隣のクラスの白縫くんに好きだと言われました

「神野さん。少し話があるんですけど、いいですか」



 撮影が順調に進み、予定より少し早く昼食休憩に入った。監督との話し合いが終わってすぐ、俺は神野さんの元へ向かった。

 彼女は日陰に佇み真剣な眼差しで腕に日焼け止めを塗り直していたが、俺が声をかけるとすぐに手を止めた。



「うん。いいよ」

「ありがとうございます。それじゃ、あんまり見られたくないですし、あそこの柱まで」



 向かっている間、眼球だけを動かして上の様子を見た。教室の窓から覗く輩と、廊下から覗く輩。あの柱はちょうど死角になっていて、どこの窓からも見えない。ここの生徒だからこそ発揮できる知識だ。

 誰だか知らないが、俺が通っているからという安易な理由で撮影場所をここにしてくれたスタッフに感謝をしつつ、彼女を目的地まで誘導した。



「さっきは、急にアドリブ入れちゃってすみません」



 覗いている生徒が誰もいないことを確認してから、俺は彼女に頭を下げた。彼女がアドリブに対応できない人間だとも、アドリブを許さない人間だとも思わないが、念のためだ。



「あれね! 全然気にしないでいいよ。むしろ台本よりハルヒらしかったと思う、ああやって寸止めするの」

「ほんとですか。ありがとうございます」



 彼女の純真な性格から出る率直な褒め言葉に、浅く礼をした。

 先ほどのシーン、台本には「唇をつける」としっかり表記されていた。それに俺自身もこのオファーを受けた時点で、そういったシーンを演じることは覚悟していた。

 しかし、監督からの合図が出される直前、上からこちらを見ている青葉の存在に気づいた。

 俳優としてこんなことを思うなんて言語道断だ。だがどうしても、青葉にだけはどうしても、キスシーンを見られたくなかった。だから即興で寸止めをし、「されると思いました?」なんてハルヒらしい意地悪な台詞をつけて、おまけに小悪魔っぽく微笑んでみたのだ。

 カットがかかった直後には青葉はいなくなっていたから、これでやり直しを要求されても大丈夫だと思った。しかし予想以上に監督が気に入り、このアドリブを採用する方向で決定した。何でもやってみるもんだなと、最低の学びを俺はした。



「クランクインした時はどうなることかと思ってたけど、何だか、時間が経つごとにハルヒに近づいてる気がする。一緒にやれて嬉しいよ」

「こちらこそ、嬉しい限りです。ありがとうございます」



 ここまで喋って、神野さんはさっきの俺と同じように、眼球をチラリと横に動かした。こちらを注意深く監視していたスタッフが何事もなかったかのように背を向けたのを見て、俺らはやっと、素の状態を出すことができた。



「はあ〜スタッフの目盗むのも大変だね。これで学んだでしょ? 芸能界の怖さ」

「そうですね。てっきりカメラが回ってない時は自由にやれるもんだと思ってました」

「チッチッチ〜違うんだなこれが。むしろカメラが回ってない時の方が大事なのよ。スタッフへの対応、共演者との会話、関係。一瞬の気の緩みですぐパワハラだ熱愛だって騒がれて引き摺り下ろされるんだから、ほんとに気をつけてね。まあ熱愛に関しては危ないと思ってないけど」

「はい。誰にも興味ないです。もちろんスタッフにも」

「それはわかってるけど、逆もね。わざと近づいてくる策略家もうじゃうじゃいるんだから、ちゃんと見極めないとダメだよ?」

「忠告ありがとうございます」



 伝わってないなこりゃ、とぼやく神野さん。皮肉だと思われるだろうが、今の飾らない表情の方が、繕った笑みの何倍も魅力的だと思う。もちろんそれは同業者としての魅力であって、”そういう”目で見ることなど天地がひっくり返ってもないが。



「あってかさてかさ! さっきの話の続き聞かせてよ。私気になって演技どころじゃなかったからね。女優としてアウトだけど笑」

「どこまで話しましたっけ」

「えっと、向こうからのクイズに外れて、正解言われたとこまで」

「ああ。キスしました」

「え」



 神野さんの手に大事そうに握られていた、いかにも高級そうな日焼け止めがするんと、気持ちいいほど滑らかに落ちて地面に着地した。拾って表面についた砂を軽く払い彼女に渡したが、彼女は唖然とした表情のままだった。目が大きいなという単純な感想を持った。



「うえええ!? やるやん! ほれ!」



 やっと俺の言ったことに理解ができたのか、彼女は顔に似合わない太く大きい声を出した後、右手を高く上げた。

 何の合図かわからなかったが、「ほれほれ! ハイタッチだよ!」と言われたから右手をあげ、彼女の手に合わせた。パンという陽気な音が鳴った。



「額ですけど」

「それでもすごいよ! いやあ、よかったね、好きになったきっかけから長々と聞いてきた甲斐があったよ」

「すみません、たぶん神野さんの休憩時間ほとんど自分の話で消費させてたと思います。ただでさえお忙しいのに」

「何言ってんの! 若者の恋愛模様なんて癒し以外にないでしょ! 白縫くんの恋バナが聞けるからこの撮影楽しみにしてるのに! それがなかったらとっくのとうに休んでるよ!」

