唯一校舎内に逃げ込める昼食を終えると、また衰えることを知らない太陽の元へと放り出された。
午後に二つの競技をこなさなくてはならないので、軽く昼食を摂り、胃が重くならないようにと気をつけたものの、暑さで即バテてしまいそうだ。俺は全て溶けてしまったミネラルウォーターを飲みながら、全体競技の綱引きへと早々に駆り出される。
一年から三年までの青組の男子に混ざり、太い綱を全力で引っ張り合う。踏ん張る足がざりざりと砂を噛むような音を立てながら、引き摺られる。腹に力を入れても、引きずられ、総当たり戦だった綱引きは、青組四位という形で幕を閉じた。
「いや、綱引きとか何年振り?」
「わからん。小学生振りかも」
そんなことを喋りながら、自席に戻るが、すぐにまた学年別のリレーに呼ばれてしまった。
「ああ~、苦手~」
泣き言を呟きながらトラックに入ると、すぐに待機列へと連れていかれ、あっという間にスタートの音が高らかに、青い空に一発放たれる。
自席からではない声援に、緊張が高まり、胸の奥が詰まるような緊張に、手のひらに汗が浮かんでくる。
あっという間に順番が回ってくると、トラックに放り出され、緊張がピークに達する。せめて抜かされないようにしなければ。
そんな強い使命のようなものを胸に、見えてきた走者の前に移動して、ゆっくりと足を前に出す。
緩く走りながらバトンを受け取り、匠みたいにはならない速度で走った。たったの半周だ、そう自身に言い聞かせながら、背後に感じる誰かの気配を無視して、一心不乱に足を動かす。半周の半分でもう息が上がり、心臓が限界を訴え始める。
改めて俺よりもずっと速い速度で、このトラックを丸っと二周した匠に拍手を送りたい。絶対俺には無理だ。
なんとかバトンを次に引き継いで、トラックから待機列へと逃げると、思った以上に息切れしてしまっている自分が少しだけ情けなくて、恥ずかしかった。
リレーを終えて席に戻ると、瀬尾と千葉に「お疲れ~」と労われながら、席に腰を下ろす。走ったせいもあり、先ほどよりも汗が肌を濡らしていた。俺はそれをさっと拭うと、水分を補給してようやくほっと息を吐く。
「もう帰りたい……」
思わず本音を零すと二人は頷いてくれた。
そうこうしている内に、応援合戦というものが始まり、ドンドンっと太鼓の音やそれに負けない張りのある声やBGMに流行りの明るい音楽が青い空に響く。どうやら盛り上がりどころでもあるらしく、誰もが声を張っていた。もちろん、俺は拍手のみに参加させてもらい、日陰らしくひっそりと一回の全体練習で覚えた掛け声を小声で呟く。
叫ぶような体力は、もう俺には残されていない。
それから部活対抗リレーや大縄跳び、見せ場の一つでもある騎馬戦が終わると、種目も終盤に差し掛かってきていた。
「次借り物競走だって」
瀬尾の言葉に、千葉がなあなあと、また純粋な疑問を放つ。
「好きな人って書かれてたらどうすんだろ」
「そりゃ、正直に手を引っ張れたら盛り上がるけど、だいぶ賭けだろ。安定に友達じゃね?」
「なんだ、おもろくねえな」
「素直に連れてきて、告白して「ゴメンナサイ」だったら過酷じゃない?」
千葉は「そらそうだ」と納得してグラウンドを眺める。
俺も顔を上げてグラウンドに視線を投げると、すぐに目の端に匠の姿が映った。この競技にも出るのか、と感心しながら、その一人だけ頭身バランスが以上に良い彼の立ち姿を眺める。
確実にこの一日で匠を好きになった人は増えただろうな、なんて思う。しかも、一年だけじゃない。他の学年の人にも目をつけられたに違いない。
そう思うと、なんだかまた胸の内側が曇る。もやもやとすっきりしない心地に、俺は軽く頭を振った。
「御子柴、何書かれるかな~」
「無難なもんだとおもろくねえよな~」
