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「灰理様、もう動いて大丈夫なのですか?」
「ええ、むしろ体を動かしたくて仕方ないの」
抄子は心配そうに灰理を窺っていたが、灰理はベッドシーツをピンと伸ばしながら庭に干す。
五日も眠っていて全く洗えていなかったので、今日が洗濯日和でよかった。
「紫倉先生に無理をしないようにと言いつけられているのでしょう? しっかりお目付け役をしろと釘を刺されましたよ」
「大丈夫よ。確かに前よりも再生力は衰えたけれど」
優次郎の診断の結果、灰理の瑛気は枯渇したわけではなかった。
傷の治りは遅くなったものの、治せないわけではない。
だが昔のように大火事の中でも生き延びるようなことはない、とのことだった。
それを聞いて安心した。
「千輝様を救えて、私も不死ではなくなった。本当に奇跡だわ」
何が起こるかわからなかったが、千輝の体内に取り込まれた大量の再生力の瑛気が呪いを打ち消した。
元々灰理の血を飲んでいたこともあり、拒否反応を起こすこともなかった。
それでも目覚めるかどうかはわからなかったが、最後は千輝の生きようとする気力が勝ったのだろうと優次郎は言っていた。
そしてそれは、灰理も同じなのだろうと。
「ただいま」
「千輝様! お帰りなさいませ!」
千輝の姿を見て灰理はパァッと表情を明るくし、彼の元へ駆け寄る。
大きく腕を広げた千輝の胸の中に飛び込むと、千輝はしっかりと受け止めてくれた。
「ただいま、灰理。体は無事?」
「はい、もうすっかり元気です」
「よかった」
千輝は優しく微笑み、灰理の頭を撫でる。
その後ろでコホン、と直道が咳払いする。抄子も気まずそうに視線を逸らしているのに気づき、灰理は慌てて千輝から離れる。
「車の準備はできておりますが、もう出発されますか?」
「いや、やはり歩いて行きたい」
千輝がそう答えると直道が信じられないとばかり琥珀色の目を丸くする。
「徒歩では遠いのでは? お二人とも病み上がりなのですよ」
「だから歩きたいのだよ。運動もしないと体が鈍る。灰理もそれでいいかい?」
「私は千輝様とご一緒でしたらなんでも」
「ふふ、かわいいな」
千輝が再び抱きしめようとするので慌てて止めた。
「直道さんと抄子が見ています!」
「えー」
「……それでは、私どもはこれで。くれぐれもお気をつけください」
「灰理様、上着をどうぞ」
抄子は灰理の上着を持ってきてくれた。
「ありがとう、抄子」
「お気をつけて行ってらっしゃいませ」
「行ってきます」
水野兄妹に見送られ、灰理は千輝の腕に自分の腕を絡めて歩き出す。
こうして腕を組んで歩けるだけで幸せだった。
「千輝様、お父上とはお話しできましたか?」
「ああ、話せたよ」
「おつらかったでしょう?」
灰理が上目遣いでそういうと、千輝の菖蒲色の瞳が揺れる。
「どうして? つらいのは灰理もだろう?」
「正直に申し上げると、公爵様を恨む気持ちにはなれないのです」
千輝から理人を毒殺したのが左京で、その罪に問われて拘置所に入ったことは聞いていた。
「もちろん許せない気持ちはあります。でも、お父様はきっとそんなこと望まれていないと思うので。公爵様が罪と向き合って償ってくださるなら、それでいいです」
理人はきっと、毒を盛ったのが左京だと気づいていたはずだ。
それでも左京を告発することはなかった。
夢の中でも灰理と千輝を心配してくれていた。
そんな優しい父だから、きっと左京のことも恨んではいないのだろう。
それなのに灰理が恨みを募らせるのは、違うと思ったのだ。
「……やはり灰理は叔父上の子だね」
「え?」
「優しくて強い」
「それは千輝様もです。千輝様こそ、どんなにお心を痛められたことか……」
大好きな叔父を殺したのが父親だと知って、どんなにつらかったことだろう。
左京に会いにいくと言った時も心配でたまらなかった。
左京は自ら罪を認めたので落ち着いて話し合いができそうだと言っていたが、待っている間ずっと不安だった。
ちなみに蘇芳は頑なに自分の罪を認めず、無期懲役はほぼ免れないだろう。
「私にとって父は、ずっと恐ろしい存在だった。昔から怒られないようにと必死で、私は父上に嫌われているのだと思っていた」
「千輝様……」
「公爵として絶対的な力を持つ父上が恐ろしかったが、実際は弱い人間だった。私は父上の本当の気持ちを知ろうともしなかった。……親子なのに」
切なそうな千輝の横顔に、灰理の胸が締め付けられる。
「私は! なるべく思っていることは伝えるようにしますね」
「え?」
千輝は驚いて灰理を見返す。
「親子でも言葉にしないと伝わらないことばかりです。私も自分の気持ちを言葉にするのが苦手ですが、ちゃんと伝えるように努力します」
「灰理……」
「だから、えっと……すみません、だからなんだって思いますよね」
口下手だと励ますことすら下手くそらしい。
しゅんとする灰理に千輝は声をあげて笑った。
「本当にあなたはもう……どれだけ私を惚れさせたら気が済むの?」
「えっ」
「ありがとう、灰理」
千輝は微笑むと、灰理の耳元で囁く。
「——私も愛は何度でも伝えるよ」
「えっ!」
「私の妻は本当にかわいいな」
「もう! 千輝様!」
千輝の甘さにはまだまだ慣れそうにない。
林檎のような顔が恥ずかしくて隠そうとすると、千輝は余計に覗き込もうとしてくる。
それがまたかわいいと言って。
それがまた恥ずかしくてむず痒いけれど、幸せで仕方ない。



