校舎の裏手、誰もいない自転車置き場まで走り抜けたとき、私の足は震えていた。
担任を振り切った。その事実は、これまで積み上げてきた「優等生・理央」という鎧を、音を立てて粉砕するに十分な一撃だった。
灰色の空が、夕暮れのオレンジ色に染まり始めている。風が吹き抜け、湿った土の匂いがした。
私はしゃがみ込み、スマホを取り出した。画面には、Kから届いたばかりの通知が光っている。
『理央さん、逃げたんだね。それが、一番の絵だよ』
私はその言葉を読んだ瞬間、涙が溢れるのを止められなかった。それが恐怖からなのか、安堵からなのか、自分でもわからなかった。ただ、今まで息を潜めていた自分が、ようやく肺いっぱいに酸素を取り込めたような、そんな感覚だけが確かにあった。
私は立ち上がり、校門の方へは向かわず、あえて裏手の柵を乗り越えた。制服のスカートが引っかかり、嫌な音がしたが構わなかった。
目指すのは、街の喧騒から離れた場所にある古い図書館。そこには、誰からも干渉されずに一人で絵を描ける、私の聖域がある。
町並みが、見慣れた景色から徐々に遠ざかっていく。
信号待ちのたびに、すれ違う人々の顔を見る。会社員、主婦、部活帰りの学生。誰もがそれぞれの「正解」の中にいる。その中で、私は今、完全に浮遊していた。
社会の歯車から外れた、ただの十七歳の少女。
図書館のベンチに座り、私はスケッチブックを広げた。鉛筆が画用紙を削る音が、静寂に響く。
描いているのは、校舎を背景にした、翼を広げた鳥の姿。でも、その鳥には足枷がつけられている。いや、違う。よく見ると、足枷は鳥が自分で自分に繋いでいたものだった。
「……気づいてしまった」
呟きが風にさらわれる。
私を縛っていたのは、父でも、母でも、担任でもなかった。
私自身が、「こうあるべきだ」という正解を求めて、自分を縛り付けていただけなのだ。
そのとき、スマホが激しく震えた。
SNSの通知が止まらない。
私が投稿した「逃走の記憶」と題した一枚の絵に、爆発的な反響が寄せられていた。
『わかる』『私も逃げたい』『理央さんの絵に救われた』
画面を埋め尽くす言葉たち。それは、多くの十七歳が抱える、言葉にできない叫びの集積だった。
私はその光景を、ただじっと見つめた。
かつては欲しかった「誰かに認められる」という感覚。しかし今、私の心はどこまでも冷めていた。
彼らは私の絵を見て、自分の苦しみを癒やそうとしている。それは素晴らしいことかもしれない。でも、私は誰かの癒やしになるために描いているのではない。
『K、私はもう、誰かのために描くのはやめる』
私はそう打ち込み、送信した。
画面の向こうのKから、少しの沈黙の後、返信が返ってくる。
『正解だ。それが、君の本当の物語の始まりだよ』
夕日が沈み、街に影が伸びる。
私はベンチから立ち上がり、スケッチブックを抱きしめた。
今の私には、帰る場所も、進むべき未来も、まだ何もない。でも、これまでの私を定義していた「正解」は、もうどこにもない。
これからどうなるんだろう。
明日、学校に行けば、どんな冷たい視線が待っているだろうか。親は何と言うだろうか。
それでもいい。
私は、私だけの正解を探す旅に出る。
この透明な衝動を、どこまでも突き詰めるために。
街の明かりが灯り始める中、私は一歩を踏み出した。
足音は軽かった。
それが、私の新しい人生の、第一歩だった。
担任を振り切った。その事実は、これまで積み上げてきた「優等生・理央」という鎧を、音を立てて粉砕するに十分な一撃だった。
灰色の空が、夕暮れのオレンジ色に染まり始めている。風が吹き抜け、湿った土の匂いがした。
私はしゃがみ込み、スマホを取り出した。画面には、Kから届いたばかりの通知が光っている。
『理央さん、逃げたんだね。それが、一番の絵だよ』
私はその言葉を読んだ瞬間、涙が溢れるのを止められなかった。それが恐怖からなのか、安堵からなのか、自分でもわからなかった。ただ、今まで息を潜めていた自分が、ようやく肺いっぱいに酸素を取り込めたような、そんな感覚だけが確かにあった。
私は立ち上がり、校門の方へは向かわず、あえて裏手の柵を乗り越えた。制服のスカートが引っかかり、嫌な音がしたが構わなかった。
目指すのは、街の喧騒から離れた場所にある古い図書館。そこには、誰からも干渉されずに一人で絵を描ける、私の聖域がある。
町並みが、見慣れた景色から徐々に遠ざかっていく。
信号待ちのたびに、すれ違う人々の顔を見る。会社員、主婦、部活帰りの学生。誰もがそれぞれの「正解」の中にいる。その中で、私は今、完全に浮遊していた。
社会の歯車から外れた、ただの十七歳の少女。
図書館のベンチに座り、私はスケッチブックを広げた。鉛筆が画用紙を削る音が、静寂に響く。
描いているのは、校舎を背景にした、翼を広げた鳥の姿。でも、その鳥には足枷がつけられている。いや、違う。よく見ると、足枷は鳥が自分で自分に繋いでいたものだった。
「……気づいてしまった」
呟きが風にさらわれる。
私を縛っていたのは、父でも、母でも、担任でもなかった。
私自身が、「こうあるべきだ」という正解を求めて、自分を縛り付けていただけなのだ。
そのとき、スマホが激しく震えた。
SNSの通知が止まらない。
私が投稿した「逃走の記憶」と題した一枚の絵に、爆発的な反響が寄せられていた。
『わかる』『私も逃げたい』『理央さんの絵に救われた』
画面を埋め尽くす言葉たち。それは、多くの十七歳が抱える、言葉にできない叫びの集積だった。
私はその光景を、ただじっと見つめた。
かつては欲しかった「誰かに認められる」という感覚。しかし今、私の心はどこまでも冷めていた。
彼らは私の絵を見て、自分の苦しみを癒やそうとしている。それは素晴らしいことかもしれない。でも、私は誰かの癒やしになるために描いているのではない。
『K、私はもう、誰かのために描くのはやめる』
私はそう打ち込み、送信した。
画面の向こうのKから、少しの沈黙の後、返信が返ってくる。
『正解だ。それが、君の本当の物語の始まりだよ』
夕日が沈み、街に影が伸びる。
私はベンチから立ち上がり、スケッチブックを抱きしめた。
今の私には、帰る場所も、進むべき未来も、まだ何もない。でも、これまでの私を定義していた「正解」は、もうどこにもない。
これからどうなるんだろう。
明日、学校に行けば、どんな冷たい視線が待っているだろうか。親は何と言うだろうか。
それでもいい。
私は、私だけの正解を探す旅に出る。
この透明な衝動を、どこまでも突き詰めるために。
街の明かりが灯り始める中、私は一歩を踏み出した。
足音は軽かった。
それが、私の新しい人生の、第一歩だった。



