まだ何者でもない君へ

照りつける太陽の日差し。マウンド上に滴り落ちる汗。北海道とはいえ7月末ですでに30度を何度も超え、真夏日が続いていた。
 南北海道大会決勝。部員たった20名の開岸学園は大躍進を見せ、甲子園まであと一歩のところまで来ていた。
マウンド上には2年生エースの吉澤。スコア2ー2の同点、9回表2アウトランナー2塁。ここで点を取られてしまえば残る自分たちの攻撃はあと一回のみ。絶望的だった。ここまで勝ち上がってきたとはいえ相手は甲子園常連校。簡単に点は取らせてくれない。絶対に点を取られてはいけない状況でバッテリーはストレートを選択した。
吉澤は足を高く上げ、渾身の力を振り絞りミットを目掛けて投げ込む。
「カキンッ!」
吉澤にとって不愉快な金属音がスタジアムに響き渡った。と同時に歓声が湧く。打球は外野の頭上を襲いそのままぐんぐん伸びていく。
「ボトッ」
そのままフェンスを超え、外野スタンドへと吸い込まれていった。
打ったバッターが右手を突き上げゆっくりとダイヤモンドを一周する。この瞬間が試合の中で1番長く感じた。次の打者を抑え、9回裏、開岸学園の攻撃。簡単に2アウトを取られ、バッターボックスには吉澤が入る。1ボール2ストライクと追い込まれ4球目。投げ込まれた直球はキャッチャーミットへと吸い込まれていった。試合終了。先輩たちの夏を終わらせてしまった。
 試合後の最後のミーティング。先輩方は1人1人思いの丈を述べていく。どの先輩も吉澤がいたからここまで来れた、ありがとう。と、そう言ってくれた。それが逆に苦しくて、辛くて。溢れんばかりの涙を止めることはできなかった。そして、先輩方の悔しさを継ぎ、吉澤は新キャプテンとしてチームを引っ張っていくことになった。

   

 ピピピピピピピ…
目覚ましが鳴り響く。時計を確認しあと5分寝ようと再び布団の中へと潜り込む。
「ほら!起きなさい!今日からまた朝練なんでしょー?!遅刻するよー!」
1階から母親の叫び声が聞こえる。
渋々身体を起こし、1階へと向かう。
「あんたシャキッとしなさい!目開いてないわよ!」
椅子に座り、用意されていた食パンを口へと運ぶ。ニュースでは、この間の試合結果が報道されていた。
「土曜日に行われた、南北海道大会決勝戦。開岸学園対南海高校の試合は4ー2で南海高校が甲子園出場を決めました。試合は…」
「あ、ほら!あんたニュースに映ってるわよ!すごいわねぇ今までは良いところまでは行くんだけどそこからがダメだったチームがこんなところまで勝ち上がるなんて」
ニュースに映るのは少しばかり嬉しい気持ちがあったがどうせなら勝って映りたかった。
 朝食を済ませ、学校へと向かう。グラウンドへ着くと朝のニュースで話題は持ちきりだった。
「おはようございます」
「あ!吉澤が来たぞ!見たぞーニュースやっぱ今年のヒーローだよ!」
「スカウトも有り得るんじゃない?」
チームメイトがわらわらと集まってくる。
「落ち着けよ。どうせそんなことないから」
「相変わらず冷めてんなー」
「吉澤!」
2年生マネージャーの小林が後ろから話しかけてきた。
「あのあと大丈夫だった?」
「あのあと?」
「ほらっ試合の後、しばらく動けなくなってたでしょ?でもあんまり話しかけるとかえって気を使わせるから、そっとしておこうと思って先に帰っちゃったんだけど」
吉澤は決勝戦の後、悔しさと先輩方から受けた優しさで涙が止まらなくなり、しばらく動けなくなっていた。
「あぁ、大丈夫だよ。ありがとう。散々泣いたらすっきりした」
「そっか。よかった」
小林はほっとした表情を見せた。
「さ!朝練始めるぞ!今日はバッティング!準備しよう!」
「よし!」
準備を始める部員をぼんやりと見つめる小林。その横では1年生マネージャーの村田がニヤニヤしながら小林を見ていた。
「舞先輩。吉澤さんは大丈夫そうでした?」
「え?!え、なに?なにが?」
小林は驚きを隠せず手に持っていたスマートフォンを落とした。
「なにがってことないんじゃないですか?あれだけ分かりやすくて」
「な、何がわかりやすいんだか私にはさっぱり…」
小林はすでに顔が真っ赤になっている。
「えぇー?言わせたいんですか?舞先輩はー吉澤さんのことがー」
「ちょ!ちょっと待って!声がでかい!」
村田はいたずらっ子のような笑みを浮かべる。
「良いじゃないですか。恥ずかしいことじゃないですよ」
「恥ずかしいに決まってるでしょ?何言ってるの」
「おいマネージャー!まず用意しといて」
「あ、うん!」
部員に助けられなんとか難を逃れることができた。
ジャグを持ち2人で水道へと向かう。
「ちなみにどこが好きなんですか?」
全然逃れられてなかった。
「えぇ…まだ好きって認めたわけじゃ…」
「でも、それって好きってことじゃないですか?」
墓穴を掘った。
「じゃあ誰にも言わないでね」
「はい!」
「さっき私たちに水お願いしてきたでしょ?たぶん西野だと思うんだけど雑じゃない?でも吉澤は絶対そういう扱いしないというか」
「わかります。優しいですよね」
「そう。あと頑張ってる姿とかさ、でも1番は自分より他人を優先する優しさを持ってるところかな」
「ちゃんと好きじゃないですか」
「やめてよ」

