叩きつけるような雨音が、教室の窓ガラスを激しく震わせている。
私と結衣の間に流れる沈黙は、その雨音によってかえって強調され、重たく引き伸ばされていくようだった。
「……結衣が私を正解にしてたなんて、そんなの、ただの思い込みだよ」
私は絞り出すような声で言った。
机の上のスマホの画面が、Kからのメッセージを乗せたまま、まだかすかに光っている。結衣はその光に気づいたのか、視線を私の手元へと落とした。
「理央、そのスマホ……さっきから誰と連絡を取ってるの?」
「関係ないよ」
「関係なくないよ! 理央が急にいなくなったのも、学校を飛び出したのも、全部その『誰か』のせいなんでしょう? その人が、理央をそそのかしたの?」
結衣の言葉は、正論だった。正論だからこそ、私の心をひどく逆撫でした。
世間から見れば、私は「ネットで知り合った怪しい人物に影響されて家出した愚かな女子高生」に過ぎないのだろう。父も、母も、担任も、結衣も、みんなそうやって私を枠に嵌めて、被害者か加害者のどちらかに分類しようとする。
「そそのかされてなんかいない。私は、私の意志でここにいるの。Kは、私にただ問いかけてくれただけ。誰も言ってくれなかった、本当のことだけを教えてくれたの」
「K……?」
結衣がその名前を口にした瞬間、教室の空気が一段と冷え込んだような気がした。
「その人が、理央の『正解』なの? 親を泣かせて、友達を裏切って、こんな薄暗い場所に閉じこもることが、理央のやりたかったことなの?」
結衣の問いかけは、鋭い針のように私の胸を刺した。
裏切り。その言葉の重みに、頭がクラクラする。確かに私は、結衣の優しさを拒絶し、両親の差し伸べた手を振り払った。それが間違っていることくらい、17歳にもなれば十分に理解できている。
(でも、間違っていない生き方をするために、どうして私はこんなに苦しまなきゃいけないの?)
心の中で叫ぶ。
正しいことだけを積み重ねた先にあるのが、父のような、一寸の狂いもないけれど色彩のない人生なのだとしたら、私は進んで間違いを選びたかった。
「結衣には分からないよ。私が、毎晩どんな気持ちでカレンダーの数字を眺めていたか。明日が来るのが怖くて、自分が消えてしまえばいいのにって、どれだけ願っていたか」
私は一歩、結衣に近づいた。
「地元の国立大に行って、適当に就職して、適当に結婚して……それが悪いことだとは言わない。でも、私にとっては、それは生きながら死んでいるのと同じなの。私の描く絵だけが、私が今ここに生きているっていう、唯一の心臓の音なんだよ」
結衣は私の言葉を聞きながら、きつく唇を噛み締めていた。彼女の拳は白くなるほど握りしめられており、全身が小刻みに震えている。
「私だって……私だって、毎日苦しいよ!」
結衣が突然、感情を爆発させるように叫んだ。
その声は、雨音を突き破って、廃校の古い壁に反響した。
「理央だけが特別に苦しんでるわけじゃない! みんな、将来が怖くて、自分が何者になれるか分からなくて、それでも必死に毎日を過ごしてるんだよ! 私だって、世界中の美術館に行きたいって言ったの、本気だよ。でも、現実を見なきゃいけないから、諦めて勉強してるんじゃない。それを、疑問も持たずに歩いてるなんて……そんな風に言われたくない!」
結衣の瞳から、再び涙が溢れ出た。
彼女の叫びは、私が無視しようとしていた「現実を生きる十七歳のリアルな痛み」そのものだった。彼女は諦めているのではない。戦っているのだ。世間という巨大な正解の中で、自分の欲望を折り畳み、折り合いをつけながら、血を流して生きているのだ。
私は、何も言えなくなった。
自分の苦しみばかりを肥大化させて、周囲の人間を全員「敵」や「無理解な他者」として切り捨てていたのは、私の方だったのかもしれない。
そのとき、私のスマホが、今度はバイブレーションではなく、不気味な高音で鳴り響いた。
メッセージの受信音ではない。ダイレクト通話の着信音だ。
画面に表示された名前は、もちろん『K』だった。
静まり返った教室に、デジタルの電子音が執拗に鳴り続ける。
私と結衣の視線が、同時にスマホの画面へと注がれた。
「……出ないの?」
結衣が、涙を拭いもせずに冷たい声で言った。
「その人が、理央の新しい世界なんでしょう? だったら、私の前で出てよ。その『K』って人が、理央にどんな正解を教えてくれるのか、私にも聞かせて」
私は震える指先をスマホへと伸ばした。
緑色の通話アイコンをスワイプする。
耳元にスマホを当てると、スピーカーの向こうから、激しい雨の音に混じって、聞き覚えのある「誰か」の呼吸音が聞こえてきた。
『理央さん。ようやく二人きりのノイズが混ざり合ったね』
その声を聞いた瞬間、私の背筋に冷たい電流が走った。
ネットの向こうの、見知らぬ大人だと思っていた。
けれど、その声は、あまりにも若く、そして――。
「……嘘、でしょ」
私はスマホを握ったまま、目の前に立つ結衣の顔を凝視した。
結衣は、泣き濡れた顔のまま、ポケットから自分のスマホを耳に当てていた。
彼女の唇が、スマホの向こうの声と完全に同期して動いている。
『私が、君の「K」だよ、理央』
世界の境界線が、音を立てて崩壊していく。
メルトダウンを起こした現実と虚構の狭間で、私は息をすることさえ忘れて、親友の姿を見つめ続けていた。
