ポストスプリクト・ラブ


 体育祭の結果、青組は五組中全学年二位という結果に収まった。青春としては上々で、なかなかの盛り上がりだったと思う。

 俺を除いては。

「高岡、打ち上げ行くよな?」

 駅前の定食屋を二時間貸切っての、打ち上げがあるということは前もって知らされていた。その際出欠も確認もされているので、行く気がなくても行かないという選択肢はもうない。

 体調悪いと嘘を吐いて、会費だけを支払って帰ろうかとも考えたけれど、そうなれば千葉や瀬尾に無駄な心配をかけてしまうし、何より匠が「どうしてだ」と詰めてきそうなのが怖かった。

「行くけど、疲れたから早めに帰る予定」
「そうなん? 大丈夫か?」
「うん、大丈夫。暑かったし、ちょっとバテた? のかもしんない」

 気持ちを誤魔化しながら苦笑いを浮かべると、二人は眉を寄せて「無理すんなよ」と言ってくれた。
 申し訳ない気持ちで制服に着替え終えると、俺はクラスTシャツとハチマキを丁寧に畳んで、鞄にしまった。
 ふと、匠がハチマキ交換しようと言ってくれた数時間前を思い出し、一瞬迷ってから、聞かなかったことにして、カバンのチャックを締めた。

「高岡、現地集合だって。行こうぜ」

 すでにホームルームを終えた教室内は、人も疎になりつつある。匠たちももういない。俺は瀬尾たちに誘われるまま教室を出ると、まだ約束の時間まで余裕があるので、ゆっくり指定された定食屋に向かうことにした。





「じゃあ、みんな今日はお疲れ様!」

 乾杯の合図は、体育祭実行委員の女子だった。ソフトドリンクを片手に、合図と同時に乾杯を交わして、グラスをぶつけ合うと、俺たちは目の前に用意された惣菜をそれぞれつまんだ。

 唐揚げや焼きそば、ウインナー、焼肉などの安っぽいメニューではあるものの、疲労困憊の身体に油物や小麦は有難い。

 一口食べれば、次から次へと口に運びたくなるくらいに、身体は切実にカロリーを求めていた。唐揚げを口いっぱい頬張り、ぷりんと弾力ある鶏肉を噛めば、甘い脂が滲み出て、ちょうどいいニンニクと焦がし醤油の香りが鼻腔の奥に香る。食べれば食べるほどに、食欲が増していく気がした。

「うま~……」
 しみじみ呟くと、瀬尾がこっちもうまい、と焼き餃子を勧めてきたので、遠慮なく口に運ぶ。中身のぎゅうぎゅうに詰まった餃子は、味付け濃いめで、そのままでも美味しい。キャベツが多めなのか、歯切れも良い。
「あー……ラーメン三杯くらい食ってくりゃよかった」
 大食いの千葉が、中途半端に腹が減りそうだとぼやきながら、美味しそうに、野菜炒めを頬張った。俺はそんな彼に苦笑いをしてから、辺りを見渡す。

 座敷二間の仕切り襖を取った大部屋には、大きな足の低いテーブルが並び、クラス全員ではないが、二十名以上がひしめき合うように座り、それぞれの会話を楽しんでいる。

 一軍はもちろん、普段大人しい部類の女子たちも、明るくこの場を楽しんでいた。匠は対角線上にあるテーブルの端で、一軍に囲まれながら食事をしていた。男子高校生らしく、茶色い揚げ物が、皿を占領している。

 俺は箸と皿を置くと、まだ多く残っているメロンソーダを一口喉に流した。

 借り物競走から話してないな、と思いながら自分の気持ちとは向き合わないように、目を伏せる。

 親友という言葉に、俺を選んでくれた匠に、何だか申し訳ない気がして、直視できない。
 俺ばかりが、過去ばかりを意識して、そういう目で匠を見ていたのかもしれないと思うと、純粋な彼に申し訳ないし、恥ずかしかった。

「なあ、明日の月曜今日の振替で休みになるじゃん。どっか行く?」
 千葉が思いつきのように、提案する。それに俺よりも早く反応したのは、瀬尾だった。

「俺は別にいいけど、高岡どう?」
 話を振られて、明日の予定は考えてみるが、特に思い当たることはない。
「うん、俺も特になんも予定はないな」

 そう頷いて答えると、
「ちょっと待って」
 なんの前触れもなく、頭上から声が落ちてきた。三人でその声の主へと顔を上げると、そこにはさっきまで対角線上にいたはずの匠がいた。