    

 朝練が終わり、授業中。数ヶ月後には修学旅行が待っているため、今日はグループで周るコースを決める日だった。吉澤は普通科コース、小林はアートコースと呼ばれる美術専門の学科に通っていたため、もちろんクラスは別だった。
 「吉澤お前どこ行きたい?」
「うーん。せっかくの京都だしなー抹茶は食べたいよなー」
「何食べたいかじゃなくてどこ行きたいかを聞いてんだ」
「でも吉澤の気持ちもわかるよ。やっぱ飯だよな〜食べ盛りだもん俺ら」
「何言ってんだよ。お前のこの間唐揚げ3つで胃もたれしてたじゃねぇか」
吉澤はクラスの気の知れた友人たちとグループを組み楽しそうに話していた。
一方、小林はどうにかして修学旅行中に吉澤に会えないかと話し合いの中で隙を探していた。
「あんたこんな木刀屋さんなんで行ってどうするの?男の子じゃあるまいし」
「いいの!見てみたいでしょ?」
「小学生か!」
小林は男子高校生が行きそうなところをチョイスして提案したが全て却下されていた。
「せっかくならさ着物で周らない?」
「え!良いじゃん!京都っぽい!これでみんなが好きな男子もイチコロだな」
「え!」
「どうしたの舞」
「あ、や、なんでもない」
好きな男子もイチコロと聞いて勝手に1人で盛り上がってしまった。

    

 放課後ー。
グラウンドに集まった部員たちは修学旅行でどこに行くかの話題で盛り上がっていた。
「みんなどこ行くの?」
「俺は狐のとこ行くよ!」
「あぁあの鳥居がいっぱいあるところか。なんだっけ伏見稲荷だっけ?そこ俺も行くんだよなー」
「そうなのか!野球部が揃えば写真とか撮りたいよなーせっかくだし」
「良いね!時間合わせればいけんじゃない?」
その様子を小林は羨ましそうに見ていた。
「舞先輩、会話に参加しないんですか?」
「なんでよ。あれは部員たちって話でしょ?私は関係ないよ」
「でも部員じゃないですか。写真ぐらい撮ったって自然でしょ?」
「まぁ…」
「小林!ちょっと来てよ!」
吉澤からの呼び出しだった。
「呼ばれてますよ!」
「小林さ修学旅行でここいく?みんなでさ…」
小林は待ってましたと言わんばかりに小走りで吉澤の元へ向かい、嬉しそうに会話に参加していた。まるで青春の1ページを見ているようだった。 あれから少し月日が経ちついに修学旅行当日。開岸学園の生徒たちは空港のロビーに集まっていた。
「いよいよ始まるぜー!修学旅行ー!」
さすがにどの生徒も浮き足立っているようだった。
「先生!飛行機の中でトランプやろうよ!」
「お!いいぜぇ俺は強いからなー」
先生方もまた同じように楽しそうにしていた。
生徒全員が楽しみにしていた修学旅行がついに始まる。

