隣のクラスの白縫くんに好きだと言われました

「必死な横顔もかわいい」

「手ちっちゃいからシャーペンも短く持つんだね」

「ここスペルミスしてるよ」

「動揺してる? かわいい」

「……あの、凪那くん。褒めてくれるのは嬉しいんだけど……今、補習中」

「知ってる。かわいい」

「くぉぉら白縫! 補習を何だと思ってんだこのヤロー!!」

「おい凪那、いい加減前見ろって」

「そーだそーだ! 青っちの邪魔しちゃいけないんだぞ!」



 注意してもなお情熱的な視線を向けてくる凪那くんと、それに怒る橋本先生と、戸惑う僕。(とが)める良くんと、通常運転の燈くん。四人だけの補習という特殊な空間が生んだ、カオスなひとときだ。なぜ僕らしかいないかって、そりゃあ、彼らの影響力を鑑みてのことだ。



***



(終わった)



 そんな言葉を頭に浮かばせながら解答用紙を見た僕。一番上には「情報」という二文字。横には自分の名前と、32というでかでかとした赤文字と、丸い枠の中に「補習」と刻まれた青いスタンプ。

 今回はかなりひどい。前回の中間試験だって十分な勉強をした上で40点代後半だったのだから、苦手科目というのは心底理解している。だから余裕を持って試験勉強に着手したつもりなのだけど、普段より集中できなかった。

 理由はもちろん、凪那くんたちとの付き合いだ。彼らを言い訳にはしたくないけど、でもしたくなるほどに、ここのところは供給がすごい。何の気まぐれか登校率が急上昇した彼らとずっとお昼を一緒に食べているし、何なら放課後も一緒に帰っているし、その上で毎回「好き」と言われているのだから、キャパオーバー寸前だ。家で勉強している時も、少し集中力が切れるとすぐに凪那くんの声が頭に反復して、勉強どころではなくなる。そんな日々を過ごしたのだからまともな点数は取れなくて当然というか、むしろ情報以外赤点を回避できたことを盛大に褒めたい。



「学年の平均点は66点だ。半分以下の者は夏休み前の補習の参加を必須とする」



 紙とともに机に伏せていた顔を上げると、橋本先生が落ち着いた手つきで黒板に点数を書いていた。ドラマの再放送は先々週に終わったからいつも通りの優しい先生に戻り、最近は平和だ。



「対象者の紙にスタンプを押しておいたから、押されている奴は補習に参加すること。もちろん対象者じゃなくても参加は歓迎する」



 そう先生が言うと、誰が行くかよ! と後ろの席の粗暴なグループから笑いが起きた。



「情報というのはこれからの社会を生きていく上で大切になる教科だ。赤点を取ったからという理由で参加する生徒も興味本位で参加する生徒も、俺は等しく受け入れたい」



 しかし先生は気に留めぬ様子で、教卓に手を置き堂々と自身の信条を語った。その真っ直ぐさに先ほどの男子が「クサすぎんだろ」「キモ」と呆れた物言いをする。先生はそれも気にせず、



「これで終わりにする。皆よく復習しておくように」



 と言い残して教室を出た。億劫(おっくう)ではあるけど、この真摯でかっこいい状態の先生が続いてくれるのなら、すごく効果的で素敵な補習になるだろう。そう信じて疑わなかった。



***



 それなのに。



(昨日の夜から2ndシーズンの再放送が始まるなんて、聞いてないよ……!)



