夜の秘密のおしゃべりは日をおうごとに、新しい仲間が増えていきました。
「ねえ、みんなであだ名をつけるのはどうかしら。ひそひそ声で話していると誰が話をしているのか混乱してしまうもの」
そう提案したのはアンナのすぐ下の部屋の女の子でした。
「いいね、あだ名。じゃあ僕は将来お医者さんになりたいから〝ドクター〟がいいな。教室では前の方の席で、メガネをかけている」
アンナは机の引き出しから紙を取り出すと、縦横に線を引き、自分の名をまん中に書きました。そのすぐ上のマスに「ドクター」と書いてメガネをかけた男の子の絵を描きました。
「じゃあ私は〝ハニー〟。ママゆずりの金色の長い髪が自慢なの。私は将来、モデルになりたいわ」
アンナは自分の名前の隣りのマスに「ハニー」と書き、髪の長い女の子の絵を描きました。次はアンナの左上の部屋の男の子の声です。
「僕は将来、宮殿のようなホテルを世界中にたくさんつくって大金持ちになりたいんだ! だからあだ名は〝マハラジャ〟がいい!」
くすくすと笑い声がそこかしこから聞こえました。
「どうして笑うのさ」
「だってマハラジャはインドの王様のことよね? 王様がホテルをたくさんつくるの?」
ハニーがマハラジャに聞きました。
アンナは以前、図書館で体が大きくて、目はぱっちりとし、まゆ毛のこい男の子が『アラビアンナイト』を夢中になって読んでいたのを思い出しました。
「あだ名なんだから何でもいいんだよ。昔話にでてくる、宮殿のようなホテルが世界中にあったら楽しいだろう」
「じゃあ次は私! 前の方の席で、そばかす顔よ。私は運動が得意なの。将来は陸上でオリンピックに出たいわ。だから、そうね、あだ名は何にしようかしら」
「〝オリンピック〟は?」
「いやよ!そんな変なあだ名!」
マハラジャの提案はぴしゃりとことわられてしまいました。とてもハキハキした女の子で、アンナは、ああこの子はいつも授業で手を上げて、ガシールが顔をしかめるのもかまわず先生にたくさん質問する女の子ね、と思い出しました。
「私は小さい頃から 〝リジー〟って呼ばれているから、それにする。じゃあ次。あなたのあだ名は?」
ふいに聞かれ、アンナはドキリとしました。
「私は……えっと……。あだ名は……」
そこで言葉はとぎれてしまいました。あだ名がなんにも思いつきません。するとハニーが、
「あなたは将来どんな仕事がしたいの?」
と聞きました。
アンナはこの学校に入る前に、パパとママと三人で水族館に行った時のことを思い出しました。そしてイルカのショーのお姉さんになりたいと思いました。
「水族館で働く人!」
「じゃあ、あなたのあだ名はアクアリウムの〝アクア〟なんてどう?」
アンナは素敵なあだ名だと思い「それがいい!」と返事をしました。
それからおしゃべりは毎夜続きました。
リジーがなつかしげに故郷の話をしたり、マハラジャが兄弟たちとのケンカの武勇伝を話したりします。みんな夜が待ち遠しくなっていました。
ところが、夜ふかしが続いたある日のことです。
アンナは授業の途中で眠くなり、居眠りをしてしまいました。それがすぐにガシールにみつかり、みんなに聞こえる大きな声で注意されてしまいました。
アンナは恥ずかしくてうつむき、涙がこぼれ落ちそうになるのをがまんしました。先生のシスター・ヨハンナもきびしい目でこちらを見ています。
昼食の時間もアンナはずっと泣きたい気持ちでいっぱいでした。
木製の長いテーブルの上にはいつもと同じパンとミルクと野菜が並べられていて、この慣れない食事もアンナにはだんだん嫌になってきていました。
(もうお家に帰りたい)
昼食の後、やはり修道女のお手伝いでヤギのミルクからチーズを作っている時も、アンナはずっと落ち込んでいました。
午後の授業で席に座ろうとした時、アンナはふとあるものが目にとまり「あ」と小さく声を上げました。
「流れ星……」
