紫上院理人は五瑛家の一つにして頂点といわれる紫上院公爵家に生まれ、光り輝く黄金色の髪を持っていた。
黄金色の髪は強大な瑛気を有する証拠であり、生まれた時から特別視されていた。
理人は次男で跡取りには既に兄の左京がいたが、数十年に一度生まれるか否かといわれる黄金の髪を持って生まれたことで、両親は理人に大いに期待して大層可愛がった。
有する瑛気が治癒の瑛気とわかると、理人は人々からますます重宝された。
理人も周囲の期待に応えるべく、猛勉強に猛特訓を重ねて治癒の瑛気を高めていく。
傷ついた人を癒し、病に苦しむ人を一人でも多く救いたい。理人はその一心で献身的に治癒を続けていた。
「理人様は素晴らしいお方だ」
「理人様は救世主だ」
「理人様こそ次期公爵に相応しい」
成人するとそのように持ち上げられることが増えていった。
だが理人自身は複雑だった。生まれた時から十歳上の兄・左京という立派な嫡男がいるのに、自分が公爵を継ぐ必要はないと思っていたからだ。
(兄上を押し退けてまで公爵になりたいとは思わない)
理人は瑛国議会には入らず、医者となる道を選んだ。
その方がより多くの人々を救えると思ったし、後継を事実上放棄するという意思表示にもなるからだ。
瑛人社会はどれだけ強大な瑛気を持つかどうかで明確な格差がある。
瑛気を持たずに生まれると無能と差別され、瑛気を特別視するが故に非瑛人を見下している。
(同じ人間なのに、何故差別するのだろう)
理人は自身が特別視されるのも好きではなかった。
ただ自分にできることをしているだけだ。救世主などと持ち上げられても困るし、医者として人々の命を救うのは当然のこと。
それなのに公爵家の息子だから、黄金色の髪の特別な瑛気を持っているから。
それだけで人々は理人に対し、崇拝の目を向ける。
(私も普通の人間なんだけどな……)
だがそのような悩みは、誰にも言えないし誰にも理解されないだろう。
自分を慕ってくれる者は多いのに、時折孤独だと感じる。
そんな時、一人でふらりと出かけて高台の丘から海を眺めていた。
なんとなく広大な青い海を見ていると心が落ち着き、癒される。
今この時だけは、公爵家の息子でも救世主と呼ばれる医者でもない。ただ一人の人間として存在できるような気がするのだ。
この日もまた一人で高台に訪れていたが、思いがけぬことに先客がいた。
そこにいたのは理人と同じくらいの年頃か少し年下の娘だった。綺麗な着物を着ていることから、平民ではなく貴族だと窺える。
(貴族の娘が一人で何故こんなところに?)
近づいてみると理人の足音に気づいたのか、娘は振り返る。一筋の涙が頬を伝っているのを見て、思わず目を見開く。
「いかがされましたか?」
「綺麗……」
理人の質問に答えず、娘はぽつりと呟く。
「なんて綺麗な髪……」
「ああ」
黒髪が当たり前のこの国では、金髪は異質でしかない。
また強大な瑛気の証ともいえるこの髪を好奇の目で見られるのは多々あったが、綺麗だと真正面から言われたのは初めてだった。
「ありがとうございます」
どう反応していいかわからず、とりあえず礼を言う。
よく見ると、彼女の頭には葉っぱや細かい枝がこびりついていた。
着物の袖から覗く白い腕は真っ赤に腫れ上がっている。
理人は反射的に彼女の腕を掴んだ。
「その腕、どうされたのですか」
「いたっ」
「あ、すみません」
掴んだ手をパッと離す。だが腫れた腕から視線が逸らせない。
「これはその、ここに来る途中に足を滑らせて転んでしまって。手をついた時にこうなりました」
「そうだったのですか。痛いでしょう?」
「大丈夫です」
腕を隠そうとする娘に、「失礼します」と言って優しく手を取る。腫れ上がった部位に手をかざすと、治癒の光が包み込む。
みるみるうちに腫れが引いていった。
「これでもう大丈夫です」
「……っ」
だが娘は目を見開き、食い入るように理人を見つめている。
その時彼女の瞳が黒いことに気づいた。
(しまった! 彼女は非瑛人だったのか)
国で一般的とされる黒髪黒目は瑛気を持たない非瑛人。
涙や腫れた腕に気を取られ、当たり前のことを見落としていた。
「すみません、忘れてください」
「あっ!」
理人は逃げるように立ち去る。
非瑛人に瑛気の存在を知られてはいけないなど常識だ。そんな当たり前のことを失念していたなんて、気が抜けすぎだと反省した。