「それは嬉しいです」



 役者としてその発言はどうなんだと思いつつも、少しでもモチベーション維持に貢献できていたのだとしたら嬉しい。

 エキストラ以外の共演者で恋愛話を聞いてくれそうな人はおらず、かといってスタッフにベラベラと話しかけることもできず。迷惑であることは百も承知で、撮影序盤に勇気を出して話しかけに行って良かったと、心から思った。



「でもそっか〜、今の高校生ってそんな慎重派なんだ。私の時とえらい違いだよ」

「六年前ですもんね。神野さんが卒業したの」

「やめやめ。一応ピチピチの20歳で売ってんのよ」

「ずっと思ってたんですけど、なんでサバ読んでるんですか? 若さで売らなくても成功しそうなのに」

「そこなのよ! ちょっと聞いてくれる? 愚痴というか、私の超絶苦労話。ずっと話したかったんだけどタイミングがなくて」

「もちろんです。自分も聞いてもらったので」



 脊髄反射で答えると、神野さんは「返事はや!」と吹き出すように笑った。太陽のような明るさだ。共演者キラーと巷で揶揄されているのはこれかと理解した。



「ほら、私童顔じゃん? ……ちょっと、ここは共感してほしいとこなんですけど。まあいいや、私三年前にデビューしたんだけど、その前に大勢の大人と話して、この顔なら未成年で売れる、17でいきましょうって結論づいたのよ。でも私の中で大問題だったのがお酒。未成年で売るってなると、外で飲めないだけじゃなくて家用に買うのも控えないといけないのね、万が一撮られでもしたら大変なことになっちゃうから。その時からお酒大っ好きだったからほんと許せなくてさ、ギリギリまでマネージャーと戦ったけど勝てなくて。だから実質去年まで禁酒してたんだよ。偉いね偉いね私、あと一年と何日で呑めるよ、って言い聞かせながらさ笑」

「……すごい、苦労されてたんですね。俺たちから見えないところで」

「でしょ、すごいでしょ!? ほんと大変だったんだから、耐えるの。で、色んな苦労を乗り越えて、今年やっと設定年齢が20歳になったのよ、つまり完全解放ってこと。いやあ、嬉しかったね。元日が誕生日だから年明けの瞬間はコンビニで迎えたんだよ、もう謹賀新年とかどうでもよくてただただお酒が呑みたくて。待ってるところを週刊誌に撮られちゃったんだけど、無邪気でかわいいって評価になったので私の完全勝利です」



 話の最後、俺の目の前に出された大きなVサインからは、葛藤、辛さ、解放、嬉しさなどなど、言葉にし切れない様々な感情が表れていた。欲望に塗れた大人たちの対応、逆らったって、場合によっては訴えたっておかしくない話だ。でも彼女はそれをしなかった。静かに耐え、画面の中では清純を演じ、番宣で出た番組では無邪気な素顔を明かして、着々と地位を築いていった。自分が彼女の立場になったら、果たして同じようなことができるだろうか。



「……だからか」

「なにが?」

「ああいや、今回共演させていただくってなって、今までに出演なさってた作品とかそれに対する評価、みたいなものを一通り拝見したんです」

「嘘、ほんとに? わざわざ?」

「はい、可能な限り相手を知るっていうのが自分のポリシーなので。それで、熊寺さんっていらっしゃるじゃないですか、評論家の。あの方が『あどけなさの中に妙な哀愁が漂っている』って言及してて、何がどうやってそう見えたのかその時はわからなかったんですけど、その話を聞いて、わかったような気がします。圧倒的な努力はもちろん、大事なものを我慢して得る気持ちの一つ一つを大切にして、初めて道が開けるってこと。役者として生きる上で大切にしたいと思います。お話、聞かせてくれてありがとうございました」



 最大限感謝の気持ちを示そうと深く礼をした。そんな、いい話じゃないよ全然、と本人は卑下したが、彼女の話は今の俺に必要な覚悟を照らす光のようになってくれたと思うし、間違いなく今後の人生に影響を与えてくれるだろう。



「白縫さん神野さん、ケータリング用意してるのでこちらにいらして下さい!」



 先ほど注視してきたスタッフが、大きく手を振りながら何食わぬ顔で俺らに声をかけた。

 神野さんは「元に戻んなきゃね」と呟いたあと、



「すみません〜白縫くんと確認したいことがあって! わざわざありがとうございます!」



 と元気に声を出し、駆け足でスタッフのもとへ行った。一人残された俺はゆっくりと歩みを進めながら、彼女の努力を自分自身に投影してみた。

 一番大切にしているもの。手放さなければいけないもの。失って得られる感情と、それを経験した上で改めて得る大切なもの。

 芸能生活というのは、いや人生というのは、そのサイクルでできているのかもしれない。だとしたら、俺が手放さなければいけないもの。そんなの決まっている。



「青葉との、時間だ」



 俺の声は誰にも聞こえていない。俺の決意も、誰も知らない。