「みんな、ちょっといいかな?」
野蛮な空間に一つ、ひばりのような声が通った。音域で言ったらソプラノだ、清涼感を持っていながら、この場にいる全員に届けようとする力強さもある声。誰から発せられたものかわからなかったけど、あれほど騒いでいたみんなが一斉に静かになって神野さんを見ているから、彼女の声だと認識した。
「今日ってほんとは授業の日だったんだよね、邪魔しちゃってごめん。でもみんなが協力してくれれば、お昼前には終われると思うんだ。それで、勝手ながらさっき校長先生と話してきて、この撮影が終わったらみんな帰っていいことになったの」
「うおー!!!!」
「まじ!?」
「うん、ほんと」
神野さんはニッコリと微笑んだ。ドラマで見るような演技めいたものとは違う、素の状態だとわかるような柔らかい笑みで、近くにいた数人がへなへなと地面に膝をつけた。破壊力抜群だ。
「みんな、今日はわざわざ早く登校してきてくれたんだよね。ただでさえ迷惑かけちゃってるのに申し訳ないんだけど、ちょっとの間だけ、力を貸してください」
よっしゃやるぞー! とほとんどの男子が拳を空にあげ、一致団結した。女子は同じようにやる気を出す面々もいれば、
「あんなかわいくて優しいとか勝ち目ないわ」
「気遣いまでパーフェクトかよ、こりゃ白縫くん取られても文句言えませんわ」
などと愚痴を言うテンションで褒める面々もいれば、という感じだ。
全員の気持ちが揃ったこのタイミングで監督は撮影開始の合図を出し、ディレクターはその都度告げる指示に従うよう僕らに言った。そこからはもう、すごかった。
掛け声に合わせて全員で入場し、騎馬戦やら綱引きやらリレーやら各種目を実際の人数でやるなど、五月にやった体育祭をもう一回やっているのと何ら変わらないほどに労力を要した。参加は任意でいいということで僕と霧ちゃんはずっと応援役に従事していたけれど、運動部に所属するほとんどの生徒は参加し、主演の二人より目立ってしまっているんじゃないかと心配になってしまうぐらい貢献をしていた。
みんなが真剣に種目を行っている中で凪那くんと神野さんのシーンというのも撮影されていたらしいが、あまり見たくないな……という謎の消極的な思いが先行して、なるべく背を向けるようにしていた。だからどういうシーンがあるのか、何をしていたのかはほとんどわからず、気づけば監督のOKが出ていた、という感じだ。「凪那くんの演技見ようと思ってたのにー!!」という運動部女子たちの悲痛な叫びが、空に消えていった。
***
「はい、監督からの最終OKも出ましたので、以上で皆さんの撮影は終了です! お疲れ様でした、本当にありがとうございました! この後は主演お二人のシーンになりますので、帰りたいという方は下校してもらって構わないです!」
豪華な花束が各クラスに贈られ、撮影は幕を閉じた。が、あれだけ騒がしくしていた彼らが大人しく帰る訳がなかった。
「そんなん見る一択だろ!」
「すいません、教室からだったら覗いても大丈夫ですか?」
「はい、問題ありません」
「やった! ありがとうございます!」
早々に教室を出た興味ない派が三人、あとは全員観察を希望だ。一応僕もその一人。
撮影の裏側ならテレビで見れるとしても、実際の現場を見れるなんてそうそうないこと。帰ろうよと腕を引っ張る霧ちゃんに懇願して、人の少ない廊下から撮影現場を見下ろした。
「先輩、どこ行くの」
「ハルヒくん。ちょっと、手離してよ」
「嫌です。離したら先輩またどっか行っちゃうでしょ」
「かっこいい〜! やっぱ白縫くん最高にかっこいいんだけど!」
右隣の女子がそう騒いでも、共感する気にもなれなかった。凪那くんの言動や行動一つ一つが、どことなく僕に向けられたものと似ていたからだ。
「……私とハルヒくんとじゃ住む世界が違うんだって、前も話したでしょ。いい加減私のことは忘れて、他に楽しいことを見つけなさ「やだ」
神野さんのセリフを妨げて、凪那くんが喋る。台本通りなのかアドリブなのかはわからない。だけどその「やだ」は、本心で言っているように見えた。
