冷酷な皇子と、記憶を売る后

皇帝となった蒼真様の執務は過酷を極めていた。
だが、彼はその激務の合間を縫うように、まるで私の存在を確認するかのように、一日に何度も清涼殿を訪れた。

「雪乃、食事は摂ったか。体調はどうだ」

彼は私が何も思い出さないと分かっているのに、毎日同じ質問を繰り返す。
記憶を失った私は、彼に対する感情の整理がつかないまま、ただそこにいるだけの『人形』のように過ごしていた。周囲の女官たちは、かつて私が彼から愛されていたこと、そして私の身を削って呪いを引き受けていたことを噂している。

それを聞くたびに、胸の奥が締め付けられるように痛む。
なぜ、私のような人間が、皇帝という高貴な方からこれほどまでに執着されているのか。理解できない。けれど、彼の孤独な瞳を見るたび、私の体は勝手に彼を慰めようと手を伸ばしてしまう。

「……殿下、いえ、陛下。ご無理をなさいませんように」

そう言って彼の背に手を添えると、彼はいつも、子供のように私の腕にしがみつく。皇帝としての威厳をすべて脱ぎ捨て、ただの傷ついた少年のように。

「雪乃、お前がいなくなってから、呪いの声が聞こえるようになった」

彼は私の髪に顔を埋め、震える声で吐露する。

「お前が私の中にあった毒を吸い上げてくれていたのだと、今更になって分かった。……お前は私のすべてだった。私の苦しみも、私の喜びも、すべてお前が抱いていてくれたのだ」

彼の告白を聞きながら、私は確信する。
私の失われた記憶の中に、彼と私の魂の絆が刻まれていたのだと。契約は終わった。けれど、その契約が引き起こした「魂の癒着」は、記憶を失った程度では剥がれないほど深く、根を張っていた。

ある日、私は後宮の庭で一人の老女に出会った。かつて私の家系に仕えていたという彼女は、私を哀れみの目で見つめてこう言った。

「お嬢様、あなたはご自分の命を売って、あの人を呪いから救ったのですよ。ですが、記憶を忘れた今、それはただの死の淵への片道切符に過ぎません。……陛下は、あなたを愛しているのではない。あなたが自分から奪い取った『痛み』を、失いたくないだけなのです」

その言葉は、冷たい氷のように私の胸に突き刺さった。
愛? それとも執着?
蒼真様が私を求めているのは、私自身ではなく、私がいなくなったことで再び彼を蝕み始めた『呪い』への恐怖ではないのか。

その晩、蒼真様は私の寝台を訪れ、力強く私を抱きしめた。
彼の熱い吐息が耳元にかかる。

「雪乃。明日の晩、儀式をしよう。……もう一度、私の呪いを吸い上げてくれ。これ以上、この闇に飲み込まれては、私は自分が自分でなくなる」

それは、私に「死ね」と言っているのに等しい申し出だった。
私の魂は、もう一度毒を吸い上げれば、今度こそ砕け散る。彼もそれを知っているはずだ。それでも、彼は私を求める。

「……陛下、それが私の願いであれば、させていただきます」

私は、自分が何者なのか、誰を愛しているのかさえ曖昧なまま、彼を抱きしめ返した。
私の心の中に、一つだけ、微かな毒のようなものが芽生える。
もし私が死ぬことで、彼の中で私という存在が永遠に刻まれるなら。彼が一生、私の面影を追って苦しみ続けるのなら。
それは、記憶を消された私にとっての、唯一の『復讐』であり、究極の『愛』になるのではないか。

「雪乃。愛している……私から、決して離れるな」

彼は狂ったように私の首筋に口づけを落とす。
彼の瞳の中に映る私は、もう私が知る私ではない。彼が都合よく作り上げた、人形としての『愛しい雪乃』。
私は彼を抱きしめながら、その背中にそっと爪を立てた。
このまま二人で地獄へ落ちよう。愛などない契約から始まった物語は、今、呪いよりも深い執着の鎖となって、二人を絡め取っていく。