俺が生徒会に入って一週間が経過しようとしていた。
生徒会の仕事は俺が思っている以上に大変な仕事だということを実際にやってみて思い知った。漫画やアニメでよく生徒会を題材にしたものであったり、登場するようなものを目にする機会が俺が生きてきたこの十五、六年で何度かあるのだが、実際は漫画やアニメのようなことはしないのだと知る。
漫画やアニメの世界では生徒会が圧倒的な権力を保有していたり、各部活動の予算申請書を確認して稟議を通したりと、全校生徒の憧れや注目の的であったり、教師とほぼ対等な立場や権力を保有していることが多かったように記憶しているが、実際の仕事内容はあいさつ運動の計画を立てそれを実行に移したり、生徒からの要望の取りまとめを行ったりと地味めな仕事が多い。
それでも縁の下の力持ちと言うべきか、しっかりと生徒のことを考えて行動している組織なのだと改めて感じる一週間であった。
御薬袋先輩も式神先輩も生徒会であることに誇りを感じているようで、選挙で選ばれた全校生徒の代表であるという意識で常に気を張って行動しているように見える。
そのため、一週間前の昼休みに俺が見てしまった屋上でイチャついている二人の姿はかなり珍しいものであるということも知った。しかしそれと同時に生徒会に異分子である俺がいることで、今まで二人っきりだった生徒会室でイチャつけなくなった可能性だってある。そう考えると少し申し訳ないなと感じるが、二人は俺が生徒会に入ってくれたことをひどく喜んでくれており、そんなに気にすることでもないのかなとも考える。
「生徒会ってこんなコトもするんですね」
全員が書類の仕分け作業に集中しており、紙を擦る音だけが響き渡る生徒会室で、一つの書類の山が消えたことを確認した俺は、ふとそんなコトを口にした。
「そうだねー。でも先生たちの言い様に使われてるって感じだから、正直言ってめんどくさいなって思うよ」
「……え?」
想像していた回答ではなかったため、俺は思わず間抜けな返事を口にしてしまった。
「あ、いや、その、意外……ですね。御薬袋先輩はもっとなんか、こう……」
すぐに間抜けな返事をしてしまったコトへの訂正を試みようとするも、自分の中でどんな言葉を紡げばいいかがわからないため、それを声に出すことができない。
そんな俺を見かねたのか、式神先輩が先に口を開いた。
「彰は割とめんどくさがり屋だよ。夏休みの宿題も最終日になるまで手を付けないタイプだから一緒に勉強しよって僕から誘わないといけないんだよ」
「業ぉ、それは言わない約束だろ?」
御薬袋先輩は頬杖を付きながら、左側の口角だけを器用に上げニヤリと微笑む。
それに対し式神先輩は「そんな約束はしてないよ」とこちらも目尻を下げ、いたずらっぽく笑う。
御薬袋先輩も式神先輩もこの一瞬で俺の存在を忘れてしまったのだろうかと思うほど、二人だけの空気感を作り上げた。もしかしてこの空気感を作り出した要因となったのは俺なのかもしれないと思うと、そんな二人の間に割って入る勇気はなかった。
「想像と違った?」
御薬袋先輩は式神先輩から俺へと視線を変えて、そう問う。
「……正直に言ってしまうと、そう、ですね。他薦ではなく自薦で生徒会長になったと聞いていたのでもっと責任感というか、生徒会の仕事に誇りを持っているのだと、そう思ってました……」
少し正直に言い過ぎてしまったかもしれないと、俺は今口にしたばかりの言葉に後悔する。
前にも自分の発言に後悔したことがあったことをこの瞬間に思い出した。それは丁度一週間前、加納高等学校の屋上で御薬袋先輩と式神先輩に初めて話した日のことだ。
あの日は親友である夜一に言ってはいけないと釘を刺されていたのにもかかわらず、思わず口にしてしまったあの瞬間だ。
顔が引きつる。
暖房が効きすぎているわけでもないのに、首筋から背中にかけて汗が流れていく。
それなのに指先から体温が溶け出していく。
すぐに謝ろうと言葉を紡ごうとするも、一度後悔の念に押されてしまった俺の口は思うように動かない。