「俺が先輩のことを好きで、先輩が俺のことを好きって事実があったら、他になにもいらないでしょ。周りなんてどうだっていい。先輩は俺のことだけ見ててよ」
「そう言われたって、簡単にそう思えるようなポジティブ思考じゃないのこっちは。っ!」
「きゃあ! あ、やばおっきな声出しちゃった」
左隣の女子は普段の控えめさとは一転大きな声を出し、それがまずいと思ったのか口元に手を当て、きょろきょろと辺りを見渡した。そして注意されないことがわかると視線を外に戻し、食い入るように二人の”キスシーン”を見た。
(……っ)
心に刃が刺さったような感覚を覚えた。苦しいと息ができないということを初めて知った。今すぐ目を背けたいのに、体が言うことを聞いてくれない。嫌だと思う反面、僕も彼女と同じように、まばたきも忘れ二人を見ていた。
(今までだったら、ほら、彼と僕では世界が違うんだ、大人しくしよう……って思えてたのに。なんでだろう、なんでこんなにモヤモヤするんだろう)
凪那くんを取られてしまったことの寂しさ? いや、凪那くんは元々誰のものでもない、凪那くん自身のものだ。
キスへの羨ましさ? いや、僕は凪那くんとそういった身体接触を求めている訳では……ないと、思っていたけど。こんなに身体が疼くということは、羨ましいと思っている、ということなんだろうか。
もうほぼ答えは出たような気がするけど、わかりたくないという思いで、必死にこの気持ちに蓋をした。自覚したところで、苦しいだけだから。
「いい加減帰ろう青葉。お腹空いちゃったよ。あんなん見ててもいいことないって」
「あ、うん。そうだ、ね」
僕の心情を察したのだろう霧ちゃんは、あくまで自分が帰りたいからということにして、僕をこの場から離そうとしてくれている。その心遣いには報いるべきだと、僕は素直に従って帰ることにした。
直後の凪那くんが、「されると思いました?」と意地悪そうに笑っていたことを知らずに。
野蛮な空間に一つ、ひばりのような声が通った。音域で言ったらソプラノだ、清涼感を持っていながら、この場にいる全員に届けようとする力強さもある声。誰から発せられたものかわからなかったけど、あれほど騒いでいたみんなが一斉に静かになって神野さんを見ているから、彼女の声だと認識した。
「今日ってほんとは授業の日だったんだよね、邪魔しちゃってごめん。でもみんなが協力してくれれば、お昼前には終われると思うんだ。それで、勝手ながらさっき校長先生と話してきて、この撮影が終わったらみんな帰っていいことになったの」
「うおー!!!!」
「まじ!?」
「うん、ほんと」
神野さんはニッコリと微笑んだ。ドラマで見るような演技めいたものとは違う、素の状態だとわかるような柔らかい笑みで、近くにいた数人がへなへなと地面に膝をつけた。破壊力抜群だ。
「みんな、今日はわざわざ早く登校してきてくれたんだよね。ただでさえ迷惑かけちゃってるのに申し訳ないんだけど、ちょっとの間だけ、力を貸してください」
よっしゃやるぞー! とほとんどの男子が拳を空にあげ、一致団結した。女子は同じようにやる気を出す面々もいれば、
「あんなかわいくて優しいとか勝ち目ないわ」
「気遣いまでパーフェクトかよ、こりゃ白縫くん取られても文句言えませんわ」
などと愚痴を言うテンションで褒める面々もいれば、という感じだ。
全員の気持ちが揃ったこのタイミングで監督は撮影開始の合図を出し、ディレクターはその都度告げる指示に従うよう僕らに言った。そこからはもう、すごかった。
掛け声に合わせて全員で入場し、騎馬戦やら綱引きやらリレーやら各種目を実際の人数でやるなど、五月にやった体育祭をもう一回やっているのと何ら変わらないほどに労力を要した。参加は任意でいいということで僕と霧ちゃんはずっと応援役に従事していたけれど、運動部に所属するほとんどの生徒は参加し、主演の二人より目立ってしまっているんじゃないかと心配になってしまうぐらい貢献をしていた。
