もしもこの気持ちを青春というのなら私は青春なんていらないと思った

 病院は走ってはいけません。
 小さい頃から言われていた。
 でも今私は、全力疾走している。
 すれ違う患者さんや看護師さん。お医者さんにも訝しげにみられている。
 そのうち怒られるだろう。
 でもいい。
 その時はきちんと叱られよう。
 そしてきちんと謝ろう。
 だからお願いです。
 今、私が走ることを止めないでください。

「雪乃!」
 病室のドアをノックせずに引き戸を引き、病室の中に飛び込む。
 目の前の大きすぎるベッドにはたくさんのチューブと二種類の点滴、心電図モニターのピッピッと言う音が機械的に聞こえる。
 それらで雪乃の姿が見えない。
 サーッと頭の先から血の気が引いた。
「雪乃!」
 走って近寄ると、大きなベッドに雪乃が眠っていた。
 顔色は真っ白で血が通っていないようにも見える。
「雪乃!」
 私の声が聞こえてほしいと、大きな声で雪乃の名前を呼ぶが、反応は返ってこない。
 どうしよう、どうしよう、どうしよう。
 雪乃につながっている心電図の音が、どうにか私の気持ちを落ち着かせてくれる。
 大丈夫、大丈夫、大丈夫。
 大きく深呼吸をして、もう一度、
「雪乃……」
 名前を呼んだ。
 反応はない。
 口元に耳を近づける。
 微かに呼吸音が聞こえた。
 大丈夫……。
 心臓がドドドドドと苦しいぐらいに速く脈打つ。
「雪乃……」
 返事はなかったけど、少しずつ頭の中が落ち着いてきた。
 ベッドのそばにあった丸椅子に腰を下ろす。
 雪乃をよく見ると最後にあった時よりも、さらに痩せて頬がこけている。
 あんなに綺麗だった髪がニットの帽子で隠されていた。
 本当は雪乃の手を握りたかったけど、もし握った表紙に点滴の針が抜けてしまったら……と思うとできなかった。
 椅子に座っているのに、膝から崩れ落ちそう。
 足に力を入れるが、ガクガク震えるだけで力が入らない。
「雪乃……返事、して……」
 眠る雪乃に語りかける。
 その言葉に反応してくれるかもしれないと思って。
 そんな時、静かに病室の引き戸が引かれた。
「凛華ちゃん……」
 入ってきたのは雪乃ママだった。
 今の雪乃の状態を一番知っている人。
「来てくれて、ありがとう」
 雪乃ママの表情が柔らかいのを見て、今は緊急に何かをしないといけない時ではないのかもしれない。
 緊張していたものが、ほんの少しだけ緩んだ。
「雪乃は……」
 力の入らない足で立ちあがろうとしたが、雪乃ママは私の肩に手を置き、無言で座るように促してくれた。
「さっきはちょっと大変だったけど、先生の治療とお薬で今は眠っているわ」
 ニットで覆われた雪乃の頭を、雪乃ママは愛おしそうに優しく撫でる。
ーさっきはちょっと大変だったー
 その言葉が意味するのは、とても危険な状態だったということ。
「春人君から聞いたかもしれないけれど、雪乃、白血病なの」
「……」
 訊きたいことはたくさんあったけど、今は雪乃ママの言葉に耳を傾けた。
「わかったのはつい最近なの。倦怠感がひどくってリンパも腫れてきたから病院で血液検査を受けてね。それで」
「……」
「今はお薬と骨髄の適合者が現れるのを待ってる段階なの」
「……」
「雪乃と凛華ちゃんは幼稚園のころからお親友なのに、雪乃の病きのこと伝えてなくて、本当にごめんなさい……」
 雪乃ママが私に頭を下げる。
「やめてください。頭を上げてください」
 急いで雪乃ママの両肩を持って、体を引き上げ用としたけど、ぎゅっと力が入っていて上がらない。
「凛華ちゃんに一番に知らせないとダメだったのに、本当にごめんなさい……」
 雪乃ママの足元に水滴が落ちる。
 お腹の奥から熱いものが込み上げてきて、目の周りが熱くなる。
「泣かないで……」
 雪乃ママの体を抱きしめた。
「う……うう……ぅうう……」
 肩を振るわせた雪乃ママの嗚咽が耳元で聞こえる。
 私も喉元が締め付けられるような感覚になる。
 ここで私は泣いてはいけない。
 泣いてしまったら、雪乃ママがさらに泣いてしまう。
「う……ぅぅ……」
 わかっているのに、涙と嗚咽が止まらない。
 病室に雪乃の心音と私と雪乃ママの嗚咽が響いた。