***
詩季が祖父母と暮らす実家へと戻った日。
それはそれは二人に大歓迎され、祖母と詩季は久方ぶりの再会に涙に暮れた。
祖父も肩を震わせて、詩季を出迎える。
ずっと涙を我慢していた詩季は一年ぶりの祖父母の顔を見て、ようやく心のままに泣くことができた。
一か月ほどが過ぎても、詩季の若永家での話は尽きることはなかった。
いつも祖父母の二人ともが、興味深そうに穏やかな笑みで耳を傾け続けてくれる。
「それで、夏祭りの夜、柔様に蛍を見せていただきました。淡い光の輪がたくさん飛んでいて、とても幻想的でした」
「そうかい、そうかい」
小春日和の昼下がり、祖母と居間の食卓に座り、湯呑みで温かい茶を啜る。
「本当に良い一年だったんだね」
「はい。まだ話足りないくらいです」
「戻ってきた日にね、余りにも詩季ちゃんが見違えていたから驚いたのよ」
「そうですか?」
「たった一目見ただけで、詩季ちゃんにとって有意義な一年だったんだと伝わってきたわ」
自分では変化がわからなかったが、神契の花嫁の務めを終えた詩季を村の人が見ると、確かに反応が違った。
「すっかり大人の女性になって」などと、容姿の褒められ方が変化していた。
同郷の青年の何人かから熱心に誘われてもいる。
けれど、どの誘いも詩季は丁寧に断っていた。
「”柔様”は詩季ちゃんを大切にしてくれていたんだね」
祖母の言葉で詩季の胸がぎゅっと締め付けられる。
「……はい」
祖父母と再会し、また一緒に暮らすことが出来て、詩季は幸せだった。
神契の花嫁になる前の日常へと戻っているはずである。
(なのに……)
団子を祖母と作れば、柔一朗が買ってくれたあの夏祭りの日を思い出し、庭の梅の木の蕾が綻べば、柔一朗に伝えたいと。
一年の神契が終わり離縁したはずの柔一朗の幻が今でも詩季の日々に溢れている。
(柔様は今ごろ、何をしているのだろう?)
柔一朗の姿と四文字が詩季の頭に浮かぶ。
(……柔様に会いたい……)
戻ってきてから繰り返し繰り返し、頭に浮かぶ。
柔一朗のことを考えると切なくて苦しい。
それでも止められなかった。
「――詩季や」
玄関から祖父が名を呼ぶ。
「お客様が来ておるぞ」
「私に、お客様ですか?」
詩季は立ち上がり、玄関へと向かう。
祖父の隣に立っていた人物に詩季は心臓が跳ね上がった。
「柔様……」
自分がずっと暮らしてきた玄関に柔一朗の姿があることが信じられない。
柔一朗は和装を着こなし、”神狼”と呼ばれる威厳と存在感は小さな家の玄関でも健在だった。
「突然の訪問、失礼いたします」
柔一朗は丁寧に一礼する。
敬語で丁寧に話す柔一朗を見るのは初めてだった。
従者も連れてきておらず、柔一朗は一人でやってきているらしい。
「今日は若永柔一朗として伺いました」
祖父母は若永家当主”神狼”の異名を持つ柔一朗の訪問を内心では戸惑いながらも客間へと通す。
詩季を挟んで祖父と祖母がそれぞれ座り、向かいには柔一朗が腰を落とす。
祖父母と柔一朗は互いに丁寧にお礼の挨拶を伝えあっていた。
詩季はどこか、まだ目の前の現実を受け入れられないでいる。
「――詩季」
柔一朗が真っ直ぐに詩季を見据えた。
詩季がどうしたらいいかわからないでいる間に祖父母との挨拶は終わっていたらしい。
「……はい」
「詩季は神に選ばれて神契の花嫁として一年限りで、俺の妻になった」
「……はい」
「その役目は終えた」
「……心得ております」
「今度は俺自身の意思で詩季に伝えたい」
柔一朗の真剣な双眸と声に詩季は胸が高鳴っていく。
「――詩季、俺の妻になってほしい」
しばらく詩季は言葉を失っていた。
神の決めた運命ではなく、柔一朗自身が詩季を選んでいる。
そう認識できると、詩季の視界がどんどん滲んでいく。
生み出された涙は音もなくはらはらと詩季の頬を伝う。
祖父母は詩季が、この家に戻った時には悟っていた。
――大切な孫は”柔様”に恋をしているのだと。
――涙の理由が他にもあるのだと。
「柔様。私は神様に選ばれて、柔様のもとへまいりました」
詩季は涙を拭うこともしないで、柔一朗を見つめ返す。
「けれど今は私も、自分の意思で選びたいです」
詩季の声は泣いているために揺れていたが、詩季の気持ちは固まっていた。
「これから先も柔様のお隣で、一緒に季節を重ねていきたいと存じます」
祖父母が隣で目頭を押さえている。
春の日、神が結んだ契約は、その役目を終えた。
百年先の未来へと繋げた一年。
神が与えてくれたかかがえのない一年は春夏秋冬の巡りだった。
春に出会い、夏祭りで蛍を眺め、秋には紅葉に染まった景色を眺め、冬の凍てつく朝を共に歩く。
二人のかけがえのない春夏秋冬は、この先も自らが選び一緒に歩んでいく未来に繋がっていた。
【百年先へ、春を結ぶ~神狼のご当主様との契約結婚~】end