   

 北海道から飛行機で揺られること約2時間。そしてさらにバスに乗り継ぎ揺られること1時間。学園の生徒たちは東大寺に到着した。1日目はここで奈良の大仏を見学し、鹿と戯れ、お坊さんのありがたいお話を聞くという内容だった。特に歴史建造物に興味のない吉澤は奈良の大仏を軽く見た後、お坊さんの話を眠りながら聞き、ほとんどの時間を鹿と戯れていた。
「おい吉澤〜もうちょっと大仏見ようぜ?」
「見たって動かないしおもんないやろ。鹿と戯れてる方がよっぽど面白いぞ」
「……でもうんこ踏んでるぞ」
ヒィッという声と共に吉澤は飛び上がった。
「あはは!この公園そこら中に落ちてるからな!気をつけろよ!」
「最悪や…」
「吉澤!」
「おぉ小林じゃんかアートコースもここ周ってんの?」
そりゃそうでしょー?同じ学校なんだから。それより何?踏んだの?」
小林はニヤニヤしている。
「うるせぇ。擦り付けてやろうか?」
「やめてよー。まぁそんなことどうでも良いじゃん!写真撮ろ?」
2人並んで仲睦まじく写真を撮る。
「ありがとう!明日は鳥居の前に15時だっけ?」
「そう!部員みんな待ってるから写真撮ろう」
「わかった!じゃあまたね!」
小林は嬉しそうに去っていった。

1日目の到着が夕方だったこともあり、東大寺を2時間ほど散策したあと、1日目の宿泊施設へと移動した。
「今日1日お疲れ様。ご飯とお風呂の時間は決まってるけどそれ以外は自由だから好きなように過ごすこと。就寝時間は守りなさい。解散!」
ぞろぞろ自分の部屋へ移動していく。
 食事と入浴を済ませた吉澤班はそれぞれが敷かれた布団の上で寝転がっていた。
「やっぱ良いな〜修学旅行は」
「特別な気になるよな〜なんせクラスメイトと3泊4日!俺この修学旅行1回も寝ないからな」
「死ぬぞ」
「おい吉澤!冷静にツッコむな!」
「まぁそんなことより修学旅行の定番の話しようぜ!」
「お?!恋バナ?!」
全員が布団を寄せ合い小さく集まる。
「時に!俺は気になっていることがある!」
「なんだなんだ?」
「吉澤!お前小林さんと仲良いよな!さっきも写真撮ってた!どういう関係なんだよ!」
「どうって…まぁ俺のことをよく見てくれてるとは思うよ」
「なんだそれ」
クラスメイトが不思議そうな顔をする。
「好きなんじゃないの?」
「うーん…なんかまだそこまでじゃない気がする」
「ほー」
一方、小林の部屋でも恋バナが繰り広げられていた。話題の中心はもちろん小林と吉澤の関係についてだった。
「舞は吉澤くんのことが好きなんでしょ?」
「え?!」
小林は思わず飲んでいた飲み物を吹き出してしまった。
「な、なんで?」
「いやぁかなりわかりやすいけど?」
「そんなつもりないけどなぁ」
「でも今日だって吉澤くんのこと見つけたら嬉しそうな顔してたし、一緒に写真撮れたあともガッツポーズしてたじゃん」
「見てたの?!」
恥ずかしくなり布団の中へと潜り込む。
「あはは!かわいい〜」
「ねぇ!付き合わないの?」
「そりゃそうなれればとは思うけど…まだあっちはなんとも思ってないだろうし」
「そっか〜じゃあこの修学旅行で思いっきりアタックしよう!」

   

