儀式の夜。清涼殿の空気は、張り詰めた弓の弦のように硬く凍りついていた。
私は白い夜着を纏い、燭台の灯りが揺れる中で蒼真様を待っていた。窓の外では雪が降り始め、後宮の闇を白く塗り潰していく。記憶のない私でも分かった。今夜、私はこの場所からいなくなるのだと。
「……雪乃」
部屋に入ってきた蒼真様は、いつもの威厳ある皇帝の姿ではなかった。私を失うことを恐れるあまり、正気を手放しかけた獣のような瞳。彼は私の手を取り、震える唇を押し当てた。
「私を救ってくれ。お前という存在を、私の血肉に刻ませてくれ」
私はその冷たい額に手を添え、微笑んだ。
「ええ、陛下。私は、あなたのすべてを受け入れます」
私が手をかざすと、彼の胸元からどろりとした黒い霧が溢れ出した。霧が私の中へ雪崩れ込む。激痛が全身を走る。私の体温が、急速に奪われていく。
――あ、もうだめだわ。
意識が途切れる寸前、蒼真様の慟哭が聞こえた。
「嫌だ、雪乃! お前まで失ったら、私は……!」
――その時だった。
私の胸の奥、心臓の辺りで、契約の印が「カチリ」と音を立てて弾けた。
それは消滅の合図ではなく、契約の『完遂』による解放だった。半年間、彼と私で分け合ってきた「呪い」の総量が、私の命の限界点を超えた瞬間、反動として膨大な「生命の奔流」へと変換されたのだ。
私の中に流れ込んできたのは、呪いではない。彼が密かに私を想い、後宮の片隅で祈り続けた、何よりも純粋な「情愛の熱」だった。
「……っ!」
全身を走っていた激痛が、心地よい温かさに変わる。
私が吸い上げたのは、彼の心の闇だけではなかった。彼が必死に隠し続けていた、私への溢れんばかりの切なる愛。それが呪いを中和し、私の止まりかけた心臓を再び強く打ち鳴らした。
蒼真様が驚愕に目を見開く。抱きしめられた私の胸元から、温かな光が溢れ出し、部屋中の冷気を払っていく。
「雪乃……? まさか……」
私はゆっくりと瞼を開けた。
そこには、世界が終わったような顔で私を見つめる、最愛の人の姿があった。記憶が、津波のように戻ってくる。彼と交わした言葉、温もり、すべてが私の魂を埋め尽くした。
「……蒼真様。ただいま」
私は震える手で、彼の頬に触れた。
彼の目から涙がこぼれ、私の手に触れる。夢ではない。私は生きている。私たちは、二人で地獄を抜け出したのだ。
「生きて……生きていてくれたのか」
蒼真様は私の体に顔を埋め、子供のように声を上げて泣きじゃくった。冷徹な皇帝の仮面など、とっくの昔にどこかへ消え失せている。
彼が私の名前を呼び、何度も何度も愛していると囁く。その声が、何よりも甘美な音楽のように後宮に響き渡った。
窓の外の雪は止み、雲間から黄金色の朝日が差し込み始めた。
朝焼けに染まる清涼殿の中で、私たちはただ、互いの心臓の音を確かめ合うように抱きしめ合う。
愛のない契約から始まった私たちの物語。
けれど今、私たちの間にあるのは、何物にも変え難い確かな「愛」だった。
後宮の厳しい冬は終わりを告げた。
これからは、二人で歩む、温かな春が待っている。
私は白い夜着を纏い、燭台の灯りが揺れる中で蒼真様を待っていた。窓の外では雪が降り始め、後宮の闇を白く塗り潰していく。記憶のない私でも分かった。今夜、私はこの場所からいなくなるのだと。
「……雪乃」
部屋に入ってきた蒼真様は、いつもの威厳ある皇帝の姿ではなかった。私を失うことを恐れるあまり、正気を手放しかけた獣のような瞳。彼は私の手を取り、震える唇を押し当てた。
「私を救ってくれ。お前という存在を、私の血肉に刻ませてくれ」
私はその冷たい額に手を添え、微笑んだ。
「ええ、陛下。私は、あなたのすべてを受け入れます」
私が手をかざすと、彼の胸元からどろりとした黒い霧が溢れ出した。霧が私の中へ雪崩れ込む。激痛が全身を走る。私の体温が、急速に奪われていく。
――あ、もうだめだわ。
意識が途切れる寸前、蒼真様の慟哭が聞こえた。
「嫌だ、雪乃! お前まで失ったら、私は……!」
――その時だった。
私の胸の奥、心臓の辺りで、契約の印が「カチリ」と音を立てて弾けた。
それは消滅の合図ではなく、契約の『完遂』による解放だった。半年間、彼と私で分け合ってきた「呪い」の総量が、私の命の限界点を超えた瞬間、反動として膨大な「生命の奔流」へと変換されたのだ。
私の中に流れ込んできたのは、呪いではない。彼が密かに私を想い、後宮の片隅で祈り続けた、何よりも純粋な「情愛の熱」だった。
「……っ!」
全身を走っていた激痛が、心地よい温かさに変わる。
私が吸い上げたのは、彼の心の闇だけではなかった。彼が必死に隠し続けていた、私への溢れんばかりの切なる愛。それが呪いを中和し、私の止まりかけた心臓を再び強く打ち鳴らした。
蒼真様が驚愕に目を見開く。抱きしめられた私の胸元から、温かな光が溢れ出し、部屋中の冷気を払っていく。
「雪乃……? まさか……」
私はゆっくりと瞼を開けた。
そこには、世界が終わったような顔で私を見つめる、最愛の人の姿があった。記憶が、津波のように戻ってくる。彼と交わした言葉、温もり、すべてが私の魂を埋め尽くした。
「……蒼真様。ただいま」
私は震える手で、彼の頬に触れた。
彼の目から涙がこぼれ、私の手に触れる。夢ではない。私は生きている。私たちは、二人で地獄を抜け出したのだ。
「生きて……生きていてくれたのか」
蒼真様は私の体に顔を埋め、子供のように声を上げて泣きじゃくった。冷徹な皇帝の仮面など、とっくの昔にどこかへ消え失せている。
彼が私の名前を呼び、何度も何度も愛していると囁く。その声が、何よりも甘美な音楽のように後宮に響き渡った。
窓の外の雪は止み、雲間から黄金色の朝日が差し込み始めた。
朝焼けに染まる清涼殿の中で、私たちはただ、互いの心臓の音を確かめ合うように抱きしめ合う。
愛のない契約から始まった私たちの物語。
けれど今、私たちの間にあるのは、何物にも変え難い確かな「愛」だった。
後宮の厳しい冬は終わりを告げた。
これからは、二人で歩む、温かな春が待っている。