アンナの席のすぐ横の窓ガラスに小さな絵が描かれていました。ふだんガシールや先生達は子供たちがおしゃべりをしたり、密かに手紙を交換したりしないか見張っています。しかし、くもった窓ガラスに描かれた絵には気づかなかったのでしょう。
それは星の形と三本の線が引かれていて、ちょうど星がシューッと流れている絵でした。
アンナはうれしくなりました。
夜の友達の誰かが、アンナをなぐさめてくれているのです。アンナは教室を見わたしました。言葉は交わせなくても、友達はすぐ近くにいます。
それからその星の絵は子供たちの秘密の合言葉のように、学校中の色々なところで見つけました。
トイレの洗面台の鏡のすみや庭の花壇の土。礼拝堂の机の隅、食堂の入り口の窓、図書館の本の裏、回廊の柱のかげ。流れ星はいたるところに描かれていました。
ある夜のこと、アンナの部屋のすぐ下の部屋のドクターがひとつの提案をしました。
「あのさ、一度みんなで会ってみない?」
子供達は静まりかえりました。
「みんなで会う?」
「そう、きっと楽しいよ」
カーンと午後八時の鐘の音が鳴りました。しかし会話は止まりませんでした。
「どこで会うの?」
「それはまだ分からない」
「誰かの部屋がいいんじゃないかしら?」
アンナも思わず言いました。
「だめだよ。それじゃ見つかった時逃げられないよ」
「廊下の守衛さんの見回りはどうするの?」
「見回りをしているのはひとりだから時間差で出て行けば平気さ」
「ねえ、そろそろ守衛さんの見回りが来るわ。また明日話しましょう」
次の日の夜からの会話は、この話で持ちきりになりました。
「先生や守衛さんにもし見つかったら?」
「見つかったってちょっと、会うだけだもの。何も悪いことなんてしてないよ」
「会うのはやっぱり夜がいいね」
場所は寄宿舎の隣り、回廊を通った先にある礼拝堂に決まりました。
三角屋根の古い建物で、中は広く、いくつも並ぶ長机やイスがあり、そのかげに隠れられるからです。時間は夜の八時半。
守衛の見回りがひととおり終わったあと、こっそり部屋をぬけることにしました。
そうしていよいよ決行の日がやってきました。
「ねえ、みんなであだ名をつけるのはどうかしら。ひそひそ声で話していると誰が話をしているのか混乱してしまうもの」
そう提案したのはアンナのすぐ下の部屋の女の子でした。
「いいね、あだ名。じゃあ僕は将来お医者さんになりたいから〝ドクター〟がいいな。教室では前の方の席で、メガネをかけている」
アンナは机の引き出しから紙を取り出すと、縦横に線を引き、自分の名をまん中に書きました。そのすぐ上のマスに「ドクター」と書いてメガネをかけた男の子の絵を描きました。
「じゃあ私は〝ハニー〟。ママゆずりの金色の長い髪が自慢なの。私は将来、モデルになりたいわ」
アンナは自分の名前の隣りのマスに「ハニー」と書き、髪の長い女の子の絵を描きました。次はアンナの左上の部屋の男の子の声です。
「僕は将来、宮殿のようなホテルを世界中にたくさんつくって大金持ちになりたいんだ! だからあだ名は〝マハラジャ〟がいい!」
くすくすと笑い声がそこかしこから聞こえました。
「どうして笑うのさ」
「だってマハラジャはインドの王様のことよね? 王様がホテルをたくさんつくるの?」
ハニーがマハラジャに聞きました。
アンナは以前、図書館で体が大きくて、目はぱっちりとし、まゆ毛のこい男の子が『アラビアンナイト』を夢中になって読んでいたのを思い出しました。
「あだ名なんだから何でもいいんだよ。昔話にでてくる、宮殿のようなホテルが世界中にあったら楽しいだろう」
「じゃあ次は私! 前の方の席で、そばかす顔よ。私は運動が得意なの。将来は陸上でオリンピックに出たいわ。だから、そうね、あだ名は何にしようかしら」
「〝オリンピック〟は?」
「いやよ!そんな変なあだ名!」
マハラジャの提案はぴしゃりとことわられてしまいました。とてもハキハキした女の子で、アンナは、ああこの子はいつも授業で手を上げて、ガシールが顔をしかめるのもかまわず先生にたくさん質問する女の子ね、と思い出しました。
