もしもこの気持ちを青春というのなら私は青春なんていらないと思った

 『秋人君と彼女の幸せ計画』実施日は、秋人君達の待ち合わせ時間より三十分早め。
 秋人君達は家が近所だから一緒に来るみたい。
 今日は春人君と出かける日だけど、可愛い服装になるようにせずに、どちらかといえば地味な感じにした。
 だって人混みに紛れないといけない。
 空気のような存在にならないといけない。
 ナチュラルメイクはしたけど、伊達メガネもつけた。
 マスクをしようかと思ったけど、それは流石に不審者みたいだからやめておいた。
 春人君との待ち合わせ時間より二十分早く着いた。
 二十分前から同じ場所にいて、春人君と合流してからまた同じ場所にいるのはおかしい。
 春人君に『着いたら連絡ください』とメールしてから、待ち合わまで近くのチェーン店の喫茶店で待つことにした。
 本当はホットケーキと甘いコーヒーを飲みたかったけど、食べてる最中に春人君から連絡あるかもしれないし、コーヒーは利尿作用がある。
 それは避けたほうがいい。
 と言うことで、ホットミルクにした。
 お店の人〜、長居するのに利益が少ない客でごめんなさい……。
 
 春人君との待ち合わせ時間が近くなる。
 今日の主役達は秋人君と彼女だけど、一応私もトイレでメイクと服装の確認をして、春人君からの連絡を待つ。
 約束の時間になり、十分過ぎ、十五分過ぎる。
 二十分過ぎ、秋人君達の待ち合わせの時間に近づいてくる。
 私達がその時間に間にあうか……。
 春人君が待ち合わせの場所の近くになったら連絡をくれることになっているのに、春人君の姿が店内にないかあたりをキョロキョロしてしまう。
 いてもたってもいられず、店を出る。 
 春人君に秋人君達の待ち合わせ所近くに移動するとメールすると、春人君から折り返しの電話がかかってきた。
 時間に間に合うか焦る気持ちを落ち着けるように、大きく深呼吸してから通話画面をタップする。
「もしもし、春人君……」
 言葉を続けようとした時、
「松下病院に来て」
 なんの前触れもなく、病院の名前が告げられた。
「松下病院?」
 言いながら、今回の作戦にどんな関係があるのか、頭をふるかいてんさせて考える。
 松下病院。
 救急も受け入れる、この辺では一番大きな個人病院。
 まさか……。
「もしかして、秋人君か彼女に何かあったの?」
 意識的に落ち着いてたずねた。
「そうじゃないんだ。雪乃ちゃんが……雪乃ちゃんが……」
 いつもの春人君がこんなにうろたえているのは初めて。
「タクシーだと十分ぐらいで着くはずなんだ。急いで来てほしい」
 駅の前にはタクシー乗り場があって、乗ろうと思えばすぐに乗れる。
 でも……。
 また雪乃。
 今までにないほどの、どろっとした黒いものが体の内側から溢れてくる。
 まるで大きな壺の中から池の底にあるような沈殿物が、込み上げてくるような。
 黒いどろりとした液体は、鼻をつくような生臭い匂いがするようで顔をしかめる。
「雪乃がどうしたの?」
 焦る春人君の声とは正反対の、落ち着いているけど、冷たすぎる声が口から出た。
「いいから来てくれ。詳しい話はその時にする!」
 春人君の声はますます焦っている。
 なにそれ……。
 目の前の景色の色がなくなり、白黒に見えた。
 丸みを帯びていたものも、全てトゲトゲしている。
 目の前の景色が紙に描かれたように見える。
 それをぐしゃぐしゃと両手で握りつぶして、放り投げてしまいたい。
 今までは電話の向こうから聞こえる春人君の声で暖かくなった胸が、今は声を聞くだけで苛立つ。
「凛華ちゃん、聞いてる?」
 苛立つ春人君の声が、耳からはり頭の中に響く。
 もう……聞きたくない。
 もう……聞きたくない!