「んー、そうだなぁ。誇りがないわけはないよ。生徒会長として選挙で選ばれたという自覚はあるし、それと同時に加納高等学校をより良いものにしたいっていう気持ちもあるよ。生徒会の仕事にも責任感を感じてはいるよ。でもそれが全てじゃないっていうのかな。そう言えば禄助くんはアルバイトをしてるんだよね?」
「はい、週に二、三回程度ですけどコンビニでバイトしてます」
「コンビニのバイトは楽しい?」
「そうですね……正直言って楽しいと思えることはほとんどないですかね。週に数回しか出勤はないですけど、それでも面倒だなと思うときはあります」
「そうそれ! まさにそれだよ! 自分の意思で始めたことなのにめんどくさいと思うときがあるだろ? まさにそんな感じ。この学校を良くしたくて自分で生徒会長に立候補したけど、それでも生徒会の仕事はめんどくさいって感じることがほとんどだよ」
「なんとなくわかった気がします」
なんとなくだ。
本当になんとなくだが、わかった気がする。
自分がやりたくて始めたことだが、そのすべてをやりたかったわけじゃないということだろう。営業をやりたくて営業職に就いたのに、資料を作ったり報告書を作ったりと、事務仕事に追われてしまうようなものだろう。社会人経験なんてないけど。
「それにしても禄助くんが生徒会に入ってくれて本当に助かってるよ」
「僕もそう思ってたんだよね。彰が急に誘うから禄助くんには申し訳ないなと思ってたけど、今ではきてくれて本当に良かったと思ってるよ」
急な二人からの誉め言葉に俺は、先ほどの後悔で押しつぶされそうになっていたときとは別の意味で言葉に詰まっている。
今まで学力の低さや要領の悪さから怒られることはあっても、褒められる経験なんて、それこそここ数年はしていなかった。
これが照れという感情であることはすぐに理解したが、この後どうすればいいかがわからない。むずがゆさを覚え、体中がどこか落ち着かない。
必死に考え抜いた俺は、以前より少し不安だったことを確認する。
「俺って、本当に役に立ってますか? テストの順位なんて後ろから数えて一番目か二番目なわけで、到底役に立っているとは思えないのですが……。それに他の人を推薦して人数を増やしたほうがいいんじゃないですか? 生徒会長と副会長。それに庶務の三人って、どう考えても少ないですよね?」
言った。言ってやった。ずっと不安だったことを聞いてやったぞ!
そしてすぐに俺はまた後悔をする。
ここで実は役に立ってないよなんて、戦力外通告をされては今この場で泣いてしまうかもしれない。それどころかせっかく生徒会の仕事(たったの一部だけだが)にも慣れてきた頃だというのに、生徒会を辞めることになるかもしれない。
勝手に考えて、勝手に気分が落ち込んでいく。
俺の悪い癖だと、自分でもわかっていながらもそれを止めることはできない。
「何度も言ってんじゃん。大助かりだよ! マジで禄助くんをスカウトして正解だったよ!」
「そうだよ! 確かに禄助くんの言う通りもう少し生徒会の人数は増やしたいところではあるけど、学校の代表的な存在になるわけだから、誰でも推薦できるわけではないからね」
俺の予想に反して、二人からの返答は俺の心を温かくするものであった。
不思議と先ほどまで抱えていた胸のつっかえがいつの間にか晴れ間を見せるほどだ。
「で、でもですよ? 誰でも推薦できるわけじゃないって言いましたけど、出会って間もない俺を推薦しましたよね?」
ここまできたら意地である。
聞きたかったことを聞くしかない。
「そうだね。でもあのとき禄助くんが興味があるけど経験が無いって言ってたし。いろいろと教えを請いたい時期でもあるかなって思ってね。それに誰でも聞けるようなことじゃないでしょ? だから俺たち先輩が教えてあげられたらなって」
そう言えばそんなことを言っていたような気がする。
あの日、屋上でもそんなことを聞かれたことを俺は今思い出した。
