ポストスプリクト・ラブ


「新作頼まないの?」

 混雑した店内で、運よく窓際のカウンター席を確保した後、注文を取りに行った。てっきり新作のメロン味のドリンクを頼むものだとばかり思っていたから、戻ってきた匠の手にあるアイスコーヒーに少し驚いてしまった。確か、甘いものは割と好きだったはずなのだけど……なんて、昔のことまで引っ張り出して首を傾げると、匠はさらりと、
「気分じゃないから」
 と言い切った。

「はあ? 新作飲むって言ってたじゃん!」

 俺は手の中のメロン味のドリンクを見せつけて席に座ると、匠は「ごめん」と笑った。
 なんだかその笑顔を向けられると、責め切れずに、言いたい文句も喉奥に引っ込んでしまうから、ムカつく。

「ダイエットしてた時、甘いもの辞めてたんだけど、それがなんとなく続いてて、気づいたら苦手になってたんだ」

 匠は俺の隣のスツールに浅く腰掛けながら、そう言うとアイスコーヒーを一口飲んだ。

 俺はちょうど出たその話題に、そういえばと思い出す。

 なんとなく触れる機会もなく、聞いていいものなのかと躊躇っていたが、自分からダイエットという単語を出してくれるということは、その話に触れてもいいということだろうか。俺はメロン味のそれを一口喉に流してから、匠の整った横顔を見つめる。二重顎だった脂肪はすっきりと消滅し、まるでSNSのタイムラインを流れてくるアイドルみたいだ。

「本当に外見変わったよね、最初わからなかった」
「まぁ、二十五キロ痩せたからな~、体脂肪率もかなり落としたし……」
「二十五キロ!」

 思わず鸚鵡返しで匠を凝視すると、彼はへらりと、いつもの涼しい顔とは違う、気の抜けるような笑顔を見せてくれた。

「そー、二十五。頑張っただろ?」
「体調とか大丈夫だったの……?」
「俺は平気。今までが体重あり過ぎたって感じだから、逆に今は身軽な感じがしてる」

 一年半で二十五キロ痩せるというのは、無謀なことなのだろうか、どうなのか——というところは分からないけれど、けろりと放つ匠の言葉に、驚きがなかなか抜けない。俺がそんなふうに思考停止をしていると、匠はわずかに顔を近づけてきて、
「俺の顔とか身体とか、ちょっとは好み?」
 とボリュームを落とした声音で聞いてきた。

 間近で見つめてくる形の良い二重の双眸と目が合うと、否が応でも心臓が大きく反応してしまう。俺は思わず身を離して、カウンター越しの窓の外へと視線を投げた。

 学生が多い街ということもあり、学生服の集団が多く、駅前は活気がある。そして今日は雨もないということもあり、新緑の季節も相まって、街は輝かしく賑わっていた。

「変なこと聞くなよ……! それに別に、俺は男が好きってわけじゃないし……」
「そ? じゃあ、俺が特別だったんだ」

 ——特別だった。

 その過去形の言葉に、今が別れた未来なのだと強く思い知らされる。

 なんとなく薄い膜のようなものが、俺と匠の間にわずかな隔たりを作った気がした。俺は口を開けないまま、ホイップクリームの乗った、メロン味のそれを一口飲んでみる。

 細かな氷のしゃりしゃりとした歯触りに、爽やかな完熟メロンの香りと、ほのかな甘さが口に広がる。ホイップクリームも一緒に食べれば、甘さがじんわりと濃く舌に染みてきた。

「ひと口ちょーだい」

 横から言われて、俺は少し躊躇ってから、ストローを彼に向けた。匠がそれを咥えてしまう仕草に、また心臓が変な音を立てる。正しい位置に収まらず、転げ落ちてしまったような、そんな音だ。

