病室のドアがノックされ、担当医が雪乃の様子を見にきた。
治療があるかもと、そっと部屋を出る。
部屋から出たすぐのところで、春人君が壁に背をもたれかけ立っていた。
私を見て、春人君は姿勢を正す。
「ちょっと……いい?」
訊かれて、「うん」と頷き、歩き出した春人君の後をついて行った。
コーヒーショップでコーヒーを買い、病院の裏庭のベンチに無言で座った。
穏やかな日差しが気持ちがいい日で、私のあの激動のような気持ちとは正反対だった。
「天気、いいね」
長い沈黙を破ったのは、春人君のそんな一言だった。
「うん……」
頷くと、
「この病院の院長、俺の母方のじいちゃんなんだ」
唐突に言われた。
どうしてその話が出てきたのか分からず、春人君の方を見る。
「はじめて凛華ちゃんと二人で映画に行こうってなった日の前日のこと、覚えてる?」
「うん」
忘れるはずがない。あの日のこと。
あの日から、私の中の醜いものが顔を見せはじめたから。
「実はあの日さ、母さんからじいちゃんにことずけ物を頼まれてて、この病院に来てたんだ」
「……」
「俺、この裏庭好きだから、じいちゃんへの届け物終わったあと、今日みたいにコーヒー買ってここに来たんだ。そしたら……」
春人君は一度、ここで話を区切った。
「そしたらここに雪乃ちゃんが一人でいたんだ……」
「……」
「泣いてた」
「泣いてた?」
「慌てて『どうしたの?』って聞いたら、病気のこと、容態がどんどん悪くなってきていること。ドナーがなかなか見つからなくて、このまま死んじゃったらどうしようって泣いてたんだ」
「……」
「そのこと凛華ちゃんは知ってるのか訊いたら、知らないって。話して心配かけたくないって。自分のことで凛華ちゃんに暗い顔になって欲しくないって」
「!」
「凛華ちゃんにはずっと笑っていてほしいって……」
「そんな……」
私は……私は……言って欲しかった。
教えて欲しかった。
一緒に頑張っていきたかった。
雪乃の支えになりたかった……。
ねぇ雪乃。私じゃ役不足だった?
雪乃に見放された気がした。
と、同時に、雪乃の優しさが荒んだ心のひび割れに染みていく。
いつもそう。
雪乃は私の太陽。
いつも暖かく見守ってくれている。
私が嬉しい時も悲しい時も、受け止めて味方でいてくれる。
私のことを思ってくれている。
「雪乃ちゃん、あんまり食べなくななってきてた時、ダイエットしてるって言ってただろ? あれ、ダイエットじゃなくて本当に食べられなくなってきてたんだって。ずっとずっと吐きそうだったって。体調が最悪だったって」
「え?」
雪乃は小さなお弁当もほとんど食べていなかった。
流石にたべないと体に悪いよって言ったら、困ったように「家で食べてるから大丈夫」って言ってた。
じゃあ、もしかして家でも、食べてなかったの?
だからどんどん痩せていっていたの?
「その時教えてくれたんだ。どうしてそこまでして俺達と一緒にいたのか? ってことを」
「……」
「本当は学校行くのも大変だったみたいで入院の話も出てたみたいだけど、その頃ちょうど俺達と凛華ちゃんが一緒に登校するようになった頃だったから、もう少し俺達と凛華ちゃんが仲良くなるまで一緒にいようって思ったって」
「……」
言葉が出なかった。
言葉の代わりに目頭が熱くなり、涙が溢れた。
頬をつたい顎から落ちた涙は、持っていた紙コップに入れられたコーヒーの蓋の上に落ちていく。
はじめはぽつりぽつりと落ちていたのが、次第に落ちるスピードが速くなる。
ぽたり、ぽたり、ぽたり……。
コーヒーの蓋に落ちる。
「テスト勉強を一緒にして、俺と凛華ちゃんが二人で映画に出かけるって決まったとい、『ああ、もう私の役目は終わった』って思ったって。安心したって」
「そんな!」
そんな……。
雪乃の役目ってなに?
