隣のクラスの白縫くんに好きだと言われました

「お嬢さん。こんなところでどうしたの?」



 ゆっくりとその子のもとへ近づいては、なるべく不審に映らないよう、精一杯優しく笑って話しかけた。

 表面上では穏やかさを演じているけど、心の中はパニックでいっぱいだ。



(お嬢さんって話しかけ方気持ち悪かったかな。いやでも他にどんな言い方があるんだ? そこの子、じゃちょっと冷たいし、男の子だったらボクでいいんだけど。うわめっちゃこっち見てる、そうだよな、見ず知らずの人に話しかけられたらまず疑いなさいって親御さんから言われてるよな。でも制服着てるし怪しい人間じゃないってのはわかるはず。ああでもこのぐらいの年の子だったら、制服って概念すらもないのか!? どうなんだ!?)



「おにいちゃん、だれ?」

「ひっ!! あ、ああごめん、えっと、僕はこの学校の生徒で、君が困ってそうだったから、助けようと思ったんだ」



 久しぶりに迷子の子と会ったため、感覚を忘れかけていた。迷子の子よりも慌ててしまうのは一番やってはいけないことだ。

 落ち着け僕、焦る必要はないぞ、と自分自身に言い聞かせてしゃがみ込み、その子と目線を合わせた。

 大丈夫、”いつもの通りに”やればいいんだ。



「お嬢さん、お名前を聞いてもいいかな」

「……もみじ」

「もみじちゃん! かわいい名前だね、今の季節にぴったりだね」

「あきに、うまれたから」

「そうなんだ! すごく似合ってるよ、とってもかわいい」



 迷子の子に出会った時の対処法は、会得している。

 まず初めに、自分が怪しい者ではないことを証明した上で、なぜ話しかけたのかを端的に、かつわかりやすく説明する。

 次にその子の名前を聞いて情報を得るとともに、褒めたり共感したりすることによってその子の緊張感をほぐす。そうすると誰と来たのか、どこから来たのか、いつから一人になってしまったのかなど、重要な情報は自ずと喋ってくれるようになる。そうではなかったとしても、こちらからさりげなく聞いたらあっさりと答えてくれる。



「今日はどうしてここへ来たの?」

「おねえちゃんにあいたくて」

「そうなんだ、素敵だね。お姉ちゃん大喜びすると思うよ」



 おそらく誰かの家族なんだろうと、予想はついていた。

 ワンピースから靴下、靴に至るまで鮮やかな花柄。高い位置で結ばれたツインテールを支えているゴムは片方がてんとう虫で、もう片方がいちご。ただ遊びに来ただけでは、こんなおめかしはしないだろう。親御さんが張り切って着替えさせたに違いない。

 ……なんて、僕が力を発揮できるのはここまでだ。この子が誰の妹なのか、親がどこにいるのか。僕は超能力者ではない、故に地道に待つか探すかしかできない。早く見つかったとしても三十分、ふつうなら一時間はかかるだろう。すなわち、予定が一つつぶれてしまうということだ。



(ごめん、凪那くん)



 もう少しで会えるところだったのに。僕は、君よりも自分の使命を優先してしまった。

 今さら向かったところで笑顔で迎えてはくれないだろうから、おとなしくこの子の親を探すことに集中しようと思う。



「えっと、今日は誰と来たのかな?」

「おかあさんと、ふたりで」

「そうなんだ。どこにいるかはわかる?」

「おにいちゃん、あまいにおいがする」

「えっ」



 子どもは急に話題を変えたがる。それも覚えていたことだが、忘れかけていた。



「なにかもってるの?」

「……よくわかったね。鼻がいいんだね、もみじちゃんは」



 僕はズボンの横ポケットから、ピンクのリボンでかわいくラッピングされたクッキーを取り出した。二年一組が売っているものだ。



「当てれたご褒美に、これあげちゃう」

「え! いいの?」



 甘いものが好きなのか、それともリボンにときめいたのか。もみじちゃんは目を丸くして僕を見た後、宝物を見るかのようにそのクッキーを眺めた。

 手をお椀の形にして待ち構える姿がかわいくて、僕はゆっくりとその手にクッキーを乗せた。やっと顔が明るくなった彼女を見て、少し肩の荷が下りる。これで第一段階は突破だ。