あの時は正直苗字のことだと思っていたが、どうやら違うような気がしてならない。苗字に対して『興味』という感情は当てはまるが『経験』という言葉はどうも当てはまる気がしない。あの時はもしかしたら俺が知らないだけで苗字には経験という言葉が結びつくのかもしれないと考えたが、あの後調べたりもしたがやはり苗字に経験という言葉は当てはまらなかった。
そんなことを考えていると、式神先輩が俺に質問を投げかけてきた。
「彰の話は置いといて。ところであの超すごい特技はどうやって身に着けたの?」
「ちょ、超すごい特技……ですか?」
「そうだよ! とんでもない記憶力だよね? 実はテストは力を抜いて実力を隠してたりするの?」
「えっと、本当に何のことですか?」
それを聞いた式神先輩は御薬袋先輩の顔を見ると、お互いに顔を傾けた。
さらに二人の表情は眉間にシワを寄せ、何か考え事をしているように見える。
二人はお互いにだけわかるアイコンタクトを送ると、今度は御薬袋先輩が俺に確かめるように質問をする。
「えっと、本当に何のことかわからないの?」
「はい、すみません。俺何かやらかしてましたか?」
「いやいやいやいや、何も責めてないよ! むしろ禄助くんのその才能に助けられてるんだって」
「そうだよ! 本当に助かってるんだよ! あの大量のアンケート仕分け作業!」
「アンケート仕分け作業?」
アンケート仕分け作業とは生徒会が行っている仕事の一つで、加納高等学校が定期的に行っているアンケートを要望別かつ学年別に仕分けをする作業のことである。
アンケートは毎月行われており、その内容は自動販売機に入れてほしい飲み物に関するアンケートや売店で販売していると嬉しい商品のアンケート。中にはこういった学校行事があると嬉しいといった生徒からの要望に纏わるアンケートだったりする。
そんなアンケートは軽く千人を超える生徒数分存在しており、仕分け作業は骨の折れる作業であると二人は思っているようだ。
「でもアンケートの仕分け作業なら誰でも出来ますし、それならもっと生徒会の人数を増やした方が、もっと早く終わりますよ?」
「いやいや! いくら人数を増やしても今以上には早くならないよ。それこそ禄助くんが居てこそあのスピードが実現できているんだから」
「あの、話が全く見えてこないのですが……」
「……あれをすごいと思っていないとは、やはり才能は自分自身では気づくことは難しいのかもしれないね。俺と業が言ってるのは禄助くんの完璧なまでの記憶力だよ! 生徒の名前を見ただけでその生徒の学年をすぐに判別できるなんて本当にすごいよ! もしかして全校生徒分の名前を覚えてるの?」
そこまで聞いてようやく合点がいった。
アンケートには名前を書く項目こそ存在しているものの、学年やクラスを記載する項目は存在しない。その理由はアンケートは各教室で行われ、それを回収するのがそのクラスの担任だからである。自身のクラスの分のアンケートを確認するのに何年何組とクラスを表記する必要が無いからだ。
アンケートに書かれている内容は一度担任の目が目を通すことになっており、その後生徒会室に全生徒分のアンケート用紙が一か所にまとめられる。集められたアンケート用紙を生徒会で仕分けしていることを知っている先生の一部は何年何組の分であるとわかりやすくまとめてくれているものの中には存在しているが、それは全てではない。
つまり生徒会が行っているこのアンケート仕分け作業は名前だけを頼りに、アンケート回答者が何年何組の生徒なのかを仕分けるところから始まるのだ。
そこで少しは役立っているのは苗字オタクとしての俺の記憶力だ。
さすがに俺と同じ苗字である佐藤や親友と同じ苗字である田中など、どの学年にもいるような苗字は厳しい部分があるが、それこそ御薬袋や式神などの珍しい苗字や御手洗や五十嵐、長谷川といった三文字以上の苗字はほぼ完璧に学年を把握している。
そんな俺の苗字オタクの部分が二人の役に立っていることを知れて嬉しい反面、ここで一種の疑問が頭をよぎった。
