隣のクラスの白縫くんに好きだと言われました

「はあ……」



 賑やかな空気に不釣り合いな重たいため息を吐く。無事に学園祭初日を迎え、思い思いに楽しんでいる周りとは反対に、僕の心は重く沈んでいた。

 今年の学園祭で、二年は飲食の販売になった。学級委員長同士のじゃんけんによって第一希望だったタピオカミルクティーに決まり、接客への圧倒的な不安があった僕は迷わずキッチンを希望した。

 生徒会にも有志の実行委員会にも参加してない僕がやったことといえば、そつなく作れるようになるまで練習することぐらいだ。最低限しか貢献できていないけど、みんなの学園祭にかける思いを知れて自分まで熱くなった時もあったし、前日のリハーサルでそれまで喋ったことのなかった人と喋ることもできた。自分自身の成長もできて、全体としても文句なしのクオリティで、今年は大成功だ。



(って無理やり納得させてるけど、やっぱり難しいな)



 あの撮影以降、凪那くんを一度も見ていない。学校でもプライベートでもだ。

 それだけじゃない。LINEだって、こちらが連絡しても返ってくることはほとんどない、既読がついたらいい方だ。

 ドラマの撮影、宣伝用のテレビ出演にSNSでの告知。時間がないということは十分にわかっている。だけど寂しいか寂しくないかで言ったら、やっぱり寂しい。本当に僕のことが好きなのなら仕事よりも僕を優先してほしいのに、なんて大それたことまで最近は思ってしまう。



(ま、そんなこと考えてる場合じゃないな。今はとにかく与えられた仕事をやるしかない)



 僕が今やるべきなのは無駄な想像をして悲観的になることではなく、ひたすらタピオカの入った紙コップの中にミルクティーを注ぐことだ。

 アイスなら市販のミルクティー、ホットなら鍋に入ったミルクティーをお玉で入れて、提供用のお盆に乗せる。余計なことを考えてしまわないよう一心不乱に作業に取り組んだ。



「……くん、唐橋くん。ちょっとペース下げてもいいよ」

「えっ、あ、そう?」



 誰かの声が聞こえるなあと思っていたら、先ほどまで提供係としてお客さんへの対応をしていた清水さんが、いつの間にか僕の近くにいた。

 ただでさえ教室の後ろ側四分の一と定められており、その上在庫のタピオカが入った段ボールや嵩張る紙コップの山で埋め尽くされ足の踏み場もないキッチン。清水さんは片足立ちになり、よろめいた時は右手を段ボールにそっと乗せるという厳戒態勢でバランスを取っていた。絶対に何にも当たってはいけない、という強い意志が溢れ出ていて、彼女の真面目さが伺えた。



「ごめんね、ほんとはここまで来なくてもよかったんだけど、唐橋くんすごい集中してて声聞こえてなさそうだったから」

「清水さんは何にも悪くないよ、僕の方こそ聞いてなくてごめん。それで、ペース下げてもいいってどういうこと?」

「……ほら。教室内、ガラガラでしょ」



 僕らの目の前にある、キッチンと飲食スペースを区切っているカーテンを少しだけ捲り、清水さんは囁いた。

 その言葉の通り、教室には一組の家族連れと女性二人しかおらず、あれだけ盛り上がる声が聞こえてきた割には妙に人が少なかった。



「な、なんでだろう」

「私たちのせいじゃないと思うよ。かと言って呼び込みが悪い訳でもない。白縫くんだよ、原因は」

「え、凪那……白縫くんが?」



 思いもよらぬところから出たその名前に、つい体が反応してしまう。下の名前で呼んでしまったことに焦ったけど、清水さんは何も気にしていなかった。



「この前蜜希ちゃんが来てくれた撮影あったじゃん。あのドラマが放送始まって、深夜帯では異例の高視聴率取ってるんだって。それで撮影場所になったのがこの高校で、おまけに白縫くん本人も通ってるとなったら、そりゃ来たくなるよね」

「えっと、つまり、今日のお客さんのほとんどは白縫くんに会えるかもしれないっていう期待で来てる、ってこと?」

「そういうことだと思う。もちろん生徒の家族もそれなりに来てるんだろうけど、それにしても二、三十代の女性が多すぎる。校門での受付見てて、去年より女性多いなって気しなかった? って、そっか、唐橋くんは朝からずっとやってるから見てないのか」

「あ、うん……そうだね」



 せっかくの会話を広げるチャンスだというのにも関わらず、曖昧な返事で終わらせてしまった。それどころじゃなかったのだ。

 いくら連絡がないといったって、学園祭というのは重大なイベントだ。もしかしたら凪那くんから一緒に回ろうとお誘いが来るかもしれない。忙しい芸能活動の合間を縫って、こっそりと校内に忍び込み、僕に会いに来てくれるかもしれない。そんな淡い期待を昨日の夜まで抱いていた。しかし日付が変わる頃、本当に何もないんだなと確信して、絶望しながら浅い眠りについた。

