***
立春を迎えるまで、残すところ後数日となっている。
屋敷の縁側では、詩季が女中二人とともに小さな風呂敷や小さな包みを広げていた。
庭には昨夜の雪がまだところどころ残り、石灯籠が白く縁取られている。
片隅では、寒椿が雪を受けながら静かに花を咲かせていた。
軒先からは雪解けの雫が、ぽたり、ぽたりと一定の調子で落ちていく。
「こちらのお茶でしたら、おじい様もおばあ様もお喜びになると思います」
女中が包みを差し出すと、詩季は嬉しそうに両手で受け取った。
「ありがとうございます。二人ともお茶が大好きなんです」
包みを大切そうに見つめる詩季の横顔へ冬の陽だまりが優しく降り注いでいた。
「こちらもお持ちください」
女中が差し出したのは、小さな干菓子だった。
冬の花を象った淡い色合いの菓子。
「とても、きれいです。食べるのがもったいないって祖母が言いそうです」
「きっと、お喜びになられます」
「その様子が目に浮かびますね」
「はい。とても楽しみです」
詩季は包みを風呂敷へと丁寧に並べていく。
その弾んだ声音は、詩季の喜びを物語っている。
珍しく日中に社殿から屋敷へと戻ってきていた柔一朗は、その声に歩調を緩める。
詩季が女中とともに持ち帰る土産を渡されながら帰郷の支度をしているのだと察する。
どの言葉も詩季が春を心待ちにしていることを物語っていた。
一年限りの神契の夫婦。
終われば、詩季は祖父母のもとへと帰る。
最初から決まっていた、ごく自然な未来だった。
詩季は近づく足音に気づき、顔を上げた。
「あ、おかえりなさいませ。柔様」
ふわりとした笑みを柔一朗に向ける。
夫婦なのに、「おかえりなさい」を詩季が柔一朗に告げることは滅多になかった。
多忙な柔一朗は朝餉を終えて屋敷を出れば、詩季の起きている時間に戻ってくることはなかったからだ。
「――ああ。けれど、すぐに出る」
「はい。お疲れさまでございます」
柔一朗の切れ長の双眸が風呂敷の上へと注がれているのを詩季は察する。
「今、皆さまからお土産をいただいていました」
「そうか」
「どれも素敵なものばかりで、きっと二人とも喜んでくれるんだろうなと思うと渡すのが楽しみです」
詩季の満面の笑顔からは詩季が祖父母の愛情に包まれて、大切に育てられてきたのだろうと。
柔一朗にも一年を通じて伝わっていた。
離れていた祖父母に早く会いたい。
詩季の気持ちは、当然のものだった。
「――ああ」
柔一朗は静かに頷くだけで、それ以上、詩季に言葉をかけなかった。
「詩季様がお帰りになってしまいますと寂しくなりますね」
「ええ、本当に」
女中たちの会話を背中で聞きながら、柔一朗は再び廊下を進んだ。
――立春の前日。
若永神宮では新しい春を迎えるための準備が冬の澄んだ青空の下で厳かに進められていた。
祭具は一つ一つ丁寧に磨かれ、しめ縄も新しいものへと掛け替えられていく。
境内にはまだまだ凍えそうなほどの冷たい風が吹いていたが、神官も巫女も女中も皆の表情が晴れやかだった。
百年ごとに執り行われる神契の締めくくり。
次の百年を、そして新しい春を迎えるための大切な神事を滞りなく迎えるためだった。
詩季も神官長のそばで、供物を丁寧に祭壇へ並べていく。
「こちらでよろしいでしょうか?」
「はい。美しく整いました。詩季様には、すっかり安心してお任せできるようになりましたね」
「まだ教えていただくことばかりです」
「その謙虚な御心が、何より大切なのですよ」
詩季は胸を撫で下ろす。
最初は緊張で手が震えていたのに、一年を経て意味を理解しながら手を動かせるようになっていた。
「詩季様。いよいよ、明日は最後の神事でございます」
「……はい」
「詩季様は、本当によく”神契の花嫁”として務めてくださいました」
「皆様が良くしてくださったからです。屋敷の皆さまにも、神官長殿にも、そして……」
少しだけ間を置いた詩季の表情に翳りが滲んだのを神官長は見逃さなかった。
「……柔様にも」
詩季はご神木へと目を向けた。
まだ雪を少しまとったご神木は、今日も冬空へと、どっしりと構えていた。
「明日も、よろしくお願いいたします」
神官長にも、そしてご神木にも詩季は腰を折って頭を下げる。
(本当は寂しいなんて……感じてはいけない)
最後の最後まで”神契の花嫁”としての務めを果たそうと、詩季は気持ちを固めていた。
