「まああんただろうなとは思ったよ」
青葉が一人校内に戻るのを見届けた後。私は軽くなったお弁当袋を腕に提げて、帰り際に”そいつ”に話しかけた。
「にしても、意外といい方法取るじゃん。いっつも馬鹿みたいに青葉のことしか考えてないくせにさ」
「いたんだ」
「気づいてたでしょ。最初から」
とぼけようとするそいつに、私は釘を刺すように言葉を被せた。あの距離なのだから気づいて当たり前なのに、関わりたくないとでも言うようにそいつは知らぬ振りをする。
「あっアイデアは僕だよ〜! 凪那のことだしまともなこと考えれないと思ってさ!」
「何となくわかってた。ていうか屋上っていう場所で勘付いた。こいつだったら家に呼びかねない」
「それがあったか」
「あったか、じゃねえよ」
案の定、出所は灯本だった。彼のSNSを見る限りきっと周りの感情に人一倍敏感だろうし、ああいったギリギリ気持ち悪いと思われないラインを攻めるのが得意なのは理解できる。
まあそれはさておき、問題はこっちだ。今回はこいつのアイデアではなかったことがまだ救いだが、今後の攻め方によっては、こちらも最大限警戒する必要がある。
「……青葉は純粋だから、汚されちゃ困る」
「アタックするのはいいんだ」
「それを止めるのはもう諦めてる。青葉じゃなくて私に聞いてくる時点で、めんどくせえなこいつ、とは思ってたから。今さらどうしようもできない」
よくわかってんじゃん、と鼻で笑うこいつに苛立ちながらも、私は一年ほど前のとある日を思い出した。
***
「マノいる?」
隣のクラスからはるばるやって来たかと思えば、でかい声で誰かを呼ぶ白縫。マノ、という聞き慣れないあだ名に、クラス中の女子が目を光らせて誰なのか探る。白縫は教室に入り、纏わりつこうとする女子の腕を躱し、うへえ怖、誰だか知らんがかわいそー、なんて呑気に思っていた私の前で止まった。お前だよ、早く来いよ、と言わんばかりの鋭い視線を私に浴びせて。
「あさのなんだけど、私」
「そうなの? まあどっちでもいいでしょ、大したことじゃないし」
私は不服ながら、白縫の背中を追うようにして廊下を小走りで進んでいた。白縫は悠々と歩いている。脚の長さというどうにもできないものの違いではあるが、この必死さの差にとても腹が立った。
白縫はしばらく歩みを進め、西階段という人通りの少ない場所まで私を連れて行った。踊り場で足を止め、振り返って私を見る。
「青葉といとこなんでしょ、あんた」
「……だからなに」
こちらの心の内を覗くかのような、あっさりとしているようでねっとりとしている声は、とても気持ち悪かった。そして私ではなく青葉を話に出したことで、私の警戒心は一気に強まった。
私と青葉は顔が似ていない。故にいとこであることは、ほとんど誰にも知られていない。担任すらも忘れているほどだ。こいつが知っている理由はわからないが、何かしらの意図を持って情報を得た、というのだけは事実だ。
青葉と関わって何をするつもりなのか。パシりたいとか虐めたいとか、そういう狂った思考の持ち主なのかとも一瞬思ったけど、すぐにその考えは消えた。こいつの瞳が、妙に熱っぽかったからだ。
「青葉のことが好きなんだ。青葉のすべてを教えてほしい」
「……きも」
無意識に蔑みの言葉が口から飛び出て、慌てて手で口を覆う。だが白縫は何も気にしていない様子で続けた。
「青葉本人に聞いたら、きっと怖がって何も教えてくれない。その様子を見たい気持ちもなくはないけど、俺に対してマイナスな思いは抱いてほしくない。だからあんたに聞く」
理由はこれだけ、と白縫は淡々と話し終えた。会話のキャッチボールで言ったら私が返す番だと思うが、それと私が認めるのとは別の話だ。こいつの話す理由からは誠意が感じられなかった。誠意だけじゃない、純粋な気持ち全てが見えない。
「仮にその好意が本物だとして、そんな理由で私が話すと思う?」
「仮じゃない。真実だ」
「今そこはいいんだよ」
妙なところでしつこい男だ。
「信じてほしい、認めてほしいとは微塵も思ってない。ただあんたは俺に情報をやるだけ。そうすれば、あんたのクラスで青葉を陰ながらいじめてる奴らの名前を教える」
「!」
どくんと心臓が音を立てた。
最近、青葉をいじめてる奴らがいるな、とは思っていた。体育の持久走のタイムがずれていたり。教科書が一ページだけ無くなっていて、その範囲を扱う授業の時に決まって当てられたり。目立ったことはそれぐらいで、コソコソと隠れて行動する卑劣な奴らだ。なるべく注意を向けているけど、誰が主犯格かはてんで予想がついていなかった。
「なんであんたがそれを知ってんのかは聞かないでおく。……わかった、私が答えていいと判断する範囲までなら、質問に答える。答えていいと判断する範囲までなら」
念の為二度同じことを言う。さもないと、こいつはプライバシーやモラルを飛び越えたことまで聞いてきそうな予感がしたのだ。