そもそも二人は俺が苗字オタクであることを知っていたのではないだろうか、ということだ。
いつから興味があるの? であったり、カミングアウトしてるの? と質問をしてきたため、俺が苗字にしか興味が無い人間であることはすでに知っていると思っていたし、それを知ったうえで生徒会に誘ってくれたのだと思っていた。
「さすがに全校生徒の名前を覚えているわけじゃないですけど、大体はって感じですかね。でもそれで役に立っているなら良かったですが、御薬袋先輩も式神先輩も俺が苗字オタクだってこと知ってましたよね?」
「え?」
「え?」
「え? だって、いつから興味あるの? とかカミングアウトしているの? とか聞いてきたじゃないです……か?」
徐々に自信をなくしていき、声がだんだん小さくなっていく。
最終的には二人に聞こえていないんじゃないかと思うほどの声量であった。
「えっと、俺たちもしかして勘違いしてる?」
「僕も前からちょっとだけ話が噛み合ってないと思ってたけど、もしかして……そうかも?」
「……お二人は何に興味があると、俺に質問したんですか?」
御薬袋先輩と式神先輩はまた顔を見合わせた。
そして二人にしかわからないアイコンタクトを行い、何かの駆け引きに負けたのか御薬袋先輩が少し言いづらそうな表情を浮かべながら、俺に新しい質問をする。
「お、男に興味があるのかと。そういう意味で質問したつもり……だったんだが……」
「…………………………マジですか?」
すべての合点がいった。
一週間前のあの日。どうも話が噛み合っていないような気がしていたんだ。
先輩方は俺が苗字オタクであることは知らなかったようだ。
そして何を勘違いしたのか、俺が同性愛者だと思い込み、いつから興味があるのだとかの質問をしてきたようだ。
「すみません。あの時言ったかもしれないですが、俺別に今まで恋愛とかしたことなくて、好きとかわかんなくて……」
「うわ! マジか! 本当にごめん! ずっとそうなんだと思ってた! 本当にごめん!」
そう必死に謝る御薬袋先輩の頭をさらに下げるように式神先輩は御薬袋先輩の後頭部を掴むと自分の頭を下げるのと同時に御薬袋先輩の頭も地面にぶつける勢いで押し付けた。
「僕からもごめん。なんとなく話が噛み合っていないような気がしていたんだけど、僕と彰を見て羨ましいって言ってたから、禄助くんもそうなのかなって僕も思ってた。本当にごめん。もしかして僕たちと一緒にいるの嫌じゃない? あれだったら生徒会をやめ――」
「いやいやいや! 頭を上げてくださいよ! 俺もなんとなく噛み合っていない気がしてたんですけど、聞けてなかったのは俺も同じです。そして本当にお二人と一緒に居るのは嫌じゃないです! お二人さえ良ければこのまま俺を生徒会においててくれませんか?」
「い、いいのかい?」
「むしろ、お願いしたいです……。俺、今まで褒められるとかそういう経験が無くて、御薬袋先輩と式神先輩に褒められて嬉しかったんです! お二人の役に立てるのであれば、このままぜひお願いしたい……です」
紛れもない俺の本心である。
二人が同性愛者だろうが、そうじゃなかろうがどうでもいい。
俺を褒めてくれたことに違いはない。
それにやっと生徒会の仕事にも慣れてきたタイミングだ。このまま生徒会を去るのはもったいない気がする。
俺の言葉に二人はゆっくりと頭を上げ、また顔を見合わせる。
「改めてよろしく」
御薬袋先輩は微笑みかけながら右手を差し出す。
その手を俺は掴み、握手を交わす。
「でもまだ恋愛とかよくわかんないんだっけ?」
「へ?」
「人を好きになったことが無い的なこと言ってたよね?」
「え、まぁ、はい」
「じゃあまだ可能性はあるな!」
「ちょっと彰!」
御薬袋先輩は笑いながらそんなこと言い、それに対し式神先輩は少し怒り気味に御薬袋先輩の横っ腹をどつく。
俺は冗談だと思い、笑って受け流そうとしたが――御薬袋先輩のその瞳だけは少しも笑っておらず、本気のようにも感じた。