「うん。あでも、これ僕からもらったってことは内緒にしてね」

「なんで?」

「これ、本当はお金を払って買わなきゃいけないんだ。でも燈くん……僕のお友達が、特別にくれたんだ。だから、みんなには内緒」



 シフトの時間十分前、他クラスの雰囲気をなんとなく見ていた時。廊下で燈くんと偶然出会い、何やら慌てている彼に「青っち甘いもの好きだっけ!? まあいいや! これあげる!」と彼らしい勢いでこのクッキーを押しつけられたのだ。

 本来は買わなきゃ手に入らないものだからいやいや悪いよ、と返そうとしたけど、彼はそのまま走り去ってしまった。

 プレゼントするような人はいないし、シフトの時間は迫っているから食べる訳にもいかなくて、とりあえずポッケに入れておいた。キッチンの机に当たるわここまで走ってきたわでかなり乱暴に扱ってしまったけど、割れてはなさそうだ。



「お兄ちゃんとの約束、守ってくれる?」

「うん! ぜったいまもる!」

「ありがとう」



 もはや泣いていたことを感じさせない満開の笑顔だ。僕はツインテールが崩れないよう注意しながら、彼女の頭を優しく撫でた。一人っ子で兄弟を望んだ時もあったから、妹がいたらこんな感じなのかな、と僕まで温かい気持ちになった。



「あ、おかあさん!」

「え」



 元気を取り戻したもみじちゃんがある一点を見つめ、明るい声で「お母さん」と言った。……? 迷子のはずなのに。



「もみじ! 大丈夫、ちゃんといい子にしてた……って、あ、あなたは?」



 お母さんと呼ばれた女性はトイレから出てきた途端にもみじちゃんを見つけ、名前を呼んだ。そしてすぐそばにいる僕の存在に気づくと怪しむように目を細めたから、僕は慌てて立ち上がった。

 ……なんか、まだ確定ではないけど、とんでもない勘違いをしているような気がする。



「あ、えっと僕は怪しい者ではなくて、ここの生徒です。この子が泣いているように見えたので、もしかして迷子になっているんじゃないかと思って声をかけたんですが」

「迷子……ああ、ふふっ」



 お母さんはパチリと瞬きをして少し黙った後、何かに気づいたように笑った。



「ふふふ。すみません、迷子になっていた訳ではなくて、私がお手洗いに行くのを待ってくれていたんです。本当は中に連れて行くべきなんでしょうけど、この子狭い場所があんまり得意ではなくて。それに外だと比較的大人しいし、動かないでねって入念に聞かせて、待ってもらっていました」

「え、それじゃあ泣いていたのは」

「たぶん、さっきやった輪投げで高得点が取れなかったことを引きずってたんだと思います。実際ここに来るまでもずっと泣いていましたから。でもお兄さんのお陰で泣き止んだんですね、ありがとうございます」