「それと、もう一個制限。あんたからは青葉に近づいちゃ駄目。青葉から近づいてきて初めて、会話していいものとする」
私は人差し指をピンと上に立てて、白縫の顔の前に示した。一線を越えるな、の指図だ。
「青葉の意思は入る?」
「入れなくていい。青葉が望んであんたの近くに来た場合もたまたま近づいてきた場合も、どっちでもよし。とにかくあんたから近づかなきゃいいってこと。でも変に擦り寄るのはやめて。私が注視するからそんなことさせないけど」
「わかった。その条件呑むよ」
利害が一致し、それとなく握手をする私たち。決して仲いいものではなく、青葉のための同盟、といったところだ。
「……傷つけんなよ」
こいつにも聞こえないような声量で、そっと呟く。
大袈裟ではなく、青葉は今まで私が守ってきたのだ。誰かに渡したくない! なんて我儘を言うつもりは毛頭ないが、その誰かが青葉を少しでも傷つけようとしているのであれば、話は変わる。
その点で、こいつは拗らせてるしねちっこいし面倒臭いやつだとは思ったけど、青葉に対して負の感情をまったく抱いていないように見えた。だから私にしては珍しく、信じてみてもいいかな、なんて思ったのだ。この選択が吉と出るか凶と出るかはわからない。わからないからこそ、より一層気を引き締めなければと思った。
***
「……そんな時もあったな」
今となっては懐かしい記憶を振り返って、そう呟く。
知り合ってからの勢いは凄まじいとは言え、約束通り近づいてくるまで青葉に手を出さなかったことには驚いた。こういう奴は大抵、口では賛同しておいてバレないように手を出しているものだ。意外と誠実なのか? なんて思うこともたまにある。
「なんかボソボソ喋ってるけど。もう行っていい? 五限始まりそうだから」
「止めてないし、別に遅れてもいいだろ。サボるだけなんだから」
「は?」
「何だよ」
「……なあんかお二人さん、いい雰囲気だね!」
「どこが?」
無邪気な灯本の声に対して不覚にもハモってしまい、気まずいような、ムカつくような。
いい雰囲気と言われたって、それは青葉という緩衝材を挟んでいるからであって、それが無かったら衝突まっしぐらだ。いや、すでに衝突はしているか。
やっぱり仲いいじゃん! と言って笑う灯本に、再びどこが、とハモってしまう。睨んでくる白縫と苦笑する富士宮とツボに入ったのか笑いから抜け出せそうにない灯本に続いて、不愉快な思いを抱きながら校舎に戻った。
青葉が一人校内に戻るのを見届けた後。私は軽くなったお弁当袋を腕に提げて、帰り際に”そいつ”に話しかけた。
「にしても、意外といい方法取るじゃん。いっつも馬鹿みたいに青葉のことしか考えてないくせにさ」
「いたんだ」
「気づいてたでしょ。最初から」
とぼけようとするそいつに、私は釘を刺すように言葉を被せた。あの距離なのだから気づいて当たり前なのに、関わりたくないとでも言うようにそいつは知らぬ振りをする。
「あっアイデアは僕だよ〜! 凪那のことだしまともなこと考えれないと思ってさ!」
「何となくわかってた。ていうか屋上っていう場所で勘付いた。こいつだったら家に呼びかねない」
「それがあったか」
「あったか、じゃねえよ」
案の定、出所は灯本だった。彼のSNSを見る限りきっと周りの感情に人一倍敏感だろうし、ああいったギリギリ気持ち悪いと思われないラインを攻めるのが得意なのは理解できる。
まあそれはさておき、問題はこっちだ。今回はこいつのアイデアではなかったことがまだ救いだが、今後の攻め方によっては、こちらも最大限警戒する必要がある。
「……青葉は純粋だから、汚されちゃ困る」
「アタックするのはいいんだ」
「それを止めるのはもう諦めてる。青葉じゃなくて私に聞いてくる時点で、めんどくせえなこいつ、とは思ってたから。今さらどうしようもできない」
よくわかってんじゃん、と鼻で笑うこいつに苛立ちながらも、私は一年ほど前のとある日を思い出した。
***
「マノいる?」
隣のクラスからはるばるやって来たかと思えば、でかい声で誰かを呼ぶ白縫。マノ、という聞き慣れないあだ名に、クラス中の女子が目を光らせて誰なのか探る。白縫は教室に入り、纏わりつこうとする女子の腕を躱し、うへえ怖、誰だか知らんがかわいそー、なんて呑気に思っていた私の前で止まった。お前だよ、早く来いよ、と言わんばかりの鋭い視線を私に浴びせて。
「あさのなんだけど、私」
「そうなの? まあどっちでもいいでしょ、大したことじゃないし」
私は不服ながら、白縫の背中を追うようにして廊下を小走りで進んでいた。白縫は悠々と歩いている。脚の長さというどうにもできないものの違いではあるが、この必死さの差にとても腹が立った。
白縫はしばらく歩みを進め、西階段という人通りの少ない場所まで私を連れて行った。踊り場で足を止め、振り返って私を見る。
「青葉といとこなんでしょ、あんた」