生徒会の仕事は俺が思っている以上に大変な仕事だということを実際にやってみて思い知った。漫画やアニメでよく生徒会を題材にしたものであったり、登場するようなものを目にする機会が俺が生きてきたこの十五、六年で何度かあるのだが、実際は漫画やアニメのようなことはしないのだと知る。
漫画やアニメの世界では生徒会が圧倒的な権力を保有していたり、各部活動の予算申請書を確認して稟議を通したりと、全校生徒の憧れや注目の的であったり、教師とほぼ対等な立場や権力を保有していることが多かったように記憶しているが、実際の仕事内容はあいさつ運動の計画を立てそれを実行に移したり、生徒からの要望の取りまとめを行ったりと地味めな仕事が多い。
それでも縁の下の力持ちと言うべきか、しっかりと生徒のことを考えて行動している組織なのだと改めて感じる一週間であった。
御薬袋先輩も式神先輩も生徒会であることに誇りを感じているようで、選挙で選ばれた全校生徒の代表であるという意識で常に気を張って行動しているように見える。
そのため、一週間前の昼休みに俺が見てしまった屋上でイチャついている二人の姿はかなり珍しいものであるということも知った。しかしそれと同時に生徒会に異分子である俺がいることで、今まで二人っきりだった生徒会室でイチャつけなくなった可能性だってある。そう考えると少し申し訳ないなと感じるが、二人は俺が生徒会に入ってくれたことをひどく喜んでくれており、そんなに気にすることでもないのかなとも考える。
「生徒会ってこんなコトもするんですね」
全員が書類の仕分け作業に集中しており、紙を擦る音だけが響き渡る生徒会室で、一つの書類の山が消えたことを確認した俺は、ふとそんなコトを口にした。
「そうだねー。でも先生たちの言い様に使われてるって感じだから、正直言ってめんどくさいなって思うよ」
「……え?」
想像していた回答ではなかったため、俺は思わず間抜けな返事を口にしてしまった。
「あ、いや、その、意外……ですね。御薬袋先輩はもっとなんか、こう……」
すぐに間抜けな返事をしてしまったコトへの訂正を試みようとするも、自分の中でどんな言葉を紡げばいいかがわからないため、それを声に出すことができない。
そんな俺を見かねたのか、式神先輩が先に口を開いた。
「彰は割とめんどくさがり屋だよ。夏休みの宿題も最終日になるまで手を付けないタイプだから一緒に勉強しよって僕から誘わないといけないんだよ」
「業ぉ、それは言わない約束だろ?」
御薬袋先輩は頬杖を付きながら、左側の口角だけを器用に上げニヤリと微笑む。
それに対し式神先輩は「そんな約束はしてないよ」とこちらも目尻を下げ、いたずらっぽく笑う。
御薬袋先輩も式神先輩もこの一瞬で俺の存在を忘れてしまったのだろうかと思うほど、二人だけの空気感を作り上げた。もしかしてこの空気感を作り出した要因となったのは俺なのかもしれないと思うと、そんな二人の間に割って入る勇気はなかった。
「想像と違った?」
御薬袋先輩は式神先輩から俺へと視線を変えて、そう問う。
「……正直に言ってしまうと、そう、ですね。他薦ではなく自薦で生徒会長になったと聞いていたのでもっと責任感というか、生徒会の仕事に誇りを持っているのだと、そう思ってました……」
少し正直に言い過ぎてしまったかもしれないと、俺は今口にしたばかりの言葉に後悔する。
前にも自分の発言に後悔したことがあったことをこの瞬間に思い出した。それは丁度一週間前、加納高等学校の屋上で御薬袋先輩と式神先輩に初めて話した日のことだ。
あの日は親友である夜一に言ってはいけないと釘を刺されていたのにもかかわらず、思わず口にしてしまったあの瞬間だ。
顔が引きつる。
暖房が効きすぎているわけでもないのに、首筋から背中にかけて汗が流れていく。
それなのに指先から体温が溶け出していく。
すぐに謝ろうと言葉を紡ごうとするも、一度後悔の念に押されてしまった俺の口は思うように動かない。
