――それから、十年の月日が流れた。
コンクリート打ち放しの洗練されたギャラリーの壁に、夏の強烈な西日が差し込んでいた。窓の外には東京のビル群が広がっている。
ガラス扉に白文字で書かれた展覧会のタイトルは、宮下理央・香川結衣 二人展――『鳥籠の向こう側』。
開場を前にした静かな空間で、私は壁に掛けられた一枚の巨大な油彩画を見上げていた。
キャンバスを埋め尽くしているのは、あの17歳の夏に何度も何度も塗り潰した、深く、眩いほどの群青色。けれど今の私の絵の具の層には、あの頃の迷いや焦燥感はない。現実と戦い、傷つき、それでも描き続けることで獲得した、圧倒的な光と生命力が、画面全体から溢れ出していた。
国内の権威ある美術賞を受賞し、画家として自分の名前で生きていく。それが、あの日特進クラスのレールを降りた私の、泥臭く足掻き続けた末の「正解」だった。
「相変わらず、理央の青はうるさいくらいに力強いね」
コツコツと小気味よいヒールの音を響かせて、一人の女性が私の隣に並んだ。
シックな黒のセットアップに身を包み、洗練された大人の雰囲気を纏った彼女――結衣だった。
結衣は東京の美大を卒業後、すぐに渡仏した。彼女が向こうの個展で発表した、ガラスと鏡の破片をモチーフにした繊細で攻撃的な絵画は、ヨーロッパの美術界で「東洋から現れた恐るべき新星」と絶賛され、今や世界中の美術館からオファーが殺到するトップアーティストになっていた。
「結衣の絵こそ、一段と尖ってきたじゃない。あのルーヴル美術館の分館に永久保存が決まったってニュース、ネットで見たよ」
「ふふ、当然でしょ。私はあの街を出るときに、世界中を私の色で塗り替えてやるって決めたんだから」
結衣は悪戯っぽく笑うと、自分の右手を私の前に差し出した。
かつて木炭や油絵の具で真っ黒に汚れていた女子高生の手は、今では綺麗に手入れされている。けれど、ペンだこや筆を握り続けた指先の硬さは、私たちが過ごしてきた十年間という時間の厚みを、何よりも雄弁に物語っていた。
私は自分の右手を重ね、あの頃と同じように、お互いの手のひらの熱を確かめ合った。
「私たち、本当に何者かになっちゃったね、理央」
「うん。あの時、学校の誰もが『無謀だ』って笑った選択が、間違ってなかったって、今なら胸を張って言えるよ」
私たちは、ただの傷つけ合うだけの歪んだ鏡であることをやめた。
お互いを高め合い、お互いの存在を世界の果てまで証明し続けるための、唯一無二の伴走者になったのだ。
「さあ、そろそろ開場の時間だよ」
結衣がガラスのドアに手をかける。
扉が開いた瞬間、ギャラリーの中に、新しく美しい未来の風が勢いよく吹き込んできた。
17歳のあの狭い鳥籠の中から、私たちは自らの意志で羽ばたいた。
これからも私たちは、それぞれのキャンバスに向かい、それぞれの不完全な現実を塗り替え続けていく。どこまでも広く、どこまでも鮮やかな、私たちの本当の正解(色彩)を、この世界に刻み込みながら。
コンクリート打ち放しの洗練されたギャラリーの壁に、夏の強烈な西日が差し込んでいた。窓の外には東京のビル群が広がっている。
ガラス扉に白文字で書かれた展覧会のタイトルは、宮下理央・香川結衣 二人展――『鳥籠の向こう側』。
開場を前にした静かな空間で、私は壁に掛けられた一枚の巨大な油彩画を見上げていた。
キャンバスを埋め尽くしているのは、あの17歳の夏に何度も何度も塗り潰した、深く、眩いほどの群青色。けれど今の私の絵の具の層には、あの頃の迷いや焦燥感はない。現実と戦い、傷つき、それでも描き続けることで獲得した、圧倒的な光と生命力が、画面全体から溢れ出していた。
国内の権威ある美術賞を受賞し、画家として自分の名前で生きていく。それが、あの日特進クラスのレールを降りた私の、泥臭く足掻き続けた末の「正解」だった。
「相変わらず、理央の青はうるさいくらいに力強いね」
コツコツと小気味よいヒールの音を響かせて、一人の女性が私の隣に並んだ。
シックな黒のセットアップに身を包み、洗練された大人の雰囲気を纏った彼女――結衣だった。
結衣は東京の美大を卒業後、すぐに渡仏した。彼女が向こうの個展で発表した、ガラスと鏡の破片をモチーフにした繊細で攻撃的な絵画は、ヨーロッパの美術界で「東洋から現れた恐るべき新星」と絶賛され、今や世界中の美術館からオファーが殺到するトップアーティストになっていた。
「結衣の絵こそ、一段と尖ってきたじゃない。あのルーヴル美術館の分館に永久保存が決まったってニュース、ネットで見たよ」
「ふふ、当然でしょ。私はあの街を出るときに、世界中を私の色で塗り替えてやるって決めたんだから」
結衣は悪戯っぽく笑うと、自分の右手を私の前に差し出した。
かつて木炭や油絵の具で真っ黒に汚れていた女子高生の手は、今では綺麗に手入れされている。けれど、ペンだこや筆を握り続けた指先の硬さは、私たちが過ごしてきた十年間という時間の厚みを、何よりも雄弁に物語っていた。
私は自分の右手を重ね、あの頃と同じように、お互いの手のひらの熱を確かめ合った。
「私たち、本当に何者かになっちゃったね、理央」
「うん。あの時、学校の誰もが『無謀だ』って笑った選択が、間違ってなかったって、今なら胸を張って言えるよ」
私たちは、ただの傷つけ合うだけの歪んだ鏡であることをやめた。
お互いを高め合い、お互いの存在を世界の果てまで証明し続けるための、唯一無二の伴走者になったのだ。
「さあ、そろそろ開場の時間だよ」
結衣がガラスのドアに手をかける。
扉が開いた瞬間、ギャラリーの中に、新しく美しい未来の風が勢いよく吹き込んできた。
17歳のあの狭い鳥籠の中から、私たちは自らの意志で羽ばたいた。
これからも私たちは、それぞれのキャンバスに向かい、それぞれの不完全な現実を塗り替え続けていく。どこまでも広く、どこまでも鮮やかな、私たちの本当の正解(色彩)を、この世界に刻み込みながら。