役目とかそんなんで一緒にいるんじゃない。
そばにいるんじゃない。
私はただ雪乃のことが大好きで、一緒にいて楽しくて楽しくて仕方なかったから。
役目があるから、ないからとかで一緒にいたいとか、いたくないとかじゃない。
私はただ……。
でも私はそんな雪乃に嫉妬してた。
変なことを考えて、雪乃に何も聞かずに嫉妬してた。
雪乃が私のために何をしてくれていたのか、しようとしてくれていたのか、考えていてくれたのか、見ようとしなかったし、知ろうとしなかった。
私はなんてことを……。
なんてことを!
「うっ、ううぅぅ……ぅぅ」
もう嗚咽を押し殺そうとはしなかった。
できなかった。
自分勝手な私のことを、涙を、誰にも見られたくなくて、上半身を前かがみに倒し、両手で顔を覆い隠した。
恥ずかしかった。
自分の浅はかさが。
恥ずかしかった。
自分の愚かさが。
自分のことだけしか考えていなかったことが、本当に本当に恥ずかしかった。
「大丈夫だよ」
頭の上からその声が降ってきて、肩に手を回され引き寄せられた感触があった。
触れているところが暖かかった。
「俺達が映画に行く日次の日から、雪乃ちゃん入院が決まってたんだ」
「だから俺……前、雪乃ちゃんが水族館に行きたいって言ってたの思い出して、俺が勝手に、みんなで水族館に行こうっていったんだ」
「……」
まだ私は顔を上に上げられない。
色の薄いジーンズに涙の跡ができていくのを、じっと見つめながら話を聞く。
「雪乃ちゃんは行かないって言ったんだけど、そう言われると思って、秋に先にチケットを四枚買って来てって頼んでたんだ」
「……」
「凛華ちゃんと雪乃ちゃんには嘘をついてしまって、申し訳なく思ってる。俺の独りよがりだと思っているけど、どうしても雪乃ちゃんと凛華ちゃんとの思い出を少しでも増やして欲しかったんだ……。でも結果的には二人の仲を悪くしてしまった。本当にごめん。」
春人君はそこまで一気に言った。
春人君の声が震えていた。
春人君は何も悪くない。
私が勝手に思って、勝手にひがんだ。
「謝るのは私だよ」
顔を上げると、春人君の目にも涙が浮かんでいた。
「雪乃の気持ちを受け止めてくれて、私たちの仲を大切にしてくれて、思い出をつくってくれてありがとう」
「……」
「春人君と秋人君がいてくれたから、雪乃がどれほど私のことを大切にしてくれていたか知ることができた」
私の中にいろんな感情があることも知れた。
その時は苦しかったり、辛かったり、自分自身のことが本当に嫌だったりしたけど、それも全部自分なんだと、今は受け止められる。
「私も雪乃のことが大事で大好きだってより思った。あんないい子、絶対にいない」
いない、絶対に。
だから思う。
絶対に雪乃を助けるって。
「ねぇ春人君。雪乃乃ために私達にできることって、ないかな?」
私たちは骨髄バンクについて調べた。
ドナー登録についても調べた。
資料を集めて、自分たちでビラを作成して、街頭に立ってビラを配った。
学校の朝会などで時間をもらい話をした。
登録は18歳以上じゃないとできないけど、知っておいてほしい。
登録できる年齢になったら、助けられる命があるかも知れないということを。
雪乃は入院し、投薬で白血病と戦った。
雪乃が入院してから五ヶ月が経った。
私と春人君は高校三年生。秋人君は中学三年生になった。
秋人君は幼馴染の彼女、蘭ちゃんと付き合うようになり、たまにケンカもしているけど、まぁノロケ話をよく聞かされるほど仲良しだ。
治療があるかもと、そっと部屋を出る。
部屋から出たすぐのところで、春人君が壁に背をもたれかけ立っていた。