 翌日。
修学旅行2日目は丸一日京都市内の自由散策の時間が設けられていた。吉澤班は勢いに任せてとにかくいろんな飲食店に入りまくり、京都のグルメを堪能していた。
「いやー食ったなー」
「俺もう無理。朝からこんなの吐くって」
「なんだよ吉澤お前野球部だろ?しっかりしろよ」
「あ、見て。茶色いローソン」
「おい、話題を逸らすな」
「ていうかそろそろ行かないとな。野球部で集まるんだろ?」
「あぁ悪りぃな。こっちの都合入れ込んじゃって」
「いいってことよ!俺たちも行きたかったし」
一方、小林班は着物に着替えて京都市内を散策していた。
「良いね着物!すっごい可愛い!髪の毛もアレンジしてもらって!」
「ほんとね!舞は吉澤くんに見てもらいたいんじゃない?」
「あれ?舞…?」

 15時。約束の場所にぞろぞろと集まる部員たち。
「すげぇ!あれって千本あるんだっけ?」
「いや、なんかそういう名前なだけであって実際は800本くらいらしいよ」
「え?なんで?
「いや、なんでって言われても」
「お!吉澤が来たぞ!」
「これで全員揃ったな!」
「あれ?小林は?」
「ん?いないか?その辺に」
辺りを見渡しても小林らしき人影はなかった。
「あ、あの!」
吉澤に話しかけてきたのは着物姿の女性だった。
「私たち小林 舞と同じ班なんですけどここにいませんか?」
「え?いや、いないです」
「私たち逸れちゃって!どこを探してもいないんです!協力してもらえませんか?」
小林は京都市内を散策中、班員と逸れて迷子にになってしまっていた。携帯で連絡してみるもおそらく充電が切れていて繋がらない。
「悪りぃ。俺ちょっと探してくるよ!」
吉澤は最後に小林といた場所を班員から聞き出し、1人でその場所へと向かった。



 「最後に舞と一緒にいたのは確か二年坂のあたりだったと思います」
小林班の班員の言葉を信じて二年坂へと向かう吉澤。日は少しずつ傾き、空はオレンジ色と紺色が混ざり合ってきていた。二年坂は外国人やカップルも多く、暗くなるにつれ、夜景見たさに観光客の数も増えてきていた。この人混みの中小林1人を見つけ出すのは至難の業だった。

 「どうしよう」
小林は二年坂に1人で取り残され、身動きが取れなくなっていた。
「携帯の充電も切れちゃったし、ホテルの場所もわかんないよ。しかも暗くなってきた」
その心細さから少し涙目になっていた。
「誰でも良いから来てよ…」
「小林!」
「…え?あ!吉澤ぁ…」
小林は吉澤に思い切り抱きつき泣いていた。少し落ち着き、我に返り顔を赤らめる。
「あ、ごめん。ありがとう。でもなんで来てくれたの?」
「15時に伏見稲荷に集合だったのに来ないから待ってたら、小林の班員が迷子になってるって教えてくれたから」
「それで探しにきてくれたの?」
「そう。多分みんなは違うとこ探してる」
小林は少し顔を緩めた。自分で迷子になっておいてこんなことを思うのはもってのほかだが、吉澤が探しにきてくれたこと、そして見つけてくれたことがとても嬉しく感じた。この時間がも少し長く続いてくれれば良いとそう思った。
「じゃあとりあえず見つけたってみんなに連絡するね」
「まっ!待って!」
吉澤の服の裾を掴む。
「今連絡したらこの時間終わっちゃうからさ、もう少しだけ…一緒にいよ?」
吉澤は少し驚いた顔をしたが、目を逸らしわかったとだけ答えた。
「行ってみたい場所あるんだ」
そう言い電車を乗り継ぎ2人がやってきたのは京都駅だった。
「駅?お土産でも欲しいの?」
「なに?迷子のこといじってんの?」
「そういうわけじゃなくて」
「ふふ。わかってる。見て!あそこから上に登れるの」
小林が指差した先には長い階段があり、その先に空中経路へと続くエスカレーターがあった。
「あそこに行くの?」
「そ!綺麗なんだって!」
2人はエスカレーターに乗り空中経路へと入っていく。
「わぁすごい…幻想的」
まるで星空の中を2人きりで歩いているような感覚だった。小林にとって辛い思い出になるはずだった修学旅行2日目。好きな人が隣にいるだけでそれは幸せな思い出として上書きされていった。いつのまにか繋がれていた手は、離れることはなかった。