「私は小さい頃から 〝リジー〟って呼ばれているから、それにする。じゃあ次。あなたのあだ名は?」
ふいに聞かれ、アンナはドキリとしました。
「私は……えっと……。あだ名は……」
そこで言葉はとぎれてしまいました。あだ名がなんにも思いつきません。するとハニーが、
「あなたは将来どんな仕事がしたいの?」
と聞きました。
アンナはこの学校に入る前に、パパとママと三人で水族館に行った時のことを思い出しました。そしてイルカのショーのお姉さんになりたいと思いました。
「水族館で働く人!」
「じゃあ、あなたのあだ名はアクアリウムの〝アクア〟なんてどう?」
アンナは素敵なあだ名だと思い「それがいい!」と返事をしました。
それからおしゃべりは毎夜続きました。
リジーがなつかしげに故郷の話をしたり、マハラジャが兄弟たちとのケンカの武勇伝を話したりします。みんな夜が待ち遠しくなっていました。
ところが、夜ふかしが続いたある日のことです。
アンナは授業の途中で眠くなり、居眠りをしてしまいました。それがすぐにガシールにみつかり、みんなに聞こえる大きな声で注意されてしまいました。
アンナは恥ずかしくてうつむき、涙がこぼれ落ちそうになるのをがまんしました。先生のシスター・ヨハンナもきびしい目でこちらを見ています。
昼食の時間もアンナはずっと泣きたい気持ちでいっぱいでした。
木製の長いテーブルの上にはいつもと同じパンとミルクと野菜が並べられていて、この慣れない食事もアンナにはだんだん嫌になってきていました。
(もうお家に帰りたい)
昼食の後、やはり修道女のお手伝いでヤギのミルクからチーズを作っている時も、アンナはずっと落ち込んでいました。
午後の授業で席に座ろうとした時、アンナはふとあるものが目にとまり「あ」と小さく声を上げました。
「流れ星……」
アンナの席のすぐ横の窓ガラスに小さな絵が描かれていました。ふだんガシールや先生達は子供たちがおしゃべりをしたり、密かに手紙を交換したりしないか見張っています。しかし、くもった窓ガラスに描かれた絵には気づかなかったのでしょう。
それは星の形と三本の線が引かれていて、ちょうど星がシューッと流れている絵でした。
アンナはうれしくなりました。
夜の友達の誰かが、アンナをなぐさめてくれているのです。アンナは教室を見わたしました。言葉は交わせなくても、友達はすぐ近くにいます。
それからその星の絵は子供たちの秘密の合言葉のように、学校中の色々なところで見つけました。
トイレの洗面台の鏡のすみや庭の花壇の土。礼拝堂の机の隅、食堂の入り口の窓、図書館の本の裏、回廊の柱のかげ。流れ星はいたるところに描かれていました。
ある夜のこと、アンナの部屋のすぐ下の部屋のドクターがひとつの提案をしました。
「あのさ、一度みんなで会ってみない?」
子供達は静まりかえりました。
「みんなで会う?」
「そう、きっと楽しいよ」
カーンと午後八時の鐘の音が鳴りました。しかし会話は止まりませんでした。
「どこで会うの?」
「それはまだ分からない」
「誰かの部屋がいいんじゃないかしら?」
アンナも思わず言いました。
「だめだよ。それじゃ見つかった時逃げられないよ」
「廊下の守衛さんの見回りはどうするの?」
「見回りをしているのはひとりだから時間差で出て行けば平気さ」
「ねえ、そろそろ守衛さんの見回りが来るわ。また明日話しましょう」
次の日の夜からの会話は、この話で持ちきりになりました。
「先生や守衛さんにもし見つかったら?」
「見つかったってちょっと、会うだけだもの。何も悪いことなんてしてないよ」
「会うのはやっぱり夜がいいね」
場所は寄宿舎の隣り、回廊を通った先にある礼拝堂に決まりました。
三角屋根の古い建物で、中は広く、いくつも並ぶ長机やイスがあり、そのかげに隠れられるからです。時間は夜の八時半。
守衛の見回りがひととおり終わったあと、こっそり部屋をぬけることにしました。
そうしていよいよ決行の日がやってきました。



