隣のクラスの白縫くんに好きだと言われました

“今日、18時からだよ。忘れないでね”

“あの浴衣着てきてほしいな。青葉のために作ったやつだから”

“絶対かわいい。想像しただけでかわいい。耐えられるかな俺”



「……やっぱくそきめえな白縫」

「ちょ、ちょっと霧ちゃん! そんなこと言っちゃ……うえっ」



 返信する隙もない凪那くんからの猛LINEをひたすら眺めていると、後ろから霧ちゃんがひょこっと顔を出し、毒を吐いた。見られていたという恥ずかしさで僕は慌ててスマホを隠そうと体勢を変えるが、それが帯をぎゅっときつく締めた時と重なり、たまらずえずいてしまう。



「っごほごほ……ごめん霧ちゃん、ちょっと緩くして?」

「こんぐらいきつくやんないと途中で崩れてきちゃうんだよ。青葉が細すぎるのが悪い。我慢しろ……と言いたいとこだけど、流石にこれじゃチョコバナナすらも入んないだろうから、緩めるわ」



 そう言って少しだけ、ほんの少しだけ霧ちゃんは帯を緩めてくれた。細すぎるという直前の発言に少し違和感を覚えたけど、わずかに息を吸う余裕ができて、これなら広い境内を歩き回っても何とかなるだろう、と胸を撫で下ろす。

 そう、僕と凪那くんは今日、夏祭りに行く約束をしている。

 きっかけは、あの本気で落とす宣言がされた後。 燈くんの「この四人でグルチャ作りたくない!?」という一言に凪那くんが異様に賛成し、まず連絡先の交換をした。そしてちょうど通り過ぎようとした電柱に”夏祭り開催のお知らせ”という張り紙が貼ってあり、その場で凪那くんからのお誘いを受け行くことになった、という感じだ。



「よっし、これで終わり。ひとまずお疲れさん」



 二週間ほど前の出来事をぼんやりと思い出しているうちに、どうやら着付けは完了したらしい。霧ちゃんに肩をポンと叩かれ、そのままクローゼットの横にある鏡に誘導されて、全身を見る。淡い水色の生地の中に紺の金魚が泳ぎ、それを縞模様の帯が上品にまとめている、とても夏らしく爽やかな浴衣だった。



「……すごい。かわいい」



 普段自分のことを褒めるなんて滅多にない僕でも、自然と称賛の言葉が口から出てきた。浴衣を着るなんて、五年、いや十年ぶりの可能性だってある。見慣れた鏡に映る新鮮な自分を目に焼き付けておこう。珍しくそんなことを思った。



「うん、すごい似合ってる。でもまだ終わりじゃないからね、髪の毛もやらなきゃいけないんだから。ほら座った座った」

「ほんとありがとね、霧ちゃん。すごい急だったのに」

「そんなん今さらでしょ」



 そうやって軽く笑い飛ばす彼女の額にはうっすらと汗が滲んでいた。僕のために奮闘してくれた何よりの証拠だ。結晶のように輝いて見えた。



「でもまあ、急は急だったね。なんせ昨日なんだから、青葉から電話が来たの」

「……本当にすみません」



 霧ちゃんはさほど大したことじゃないように話すけど、無茶振りも無茶振りだ。本来はきちんとしたお店に行って、それなりの金額を払ってお願いしなければいけないのに、彼女との関係に甘えてばかりでいる。僕は肩身を狭くしながら、せめてもう少し時間に余裕があれば良かったのに……と都合のいい後悔を抱いた。



 昨日の午後、自室で課題のテキストを解いていると不意に玄関のチャイムが鳴った。荷物を受け取ると僕宛のものだったため、不思議に思いながら箱を開けるとなんとも綺麗な、そしてなんとも高そうな浴衣と目が合った。

