『好きなこと』を職業にするのは、わがままなことなのか?

キャンバスがイーゼルの上で激しく震えた残響が、私の耳の奥でしばらく鳴り響いていた。
私が叩きつけた暗い群青の塊は、それまで時間をかけて器用に描き込んでいた鉄パイプの輪郭を、容赦なく塗り潰していった。ドロリとした重い絵の具の層が、キャンバスの白い布目を無慈悲に塞いでいく。

「おい、何やってんだ、あいつ……」

背後の席から、浪人生らしき男子生徒の微かな囁き声が聞こえた。けれど、今の私にはそんなノイズを気にする余裕なんて一ミリもなかった。

私は大きなパレットナイフを握り直すと、パレットの上のウルトラマリンとカドミウムレッド、そしてバーントアンバーを強引にかき混ぜた。絵の具が完全に混ざり合う前の、不均一な筋が残った状態のまま、それをナイフの刃先で大量にすくい取る。

「ガリッ、ザザッ」

キャンバスの表面を、金属の刃が削るような剥き出しの音が画室に響く。
綺麗に形を追おうとしていた自分に対する怒りをぶつけるように、私は何度も、何度もナイフを画面に叩きつけ、絵の具をなすりつけた。

画面は瞬く間に、嵐の夜の海のような、深く、濁った群青の深淵へと変貌していった。
初日に佐伯先生から指摘された「人からどう見られたいかという安い記号」は、その暗闇の底へと完全に沈んで消えた。

(ここからだ。この闇の中から、もう一度、私の世界を引っ張り出すんだ)

喉の奥が、テレピン油の揮発臭でチリチリと焼けるように痛む。
私は一度ナイフを置き、太い豚毛の筆を掴んだ。パレットの端にあるカドミウムイエロー(鮮やかな黄色)を、薄めずにそのまま筆先にたっぷりとつける。

中央に置かれたモチーフを見る。
錆びついた鉄パイプに、不自然にへし折られた向日葵。
私はその向日葵を、植物としての写生として描くのをやめた。その代わりに、暗黒の群青の海を引き裂いて飛び出してきた、「剥き出しの生命の叫び」として、鮮烈な黄色を画面の真ん中に一気に走らせた。

「シュッ、ザシュッ」

絵の具が激しく混ざり合い、黄色のエッジが周囲の群青に溶けて、毒々しい緑色の火花を散らす。
その瞬間、私のすぐ左隣で、それまで猛烈な勢いで筆を動かしていた結衣の手が、一瞬だけピタリと止まった。

結衣は横目で私のキャンバスを凝視した。
彼女の瞳に、私の画面から放たれる圧倒的な濁流のようなエネルギーが映り込む。彼女は驚いたように小さく息を呑んだが、次の瞬間には、その唇の端を吊り上げ、凶暴なまでの笑顔を浮かべた。

「……面白いじゃない、理央」

結衣は誰に言うでもなく呟くと、さらに太い筆を掴み、自分のキャンバスに向かってこれまで以上の速度で青を叩きつけ始めた。
彼女の絵の中にある「砕けた鏡の破片」が、光を反射してさらに鋭く、危険な輝きを増していく。

私たちは、お互いを意識しながらも、完全に自分自身の画面の中へと没入していった。
ライバルへの嫉妬も、未来への不安も、すべてが絵の具をキャンバスに押し付けるための純粋な推進力へと変換されていく。

気がつくと、画室の大きな窓の外は、燃えるような茜色から、深い夜の群青色へと完全に移り変わっていた。
天井の蛍光灯がバチバチと音を立てて点灯し、白い光が受験生たちの疲れ果てた背中を冷酷に照らし出す。

時計の針は、すでに夜の七時を回っていた。
12時間の制限時間のうち、今日割り当てられた時間は残り一時間。

私の身体は、すでに限界を迎えていた。
右腕は鉛のように重く、肩から背中にかけて激しい痛みが走っている。立ちっぱなしの足は感覚を失いかけており、何より、濃厚な油溶剤の匂いのせいで頭がガンガンと激しく痛む。

けれど、私の目は、かつてないほどギラギラと輝いていた。

キャンバスの上の絵は、まだ完成には程遠い。
中央の向日葵の黄色は、周囲の闇に侵食されながらも、必死にその輝きを主張している。そしてその背後には、錆びついた鉄パイプが、骨格のように頑丈な黒い線で再構築されていた。

最大の問題は、モチーフの一つである「砕けた鏡の破片」をどう表現するかだった。
普通に白や灰色で描くだけでは、この重厚な群青の画面に負けてしまう。

(鏡は、何を映している? 現実をバラバラに切り刻んで、不協和音を鳴らしているのは何だ?)

私はパレットナイフの鋭い先端を見つめた。
そして、まだ乾いていない、何層にも重なった厚い絵の具の層に向かって、ナイフの刃を容赦なく突き立てた。

「カリカリカリッ!」

激しい音を立てて、キャンバスの上の絵の具を力任せに削ぎ落としていく。
塗り重ねられた群青と黄色が剥ぎ取られ、その奥から、キャンバスのベースである「真っ白な地肌」が、鋭い線となって次々と露出していった。

それは、描くことによってではなく、「画面を傷つけること」によって現れた、強烈な光の破片だった。
暗闇を引き裂く、無数の白い刃。
それこそが、私の内側にある、現実の世界を拒絶し、切り刻もうとする本物の不協和音の正体だった。

「そこまで。今日の作業は終了。各自、道具を片付けて解散しなさい」

佐伯先生の冷徹な声が、画室の静寂を破った。
その瞬間、受験生たちの間から、一斉に重い溜息が漏れ出た。誰もが筆を置き、疲れ果てた身体を丸めて座り込む。

私は自分の前に置かれたキャンバスをじっと見つめた。
画面の半分以上が、削り取られた白と、ドロドロとした群青の混沌で埋め尽くされている。上手いか下手かで言えば、まだ完全に崩壊している途中の絵だ。

けれど、私の心は、昨日までのどの瞬間よりも激しく高鳴っていた。
ここにあるのは、間違いなく、私自身の血を流して描き出した「私の世界」だ。

隣を見ると、結衣もまた、真っ黒に汚れた手で髪を掻き揚げながら、自分の画面を睨みつけていた。彼女の絵もまた、狂気のような完成度に向かって突き進んでいる。

明日は、いよいよこの課題の最終日。
すべての絵が床に並べられ、残酷な順位がつけられるコンクールが待っている。
私たちは道具を片付けながら、互いに視線を交わすことはなかった。けれど、二人の間に流れる空気は、真夏の夜の熱気よりも遥かに熱く、鋭く、火花を散らし続けていた。