詩季が祖父母と暮らす実家へと戻った日。
それはそれは二人に大歓迎され、祖母と詩季は久方ぶりの再会に涙に暮れた。
祖父も肩を震わせて、詩季を出迎える。
ずっと涙を我慢していた詩季は一年ぶりの祖父母の顔を見て、ようやく心のままに泣くことができた。
一か月ほどが過ぎても、詩季の若永家での話は尽きることはなかった。
いつも祖父母の二人ともが、興味深そうに穏やかな笑みで耳を傾け続けてくれる。
「それで、夏祭りの夜、柔様に蛍を見せていただきました。淡い光の輪がたくさん飛んでいて、とても幻想的でした」
「そうかい、そうかい」
小春日和の昼下がり、祖母と居間の食卓に座り、湯呑みで温かい茶を啜る。
「本当に良い一年だったんだね」
「はい。まだ話足りないくらいです」
「戻ってきた日にね、余りにも詩季ちゃんが見違えていたから驚いたのよ」
「そうですか?」
「たった一目見ただけで、詩季ちゃんにとって有意義な一年だったんだと伝わってきたわ」
自分では変化がわからなかったが、神契の花嫁の務めを終えた詩季を村の人が見ると、確かに反応が違った。
「すっかり大人の女性になって」などと、容姿の褒められ方が変化していた。
同郷の青年の何人かから熱心に誘われてもいる。
けれど、どの誘いも詩季は丁寧に断っていた。
「”柔様”は詩季ちゃんを大切にしてくれていたんだね」
祖母の言葉で詩季の胸がぎゅっと締め付けられる。
「……はい」
祖父母と再会し、また一緒に暮らすことが出来て、詩季は幸せだった。
神契の花嫁になる前の日常へと戻っているはずである。
(なのに……)
団子を祖母と作れば、柔一朗が買ってくれたあの夏祭りの日を思い出し、庭の梅の木の蕾が綻べば、柔一朗に伝えたいと。
一年の神契が終わり離縁したはずの柔一朗の幻が今でも詩季の日々に溢れている。
(柔様は今ごろ、何をしているのだろう?)
柔一朗の姿と四文字が詩季の頭に浮かぶ。
(……柔様に会いたい……)
戻ってきてから繰り返し繰り返し、頭に浮かぶ。
柔一朗のことを考えると切なくて苦しい。
それでも止められなかった。
「――詩季や」
玄関から祖父が名を呼ぶ。
「お客様が来ておるぞ」
「私に、お客様ですか?」
詩季は立ち上がり、玄関へと向かう。
祖父の隣に立っていた人物に詩季は心臓が跳ね上がった。
「柔様……」
自分がずっと暮らしてきた玄関に柔一朗の姿があることが信じられない。
柔一朗は和装を着こなし、”神狼”と呼ばれる威厳と存在感は小さな家の玄関でも健在だった。
「突然の訪問、失礼いたします」
柔一朗は丁寧に一礼する。
敬語で丁寧に話す柔一朗を見るのは初めてだった。
従者も連れてきておらず、柔一朗は一人でやってきているらしい。
「今日は若永柔一朗として伺いました」
祖父母は若永家当主”神狼”の異名を持つ柔一朗の訪問を内心では戸惑いながらも客間へと通す。
詩季を挟んで祖父と祖母がそれぞれ座り、向かいには柔一朗が腰を落とす。
祖父母と柔一朗は互いに丁寧にお礼の挨拶を伝えあっていた。
詩季はどこか、まだ目の前の現実を受け入れられないでいる。
「――詩季」
柔一朗が真っ直ぐに詩季を見据えた。
詩季がどうしたらいいかわからないでいる間に祖父母との挨拶は終わっていたらしい。
「……はい」
「詩季は神に選ばれて神契の花嫁として一年限りで、俺の妻になった」
「……はい」
「その役目は終えた」
「……心得ております」
「今度は俺自身の意思で詩季に伝えたい」
柔一朗の真剣な双眸と声に詩季は胸が高鳴っていく。
「――詩季、俺の妻になってほしい」
しばらく詩季は言葉を失っていた。
神の決めた運命ではなく、柔一朗自身が詩季を選んでいる。
そう認識できると、詩季の視界がどんどん滲んでいく。
生み出された涙は音もなくはらはらと詩季の頬を伝う。
祖父母は詩季が、この家に戻った時には悟っていた。
――大切な孫は”柔様”に恋をしているのだと。
――涙の理由が他にもあるのだと。
「柔様。私は神様に選ばれて、柔様のもとへまいりました」
詩季は涙を拭うこともしないで、柔一朗を見つめ返す。
「けれど今は私も、自分の意思で選びたいです」
詩季の声は泣いているために揺れていたが、詩季の気持ちは固まっていた。
「これから先も柔様のお隣で、一緒に季節を重ねていきたいと存じます」
祖父母が隣で目頭を押さえている。
春の日、神が結んだ契約は、その役目を終えた。
百年先の未来へと繋げた一年。
神が与えてくれたかかがえのない一年は春夏秋冬の巡りだった。
春に出会い、夏祭りで蛍を眺め、秋には紅葉に染まった景色を眺め、冬の凍てつく朝を共に歩く。
二人のかけがえのない春夏秋冬は、この先も自らが選び一緒に歩んでいく未来に繋がっていた。
【百年先へ、春を結ぶ~神狼のご当主様との契約結婚~】end



