『好きなこと』を職業にするのは、わがままなことなのか?

雨が止んだのは、それから数時間が経過した夜のことだった。
雲の切れ間から覗く月光が、廃校の床に溜まった雨水を青白く照らし出している。私は一度も眠ることなく、ただひたすらに筆を動かし続けていた。

手元にあるのは、鉛筆ではない。鞄の奥に眠っていた、数色の固形水彩絵の具と、ペットボトルの水。
私は指先に直接絵の具をつけ、画用紙になすりつけるようにして色を重ねていた。
赤、青、黒、そして濁った灰色。
描いているのは、結衣の顔でも、私の姿でも、あの鳥の絵でもない。ただの、光と影の境界線だった。現実と虚構が混ざり合い、溶けていく瞬間の、その生々しい濁流。

(私は、どこへも行けないかもしれない)

家に戻れば、激しい叱責と、それに続く冷たい管理が待っているだろう。学校に行けば、腫れ物を触るような視線と、はみ出し者としての烙印が押されているに違いない。結衣との関係も、二度と元には戻らない。
17歳の私の現実は、完全に破綻していた。

けれど、不思議と恐怖はなかった。
この破綻した世界の中心で、私は今、最も私らしい呼吸をしていると感じられたからだ。

コンコン、と静かな音がした。
今度は床板の軋みではない。教室の、開け放たれた窓のサッシが風で揺れた音だった。
私はハッとして顔を上げ、窓の外を見た。

校庭の隅に、一台の車のヘッドライトが光っているのが見えた。エンジンは切られているが、そのシルエットには見覚えがあった。
父の車だ。

ついに、現実の追手がここまでやってきたのだ。
結衣が連絡したのか、あるいは警察の捜査網が私の足跡を辿り当てたのか。それはどちらでもよかった。大切なのは、私の「猶予期間」が、ここで完全に幕を閉じるということだ。

私は立ち上がり、衣服についた埃を払った。
指先は絵の具で真っ黒に汚れ、爪の間には乾いた灰色がこびりついている。鏡を見なくてもわかる。今の私は、世間が言う「正しい女子高生」の姿からは、程遠い場所にいる。

私はスケッチブックを丁寧に閉じ、鞄に収めた。
これから階段を下り、校舎を出て、父の待つ車の助手席に乗るだろう。
そこから始まるのは、きっと長い長い、対話と拒絶の繰り返しだ。私の「正解」を認めない大人たちとの、終わりのない戦争だ。

でも、私はもう、あの頃のように俯いて黙り込むことはない。
私の鞄の中には、私自身の血と涙で描かれた、私だけの「正解」がある。それがある限り、私はどんな檻の中でも、自分の空を飛び続けることができる。

教室のドアに向かって歩き出す。
一歩踏み出すたびに、私の心臓は力強く、確かに新しいリズムを刻んでいた。
読む前には戻れない、あの息苦しい日常には、もう二度と戻らない。
私は、私だけの色彩で、この灰色の世界を塗り替えていくんだ。

月明かりに照らされた廊下を進みながら、私は静かに、次の章への扉を開けた。