 買った覚えなど当たり前になく、会社側の間違いかな、詐欺かななんて慌てていると、浴衣の間に挟まれている手紙を発見した。手紙には付箋と同じ字体で「これを着てきてほしい」と書いてあって、困惑したまま霧ちゃんに電話をかけ詳細を話し、着付けをお願いすることになった。とまあ、一息で説明するとこんな感じだ。

 何を着て行こうか迷っていたところだったから適切なタイミングではあったものの、まさか凪那くんから浴衣が送られてくるなんて、そしてまさかオーダーメイドの物だなんて。どこの誰が、こんな展開になると予想できただろうか。



「……うん、完成。なかなかいい仕上がりじゃない?」

「え、もう終わったの?」



 今一度櫛で髪を梳かしてから、霧ちゃんは満足そうな声を出し額の汗を手の甲で拭った。あまりの早業に開いた口が塞がらない。ほら、と持っていた手鏡を渡され、自分でも見てみた。



「……! ちょ、ちょっと!」

「うん? どうしましたかお客様?」

「お客様? じゃなくて! ……おでこ、見えちゃってるんですけど!」

「かわいいから大丈夫だよ」



 カチャカチャと道具を片付けながらこっちも見ずに適当なフォローを入れる霧ちゃん。その口元は緩んでいて、意図的にやったものだとわかる。やってもらったという立場で不満を言うことなど本来は許されないが、これは想定外だ。ずっと僕を地味な存在にしてくれていた長い前髪が完全に左右で分かれ、真ん中には無防備な額が露わになっている。



(どうしよう、ただでさえ夏祭りっていう陽キャが集まるイベントに行くっていうのに、それも凪那くんの隣を歩くのに……! こんなんじゃ目立って仕方ないよ、クラスの誰かに見られたらどうしよう……)



「ってパニクってんだろうけど、言っとくけど青葉のためにそうしたんだからね? いつもの髪型の方が特定される可能性高まるから、身バレを考慮してあえてそれにしてるの。わかる? この私の気遣い」



 完璧に思考を読み取られた上でそうぴしゃりと言われちゃったものだから、それ以上何も言うことはできなかった。そのまま玄関まで促され、全力でぶつかってこい、という応援? をされて家を出た。何だか最後の方は投げやりだったなあ、なんて思ったけど、こうも綺麗に整えてくれたのだからもちろん感謝が勝つ。後でまたありがとうを伝えよう、そして何が起こったかちゃんと話そう、と決意して神社に向かった。



***



「はあ、はあ……すごいな」



 人の多さに動揺しながら、汗で崩れそうになった前髪を直した。

 学校の階段を彷彿とさせるような、まっすぐの長い長い石段。いつも通りのスピードだと疲れてしまうけど、今日は前にも後ろにも人がいっぱいで身動きが取れない状態だから、一段ごとに足を進める。そのお陰で体力を消耗させずに上り切ることができた。凪那くんに着いたことを連絡しようと、ちょうちょ結びの紐を解いて鞄からスマホを取り出した。

 出発直前に霧ちゃんから持たされたこの鞄。ラタンで編まれたカゴの中に巾着袋が入った、高校生男子には到底似つかわしくないデザインの代物だ。どうやら霧ちゃん御用達らしく、「浴衣にはこれしか合わない」と豪語する彼女の圧に負け、スマホと財布だけを入れて持ってきた。



“今着いたよ。凪那くんは?”



 凪那くんとのトーク画面を開き送信する。直前まで「かわいい」や「好きだよ」といった甘々な言葉で溢れていたというのに、急に業務連絡のような文言を送ってしまう自分の素っ気なさに辟易した。



“後ろにいるよ”