私と結衣の間に流れる沈黙は、その雨音によってかえって強調され、重たく引き伸ばされていくようだった。
「……結衣が私を正解にしてたなんて、そんなの、ただの思い込みだよ」
私は絞り出すような声で言った。
机の上のスマホの画面が、Kからのメッセージを乗せたまま、まだかすかに光っている。結衣はその光に気づいたのか、視線を私の手元へと落とした。
「理央、そのスマホ……さっきから誰と連絡を取ってるの?」
「関係ないよ」
「関係なくないよ! 理央が急にいなくなったのも、学校を飛び出したのも、全部その『誰か』のせいなんでしょう? その人が、理央をそそのかしたの?」
結衣の言葉は、正論だった。正論だからこそ、私の心をひどく逆撫でした。
世間から見れば、私は「ネットで知り合った怪しい人物に影響されて家出した愚かな女子高生」に過ぎないのだろう。父も、母も、担任も、結衣も、みんなそうやって私を枠に嵌めて、被害者か加害者のどちらかに分類しようとする。
「そそのかされてなんかいない。私は、私の意志でここにいるの。Kは、私にただ問いかけてくれただけ。誰も言ってくれなかった、本当のことだけを教えてくれたの」
「K……?」
結衣がその名前を口にした瞬間、教室の空気が一段と冷え込んだような気がした。
「その人が、理央の『正解』なの? 親を泣かせて、友達を裏切って、こんな薄暗い場所に閉じこもることが、理央のやりたかったことなの?」
結衣の問いかけは、鋭い針のように私の胸を刺した。
裏切り。その言葉の重みに、頭がクラクラする。確かに私は、結衣の優しさを拒絶し、両親の差し伸べた手を振り払った。それが間違っていることくらい、17歳にもなれば十分に理解できている。
(でも、間違っていない生き方をするために、どうして私はこんなに苦しまなきゃいけないの?)
心の中で叫ぶ。
正しいことだけを積み重ねた先にあるのが、父のような、一寸の狂いもないけれど色彩のない人生なのだとしたら、私は進んで間違いを選びたかった。
「結衣には分からないよ。私が、毎晩どんな気持ちでカレンダーの数字を眺めていたか。明日が来るのが怖くて、自分が消えてしまえばいいのにって、どれだけ願っていたか」
私は一歩、結衣に近づいた。
「地元の国立大に行って、適当に就職して、適当に結婚して……それが悪いことだとは言わない。でも、私にとっては、それは生きながら死んでいるのと同じなの。私の描く絵だけが、私が今ここに生きているっていう、唯一の心臓の音なんだよ」
結衣は私の言葉を聞きながら、きつく唇を噛み締めていた。彼女の拳は白くなるほど握りしめられており、全身が小刻みに震えている。
「私だって……私だって、毎日苦しいよ!」
結衣が突然、感情を爆発させるように叫んだ。
その声は、雨音を突き破って、廃校の古い壁に反響した。
「理央だけが特別に苦しんでるわけじゃない! みんな、将来が怖くて、自分が何者になれるか分からなくて、それでも必死に毎日を過ごしてるんだよ! 私だって、世界中の美術館に行きたいって言ったの、本気だよ。でも、現実を見なきゃいけないから、諦めて勉強してるんじゃない。それを、疑問も持たずに歩いてるなんて……そんな風に言われたくない!」
結衣の瞳から、再び涙が溢れ出た。
彼女の叫びは、私が無視しようとしていた「現実を生きる十七歳のリアルな痛み」そのものだった。彼女は諦めているのではない。戦っているのだ。世間という巨大な正解の中で、自分の欲望を折り畳み、折り合いをつけながら、血を流して生きているのだ。
私は、何も言えなくなった。
自分の苦しみばかりを肥大化させて、周囲の人間を全員「敵」や「無理解な他者」として切り捨てていたのは、私の方だったのかもしれない。
そのとき、私のスマホが、今度はバイブレーションではなく、不気味な高音で鳴り響いた。
メッセージの受信音ではない。ダイレクト通話の着信音だ。
画面に表示された名前は、もちろん『K』だった。
静まり返った教室に、デジタルの電子音が執拗に鳴り続ける。
私と結衣の視線が、同時にスマホの画面へと注がれた。
「……出ないの?」
結衣が、涙を拭いもせずに冷たい声で言った。
「その人が、理央の新しい世界なんでしょう? だったら、私の前で出てよ。その『K』って人が、理央にどんな正解を教えてくれるのか、私にも聞かせて」
私は震える指先をスマホへと伸ばした。
緑色の通話アイコンをスワイプする。
耳元にスマホを当てると、スピーカーの向こうから、激しい雨の音に混じって、聞き覚えのある「誰か」の呼吸音が聞こえてきた。
『理央さん。ようやく二人きりのノイズが混ざり合ったね』
その声を聞いた瞬間、私の背筋に冷たい電流が走った。
ネットの向こうの、見知らぬ大人だと思っていた。
けれど、その声は、あまりにも若く、そして――。
「……嘘、でしょ」
私はスマホを握ったまま、目の前に立つ結衣の顔を凝視した。
結衣は、泣き濡れた顔のまま、ポケットから自分のスマホを耳に当てていた。
彼女の唇が、スマホの向こうの声と完全に同期して動いている。
『私が、君の「K」だよ、理央』
世界の境界線が、音を立てて崩壊していく。
メルトダウンを起こした現実と虚構の狭間で、私は息をすることさえ忘れて、親友の姿を見つめ続けていた。