 凪那くんが僕の補習参加をどこかから聞きつけ俺も参加しますと言ったらしく、それに便乗して燈くんと良くんもノリで参加を決意。補習は普段の授業とは違って特に集中力が必要とされるのに、この三人がいては他の生徒が集中できない、と僕も合わせて別日に開講されることになった。それが今日だ。

 そして昨夜からまた再放送が始まり、昨日のうちに授業を受けた他の生徒が平和に終わったのと比べ、僕たちは再び嵐のような先生の情緒に振り回されていた。



「っ白縫ぃ! 前を見ろと何回も言っている!」

「凪那。そろそろ先生が限界に近いから」

「だから何? どうせこれも数ヶ月だけで、終わったら元に戻って始まったらまたこうなって、の繰り返しでしょ? 意味ないじゃん」

「お前の方から受けたいと言ったんじゃないか!」

「授業を”受けます”って言っただけで、”聞きます”とは言ってませーん」

「凪那くん……さすがにそれは屁理屈すぎるよ」

「そーだ、いけ! 青っちもっと言ってやってよ!」

「燈も喋りすぎ。まだ冊子の半分も終わってないぞ、一時間も経ったのに」



 僕が凪那くんを、良くんが燈くんを宥めるようにして何とか授業の続行を試みる。しかし心が昭和にタイムスリップした橋本先生はどんな小さな不満の声も聞き漏らさず、一言一言に反応しては反論しては……とさっきから授業は堂々巡りだ。良くんという圧倒的中立な立場の人がいてくれるからこれだけの被害で収まっているけれど、これで良くんもお喋りなキャラだったらと思うと、背筋が凍る。



“ありがとう良くん。良くんがいて助かったよ”



 ささやかな感謝の気持ちを冊子の端っこに書いて、隣に座る良くんの肩をポンポンと叩き、見せた。良くんはその文の意味を一瞬で理解してふふっと微笑み、



“こちらこそ。頑張ろうな、お互い”



 と自身のノートに書き僕に見せた。その文面から様々な苦労が感じ取れて、思わず僕も微笑んだ。



「何笑ってんだ唐橋ぃ! 授業は笑う場じゃねえぞ!」

「は? ちょっと良、何青葉とイチャイチャしてんの」

「羨ましかったら唐橋くんに迷惑をかけるな。ちゃんと前見て授業を受けろ」

「良ちゃん、この問題の答えってAだっけBだっけ?」

「あーもう、黒板に書いてあるだろ!」

「ほんとだ! センキューソーマッチ!」

「はあ……」

「ため息をつくな富士宮! 俺の授業はそんなにつまんねえか! よおし、もっと難しくしてやるからな!」

「えー! 手加減してよはしもっちゃん!」

「はあ……」



 ため息を吐きまくる良くんが可哀想で、一度シャーペンを置き、腕を伸ばして軽く背中をさすった。



「……ありがとな唐橋くん。乗り越えよう二人で、この地獄を」

「そうだね」

「おい、だからいい雰囲気になるなって」

「こらあ!」



 いい感じの誓いも邪魔され、二人で苦笑し合った。



ーー「いやあ、すんごい時間かかったけど、なんとか終わって良かったね!」



 帰り道。燈くんはそう言いながら、満面の笑みでトロピカルフルーツ味の棒アイスを(かじ)った。

 裏門を出てすぐの所にある、七十代の店主が一人で切り盛りしている売店。別にこの地区は特別田舎という訳じゃないし近くにコンビニもあるけれど、妙に童心をくすぐられるこの店はほとんどの生徒が気に入っており、溜まり場となっている。

 延長に延長を重ねた補習が終わり、お祝いだー! という燈くんの一声によって、それぞれ好きな味を一本ずつ買うことになった。良くんはミルク味、凪那くんはサイダー味で、僕はレモン味だ。



「『すんごい時間かかった』のはお前のせいだろ、燈」



 まだ口をつけていない綺麗なアイスを握りながら、眉間に皺を寄せて良くんは言う。そりゃそうだ、ある意味一番の問題児だった燈くんのストッパーとならなければいけなかったのだから、相当疲れているに違いない。ただ楽しんで授業を終えただけと、復習しつつ均衡を保ちつつ進行を促しつつという三つの任務を同時に遂行したのとでは労力がまるで違う。かかったストレスは計り知れない、だからいつにも増して口調が刺々しくても、止めようとは思えなかった。