 返信がきてから一秒、理解が追いついていない僕の肩に後ろから手が置かれる。



「青葉」

「うわっ! あ、ごめん大きな声出しちゃって、って……え、な、凪那くん、だよね?」

「うん。そうだよ」



 少しこもった声。真っ白な顔と、赤い目尻と、耳についた鈴のチャリンという音。

 凪那くんはなぜか、狐のお面を被っていた。



「ええっと……何から話せばいいんだろう」

「青葉かわいいね。着物似合ってるよ」

「うん、絶対にそれじゃない」



 冗談なのか、それとも本気で言っているのか。本気だとしたら凪那くんは相当の天然だ。今真っ先に話すべきことが僕の仕上がりではないことは、どれだけ頭が悪くてもわかるだろう。



「えっと、そのお面は自分で買った、ってことかな?」

「『青っち恥ずかしがり屋なんだから、お面でもつけないと隣歩いてくれないよ!』って、燈に言われたから」

「なる、ほど……」



 凪那くんが変装なんて珍しいと思ったが、そういう理由だったのかと納得する。

 たしかに今日、変装も何もしていない状態の凪那くんの隣を歩くとなったら、「釣り合っていないという羞恥心」「周りからの視線という名の圧力」が僕を襲っていただろう。神がかったアドバイスをしてくれた燈くんには必ずお礼をしようと胸に誓った。



「もう燈のこと考えるのおしまい。俺がいるんだから、俺のことだけ考えて?」



 凪那くんは身を屈めて僕と目線を合わせた。お面に空いた小さな穴から、鋭い瞳がわずかに見える。



「いや、考えるっていったって、凪那くんの方から話してきたんじゃん」

「あーあー聞こえなーい。じゃあ約束ね、今日は俺が全部払うから、青葉は他の男のこと考えちゃ駄目」

「え……え!? いや、いくらなんでもそれは」

「それは?」



 そっちに有利な約束すぎないか、と言おうとした。奢ってもらえるという点では僕にとっても有益だけど、凪那くんは仕事で僕のお小遣いなんか比にならない額を平気でもらっているだろうから、この屋台の商品全てを買い取ることすら造作もないだろう。それの対価として僕は誰のことも考えてはいけないなんて、とても凪那くん側に偏っている。

 そう言おうとしたのに、凪那くんが促すように発言するから、僕は本当に言いたいことの一割も言えなかった。



「う……凪那くんにとっては、こういうお祭りで売られてるものなんて平気で買えちゃうんだろうけど、その、せっかく二人で来たんだから一緒に払いたいと言いますか、それに僕だって凪那くんと同い年でそれなりにお金も持ってるし、僕には僕のプライドが「そこまで」



 ちょん、と凪那くんの人差し指が僕の唇に触れた。もう喋るな、という合図のように思えたけど、それにしては触れ方が優しくて、微かに指が震えていた。



「青葉の気持ちは嬉しいよ。でもプライドがあるのは俺も一緒、好きな子との初めてのデートなんだもん。お願い、俺にカッコつけさせて?」



 凪那くんは震えた指を離さぬまま、こてんと首を傾げた。屋上の時と同じ角度だ。自然に作られるものじゃなくて、こうすれば自分が良く映ると完璧に計算されている角度。俳優としての技を使っているなと恨めしく思う一方で、何だかどんどん距離が遠くなっているような気もして、少し寂しさも抱いた。

 こんなぐちゃぐちゃな感情を持ってしまうのは、全部凪那くんのせいだ。出会う前の僕なら、こんな気持ちになることなんてなかった。



「わかった。じゃあお言葉に甘えさせてもらいます」



 凪那くんには責任を取ってもらわなければいけない。あと何回こうやって出かけられるかもわからない、もしかしたら今日が最初で最後かもしれない。そう考えると、変に抵抗するのも無駄だなと思った。



「うん。行こっか」



 凪那くんは満足そうに微笑んだ、ように見えた。実際はお面をしているから表情なんてわからないのだけれど、それすらも貫通するようなわかりやすい声色だ。

 昼間とはまた違った、湿気を含むムシムシとした暑さ。加えて人の熱気。僕の頭は完全に馬鹿になっていて、凪那くんが僕の手をぎゅっと握っても、それをおかしいと思わなかった。