私を見て、春人君は姿勢を正す。
「ちょっと……いい?」
訊かれて、「うん」と頷き、歩き出した春人君の後をついて行った。
コーヒーショップでコーヒーを買い、病院の裏庭のベンチに無言で座った。
穏やかな日差しが気持ちがいい日で、私のあの激動のような気持ちとは正反対だった。
「天気、いいね」
長い沈黙を破ったのは、春人君のそんな一言だった。
「うん……」
頷くと、
「この病院の院長、俺の母方のじいちゃんなんだ」
唐突に言われた。
どうしてその話が出てきたのか分からず、春人君の方を見る。
「はじめて凛華ちゃんと二人で映画に行こうってなった日の前日のこと、覚えてる?」
「うん」
忘れるはずがない。あの日のこと。
あの日から、私の中の醜いものが顔を見せはじめたから。
「実はあの日さ、母さんからじいちゃんにことずけ物を頼まれてて、この病院に来てたんだ」
「……」
「俺、この裏庭好きだから、じいちゃんへの届け物終わったあと、今日みたいにコーヒー買ってここに来たんだ。そしたら……」
春人君は一度、ここで話を区切った。
「そしたらここに雪乃ちゃんが一人でいたんだ……」
「……」
「泣いてた」
「泣いてた?」
「慌てて『どうしたの?』って聞いたら、病気のこと、容態がどんどん悪くなってきていること。ドナーがなかなか見つからなくて、このまま死んじゃったらどうしようって泣いてたんだ」
「……」
「そのこと凛華ちゃんは知ってるのか訊いたら、知らないって。話して心配かけたくないって。自分のことで凛華ちゃんに暗い顔になって欲しくないって」
「!」
「凛華ちゃんにはずっと笑っていてほしいって……」
「そんな……」
私は……私は……言って欲しかった。
教えて欲しかった。
一緒に頑張っていきたかった。
雪乃の支えになりたかった……。
ねぇ雪乃。私じゃ役不足だった?
雪乃に見放された気がした。
と、同時に、雪乃の優しさが荒んだ心のひび割れに染みていく。
いつもそう。
雪乃は私の太陽。
いつも暖かく見守ってくれている。
私が嬉しい時も悲しい時も、受け止めて味方でいてくれる。
私のことを思ってくれている。
「雪乃ちゃん、あんまり食べなくななってきてた時、ダイエットしてるって言ってただろ? あれ、ダイエットじゃなくて本当に食べられなくなってきてたんだって。ずっとずっと吐きそうだったって。体調が最悪だったって」
「え?」
雪乃は小さなお弁当もほとんど食べていなかった。
流石にたべないと体に悪いよって言ったら、困ったように「家で食べてるから大丈夫」って言ってた。
じゃあ、もしかして家でも、食べてなかったの?
だからどんどん痩せていっていたの?
「その時教えてくれたんだ。どうしてそこまでして俺達と一緒にいたのか? ってことを」
「……」
「本当は学校行くのも大変だったみたいで入院の話も出てたみたいだけど、その頃ちょうど俺達と凛華ちゃんが一緒に登校するようになった頃だったから、もう少し俺達と凛華ちゃんが仲良くなるまで一緒にいようって思ったって」
「……」
言葉が出なかった。
言葉の代わりに目頭が熱くなり、涙が溢れた。
頬をつたい顎から落ちた涙は、持っていた紙コップに入れられたコーヒーの蓋の上に落ちていく。
はじめはぽつりぽつりと落ちていたのが、次第に落ちるスピードが速くなる。
ぽたり、ぽたり、ぽたり……。
コーヒーの蓋に落ちる。
「テスト勉強を一緒にして、俺と凛華ちゃんが二人で映画に出かけるって決まったとい、『ああ、もう私の役目は終わった』って思ったって。安心したって」
「そんな!」
そんな……。
雪乃の役目ってなに?