「え〜僕はただ真面目に受けてただけじゃん! なんでそんなこと言われなきゃいけないのさ」

「真面目? うるさいの間違いだろ。燈がもう少し静かにしてたら三十分は早く終わってた」

「時間かけて受けるのが補習ってもんでしょ!」

「それは丁寧にやる時のことを言うんだ。俺たちはずっとダラダラしてた。最初は目を瞑ってたけど、はっきり言って凪那よりも迷惑だったからな」

「ま、まあまあ二人とも。燈くんのお陰で楽しく受けれたし、良くんのお陰で二時間で終わった、ってことで、ど、どっちもどっち、的な?」



 止めないと決めたのに、二人を纏う空気がどんどん険悪になっていくのに耐え切れなくて、苦し紛れに間を取り持とうとした。だが、やはり僕の脆弱コミュ力ではうまくまとめられなかった。



「う……ごめん、うまくまとめられなくて」

「まあそれもそうだね! 青っちがそう言うならそれでいいや!」

「そうだな、唐橋くんがそう言うなら」



 まずいまずい、どうしようどうしようとパニックになった僕に対し、二人はあっさりと言い合いを辞め、落ち着いた。ごめんね、うるさくしすぎちゃって。俺の方こそ、言い過ぎた。仲のいい二人が関係を戻すには、その二言だけで事足りた。



(なんかわかんないけど……仲直りできてそうで、良かった)

「すごいね青葉。あの二人も誑かすなんて」

「! 凪那……くん」



 安心して完全に緩みきっていた僕に発せられた、甘く、だけども低い声。振り向くと、思っていたよりも顔は近くにあった。



「そんな、誑かすなんて」

「俺だけじゃ不満? 刺激が足りない?」

「え?」



 矢継ぎ早に話す彼の表情には、全ての感情が混ざっているような気がした。怒っているような、悲しんでいるような、羨んでいるような、妬んでいるような。



「そ、そんなことないよ! いやそんなことないというかなんというか、いやとにかく、凪那くんと過ごすのはとっても楽しいし、でも燈くん良くんと過ごすのもとっても楽しいし、優劣つけ難いと言いますか」

「青葉の中で、俺はまだ特別じゃないってこと?」

「えーっと……そう……だね」



 正直に伝えるのはかなり苦しかった。苦しいというか、後ろめたさを感じた。

 凪那くんはこんなに思いを伝えてくれているのに、僕は狼狽えたり曖昧に返事をしたりするばかりで、何も返せていない。「凪那からのアタックが激しいからといって、無理に返事はしなくていいからな」と良くんから言われたからその通りにしているけど、こうも気持ちを伝えられると、返せないことに申し訳なさを感じてくる。



「……ふーん。そっか」



 凪那くんはそう呟いて一度目を伏せた後、視線を上げてまっすぐ僕を見た。



「あの、凪那く「ほんとはね」

「う、うん」

「ほんとは、この気持ちを伝えるだけでいいって思ってたんだ。出会えたこと自体が奇跡だし、こうやって話せてることも奇跡だし、好きって気持ちを知ってもらえてるだけで何倍もまし。その上で、関わってく中で青葉も俺のことを好きになってくれたら役得だなって、それぐらいにしか思ってなかったんだけど」

「……だけど?」

「苦しい。青葉と話してると苦しくなる。好きすぎて苦しくなる。俺はこんなに苦しんでるのに、青葉は何食わぬ顔で二人と喋ってるんだもん。ちょっとは俺と同じになってよって思った。つまり」

「つ、つまり?」

「もう遠慮とか気遣いとかやめる。この夏休み、本気で青葉のこと落としにいくから、覚悟して」



 きっぱりと言い切って、凪那くんはさらに顔をぐいっと近づけた。いや、もうこれは近づけたというより、くっつけた、と言った方が正しい。現に凪那くんの額と僕の額は、どちらも汗をかいていたこともあり接着剤を塗ったかのようにぴったりと密着していて、離れる素振りを見せない。

 耳にはミーンミーンという夏らしい音。これがイケメンと過ごす夏か……耐えられるだろうか……と僕は身を震わせた。三十五度もあるというのに、腕には鳥肌が立った。