「おお、御子柴。どしたん?」
 千葉は軽い調子で首を傾げた。匠はそんな千葉に「ごめん」と一言謝罪を入れると、俺の隣にしゃがみ込んだ。

「凛、月曜俺と二人で出かけない?」
「え……」

 突然の誘いに、戸惑ってしまう。

 どう考えても今ここで匠と遊びに行くっていうのは、違う気がする。先に声をかけてくれたのは千葉だし——それに、今二人で遊びに行くような気持ちにもなれない。誘われること自体は嬉しいけど、行ってしまったら、また勝手に期待して、自分の傷を深く抉ってしまう気がした。
俺が頭の中で言葉をまとめきれず、返事をためらっていると、匠の視線は俺ではなく千葉へと移った。

「千葉、ごめん。ちょっと二人で用事あるから、凛のこと譲って」

 俺は千葉の素直さに期待をしながら、彼の言葉を待った。彼ならきっと「俺が先に誘ったし」と言ってくれるに違いない、そう期待して。

「まあ、二人で用事あるならいいよ。じゃあ高岡はリスケな」

 ——ここは引くのかよ、千葉!

 期待をあっさりと裏切られると、ツッコミせずにはいられず、内心で千葉の言葉を恨みながら、
「りん」
 と呼ばれて、恐る恐る匠へと視線を向ける。

「さっき予定ないって言ってたよな?」

 ——しまった、そこも聞かれていたのか。

 俺は曖昧に頷きながら、匠からの誘いはもう殆ど断るという術がないのだと痛感した。
 しかし、素直に今すぐ頷くのも気が引ける。

「ごめん、俺に何か用事あるの?」

 行きたくない、できれば。
 その気持ちが、薄らと透けてしまいそうな言葉かもしれない。でも、言わずにはいられず口にすると、匠はじっと俺を見つめてから、
「あるよ、大事な用事」
 と言い切った。

「行ってやれば?」

 瀬尾が予想外の後押しをしてくる。俺はちらりと瀬尾を見るけれど、彼はこの状況から俺を救い出してくれる気はないらしい。そんな目をしてる。

「高岡、意地悪しないで行ってやれば?」
 千葉まで賛同してくるので、いよいよ断る術が手の内からなくなってしまった。

「……わかった。明日な」
「ありがと」

 匠はほっとしように小さく息を吐き出すと、ああそれと、と制服のズボンのポケットから青いハチマキを取り出す。

「交換」
「え、本当にするつもりだったの?」
「そうだけど?」

 当たり前だろ、というような声音で言われて、俺は渋々カバンからハチマキを取り出した。できれば汗が滲んでるから渡したくないけれど——匠のハチマキはちょっと欲しいというのもある。それに交換するっていうのも、青春限定の特別感があって、いい思い出になりそうだ。

「高岡ずるい~!」

 遠巻きに俺たちのやりとりを見ていた女子が、騒ぎ出す。俺はその反応にどう返したらいいのかわからないまま、固まっていると、
「凛は親友だから」
 と匠が言い切った。

 その自信に満ちた言葉が、遠慮なく俺の心に浅い切り傷をつけることを、匠は知らない。知らないのだから、仕方ない。俺が勝手に傷ついているだけだ。

「普通女子と交換でしょ!」
「そういうもんなの? でももう約束してたし無理」

 さらりと返すと、匠は俺の手からハチマキを取り、自分のものを代わりに握らせる。

「念の為、洗って」
「俺のもね」

 ——俺、今ちゃんと普通にできてるかな。

 誰に問いかけるわけでもなく、心の内側で静かに呟く。

 匠は目的を果たすと、すぐに立ち上がり、自分の元いた席へと戻って行ってしまった。俺はそれを見送ってから、また箸を手に取り、今度はサラダのトマトを頬張った。

「……高岡、俺余計なことした?」
 不意に瀬尾がこちらを覗き込むので、俺は慌てて顔を上げると、首を横に振った。
「全然! 逆に気ィ使わせて悪かったな」

 笑って答えると、瀬尾は「そうか?」とまだ完全に納得するような顔ではないものの、頷いてくれた。千葉はそんな俺たちの会話を、どう思ったのか。
「抜け出して、ラーメンでも食いにいく?」
 と提案してくる。

「お前、本当に自由人過ぎんだろ」

 瀬尾はそんな千葉にツッコミを入れつつ、軽く彼の頭を叩いた。俺はそんな二人に、ふっと腹の力を抜かれるような気になり、少しだけ笑った。