(彼女がもし今日のことを誰かに口外したらどうしよう)
瑛気の存在が非瑛人に知られたら、すぐに忘却部隊が出動して忘却の瑛気をかけられる。
理人が弟子にして面倒を見ている優次郎は、非瑛人の両親を持ちながら治癒の瑛気を持って生まれたため、金儲けのために搾取されていた。
実の親であろうとも瑛気の存在は知られてはいけないので、優次郎は親に忘れ去られてひとりぼっちになった。
子どもを金儲けの道具にする毒親だったとしても、優次郎にとっては唯一無二の肉親だ。
忘却された両親に「あなたは誰?」と聞かれた時の優次郎の悲しそうな表情は今でも忘れられない。
優次郎のような子が増えないでほしいと願う。
あの娘の場合、忘れさせられるのは理人と怪我を治してもらった記憶だけだと思うが、それでも自分の記憶を操作されるなんて気持ちのいいことではない。
とんだ失態を犯したので彼女のことが気になり、後日もう一度あの高台へ行ってみた。
彼女がいる保証はなかったが、同じ場所に彼女はいた。
「あっ!」
理人が現れると彼女はすぐに気がついた。
「よかった! 今日も会えないかと思いました」
「え? 私を待っていたのですか?」
「はい。あれから毎日ここに来て」
「ま、毎日?」
理人は驚いて彼女を見返す。娘の足で毎日この高台まで登るのは大変だと思うが、おとなしそうな見た目とは裏腹に行動力があるようだ。
「お礼もできずに帰られてしまったので。あの時は本当にありがとうございました」
「いえ」
彼女は深々と頭を下げた後、好奇心に輝いた瞳で理人を見つめる。
「あの、あなたは魔法使いなのですか?」
「え?」
思ってもない質問に面食らう。
「私、灰かぶり姫というおとぎ話が大好きなんです。そのおとぎ話に出てくる魔法使いみたいだなって」
「……」
ぽかんとしている理人に気づいた娘は、ハッとして恥ずかしそうに俯く。
「……すみません、そんなわけないですよね」
「いや……そうか、魔法かぁ」
あまりにも純粋すぎる問いになんだか拍子抜けして笑ってしまった。
「魔法使いだと言ったら、どう思われますか?」
「素敵です! おとぎ話が本当なんて夢みたい」
瞳をキラキラと輝かせて無邪気にはしゃぐ姿がかわいらしかった。
「あっ! もちろんこのことは誰にも話していませんよ。灰かぶり姫の魔法使いもこのことは誰にも秘密って言っていましたから」
「はは、そうですか」
瑛気を知らないのだから当然だが、魔法と表現した彼女の感性がとても新鮮だった。
瑛人にとって瑛気は何よりも重んじられるもの。
いつの時代も強大な瑛気を持つ者が世を統べる。巨大な軍事力にもなり得る瑛気が魔法だなんて、思ったこともなかった。
「私の名は紫上院理人といいます。あなたは?」
「黒須野花と申します」
その日から、野花との交流が始まった。
非瑛人と関わりを持つのは御法度だとわかっていながら、この高台で海を見ながら語らう。
野花は案外おてんばな一面があるらしく、すり傷をつくってやって来ることが多かったのでそのたびに傷を癒してあげた。
「やはり理人さんは魔法使いですね」
「ふふ、どうでしょう」
ある日何気なくこの高台に訪れる理由を尋ねたら、野花の表情が曇った。
野花は非瑛人の下級貴族・黒須家の令嬢で、父親に縁談を進められて困っているのだという。
「貴族に政略結婚が付きものなのはわかっています。でも、お相手の方は二十も年上の方なんです」
「失礼ですが、野花さんはおいくつですか?」
「十九です」
「私の一つ下ですか。それはなんとも……」
「父は私のことなんてどうでもいいのです。結婚して良家に嫁ぐことだけが、私の存在価値だと思っています」
野花の横顔はとても悲しく、寂しそうだった。
「だからここに来ています。現実逃避したところで、何も変わらないのですけれど……」
「その気持ちは、なんとなくわかる気がします」
「理人さんもですか?」
「私もここに来るのは、なんとなく疲れたなと思う時なので」
公爵家の息子、強大な治癒力を持つ救世主。そんな肩書きから逃げ出したくてここにいる。
逃げられないのはわかっていて、それでも息抜きをしたくなる。
「私たち、なんだか似ていますね」
「そうですね」
野花はとても純粋な女性だった。貴族の女性にありがちな自尊心の高さがなく、控えめで慎ましやかな娘である。