他人事だからだろう。呑気な二人を横に、俺は走り出した人たちを眺める。半周して来た走者は紙を拾い上げると、口々に必要としているものを叫び始めた。
「誰か、定規持ってるやつ~!」
意外と難易度高いな、なんて思っていると、
「一年で緑のタオル持ってるやついねえ?」
そんな声が聞こえてきた。
「あ、持ってる」
そう呟いたのは千葉だった。千葉はすぐに持ってまーすと前に出ると、先輩だろう人にタオルをあっさりと渡した。
「……ああいうのをさらっとできる千葉っていいよな」
俺なら絶対少し躊躇う。汗拭いちゃったし、誰か他がいるかもしれないし、なんて思って。
「あいつ思ったこともすぐ口にするし、物怖じしないからな。ある意味強えかも」
瀬尾と二人で千葉が戻ってくるのを迎えると、よくやったと彼を褒め称えた。
借り物競走も順当に進んでいく中、無理難題もあれば、意外と簡単な借り物もあるが、今のところ「好きな人」というお題はないらしい。
「あ、匠の番だ!」
不意に聞こえた名前に、自然と視線がトラックに向かう。そこにはちょうど走り出したばかりの匠がいた。
彼は最初にお題の書かれた紙のところまで来ると、一つを拾い上げて、中身を確認する。一瞬だけ困ったように顔を歪ませると、彼は顔を上げて、真っ直ぐと俺を見た。
「何書かれてたんだよ」
こちらに駆け寄ってくる匠に投げかけられる言葉を、彼は無視して、俺のところまで真っ直ぐと進んで来る。
「一緒に来て」
そう言いながら、手を握られて強制的に連れ出された。驚いている内にトラックへと引っ張り出され、彼は俺の速さに合わせて、走ってくれる。
なんて書いてあるんだろう。
そればかりが気になってしまう。
——好きな人、なわけないよな。
先ほどの千葉の単語に、心が引きずられている。俺は走っているせいで、心臓が苦しいのか、それともそんな女々しい想像に囚われていることが恥ずかしくて苦しいのか分からなくなる。
顔が熱くて、頭を掻きむしりたくなるくらい恥ずかしい。
なんとかそんな気持ちを抱えながら走り切り、一番でゴールをすると、確認のためにと待ち構えていた実行委員の一人に、匠が紙を差し出す。
開いたそれを一緒に覗き込めば、その紙には——親友——と書かれていた。
その二文字に、なんとなく胸の奥に違和感を覚える。その違和感はじわじわと深みを増し、自分が何を期待していたのか、そして期待と現実のギャップの溝に、深く落胆しているという事実を突きつけてくる。
好きな人じゃない、親友、だ。
先ほどとは違う意味で、恥ずかしさが全身を覆った。
「ありがと、凛。走ってくれて」
手が離れると、匠が照れくさそうに笑っていた。
——匠は、やっぱり俺と小学生の頃みたいな、親友に戻りたかったのかな。
その可能性を前にすると、目の前がぐらぐらと、陽炎のように揺めき始める気がした。
恋愛じゃなくて、友情。
俺の中で何かが音を立てながら、崩れていく。そして、その内側から容赦なく花開くのは、俺が未だに好きだという、紛れのない事実だった。
それは鮮やかに、けれど諦めにも近い自覚だった。
本当はずっと見ないようにと、再会した日から意識してきたことが、あっけなく目の前で崩れ去っていく。
親友なんかに戻れない。
恋人なんか、もっと戻れるわけがない。
分かっていたから、目を逸らして分からないふりをしていた。気持ちが風化して、もう思い出としてしか語れなくなるまで、見ないつもりでいたのに。
「全然大丈夫。選んでくれて、ありがと」
俺はちゃんと笑えてる? ——親友として。
内心すうっと冷えていく感覚を味わいながら、俺は喉の奥に響く痛みを飲み込むように、唾を嚥下した。
——俺はやっぱり、匠の親友になりたいんじゃない。俺は匠の恋人になりたいんだ。
悪意なく、純粋に笑む匠を前に、俺は自分の感情に落胆した。