「ありがとう。ここ吉澤と来たかったんだ」
「俺と?なんで?」
「んー。なんでもない」
小林は満面の笑みを浮かべた。

「そろそろ戻らなきゃな。連絡もしてないし。」
「あ、そうだね」
2人が宿泊先につくと玄関先には担任の先生が待ち構えていた。
「すみません」
「おぉ!良かった!こんな時間になるとはなぁ。とにかく無事で安心したよ」
「怒らないんですか?」
「怒る?なんで?見たかったんだから大丈夫でしょ。さ!ご飯にしようぜ」
怒られるかと思って完全にビビっていたが、予想外の回答に拍子抜けだった。もしかしたら担任が気を遣ってくれたのかもしれない。

 その夜、女子部屋では会議が開かれていた。もちろん反省会ではない。恋バナだ。
「舞!吉澤くんきてくれた時どう思った?!」
「そんなこと言ったら私反省してないみたいじゃん!」
「してないでしょ?」
「うん」
「じゃあ教えてよ」
「えぇ〜正直言うと嬉しかったし、吉澤以外待ってなかった」
きゃーという声が部屋中に響く。
「迷子になったくせに生意気〜。で、そのあとは?」
部屋にいる女子全員が小林に注目していた。
「京都駅の空中経路2人で行ってきた」
あぁーという声ややることやってますわなど野次が上がる。
「それは自然な流れ?誘ったの?」
「私がもう少し一緒にいよって誘った」
再びきゃーという声が響く。今度はさっきより大きかった。
一方、男子部屋ではそんな話題は一切上がらず、焼きそばの大食い大会が開かれていた。そんな中大食い大会には参加せず、上の空の男が1人いた。
吉澤は夕方の出来事が頭から離れずにいた。一緒にいよと言われたあの瞬間の表情や空中経路に一緒に来たかったと言ってきた時のあの表情。どれもこれも見たことない小林の表情だった。

修学旅行3日目は各々あの有名な大型テーマパークで時を過ごし、そしてついに最終日を迎えた。
「いやぁ修学旅行ももう終わりかぁ。早かったなぁ」
「そういやお前初日ずっと寝ないとか言ってたけどめちゃくちゃ寝てね?
「いいの!疲れたら寝る!それが1番いいの」
「ていうか、吉澤!お前2日目の夜に帰ってきたからずっとそんな感じで上の空だけど大丈夫か?」
「……」
「吉澤?」
「あぁごめん。何?」
「い、いや大丈夫?って聞いたんだけど」
「ん?え?何が?」
「いや、なんでもない元気ならそれでいい。お前、結構環境に影響されやすい性格だから気をつけろよ」
「う?うん」
空港に着いた生徒たちは4日間の疲れから初日とは全く様子が違い、静まり返っていた。
「吉澤」
小林が少し小さい声で話しかけてくる。
「ん?」 
「楽しかったね。あといろいろありがとう」
「ううん。気にすんな」
吉澤はそう答えるも、いつものように小林の顔を見て受け答えすることができなかった。今までこんなことなかったが、初めて恥ずかしいと思うようになっていた。

 生徒たちを乗せた飛行機は無事に北海道へ着陸し、4日間に渡る修学旅行が終わった。ただひたすらにグルメを堪能した者、観光で歩き回っていた者、いろんなことが起こった濃い4日間だった。