「んー、そうだなぁ。誇りがないわけはないよ。生徒会長として選挙で選ばれたという自覚はあるし、それと同時に加納高等学校をより良いものにしたいっていう気持ちもあるよ。生徒会の仕事にも責任感を感じてはいるよ。でもそれが全てじゃないっていうのかな。そう言えば禄助くんはアルバイトをしてるんだよね?」
「はい、週に二、三回程度ですけどコンビニでバイトしてます」
「コンビニのバイトは楽しい?」
「そうですね……正直言って楽しいと思えることはほとんどないですかね。週に数回しか出勤はないですけど、それでも面倒だなと思うときはあります」
「そうそれ! まさにそれだよ! 自分の意思で始めたことなのにめんどくさいと思うときがあるだろ? まさにそんな感じ。この学校を良くしたくて自分で生徒会長に立候補したけど、それでも生徒会の仕事はめんどくさいって感じることがほとんどだよ」
「なんとなくわかった気がします」
なんとなくだ。
本当になんとなくだが、わかった気がする。
自分がやりたくて始めたことだが、そのすべてをやりたかったわけじゃないということだろう。営業をやりたくて営業職に就いたのに、資料を作ったり報告書を作ったりと、事務仕事に追われてしまうようなものだろう。社会人経験なんてないけど。
「それにしても禄助くんが生徒会に入ってくれて本当に助かってるよ」
「僕もそう思ってたんだよね。彰が急に誘うから禄助くんには申し訳ないなと思ってたけど、今ではきてくれて本当に良かったと思ってるよ」
急な二人からの誉め言葉に俺は、先ほどの後悔で押しつぶされそうになっていたときとは別の意味で言葉に詰まっている。
今まで学力の低さや要領の悪さから怒られることはあっても、褒められる経験なんて、それこそここ数年はしていなかった。
これが照れという感情であることはすぐに理解したが、この後どうすればいいかがわからない。むずがゆさを覚え、体中がどこか落ち着かない。
必死に考え抜いた俺は、以前より少し不安だったことを確認する。
「俺って、本当に役に立ってますか? テストの順位なんて後ろから数えて一番目か二番目なわけで、到底役に立っているとは思えないのですが……。それに他の人を推薦して人数を増やしたほうがいいんじゃないですか? 生徒会長と副会長。それに庶務の三人って、どう考えても少ないですよね?」
言った。言ってやった。ずっと不安だったことを聞いてやったぞ!
そしてすぐに俺はまた後悔をする。
ここで実は役に立ってないよなんて、戦力外通告をされては今この場で泣いてしまうかもしれない。それどころかせっかく生徒会の仕事(たったの一部だけだが)にも慣れてきた頃だというのに、生徒会を辞めることになるかもしれない。
勝手に考えて、勝手に気分が落ち込んでいく。
俺の悪い癖だと、自分でもわかっていながらもそれを止めることはできない。
「何度も言ってんじゃん。大助かりだよ! マジで禄助くんをスカウトして正解だったよ!」
「そうだよ! 確かに禄助くんの言う通りもう少し生徒会の人数は増やしたいところではあるけど、学校の代表的な存在になるわけだから、誰でも推薦できるわけではないからね」
俺の予想に反して、二人からの返答は俺の心を温かくするものであった。
不思議と先ほどまで抱えていた胸のつっかえがいつの間にか晴れ間を見せるほどだ。
「で、でもですよ? 誰でも推薦できるわけじゃないって言いましたけど、出会って間もない俺を推薦しましたよね?」
ここまできたら意地である。
聞きたかったことを聞くしかない。
「そうだね。でもあのとき禄助くんが興味があるけど経験が無いって言ってたし。いろいろと教えを請いたい時期でもあるかなって思ってね。それに誰でも聞けるようなことじゃないでしょ? だから俺たち先輩が教えてあげられたらなって」
そう言えばそんなことを言っていたような気がする。
あの日、屋上でもそんなことを聞かれたことを俺は今思い出した。