 雪乃、雪乃、雪乃って言う春人君の声なんか、聞きたくない!
 どうせ私なんて……私なんて!
「聞いてる……」
 自分でも驚くほど低い声。
「でも、私行けないと思う」
 喉元に黒い液体が上がってくる。
「え……?」
 春人君の声に戸惑いが混ざる。
「タクシー捕まりそうにない」
 目の前の駅前のタクシー乗り場には、はずらりとタクシーが並んでいる。
「そんなはずない。駅前にいるんだろ? タクシー乗り場があるじゃないか!」
 春人君の焦りが怒りに変わった。
「でも私は……行きたくない……」
「どうし……」
「そんなこともわからないの!?」
 春人君の言葉を遮り叫んだ。
 周りにいた人が、驚いて私を訝しげに見る。
「あの子どうしたの?」
 ヒソヒソと話す声もする。
 でもそんなことどうでもいい。
「春人君はいつも『雪乃ちゃん』『雪乃ちゃん』。そんなに雪乃がいいなら、私じゃなくて雪乃を誘えばいいじゃん」
 体の中で生まれた黒い泥のような液体は、壺から溢れ出し、喉元までやってきて、そして口から言葉となって出てきた。
「そうじゃなくて……」
 怒りがあった春人君の声が、宥めるような声色になる。
 それが呼水のように、黒い液体を増やす。
「え? なに? 私に何か言えば言いくるめられるって思ったの? バカにしないで。私がどれほど振り回されてるかわかる?」
「……」
 なんの言葉も返ってこない。
 ああそうか。
 春人君も自覚してたんだ。私を振り回していることを。
 なのに私は一人で喜んで、浮かれて、落ち込んで……。
 情けない。
 本当に情けない。
 自分がこんなに愚かで情けない人だとは思ってもみなかった。
 視界が歪む。
 頬に生ぬるいものが流れる。 
 それが悔しくて、服の袖で乱雑に拭った。
 拭っても、拭っても生暖かいものは頬を伝う。 
 その度に袖で拭う。
 袖に汚れがつく。
 きっとメイクがとれて、袖についたんだろう。
 せっかく頑張ってしたメイクもボロボロだ。
 自分がしていたことが馬鹿馬鹿しい。
 本当に馬鹿馬鹿しい。
 フッと自分のことを鼻で笑った。
「凛華ちゃん、聞いてほしい」
 春人君の優しげな声がイライラする。
「もうなにも聞きたくないって言ったじゃん」
「……」
「私、もう疲れたよ」
「……」
「これ以上、私に……自分のことを……嫌いにさせないで……」
 生暖かいものと一緒に嗚咽が上がってくる。
 聞かれたくなくて、通話を切ろうとした時
「待って!」
 スマホを耳から離していてもわかるほどの声が聞こえてきた。
「ごめん。一瞬だけでいいんだ、聞いてほしい!」
 もうスマホに耳を当てたくなくて、離している。
 どうしても通話を終わることはできなかった。
「死にそうなんだ……。雪乃ちゃんが、死にそうなんだ!」
「え?」
 スマホを離したままでも聞こえてきた声に、頭が固まった。
「雪乃ちゃんが死にそうなんだ!」
「……」
「凛華ちゃん! 話を聞いてくれ! 雪乃ちゃんが……凛華ちゃんの大切な親友が死にそうなんだ!」
 その言葉で、固まっていた頭が動き出す。
 スマホを耳に当てようとした時、手から滑って落としそうになったのを、すんでのところで受け止めた。
「雪乃ちゃん、インフルエンザじゃないんだ。白血病なんだ。今症状が悪化して入院してる。詳しい話は病院でする。だから松下病院に早く来て! 今すぐタクシーに乗って来てくれ!」
 春人君の言葉を最後まで聞く前に、私はタクシー乗り場に走った。