 3年生の夏の大会が終わり、そして自分たちの修学旅行が終わった。すでに新チームとして始動していた野球部は秋季大会へ向けて、練習に励んでいた。グラウンドではバッティング練習が行われており、心地よい金属音が響き渡っていた。一方、少し離れた投球練習場では吉澤が調整を行っていた。
バンッ!
「良い音してるなぁ」
顧問の寺田先生が唸り声をあげた。吉澤は今年の夏季大会の大躍進の立役者だったことから絶対的な信頼を勝ち取っていた。多少調子が悪くても基本的に試合に出ない日は無く、怒られることもほとんど無かった。
「お疲れ様です。抽選会どうでした?」
「あぁ普通の山に入ったから地区予選で5回勝てればベスト20に入れるな。そのあと20チームでまた抽選会やって優勝校決める流れだ。いわゆる全道大会ってやつだな」
「なるほど。それで予選の相手は?」
「1回戦は滝野浦高校だ」
「どこだ?」
「いやわからん」
「機動力が魅力の高校だよ。1番から9番まで全員が盗塁できる選手をレギュラーにしてるね」
小林が割って入ってきた。
「お!さすが小林!データ取れてるなぁ」
「任せてください!」
自慢げな顔をする。
「ていうかキャプテンなのにそんなのも知らないの?」
「うるさい」
「なんか、お前ら修学旅行から帰ってきてから仲良くなったよな?なんかあったのか?」
「い、いえ特に何も」
咄嗟に受け答えしたせいで吉澤の声が裏返った。
「そうか?なんでもいい。2日後には1週間後には1回戦が待ってるからなしっかり頼むぞ」
そうだ。1週間後には春の甲子園出場が近づく秋季大会が始まる。浮き足立ってなんかいられない。吉澤は気合いを入れ直した。

 
 そして1週間後。1回戦当日、グラウンドには両校の生徒が揃い、スタンドには応援団が詰めかけていた。先攻は開岸学園、後攻は滝野裏高校。両チームの選手が1列に向き合って並び、審判の「礼!」という号令と共にお願いしますと頭を下げる。
 1回の表の攻撃はあっさり抑えられ、無得点で終わる。そして1回の裏。マウンド上には吉澤が上がる。投球練習を終え、先頭打者が打席へと入る。キャッチャーとのサインの確認後、ふぅっと一息吐きミットに向かってボールを投げ込む。糸を引くような綺麗な直球はミットへ吸い込まれていく。今日の吉澤は調子が良く、放っておいても勝手にアウトが量産されていくような状態だった。5回の表に開岸学園が1点入れた以外は試合が動くことなく、最終回まで来ていた。吉澤は最後のバッターをセンターフライに打ち取り、試合が終了した。無事に1回戦を突破した。
 その後もとんとん拍子で勝ち上がっていった開岸学園はあっという間にベスト20へと名を連ねていった。