「……だからなに」
こちらの心の内を覗くかのような、あっさりとしているようでねっとりとしている声は、とても気持ち悪かった。そして私ではなく青葉を話に出したことで、私の警戒心は一気に強まった。
私と青葉は顔が似ていない。故にいとこであることは、ほとんど誰にも知られていない。担任すらも忘れているほどだ。こいつが知っている理由はわからないが、何かしらの意図を持って情報を得た、というのだけは事実だ。
青葉と関わって何をするつもりなのか。パシりたいとか虐めたいとか、そういう狂った思考の持ち主なのかとも一瞬思ったけど、すぐにその考えは消えた。こいつの瞳が、妙に熱っぽかったからだ。
「青葉のことが好きなんだ。青葉のすべてを教えてほしい」
「……きも」
無意識に蔑みの言葉が口から飛び出て、慌てて手で口を覆う。だが白縫は何も気にしていない様子で続けた。
「青葉本人に聞いたら、きっと怖がって何も教えてくれない。その様子を見たい気持ちもなくはないけど、俺に対してマイナスな思いは抱いてほしくない。だからあんたに聞く」
理由はこれだけ、と白縫は淡々と話し終えた。会話のキャッチボールで言ったら私が返す番だと思うが、それと私が認めるのとは別の話だ。こいつの話す理由からは誠意が感じられなかった。誠意だけじゃない、純粋な気持ち全てが見えない。
「仮にその好意が本物だとして、そんな理由で私が話すと思う?」
「仮じゃない。真実だ」
「今そこはいいんだよ」
妙なところでしつこい男だ。
「信じてほしい、認めてほしいとは微塵も思ってない。ただあんたは俺に情報をやるだけ。そうすれば、あんたのクラスで青葉を陰ながらいじめてる奴らの名前を教える」
「!」
どくんと心臓が音を立てた。
最近、青葉をいじめてる奴らがいるな、とは思っていた。体育の持久走のタイムがずれていたり。教科書が一ページだけ無くなっていて、その範囲を扱う授業の時に決まって当てられたり。目立ったことはそれぐらいで、コソコソと隠れて行動する卑劣な奴らだ。なるべく注意を向けているけど、誰が主犯格かはてんで予想がついていなかった。
「なんであんたがそれを知ってんのかは聞かないでおく。……わかった、私が答えていいと判断する範囲までなら、質問に答える。答えていいと判断する範囲までなら」
念の為二度同じことを言う。さもないと、こいつはプライバシーやモラルを飛び越えたことまで聞いてきそうな予感がしたのだ。
「それと、もう一個制限。あんたからは青葉に近づいちゃ駄目。青葉から近づいてきて初めて、会話していいものとする」
私は人差し指をピンと上に立てて、白縫の顔の前に示した。一線を越えるな、の指図だ。
「青葉の意思は入る?」
「入れなくていい。青葉が望んであんたの近くに来た場合もたまたま近づいてきた場合も、どっちでもよし。とにかくあんたから近づかなきゃいいってこと。でも変に擦り寄るのはやめて。私が注視するからそんなことさせないけど」
「わかった。その条件呑むよ」
利害が一致し、それとなく握手をする私たち。決して仲いいものではなく、青葉のための同盟、といったところだ。
「……傷つけんなよ」
こいつにも聞こえないような声量で、そっと呟く。
大袈裟ではなく、青葉は今まで私が守ってきたのだ。誰かに渡したくない! なんて我儘を言うつもりは毛頭ないが、その誰かが青葉を少しでも傷つけようとしているのであれば、話は変わる。
その点で、こいつは拗らせてるしねちっこいし面倒臭いやつだとは思ったけど、青葉に対して負の感情をまったく抱いていないように見えた。だから私にしては珍しく、信じてみてもいいかな、なんて思ったのだ。この選択が吉と出るか凶と出るかはわからない。わからないからこそ、より一層気を引き締めなければと思った。
***
「……そんな時もあったな」
今となっては懐かしい記憶を振り返って、そう呟く。
知り合ってからの勢いは凄まじいとは言え、約束通り近づいてくるまで青葉に手を出さなかったことには驚いた。こういう奴は大抵、口では賛同しておいてバレないように手を出しているものだ。意外と誠実なのか? なんて思うこともたまにある。
「なんかボソボソ喋ってるけど。もう行っていい? 五限始まりそうだから」
「止めてないし、別に遅れてもいいだろ。サボるだけなんだから」
「は?」
「何だよ」
「……なあんかお二人さん、いい雰囲気だね!」
「どこが?」
無邪気な灯本の声に対して不覚にもハモってしまい、気まずいような、ムカつくような。
いい雰囲気と言われたって、それは青葉という緩衝材を挟んでいるからであって、それが無かったら衝突まっしぐらだ。いや、すでに衝突はしているか。
やっぱり仲いいじゃん! と言って笑う灯本に、再びどこが、とハモってしまう。睨んでくる白縫と苦笑する富士宮とツボに入ったのか笑いから抜け出せそうにない灯本に続いて、不愉快な思いを抱きながら校舎に戻った。
