったから、早く来てちょっと食べよっかなって」

 我ながら素晴らしい言い訳であると、褒めたくなったが、そんな俺の誇らしい気持ちとは裏腹に、匠の表情は少し拗ねたように曇っていくのが見えた。

 何か、まずかっただろうか。

「匠はどうしたの? 早くない?」
「凛を待たせたくないし、家にいてもなんとなく落ち着かないから……」

 口籠る言葉に、少しだけ緊張してしまう。俺を気遣い、二十分も早く来てくれたと言われたら、その優しさに対して、否が応でも反応してしまう。

「あ、えっと……ありがと」
 なんとか絞り出すように礼を告げると、俺たちは二人でファストフード店を後にした。

「これからどうする?」

 真夏よりも幾分か爽やかな熱気を含んだ風が、通り過ぎる。俺が匠を見上げると、彼は移動しようと、なんの躊躇いもなく、俺の手を引いて歩き出した。

「ちょ、手……!」
「だめ?」
「……だめ」

 懇願するような眼差しを向けられて、一瞬臆するけれど、俺はなんとか理性を総動員させて、首を横に振った。

 別に付き合ってるわけじゃないし、匠にとって俺は「親友」という位置なのであれば、男同士で手を繋ぐのはおかしい。——たとえ付き合っていたとしても、外で男同士手を繋ぐのは、流石に躊躇いはあるけれど。

 意外とすんなり離してくれた指先に、一抹の寂しさが胸を掠めた。自分から拒否しておいて、という話だけど。

「匠って、こんなにスキンシップ激しかったっけ?」
「別に誰でもってわけじゃない」
「そうなの?」
「凛だけに決まってんだろ」

 ……またそういうこと言う。

 俺はいっそ憎しみくらいのものを感じながら、彼を見上げた。しかし、匠はそんな俺の内心などには一ミリも気づいていないようで、真剣な眼差しを向けてくる。

 その目に見つめられると、責めたい気持ちも萎えてくるから不思議だ。俺は浅く息を吐くと、もういいや、という気持ちで、
「今日はどこに行くの?」
 と話を逸らした。

「まずは映画」
「映画?」

 予想外の提案をされて、思わずきょとりと彼を見つめてしまう。匠は「いいから」と俺の背中を軽く押すと、駅へと歩き出した。

 何を観るのか聞けば、俺が公開前から気になっていた映画の題名を、あっさりと告げられる。ついでに、
「凛が好きそう」
 という、にくい言葉まで。

 俺はそれを否定することはできず、かと言って頷くには悔しくて、まあ、と言葉を濁した。それでも匠は、俺が観たかったと思っていることが分かったのか、だよな? と笑う。俺はそれを横で眺めながら、やっぱり悔しいなあ、とか好きだなあとか、思ってしまっていた。



 映画は面白かった。内容は殺人ミステリで、有名作家の小説が実写化されたものだった。
 登場人物がイメージ通りの配役で、尚且つストーリーが小説に忠実なところがすごく良い。小説から入った身としては、変に脚色されていたり、不要な設定やシーンを盛り込まれると、そこで萎えてしまうが、この映画に関しては、一切その気配はなかった。

 満足した気持ちで、最後のポップコーンを食べ終えると、匠と映画館を後にして駅前のカフェに入った。

 地元の駅前とは違い、映画館のある大きな駅前にはひっきりなしに車が通り、駅と併設するショッピングモールには、選び切れないほどのカフェが並んでいた。普段の夕方時刻であれば、学校を終えた学生などで混み合っているものだが、今日はまだその時間になってない。

 俺たちは駅前を見渡せるカフェに入り、窓側の二人席に通された。俺がアイスティー、匠はカフェラテをそれぞれ頼む。

「結構面白かったな」
「うん、映像化するとやっぱ同じ内容でも見え方が違うから面白かった!」
「凛、あの作家好きだもんな。俺も観る前に一応読んできたんだ」
「そうだったんだ! 本もいいだろ?」
「止まらなくなる系だった」
「俺も! 一気に読んじゃったよ」