「あ、いえ、僕は何も」

「おにいちゃん、おかしありがと!」

「え、ちょっともみじ、このお兄さんから何かもらったの!? ダメじゃないわがまま言ったら。すみません、この子をあやすために見せてくれたんですよね。お返しします」

「いえ、僕があげたかっただけです。持て余していたので、もしよかったら」

「本当にいいんですか……? ありがとうございます。ほらもみじ、もう一回お兄さんにお礼言って?」

「うん! ありがとうおにいちゃん!」



 もみじちゃんはギュッと、僕の太腿に抱きついた。

 かわいすぎる。無邪気さといい素直さといい、あまりにもかわいい。



「こちらこそ、僕のお話し相手になってくれてありがとね。学園祭、楽しんで」

「うん!」

「本当にありがとうございました」



 お母さんは深くお礼をする。首から下げていたネームストラップがだらんと宙に浮き、そこに書いてあるクラスと名字にようやく目がいった。



「……え! あの、もしかして清水さんのお母様、ですか」

「はい、そうですけど」

「同じクラスの唐橋と言います。先ほどのシフトで清水さんと一緒に作業しまして」

「ええ! そうだったんですか。娘は何か失礼なことしていませんか?」

「いえいえ全く! むしろ、お客さんが少ないから早めに終わっていいよって、仕事を引き受けてくれました。彼女とはあまり話したことがなかったんですけど、交流ができてよかったです。彼女のお陰でもみじちゃんにも会えましたし」



 下を向いてもみじちゃんと目を合わせる。伸ばされた手を取ると温かく、小さく、柔らかかった。

 内から湧き出てくる守りたい! という気持ち。これが母性というものなんだろうか。



「……優しいですね、唐橋さんは。兄になってほしいぐらいですよ、我が家が穏やかになりそうです」

「え、そ、そうですかね」

「はい。家では喧嘩してばっかりなので。まあ大半はもみじのわがままなんですけど。そのゲーム貸して! とかお姉ちゃんのエビフライの方が大きい! とか」

「それは……かわいいですね」



 好き放題に騒ぐ姿を想像して笑みがこぼれた。天使のようにかわいいけど、やっぱりわがままを言う時はあるんだな。



「っすみません長々と話してしまって、お忙しいでしょうに。もう行きますね。本当にありがとうございました。また関わる機会がありましたら、その時はぜひ」

「あ、はい。よろしくお願いします。じゃあねもみじちゃん」



 もみじちゃんは笑顔で手を振りながら、お母さんはペコペコと頭を下げながら廊下を歩いていき、じきに姿は見えなくなった。

 一人に戻った僕は握ったままのスマホでどれくらい時間が経過したかを把握し、同時に凪那くんとの約束が破綻したことを今一度確認した。



(悲しいけど仕方ない。自分で取捨選択した結果なんだから)



 こうなった以上素直に会えない旨を伝えようと、LINEを開いて思いつくだけの言い訳を打ち込んでは消した。

「行けなくてごめん。急用があって」「急遽シフトが延長しちゃって」「体調が悪くなって」

 すべて微妙だ。正直に言うにも嘘を使うにも罪悪感が芽生えて、メッセージを送る勇気が湧いてこない。

 踏ん切りがつかないこの時間がもったいないということはわかるのに、不思議と焦る気持ちは湧いてこない。どれだけ急いだって結果は同じなんだからという諦めが理由だと思う。



「……決めた。やっぱり正直に言おう。『急用があったから間に合わなかったや。ごめんね』っと」



 フリック入力で端的にその言葉を打つ。震える親指を必死に動かして、青い矢印に触れそうになった瞬間。僕の真横にある、何の教室かも忘れてしまった謎の部屋の扉が開く音がして、自然と顔をその扉に向けた。

 人一人がギリギリ通れるような隙間からにゅっと腕が出てきたが、手首も見えないような長袖を着ているし、扉の窓にはカーテンがかかっていてシルエットすら見えない。変な人がいるもんだなあと思った。

 次の瞬間、その腕は僕の右腕を力強く引っ張り、バランスを崩した僕をさらに引っ張り、教室の中に入れた。

 埃っぽいカーテンを顔面で受けた僕は当たり前だが衝撃で視点が定まらない。腕の主はそんな僕をきれいに一回転させて後ろから抱きしめ、もう片方の腕で静かに扉を閉め、何事もなかったかのようにして廊下とこの部屋を切り離した。