みんなが真剣に種目を行っている中で凪那くんと神野さんのシーンというのも撮影されていたらしいが、あまり見たくないな……という謎の消極的な思いが先行して、なるべく背を向けるようにしていた。だからどういうシーンがあるのか、何をしていたのかはほとんどわからず、気づけば監督のOKが出ていた、という感じだ。「凪那くんの演技見ようと思ってたのにー!!」という運動部女子たちの悲痛な叫びが、空に消えていった。
***
「はい、監督からの最終OKも出ましたので、以上で皆さんの撮影は終了です! お疲れ様でした、本当にありがとうございました! この後は主演お二人のシーンになりますので、帰りたいという方は下校してもらって構わないです!」
豪華な花束が各クラスに贈られ、撮影は幕を閉じた。が、あれだけ騒がしくしていた彼らが大人しく帰る訳がなかった。
「そんなん見る一択だろ!」
「すいません、教室からだったら覗いても大丈夫ですか?」
「はい、問題ありません」
「やった! ありがとうございます!」
早々に教室を出た興味ない派が三人、あとは全員観察を希望だ。一応僕もその一人。
撮影の裏側ならテレビで見れるとしても、実際の現場を見れるなんてそうそうないこと。帰ろうよと腕を引っ張る霧ちゃんに懇願して、人の少ない廊下から撮影現場を見下ろした。
「先輩、どこ行くの」
「ハルヒくん。ちょっと、手離してよ」
「嫌です。離したら先輩またどっか行っちゃうでしょ」
「かっこいい〜! やっぱ白縫くん最高にかっこいいんだけど!」
右隣の女子がそう騒いでも、共感する気にもなれなかった。凪那くんの言動や行動一つ一つが、どことなく僕に向けられたものと似ていたからだ。
「……私とハルヒくんとじゃ住む世界が違うんだって、前も話したでしょ。いい加減私のことは忘れて、他に楽しいことを見つけなさ「やだ」
神野さんのセリフを妨げて、凪那くんが喋る。台本通りなのかアドリブなのかはわからない。だけどその「やだ」は、本心で言っているように見えた。
「俺が先輩のことを好きで、先輩が俺のことを好きって事実があったら、他になにもいらないでしょ。周りなんてどうだっていい。先輩は俺のことだけ見ててよ」
「そう言われたって、簡単にそう思えるようなポジティブ思考じゃないのこっちは。っ!」
「きゃあ! あ、やばおっきな声出しちゃった」
左隣の女子は普段の控えめさとは一転大きな声を出し、それがまずいと思ったのか口元に手を当て、きょろきょろと辺りを見渡した。そして注意されないことがわかると視線を外に戻し、食い入るように二人の”キスシーン”を見た。
(……っ)
心に刃が刺さったような感覚を覚えた。苦しいと息ができないということを初めて知った。今すぐ目を背けたいのに、体が言うことを聞いてくれない。嫌だと思う反面、僕も彼女と同じように、まばたきも忘れ二人を見ていた。
(今までだったら、ほら、彼と僕では世界が違うんだ、大人しくしよう……って思えてたのに。なんでだろう、なんでこんなにモヤモヤするんだろう)
凪那くんを取られてしまったことの寂しさ? いや、凪那くんは元々誰のものでもない、凪那くん自身のものだ。
キスへの羨ましさ? いや、僕は凪那くんとそういった身体接触を求めている訳では……ないと、思っていたけど。こんなに身体が疼くということは、羨ましいと思っている、ということなんだろうか。
もうほぼ答えは出たような気がするけど、わかりたくないという思いで、必死にこの気持ちに蓋をした。自覚したところで、苦しいだけだから。
「いい加減帰ろう青葉。お腹空いちゃったよ。あんなん見ててもいいことないって」
「あ、うん。そうだ、ね」
僕の心情を察したのだろう霧ちゃんは、あくまで自分が帰りたいからということにして、僕をこの場から離そうとしてくれている。その心遣いには報いるべきだと、僕は素直に従って帰ることにした。
直後の凪那くんが、「されると思いました?」と意地悪そうに笑っていたことを知らずに。