あの時は正直苗字のことだと思っていたが、どうやら違うような気がしてならない。苗字に対して『興味』という感情は当てはまるが『経験』という言葉はどうも当てはまる気がしない。あの時はもしかしたら俺が知らないだけで苗字には経験という言葉が結びつくのかもしれないと考えたが、あの後調べたりもしたがやはり苗字に経験という言葉は当てはまらなかった。
そんなことを考えていると、式神先輩が俺に質問を投げかけてきた。
「彰の話は置いといて。ところであの超すごい特技はどうやって身に着けたの?」
「ちょ、超すごい特技……ですか?」
「そうだよ! とんでもない記憶力だよね? 実はテストは力を抜いて実力を隠してたりするの?」
「えっと、本当に何のことですか?」
それを聞いた式神先輩は御薬袋先輩の顔を見ると、お互いに顔を傾けた。
さらに二人の表情は眉間にシワを寄せ、何か考え事をしているように見える。
二人はお互いにだけわかるアイコンタクトを送ると、今度は御薬袋先輩が俺に確かめるように質問をする。
「えっと、本当に何のことかわからないの?」
「はい、すみません。俺何かやらかしてましたか?」
「いやいやいやいや、何も責めてないよ! むしろ禄助くんのその才能に助けられてるんだって」
「そうだよ! 本当に助かってるんだよ! あの大量のアンケート仕分け作業!」
「アンケート仕分け作業?」
アンケート仕分け作業とは生徒会が行っている仕事の一つで、加納高等学校が定期的に行っているアンケートを要望別かつ学年別に仕分けをする作業のことである。
アンケートは毎月行われており、その内容は自動販売機に入れてほしい飲み物に関するアンケートや売店で販売していると嬉しい商品のアンケート。中にはこういった学校行事があると嬉しいといった生徒からの要望に纏わるアンケートだったりする。
そんなアンケートは軽く千人を超える生徒数分存在しており、仕分け作業は骨の折れる作業であると二人は思っているようだ。
「でもアンケートの仕分け作業なら誰でも出来ますし、それならもっと生徒会の人数を増やした方が、もっと早く終わりますよ?」
「いやいや! いくら人数を増やしても今以上には早くならないよ。それこそ禄助くんが居てこそあのスピードが実現できているんだから」
「あの、話が全く見えてこないのですが……」
「……あれをすごいと思っていないとは、やはり才能は自分自身では気づくことは難しいのかもしれないね。俺と業が言ってるのは禄助くんの完璧なまでの記憶力だよ! 生徒の名前を見ただけでその生徒の学年をすぐに判別できるなんて本当にすごいよ! もしかして全校生徒分の名前を覚えてるの?」
そこまで聞いてようやく合点がいった。
アンケートには名前を書く項目こそ存在しているものの、学年やクラスを記載する項目は存在しない。その理由はアンケートは各教室で行われ、それを回収するのがそのクラスの担任だからである。自身のクラスの分のアンケートを確認するのに何年何組とクラスを表記する必要が無いからだ。
アンケートに書かれている内容は一度担任の目が目を通すことになっており、その後生徒会室に全生徒分のアンケート用紙が一か所にまとめられる。集められたアンケート用紙を生徒会で仕分けしていることを知っている先生の一部は何年何組の分であるとわかりやすくまとめてくれているものの中には存在しているが、それは全てではない。
つまり生徒会が行っているこのアンケート仕分け作業は名前だけを頼りに、アンケート回答者が何年何組の生徒なのかを仕分けるところから始まるのだ。
そこで少しは役立っているのは苗字オタクとしての俺の記憶力だ。
さすがに俺と同じ苗字である佐藤や親友と同じ苗字である田中など、どの学年にもいるような苗字は厳しい部分があるが、それこそ御薬袋や式神などの珍しい苗字や御手洗や五十嵐、長谷川といった三文字以上の苗字はほぼ完璧に学年を把握している。
そんな俺の苗字オタクの部分が二人の役に立っていることを知れて嬉しい反面、ここで一種の疑問が頭をよぎった。