立春を迎えるまで、残すところ後数日となっている。
屋敷の縁側では、詩季が女中二人とともに小さな風呂敷や小さな包みを広げていた。
庭には昨夜の雪がまだところどころ残り、石灯籠が白く縁取られている。
片隅では、寒椿が雪を受けながら静かに花を咲かせていた。
軒先からは雪解けの雫が、ぽたり、ぽたりと一定の調子で落ちていく。
「こちらのお茶でしたら、おじい様もおばあ様もお喜びになると思います」
女中が包みを差し出すと、詩季は嬉しそうに両手で受け取った。
「ありがとうございます。二人ともお茶が大好きなんです」
包みを大切そうに見つめる詩季の横顔へ冬の陽だまりが優しく降り注いでいた。
「こちらもお持ちください」
女中が差し出したのは、小さな干菓子だった。
冬の花を象った淡い色合いの菓子。
「とても、きれいです。食べるのがもったいないって祖母が言いそうです」
「きっと、お喜びになられます」
「その様子が目に浮かびますね」
「はい。とても楽しみです」
詩季は包みを風呂敷へと丁寧に並べていく。
その弾んだ声音は、詩季の喜びを物語っている。
珍しく日中に社殿から屋敷へと戻ってきていた柔一朗は、その声に歩調を緩める。
詩季が女中とともに持ち帰る土産を渡されながら帰郷の支度をしているのだと察する。
どの言葉も詩季が春を心待ちにしていることを物語っていた。
一年限りの神契の夫婦。
終われば、詩季は祖父母のもとへと帰る。
最初から決まっていた、ごく自然な未来だった。
詩季は近づく足音に気づき、顔を上げた。
「あ、おかえりなさいませ。柔様」
ふわりとした笑みを柔一朗に向ける。
夫婦なのに、「おかえりなさい」を詩季が柔一朗に告げることは滅多になかった。
多忙な柔一朗は朝餉を終えて屋敷を出れば、詩季の起きている時間に戻ってくることはなかったからだ。
「――ああ。けれど、すぐに出る」
「はい。お疲れさまでございます」
柔一朗の切れ長の双眸が風呂敷の上へと注がれているのを詩季は察する。
「今、皆さまからお土産をいただいていました」
「そうか」
「どれも素敵なものばかりで、きっと二人とも喜んでくれるんだろうなと思うと渡すのが楽しみです」
詩季の満面の笑顔からは詩季が祖父母の愛情に包まれて、大切に育てられてきたのだろうと。
柔一朗にも一年を通じて伝わっていた。
離れていた祖父母に早く会いたい。
詩季の気持ちは、当然のものだった。
「――ああ」
柔一朗は静かに頷くだけで、それ以上、詩季に言葉をかけなかった。
「詩季様がお帰りになってしまいますと寂しくなりますね」
「ええ、本当に」
女中たちの会話を背中で聞きながら、柔一朗は再び廊下を進んだ。
――立春の前日。
若永神宮では新しい春を迎えるための準備が冬の澄んだ青空の下で厳かに進められていた。
祭具は一つ一つ丁寧に磨かれ、しめ縄も新しいものへと掛け替えられていく。
境内にはまだまだ凍えそうなほどの冷たい風が吹いていたが、神官も巫女も女中も皆の表情が晴れやかだった。
百年ごとに執り行われる神契の締めくくり。
次の百年を、そして新しい春を迎えるための大切な神事を滞りなく迎えるためだった。
詩季も神官長のそばで、供物を丁寧に祭壇へ並べていく。
「こちらでよろしいでしょうか?」
「はい。美しく整いました。詩季様には、すっかり安心してお任せできるようになりましたね」
「まだ教えていただくことばかりです」
「その謙虚な御心が、何より大切なのですよ」
詩季は胸を撫で下ろす。
最初は緊張で手が震えていたのに、一年を経て意味を理解しながら手を動かせるようになっていた。
「詩季様。いよいよ、明日は最後の神事でございます」
「……はい」
「詩季様は、本当によく”神契の花嫁”として務めてくださいました」
「皆様が良くしてくださったからです。屋敷の皆さまにも、神官長殿にも、そして……」
少しだけ間を置いた詩季の表情に翳りが滲んだのを神官長は見逃さなかった。
「……柔様にも」
詩季はご神木へと目を向けた。
まだ雪を少しまとったご神木は、今日も冬空へと、どっしりと構えていた。
「明日も、よろしくお願いいたします」
神官長にも、そしてご神木にも詩季は腰を折って頭を下げる。
(本当は寂しいなんて……感じてはいけない)
最後の最後まで”神契の花嫁”としての務めを果たそうと、詩季は気持ちを固めていた。