 同じ作家を読んでいたとなれば、何だか気持ちが高揚してきて、思わずその作家について、一人でぺらぺらと喋り続けていた。はっと気づいた時には、自分があまりにも饒舌に喋り続けていたので、思わず恥ずかしくなってしまった。

「ご、ごめん、俺ばっか」
「いや、好きなんだなあって分かるし、凛の言うことめちゃくちゃ共感できるから、楽しいよ」

 匠の優しさに救われながら、アイスティーを一口喉に流し込む。甘みのない香ばしい香りが、するすると喉を滑り落ちていった。

「凛が楽しそうに、話してる姿見るの好きだよ」
 ——俺に向かって話してくれている時も、教室で別の誰かと話している時も。

 突然そんな告白をされて、返事に迷ってしまうと、匠はその空気を察したのか、
「まぁ、見過ぎだよな」
 と笑って誤魔化した。

 気にかけてくれて嬉しい気持ちは、もちろんある。けれど、それと同じくらい、その甘い言葉に警戒している自分もいた。

 彼が正直な話をしてくれているのはわかるけれど、その意図の俺の受け取り方は、匠と一緒ではないかもしれない。

 そう思うと、素直に「ありがとう」とか「嬉しい」なんて、言えなかった。

「……穴あく」
「それはごめん」

 何とか冗談を言えば、匠が笑ってくれて、一瞬濁ってしまった空気を、柔らかいものに戻してくれた。俺はそれにほっとしながら、アイスティーを半分ほど飲み干す。

 俺たちはそれからしばらく、当たり障りのない、俺たち以外のことを話した。ゲーム友だちの話、運動会のこと、自分たち以外のクラスメイトのこと、テレビのこと……話題が尽きると言うことはなかったけれど、本当にこんな話がしたいのかと言われれば、頷きはできない。

 ただ上部だけを丁寧になぞるような会話は、どこかもどかしかった。でもその理由はわかっている。
 お互いにきちんと触れたい場所があるのに、わざとそれを避けているからだ。

 そういえば、大事な話があると言っていたけれど、何のことだろうと、頭をよぎる。けれど、その問いは、声にならずゆっくりと胸の奥に沈んでいった。

「なんか、お腹空いちゃったかも」
 話題がふっと途切れたところで、そう呟くと、
「ポップコーンだけじゃ膨れねえもんな。飯食い行こっか」
 匠がさらりと提案してくれた。俺は残り少なくなっていたアイスティーを飲み干してしまうと、俺たちは店内を後にした。

 店を出る時、不意に匠の左手が偶然俺の右手にぶつかって、反射的に手を引っ込めてしまう。少し自信過剰な反応だったかと、匠を見上げれば、ごめん、と彼も手を引っ込めていた。
 一瞬だけ触れ合った体温に、堰き止めていた思いが胸の内側で溢れる。高い防波堤を突き破って、波のように押し寄せてきた。

 ——本当は、俺も繋ぎたい。

 周りの目なんて気にせず、匠ともう一度両思いだと心底感じられて、迷いなんて一ミリも存在しないまま、その手を握って離したくない。不安や迷いなんてかなぐり捨てて、怖いものなんてないと豪語して、自分からその手を取ってしまいたい。

「……ううん、大丈夫。行こっか」

 でも、臆病な俺にはできない。

 情けないのは分かっている。でも、もう一歩が踏み出せない。ゆっくりと好きな人を喪失していくあの感覚を、二度と味わいたくない。
 少しずつ、波が砂浜を削るように、相手に忘れられていくような、あの寂しさを。
 そんな思いをするなら、この微妙な距離感を「親友」と呼んで、匠のそばを離れたくない。

「ラーメンでも行こっか」

 匠は振り返ったけれど、手を伸ばしてはくれなかった。それは当たり前のことだし、それは俺が望んでいたのだけれど、何だか、たまらなく寂しい気がして。身勝手にも、易々と傷ついてしまっている自分がいて。俺は頷きながら眩しい午後の光に目を細めて、匠の隣に並んだ。