【短編】百年先へ、春を結ぶ~神狼のご当主様との契約結婚~

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 日が傾くにつれ、明かりが灯された境内の提灯は存在感を増す。
 橙色の淡い暖かな光が境内に広がり、昼間の熱気が夜風に溶かされていく。
 日中とは違う穏やかな賑わいに包まれ、参拝客たちは思い思いに祭りの余韻を楽しんでいる。
 ずっと動き回っていた詩季も、端で立ち止まり境内を見回していた。

(もう少ししたら、片づけかな……)

 詩季は神契の花嫁として夏祭りの最後で柔一朗と共に神事を務めることになっている。
 祭りの終わりが近づいて、人が多く賑やかだった分だけ少しずつ喧騒が解かれていくのを物悲しく感じていた。

「詩季様」

 詩季は神官長に声をかけられる。
 神官長は柔一朗と挨拶や見回りも兼ねて二人で境内を巡回している最中だった。

「女中たちより、今日は詩季様がよく働いてくださっていたと、お伺いしております」
「……いえ、とても楽しかったです」
「手伝ってばかりだったのでは?」
「こちらに集ってくる皆さまが楽しそうにされていたので、私も心が弾みました」
「ほっほっほ。さようですか」
「神官長!」

 神官長と詩季が話していると、若い神官が慌てた様子で駆け寄ってきた。

「祭具について、ご相談したいことがございます。社務所にいらっしゃってください」
「騒々しいのう。では、柔一朗様。失礼いたします」
「――ああ」

 神官長は柔一朗に向かって一礼すると、若い神官とともに歩き去ってしまった。
 その場には柔一朗と詩季だけが残される。
 
(二人きりになってしまったわ)

 立ち去ることも出来ず……かと言って、柔一朗に何を話しかけていいかもわからず、詩季はその場で視線だけをさ迷わせていた。

「――詩季」

 柔一朗に名を呼ばれ、詩季は驚いて顔を上げる。

「は……はい!」

(柔一朗様に名前を呼ばれたのは初めてだわ……)

 夫婦だというのに詩季は初めて夫である柔一朗から名を呼ばれただけで意表を衝かれる。
 それほどまでに二人の心の距離は縮まっていなかった。

「――少し、歩くか?」

 たった一言。
 低い声で告げられる。

(私と一緒に……ということよね?)

「……はい」

 祭りの喧騒を背に、二人はゆっくりと石畳を歩いた。
 参道には提灯の明かりが揺れている。
 屋台からは甘い香りが漂い、子どもたちの笑い声も風に乗って届いてきた。
 歩いていても、言葉はない。
 柔一朗と歩くと、驚くほどに人が左右に道を開ける。
 まるで事前に申し合わせでもしているのかと疑うほどに。

「――疲れたか?」

 柔一朗からの不意の問いかけに、詩季は反射的に隣を見上げた。
 深い夜を閉じ込めたような黒く鋭い瞳と視線が合わさる。

「いいえ、とても楽しかったです。村の夏祭りへは行っていましたが、こんなに大きな夏祭りは生まれて初めてです」

 詩季からは自然と笑顔が零れる。
 柔一朗は何も言わなかったが、僅かに目を細めた。
 ふと、一軒の屋台の前で詩季の足取りが止まる。
 串にささった焼き団子が、香ばしい匂いを漂わせていた。
 詩季は思わず見つめてしまい、「失礼しました」と、また進もうとする。

「――好きなのか?」

 柔一朗に尋ねられて、ぴたりと動きを止める。

「……はい。祖母とよく一緒に作っていました」
 
 美味しそうな食べ物に釣られるなんて、柔一朗に子どもみたいだと思われたのではないかと詩季は頬を朱く染める。
 
「――二つ」

 柔一朗が屋台の中にいた男に声をかける。
 屋台の主人は大慌てで血相を変えた。

「は、はい! 今すぐ! 神狼……じゃなくて柔一朗様」

 主人は手早く焼きたての団子を包んで柔一朗へ渡す。
 柔一朗は銭を取り出し、屋台の主人へ静かに差し出す。
 恐縮したように主人は頭を下げて受け取った。

「――食べるといい」

 柔一朗は一本を詩季へと差し出す。
 
「で、でも……」
「冷める」

 柔一朗は自分の団子を一口かじった。
 周囲が神狼様でも屋台の団子を買って食べるのかと驚愕の眼で注目している。
 先に柔一朗が口にしてくれたおかげで、詩季も肩の力が抜けた。

「……ありがとうございます。いただきます」

 詩季が団子を口に運ぶと、甘じょっぱいたれが口いっぱいに広がった。

「おいしいです! とっても!」

 嬉しそうに頬張る詩季を見て、柔一朗は小さく頷いた。
 祭りの灯りは少しずつ遠ざかり、境内の奥には夜の静けさが広がっている。
 その先から小川のせせらぎの音が聞こえてきた。
 木々の間を縫うように、小さな動く灯がふわりと、またひとつ。

「……蛍……」

 詩季は思わず足を止めた。
 流れるように動く小さな淡い光は、夜の闇を優雅に舞っている。

「……きれいですね」
「ああ」
「こんなにたくさん、初めて見ました……」

 柔一朗と詩季はしばらく言葉もなく、幾つもの蛍が飛び交う様子を眺めていた。
 気づまりな沈黙ではなく、互いに同じ景色を見つめるだけで充分だった。
 やがて遠くから太鼓の音が響き渡る。
 祭りを締めくくる合図だった。

「――戻るか?」
「はい」

 二人は境内へと引き返す。
 祭壇の前では神官たちが最後の神事の支度を整えていた。