「やっぱ甘いの欲しいんじゃん」
「ひと口で十分」

 そう言いながら、口直しするみたいにアイスコーヒーのストローを咥える。

「へへ、間接キス」
「そういうことを平気で言うなって……っ」

 たまらず背中を叩くと、匠は笑った。

「俺のも飲む?」

 ストローを向けられると、なんだか飲まなきゃいけない気がしてきて——もちろん、そんなことはないのだけれど——俺はひと口だけ苦いそれを吸い込んだ。間接キス、なんて匠が言うから、無駄に意識してしまうことが悔しい。

「凛、あの頃からマジでずっと可愛い」
「バカにしてる?」
「してねーよ、全然してない!」
「俺は可愛いより、かっこいいって言われたい派だから嬉しくない」
「可愛いのにな……」
「なんで残念そうなんだよ、自分ばっかりカッコ良くなりやがって……むかつくー」

 嫌味ではないことはわかってはいるけれど、同じ男として「可愛い」と言われるのもどうなのか。なんだか不公平な気がして、思わず眉根を寄せる。けれど、その不満な訴えさえ、匠は優しく笑みながら、満足そうに見つめてくるから、俺は諦めて小さく息を吐いた。

 匠の言葉に不満はあるが——絶対嫌だってわけじゃない、そんな自分自身に一番腹が立つ。

「俺に可愛いは禁止で」
「え、俺語彙力ないんなけど。じゃあなんて言えばいいんだよ」
「言わないでいい」
「言いたいのに?」
「女子に言って下さい。匠に言われたら喜ぶだろ」

 そう言ってやると、今度は匠の方が不満そうに形の良い眉を歪めた。薄くも厚くもない唇が歪み、整った顔の形なのに、今は可愛い女の子みたいに片頬を膨らませてくる。

 確かに同じ男子だし、俺よりも背は高いし、かっこいい部類なのに——なのに何故こんなにも、母性本能を擽るのか。俺は勝手に引き出されてしまった庇護欲みたいな気持ちに、目を閉じて首を振った。

「俺にそんなぶりっ子してもダメ」
「俺は凛に言いたい」
「人が嫌がることしない」
「……なんだかんだ満更でも~?」
「ない、わけあるか」

 突っ込んだところで軽い舌打ちが聞こえたので、俺は匠の後頭部を軽く叩いてやった。

 それすらも匠は楽しそうに笑ってくれるから、俺もつられるように笑ってしまった。昔みたいな軽いノリが戻ってきた気がして、嬉しくて楽しい。

 あの時はこんな楽しい日々が、ずっと続けばいいと思っていた。付き合うことで、もっと距離が縮まって、永遠みたいな長さで、二人でずっと一緒にいられるのだと信じて疑っていなかった。

 付き合うまでは。

「俺やっぱり、凛といるのが一番楽しいわ」

 ふと感慨深く呟かれて、わずかな静けさが降りてくる。
「俺も」と言いたかったけれど、今それに同意してしまったら、この先どうなってしまうのかわからなくて、怖くて、返事を躊躇ってしまった。

 もう過ちを犯したくない。何か大事なところに触れて、また距離ができてしまうのが怖い。
 匠の本当の気持ちがわからなくて、自分の気持ちも曖昧で分からないのに、今の気持ちだけで返事はできない。

「……ごめん、困らせた?」
「いや、全然? なんか懐かしいなって思っちゃっただけ!」

 俺はなんとか笑みを作ると、話を誤魔化してみた。けれど、うまく誤魔化せてないのはなんとなく、匠の表情から見て取れる。別れたとしても、長く離れていたとしても、機微な相手の反応は、ずっと培ってきた絆から、なんとなく読み取れてしまうから。

「確かに、懐かしいな。一年半くらいだもんな、離れて」
「うん。受験もあったからさ、余計に遠く感じる」

 匠の繋げてくれた会話に、俺は笑いながら乗っかった。

 俺たちは離れて大人になってしまった分だけ、答えたくないことから、上手く視線を伏せることができるようになった。濁った空気をかき混ぜて、薄くして、なかったことみたいにする術を、きちんと身につけてしまっている。