 僕の腹部を触る指は細くて、白くて、でも少し骨っぽさがあって、かなり見覚えがあったから、僕はその指にそっと触れた。



「遅れてごめん。凪那くん」

「…………遅い」



 かなりの時間の沈黙を挟んでから、凪那くんはその一言だけ発した。今までの僕なら怒らせてしまった、不機嫌にさせてしまったと焦るだろう。でも今の僕は違う。

 彼がどんな思いで待っていたのか、どんな思いで僕の言葉を聞いていたのか。それを想像すると、怒っているのではなく悲しんでいるんだなと、容易にわかる。



「うん。ごめん」



 僕はもう一度謝った。謝ったところで許してもらえるとは思わないけど、それでも謝りたかった。



「なんでここにいるの? 集まるのは資料準備室じゃなかったっけ」

「……入ろうと思って覗いたら、何人かが休憩してたから。誰もいないとこがいいと思って、こっちに変えた」

「ここに来るまで、誰かに見つからなかった?」

「平気。帽子と眼鏡とマスク着けてきたから。まあ怪しい人だとは思われてるだろうけど」

「ふふっ……うん、絶対そうだよ」



 段々普段の凪那くんに戻ってきているような気がした。まだテンションは低いけど、冗談を言えるくらいにはなっている。

 そろそろ顔を見て話したいなと思ったけど、向こうにはその気がなさそうだった。このままの体勢を望んでいるような、そんな強い抱擁が続いた。



「さっきの、聞いてたよ」

「さっきのって……もみじちゃんとそのお母さんとの?」

「うん。最初から全部。やることなくて、扉に背中くっつけてたから。青葉はすごいね、ああやってたくさんの人を助けちゃうんだもん。俺なんかとは大違いだ」

「そんなことないよ。凪那くんは演技で何人もの人を夢中にさせて、活力を与えてるじゃん。たくさん見たよ、凪那くんのドラマのグッズ持ってる人」

「それはハルヒのことが好きなだけ。もし俺自身のファンですって人がいたとしても、それはありのままの俺じゃなくて、芸能界用に加工された白縫凪那が好きってだけ。そんなもんだよ、俺の力って。青葉はそのままの青葉として助けてる。そっちの方がすごいんだよ、ほんと。……どうしてくれんの。また好きになっちゃった」

「……」



 「好き」という言葉。本来はとても破壊力が高くて、一瞬でときめいてしまうから危険で、でも幸せな気持ちになれる、そんな言葉。

 でも今の「好き」は違う。凪那くん自身のテンションもそうだけど、なんかこう、異質な感じだ。僕に向けて言ったんじゃなくて、自分に言い聞かせてるような、そんな感じ。

 僕も好きだよって、言いたかった。言うつもりだった。通知のこない携帯を見つめながら、昨夜布団の中で決意したことだ。次会えた時に、想いを全部伝えるって。

 凪那くんの腕で身動きがとれない中でも、どうにか体勢を変えて、振り向こうとした。思いを伝える時は、やっぱり顔を見たい。

 そんな僕の思いが通じたのか凪那くんは少し力を緩めてくれたから、これはもう確定演出だろう、なんて醜いほど純粋にそう思った。



「あの、凪那くん、実はね」

「よかった」

「え?」

「青葉に出会えて、よかった」



 何やら不穏な言葉が聞こえて、顔を見るのが怖くなった。でも今さら体を止めることもできない。僕の視線は吸い込まれるように凪那くんの顔にいった。



「……! 凪那、くん」

「ありがとう。青葉」



 彼の顔を見て、僕の頭に最悪の可能性がよぎった。求めるように、縋るように名前を呼んでも、効かなかった。

 今までに見たことない切ない顔。どうしてそんな顔をしているのか。僕が想像している最悪の可能性を、凪那くんも考えているんじゃないか。言いたいことは山ほどあったのに、そのどれも、口から出てこなかった。

 その後彼とどうやって別れたのかも、どうやって家に帰ったのかも覚えていない。僕の脳にはずっと凪那くんの顔だけが反芻していた。