 凪那くんが有名になり始めた。今までこの学校でしか知られていなかった存在が、SNSを通じてネット上に、テレビを通じて日本中に。その事実はどうしようもなく、僕を寂しくさせた。



(お客さん、もっと来てくれたらいいのに)



 余計なことを考える暇もないほど忙しかったら、凪那くんのことを思い出さずに済んだ。お客さんが一人も来なかったら、こんなに人員はいらないと早めにシフトを終わらせることができた。中途半端に暇なせいで、仕事には集中できず、かといって凪那くんのことをずっと考える訳にもいかず、一番苦しくなっている。

 もはや空気を吸うこともうまくできなくなって、もう早めに切り上げて家に帰ろう、と思い立った。展示やら装飾やらは去年とあまり変わらないから見なくてもいい。清水さんには申し訳ないけど、こんな状態で一緒に作業をしたとしても、楽しくないだけだろう。



「清水さん、申し訳ないんだけど、シフト、もう上がってもいいかな。お客さんも増えそうにないし」

「うん、全然いいよ。さっきからちょっと体調悪そうだもんね。あと二十分もしたら次の人が来るから、それまでは私がどうにかする。お疲れ様」

「……ありがとう。ごめんね」



 彼女の思いやりが、かえって僕に罪悪感を抱かせた。凪那くんに会えなくて、僕は目で見てわかるくらい憔悴しきっているというのか。これを恋と言わずしてなんと言うのだろうか。いや、今さら気づいたところでどうしようもないか。



(ずっと自分の気持ちに蓋をしてた罰だ)



 惨めな思いを抱きながら三角巾を取り、エプロンのちょうちょ結びを解く。それなりに綺麗に畳んで近くの段ボールの上に置き、教室を出ようとしたところで、ズボンの後ろポケットに入れていたスマホが振動した。



(なんだよこんな時に。公式LINEかな、それともお使いのお願いかな)



 どちらにせよテンションは上がらない。爪で軽くパスワードを押してホーム画面に行き、LINEを開く。



「……! 清水さん、後よろしくね」



 送られてきた文言を確認してすぐ、今一度彼女に仕事を託して、扉を開け廊下に飛び出た。ポッケに入れ直すのも面倒でスマホは左手に握ったまま、目的地まで急いで向かった。



“会いたい。少しだけでいい。資料準備室で待ってる”



 無機質な文字だけど、僕の耳にはしっかりと、凪那くんの声で再生された。



***



「はあ、はあ、はあ、はあ……」



 走る。走る。いつここに来たんだろう、何を伝えようとしているんだろう、なんて余計なことは考えずに、ひたすらに走る。

 資料準備室は一度も入ったことがない場所だ、だが流石にどこにあるかはわかる。持ちうる限りの知識を総動員して、最短距離で行けるよう頭で考えながら、これ以上ないほど体を速く動かした。



「白縫凪那見れると思って来たのに」

「ね、来てないんだね」



 しかし通り過ぎた一般客の会話が耳に入って、思わず体を止めた。彼女たちの鞄には、凪那くんのドラマのタイトルが書かれたキーホルダーがぶら下がっていた。まさかと思って、僕はこの廊下にいる女性客の持ち物に注目してみた。



(……ほんとだったんだ)



 清水さんの予想は、当たっていた。今まさに廊下を行き交い会話を弾ませている人たちは、さっきと同じキーホルダー、パンフレットを入れるクリアファイル、さらには水筒カバーに至るまで、ほとんどが公式から出ているグッズを身につけていた。

 全員が凪那くんの居場所を探り、まぐれで会えることを望んでいる……というのは僕の考えすぎだと思うが。でも、少なからずいるはずだ。純粋な気持ちを装って、凪那くんに会おうとしている人が。



(急がないと)



 資料準備室までの行き方はわかりづらいとはいえ、パンフレットに載っていない訳ではない。教室にもいない、校庭にもいないとなれば、資料準備室を疑う人がいてもおかしくない。そして、もし見つかったらきっと大騒ぎになる。不特定多数の人間からカメラを向けられ、困惑と怒りでぐちゃぐちゃになった心を必死に抑えて笑顔を見せる凪那くんを想像してしまった。

 止まっている暇なんてない。一刻も早く、僕が助けにいかないと。

 そうして再び足を動かそうとした僕の目に、奇妙な光景が入った。しきりに目を擦り、時折ズビズビと鼻を鳴らしている女の子だ。

 無視することは、できなかった。