【短編】百年先へ、春を結ぶ~神狼のご当主様との契約結婚~

「そのようですね」
「柔一朗様は寡黙で厳しいお方だと民の皆さまは思っておられますから」
「違うのですか?」
「厳しいのは本当です」

 女中は小さく頷いた。

「ご自身にも人にも厳しくしていらっしゃいます。ご神木を代々お守りしている長い歴史を持つ若永神宮のご当主でいらっしゃいますから。その重圧は私にも計り知れません。神事のこととなれば、一切の妥協はなさいません。ですが……」

 女中は先ほどの母子へと目を向ける。

「必要以上にお叱りになることはございません」

 詩季も女中に釣られて視線の先を注ぐ。
 男の子はしっかりと母親の手を握り、柔一朗に拾ってもらった風車は吹き抜ける夏風でくるくると回っている。
 詩季は先ほどの柔一朗を思い起こす。
 
「柔一朗様は幼い子どもだからと見逃したわけではなく、危ないことは危ないときちんと告げていました」

 男の子が、そしてその周囲が怪我をしないように。
 伝えるべきことは伝えながらも、柔一朗の配慮が端的な科白から伝わってきていた。
 詩季は自然と頬が緩む。
 
「柔一朗様はお優しい方でいらっしゃいますね……」
 
 詩季の言葉に女中は目を丸くした。
 それから、どこか嬉しそうに笑う。

「詩季様のお言葉を柔一朗様がお聞きになったら、きっと驚かれるでしょう」
「どうしてですか?」
「ご自身では、そのように評される方だと思っておられませんから」

 遠くでは柔一朗が真剣な表情で神官たちと会話を交わしていた。
 その姿は相変わらず近寄り難い。
 けれど、詩季は柔一朗の新たな一面を知ることが出来て、胸の奥が温かくなっていた。

 祭りの賑わいは夕暮れが近づくにつれて一層、増していく。
 参道には人の波が絶えず、門前町の通りも賑わっているようだ。
 団子を振る舞う女中の手伝いをしていた詩季が空になった盆を抱え、境内に設けられた休憩所へ向かおうと歩き出した時だった。

「痛……っ」

 見ると、七つ、八つほどの女の子がしゃがみ込み、涙目になって足元を見つめていた。
 下駄の鼻緒が切れてしまったらしい。
 隣では母親も困ったように立っている。 

「千切れちゃったのね」
「……うん。これ、とっても気に入ってたのに」
「仕方ないわね。新しいものを買いに行きましょう」
 
 そう言って母親は女の子を起こそうと手を伸ばすが、女の子は手をとろうとしない。
 そっと詩季は涙ぐむ女の子の前にしゃがみ込んだ。

「少し、見せてもらってもいいですか?」

 詩季の問いかけに、女の子は頷いた。
 女の子から、そっと下駄を脱がすと詩季は傷み具合を確かめた。

「うん。紐を通し直せば、大丈夫そうです」

 詩季は近くを歩いていた女中に声をかける。

「すみません。細い紐が一本必要なのですが……」
「すぐにお持ちいたしますね」

 ほどなく届けられた紐を使い、詩季は慣れた手つきで鼻緒を結び直していく。
 きゅっと最後の結び目を整え、軽く指で引いて確かめた。

「はい。これなら歩けます」

 詩季は女の子の足元に直した下駄を置く。
 女の子は下駄を履き直し、一歩、もう一歩と歩く。

「うん。大丈夫!!」

 女の子は嬉しさが隠せず、花の咲いたような笑顔へと変わる。

「ありがとう。お姉ちゃん」
「いいえ。気を付けて帰ってくださいね」
「うん!」

 元気よく頷くと、女の子は母親と手を繋ぎ、祭りの人混みへと消えていった。

「詩季様は、本当に器用でいらっしゃいますね」

 女中が感心したように告げる。
 詩季は少し面映ゆそうに瞼を少し伏せた。

「祖母に教わりました。直せるものは直して大切に最後まで使いなさいと……」

 視線を上げると、不意に目線が交差した。
 少し離れた石灯篭の近くに柔一朗が立っている。

(いつから、いらっしゃったのかしら……?)

 どこまでも深い黒い瞳が真っ直ぐに詩季に向けられていた。
 詩季が反射的に小さく会釈すると、柔一朗も僅かに頷き返す。
 それだけで、また神官の元へと歩き出していく。
 言葉はない、意思の共有。
 それでも詩季は自然と口の端が上がっていた。