「地区予選突破おめでと!今回も1人で投げ抜いたね」
「まぁここまではね。いつも順調にこれるから」
地区予選終了後、小林と吉澤は2人並んで帰り道を歩いていた。
「でもとりあえずおめでとうじゃん?」
「まぁそっか。ありがとう」
吉澤は少し照れくさそうにする。
「ね!このあと時間ある?」
「あるけど」
「渡したいものあるんだ。公園寄ってこうよ」
公園に着くと突然小林が走り出した。
「うわぁ!懐かしい!久しぶりに来たなー」
そういうと、ブランコに乗りおもむろに漕ぎ出した。
「おい、あんまり勢いよく漕ぐと危ないよ」
「なにー?大丈夫だって!」
ブランコから飛び降りた小林は子供のようにはしゃぎ、すべり台の階段を駆け上がっていく。
「ねぇ!私のカバン持ってこっち来てよ!」
「降りてこいよ」
「いいから来て!」
吉澤は重い腰を上げ、階段を登っていく。
「ほら。持ってき…あれ?」
小林は滑り台を滑り、すでに下にいた。
「へへーん。捕まえてみろー」
「ふざけんな」
高校生2人が自分の体よりも小さい遊具で追いかけっこを始める。
「待て!はぁ…はぁ…やっと捕まえた」
滑り台の頂上で吉澤は小林の制服を掴んだ。
「あぁ捕まっちゃった」
「何がしたいんだよ」
実はねと言い小林はカバンの中を漁る。
「はいこれ」
青いプレゼント袋を手渡す。
「ん?何これ」
「プレゼント。吉澤今日誕生日でしょ?だから何かお祝いしたくて」
「え、まじ?」
「まじ」
「ありがとう!開けていい?」
「うん。なんかちょっと恥ずかしいけど」
プレゼントの中身は名前入りのスポーツタオルだった。
「かっこいい!これから大切に使うね!」
「うん!あとねケーキもあるんだよ!」
カバンから出てきたケーキの箱は少し潰れていた。
「ケーキって…さっきカバン持ったまま走ってなかった?」
「あ」
箱を開けると原型を留めていない小さなホールケーキらしきものが入っていた。
「やっちゃった…」
残念そうな顔をする小林を見て、吉澤は笑い声をあげる。
「あはは!なんか小林らしいよ」
「何?バカにしてるの?こっちは本気でショックなんだけど?」
「ごめんごめん。でもこんな形でも嬉しいよ」
「そうは言っても…」
「別にいいじゃん。多分一生忘れられない誕生日になる。すごく良い思い出ができた。ありがとう」
吉澤は笑顔を向けた。
「んー本人が言うならいっか」
ケーキに一本ろうそくを立てて火をつける。小林によるバースデーソングが披露され、タイミングよく火を吹き消す。滑り台の頂上という狭い場所で行われた誕生日パーティは幕を閉じた。
 誕生日会から数日。全道大会の抽選会が行われた。開岸学園は1回戦、2回戦と勝ち抜き、準々決勝へと駒を進めていた。地区予選では通用していた吉澤のボールも全道大会となると相手チームレベルがぐんと上がることから徐々に打たれ始めていた。
 準々決勝の相手は囲碁大札幌高校だった。試合は終盤に差し掛かり開岸学園が1点リードのまま7回裏、囲碁大の攻撃を迎えていた。先頭打者にヒットを打たれたが、その後、連続三振で2アウトまで来た。しかしここで高校通算ホームラン30本のプロが注目している4番打者がバッターボックスへと入る。真ん中に甘く入ればあっという間にスタンドに持っていかれる。マウンド上の吉澤はいつも以上に集中していた。1球目、変化球から入りボール。2球目、渾身のストレートを投げ込む。ブン!という大きな音と共にバットが空を切る。ストライクを取ったもののスイングするだけでものすごい威圧感があった。3球目は再び変化球を投げ今度はストライク。あと一つストライクを取ればこのピンチを脱することができる。ここを抑え切ればもうこのバッターに打席が回ることはほぼない。勝ったも同然だった。どうせ決めるならストレートで三振を取ってやりたい。吉澤には欲が出ていた。キャッチャーからのサインは変化球のサインだった。吉澤は首を振りストレートを選択。バッターの胸元コースギリギリに力いっぱい投げ込んだ。
キンッ!という音が響きレフト方向へ白球が高々と空を舞う。滞空時間の長い打球はぐんぐん飛んでいき外野手の頭を超え、スタンドへと吸い込まれていった。逆転2ランホームラン。自分の欲任せに投げたボールはいとも簡単に打ち砕かれた。今年の夏もギリギリのところでホームランを許し逆転負けを喫していた。吉澤はマウンド上に膝から崩れ落ち立ち上がることができなかった。
チームは8回、9回と反撃することができずそのまま敗戦、初の甲子園への夢は北海道ベスト8で散った。

 試合後に2人で帰るのはもうも決まりとなっていた。
「惜しかったね」
「打たれちゃった」
「それはしょうがないよ。寺田先生も吉澤は悪くないって言ってたよ」
少し救われた気分になった。
「あとね今年から冬季リーグがあるんだってさ」
「何それ」
「うーんっとね。秋季大会でベスト8に入ったチームだけでトーナメント戦をするんだって。うちはベスト8だから出場できるよ」
「へーそんなのが」
「だからさ!そこでやり返そうよ!」
悔しがっていた自分がアホらしくなった。ダメだったとしてもこうやって必ず自分を見てくれてる人がいる。支えてくれている人がいる。その人たちのために頑張ろうとそう思えた。