役目とかそんなんで一緒にいるんじゃない。
そばにいるんじゃない。
私はただ雪乃のことが大好きで、一緒にいて楽しくて楽しくて仕方なかったから。
役目があるから、ないからとかで一緒にいたいとか、いたくないとかじゃない。
私はただ……。
でも私はそんな雪乃に嫉妬してた。
変なことを考えて、雪乃に何も聞かずに嫉妬してた。
雪乃が私のために何をしてくれていたのか、しようとしてくれていたのか、考えていてくれたのか、見ようとしなかったし、知ろうとしなかった。
私はなんてことを……。
なんてことを!
「うっ、ううぅぅ……ぅぅ」
もう嗚咽を押し殺そうとはしなかった。
できなかった。
自分勝手な私のことを、涙を、誰にも見られたくなくて、上半身を前かがみに倒し、両手で顔を覆い隠した。
恥ずかしかった。
自分の浅はかさが。
恥ずかしかった。
自分の愚かさが。
自分のことだけしか考えていなかったことが、本当に本当に恥ずかしかった。
「大丈夫だよ」
頭の上からその声が降ってきて、肩に手を回され引き寄せられた感触があった。
触れているところが暖かかった。
「俺達が映画に行く日次の日から、雪乃ちゃん入院が決まってたんだ」
「だから俺……前、雪乃ちゃんが水族館に行きたいって言ってたの思い出して、俺が勝手に、みんなで水族館に行こうっていったんだ」
「……」
まだ私は顔を上に上げられない。
色の薄いジーンズに涙の跡ができていくのを、じっと見つめながら話を聞く。
「雪乃ちゃんは行かないって言ったんだけど、そう言われると思って、秋に先にチケットを四枚買って来てって頼んでたんだ」
「……」
「凛華ちゃんと雪乃ちゃんには嘘をついてしまって、申し訳なく思ってる。俺の独りよがりだと思っているけど、どうしても雪乃ちゃんと凛華ちゃんとの思い出を少しでも増やして欲しかったんだ……。でも結果的には二人の仲を悪くしてしまった。本当にごめん。」
春人君はそこまで一気に言った。
春人君の声が震えていた。
春人君は何も悪くない。
私が勝手に思って、勝手にひがんだ。
「謝るのは私だよ」
顔を上げると、春人君の目にも涙が浮かんでいた。
「雪乃の気持ちを受け止めてくれて、私たちの仲を大切にしてくれて、思い出をつくってくれてありがとう」
「……」
「春人君と秋人君がいてくれたから、雪乃がどれほど私のことを大切にしてくれていたか知ることができた」
私の中にいろんな感情があることも知れた。
その時は苦しかったり、辛かったり、自分自身のことが本当に嫌だったりしたけど、それも全部自分なんだと、今は受け止められる。
「私も雪乃のことが大事で大好きだってより思った。あんないい子、絶対にいない」
いない、絶対に。
だから思う。
絶対に雪乃を助けるって。
「ねぇ春人君。雪乃乃ために私達にできることって、ないかな?」
私たちは骨髄バンクについて調べた。
ドナー登録についても調べた。
資料を集めて、自分たちでビラを作成して、街頭に立ってビラを配った。
学校の朝会などで時間をもらい話をした。
登録は18歳以上じゃないとできないけど、知っておいてほしい。
登録できる年齢になったら、助けられる命があるかも知れないということを。
雪乃は入院し、投薬で白血病と戦った。
雪乃が入院してから五ヶ月が経った。
私と春人君は高校三年生。秋人君は中学三年生になった。
秋人君は幼馴染の彼女、蘭ちゃんと付き合うようになり、たまにケンカもしているけど、まぁノロケ話をよく聞かされるほど仲良しだ。