「そう言えば、ダイエットって食事と運動?」

 俺は話をはっきりと逸らすと、匠は俺を気遣ってか、話にすんなり乗っかってくれた。

「両方。間食断ちと食事の見直し、夜と朝のランニングと筋トレ」
「うわ~……ストイック」
「だろ~。その間に姉ちゃんに美容グッズ? とかそういうの教えてもらって、肌とか髪型とかも見てもらった」
「お姉ちゃん、絶対楽しそうだっただろ」
「お前がイケメンの原石だとは思わなかったって言われた」

 匠とは正反対に、明るく活発でお洒落だった、彼のお姉さんをなんとなく思い出す。数える程度しか顔を合わせていないので、はっきりとした輪郭までは思い出せないけれど、綺麗なひとだったと言うことは、なんとなく印象に残っていた。

「お姉さん、元気?」
「元気。俺らと同じ学校だよ。三年生にいる」
「そうなんだ! じゃあ匠もイケメンだし、お姉ちゃんも美人で有名なんだろうな」
「どうだかな? よくわかんね」

 匠は興味ないと言わんばかりに、ストローを齧って、窓の外に視線を向ける。その横顔に宿る静かな眼差しは、幼い頃から変わらず、何を考えているかわからないぼんやりとした、優しい光が宿っていた。

「匠、ゲームは続けてる?」
「うん、今も昔からのメンツでよく遊んでる」
「ああ、仲良いオンラインの子、何人かいるって言ってたよね」
 匠はスマホを取り出すと、ゲームを起動させてオンラインで組んでいるメンバーを何人か見せてくれた。
「このYURAってのが一番仲良い奴で趣味も合うから、よく遊ぶかも」

 そう言いながらオンラインでしかない繋がりを、大事そうに呟く。

「一度も会ったことないの?」
「ねえな。会う理由も俺らにないし。オンラインで話せればそれで満足だし、向こうだってそうなんじゃねえかな。俺らただのガチ勢だし」

 ただのガチ勢ってどう言う意味だろうと思いながらも、
「その人って同い年?」
 と詮索してしまう自分がいやだ。

「同い年の男」
「あ、そうなんだ」

 ——あからさまにほっとするなよ、と誰に言われるでもなく、さっさと自分で突っ込んで、俺は気まずさから外に視線を移す。無意味にストローをぐるぐると掻き回せば、薄い緑色は生クリームと混ざり合い、さらに薄い色合いに変化した。

「……仲良い、ゲーム仲間は男しかいねーよ?」
 不意に言い当てられて、俺は思わず匠を見つめた。

「え! あ、なん、で? 聞いてない、けど」
「聞きたそうだったけど……」

 俺はなんと答えていいのかわからなくなってしまい、ただ「違うよ」とだけ呟いた。そんなことないよ、違う、そう口ごもりながら伝えると、横からため息が聞こてくる。

 そろりと顔を上げると、匠は頬杖をつきながら、口元を隠し、ちらりと視線だけを俺に投げかけてきた。その仕草があまりにも大人びていて、思わず心臓が音を立てる。

 心臓辺りから熱いものが込み上げてきて、全身をあっという間に覆い尽くすと、自分の意思とは無関係に、波に飲み込まれるような感覚に襲われた。溺れるような、真綿でゆっくりと締め上げられるような感覚。

「凛、予防線張るならちゃんと張って、期待すんだろ」
「何をっ?」

 思わず声が大きくなってしまうと、周りの視線が一気にこちらに突き刺さってくる。俺ははっとして口元を押さえた。そんな俺を見て匠は、一瞬目を丸くした後、こちらの事などお構いなく、破顔して笑った。

「あーあ、やっぱ俺にとっては可愛いわ」
「だから、可愛いって言うなよ!」

 揶揄われていると思うと、さっきとは違う恥ずかしさが込み上げてきて、俺は笑う匠の背中を加減なく叩いた。
 匠は「いってえ」と言いながら、笑っていた。