そもそも二人は俺が苗字オタクであることを知っていたのではないだろうか、ということだ。
いつから興味があるの? であったり、カミングアウトしてるの? と質問をしてきたため、俺が苗字にしか興味が無い人間であることはすでに知っていると思っていたし、それを知ったうえで生徒会に誘ってくれたのだと思っていた。
「さすがに全校生徒の名前を覚えているわけじゃないですけど、大体はって感じですかね。でもそれで役に立っているなら良かったですが、御薬袋先輩も式神先輩も俺が苗字オタクだってこと知ってましたよね?」
「え?」
「え?」
「え? だって、いつから興味あるの? とかカミングアウトしているの? とか聞いてきたじゃないです……か?」
徐々に自信をなくしていき、声がだんだん小さくなっていく。
最終的には二人に聞こえていないんじゃないかと思うほどの声量であった。
「えっと、俺たちもしかして勘違いしてる?」
「僕も前からちょっとだけ話が噛み合ってないと思ってたけど、もしかして……そうかも?」
「……お二人は何に興味があると、俺に質問したんですか?」
御薬袋先輩と式神先輩はまた顔を見合わせた。
そして二人にしかわからないアイコンタクトを行い、何かの駆け引きに負けたのか御薬袋先輩が少し言いづらそうな表情を浮かべながら、俺に新しい質問をする。
「お、男に興味があるのかと。そういう意味で質問したつもり……だったんだが……」
「…………………………マジですか?」
すべての合点がいった。
一週間前のあの日。どうも話が噛み合っていないような気がしていたんだ。
先輩方は俺が苗字オタクであることは知らなかったようだ。
そして何を勘違いしたのか、俺が同性愛者だと思い込み、いつから興味があるのだとかの質問をしてきたようだ。
「すみません。あの時言ったかもしれないですが、俺別に今まで恋愛とかしたことなくて、好きとかわかんなくて……」
「うわ! マジか! 本当にごめん! ずっとそうなんだと思ってた! 本当にごめん!」
そう必死に謝る御薬袋先輩の頭をさらに下げるように式神先輩は御薬袋先輩の後頭部を掴むと自分の頭を下げるのと同時に御薬袋先輩の頭も地面にぶつける勢いで押し付けた。
「僕からもごめん。なんとなく話が噛み合っていないような気がしていたんだけど、僕と彰を見て羨ましいって言ってたから、禄助くんもそうなのかなって僕も思ってた。本当にごめん。もしかして僕たちと一緒にいるの嫌じゃない? あれだったら生徒会をやめ――」
「いやいやいや! 頭を上げてくださいよ! 俺もなんとなく噛み合っていない気がしてたんですけど、聞けてなかったのは俺も同じです。そして本当にお二人と一緒に居るのは嫌じゃないです! お二人さえ良ければこのまま俺を生徒会においててくれませんか?」
「い、いいのかい?」
「むしろ、お願いしたいです……。俺、今まで褒められるとかそういう経験が無くて、御薬袋先輩と式神先輩に褒められて嬉しかったんです! お二人の役に立てるのであれば、このままぜひお願いしたい……です」
紛れもない俺の本心である。
二人が同性愛者だろうが、そうじゃなかろうがどうでもいい。
俺を褒めてくれたことに違いはない。
それにやっと生徒会の仕事にも慣れてきたタイミングだ。このまま生徒会を去るのはもったいない気がする。
俺の言葉に二人はゆっくりと頭を上げ、また顔を見合わせる。
「改めてよろしく」
御薬袋先輩は微笑みかけながら右手を差し出す。
その手を俺は掴み、握手を交わす。
「でもまだ恋愛とかよくわかんないんだっけ?」
「へ?」
「人を好きになったことが無い的なこと言ってたよね?」
「え、まぁ、はい」
「じゃあまだ可能性はあるな!」
「ちょっと彰!」
御薬袋先輩は笑いながらそんなこと言い、それに対し式神先輩は少し怒り気味に御薬袋先輩の横っ腹をどつく。
俺は冗談だと思い、笑って受け流そうとしたが――御薬袋先輩のその瞳だけは少しも笑っておらず、本気のようにも感じた。



