有限の時を貴方様とともに〜化物姫は呪われた貴公子に寵愛される〜


「灰理! 大丈夫か?」
「紫倉先生」

 優次郎は灰理の顔を見てあっ、と息を呑む。

「どうかされましたか?」
「あ、いや……」
「それより先生、千輝様は? 千輝様はご無事なのですかっ」
「千輝は——」
「灰理!」

 愛おしい声が聞こえたかと思うと、返事をする間もなく灰理は抱きしめられていた。
 大きくて少しゴツゴツした手が灰理の髪を撫で、優しい香りに包まれる。

「千輝、さま……っ」

 灰理は震える手を背中に回す。存在を確かめるようにぎゅっとしがみつく。
 千輝だ、間違いなく千輝だった。

「千輝さまぁ……っ」
「灰理、無事でよかった……」
「千輝様こそっ、ご無事だったのですね……!」
「顔をよく見せて」

 体を少し離され、千輝の手がそっと灰理の輪郭をなぞる。
 千輝の美しい菖蒲色の瞳にじっと見つめられ、ドキッとした。
 顔にまで到達していた黒い痣が消えていたからだ。

「ああ千輝様、痣が……」
「灰理、ありがとう。そしてすまない」

 千輝は再びぎゅっと灰理を抱きしめる。

「どうして謝るのですか?」
「だって、私のせいで——」
「そこまでだ」

 優次郎が大きく息を吐く。

「まずは灰理の体を診たいから千輝、離れろ」
「嫌だ」

 千輝は灰理にしがみつき、顔を埋める。

「診察するだけだ」
「離れたくない」
「子どものようなことを言うな」
「あ、あの紫倉先生、大丈夫だと思います。なんとなくわかったので……」

 灰理は自分の膝に視線を下ろす。やはり傷は治っていなかった。

「ごめんなさい、後でちゃんと診察を受けますから——千輝様と二人きりにしていただけませんか?」

 千輝は尚も灰理に抱きついたまま離れようとしない。
 優次郎は仕方なく肩をすくめ、「何かあればすぐに言え」と言って部屋を出た。

「千輝様」

 灰理は千輝の背中をポンポンと叩く。

「顔をお上げください。私も千輝様のお顔、よく見たいです」

 そういうと千輝は顔を上げた。やはり頬にあった痣が消えている。
 手の甲にも腕にも、忌々しく広がっていた黒い痣は消えていた。

「呪いは、解かれたのですね……っ」
「ああ」

 千輝は自分の着物をはだけさせて見せると、胸や腹にも痣はなかった。背中にも痣がないのを確認し、灰理は堪えきれずに泣きじゃくる。

「よかった……本当によかった……っ」
「灰理のおかげだよ」

 泣きすぎて喋れない灰理の背中を優しくさすりながら、優しく抱きしめる千輝。だがその声はどこか切なげだった。

「灰理が私を生かしてくれた。本当にありがとう」
「千輝様……っ」
「……傷が治らないんだね」

 千輝の視線が灰理の足に向けられているのを感じ、ふるふると首を横に振る。

「これは、大丈夫です。このくらい、何ともありませんから」
「ごめんね、灰理」

 千輝はそういって手鏡を差し出した。
 少し戸惑いながら手鏡を覗き、自分の姿に目を見開く。

「え……」

 灰理の輝くばかりの黄金色の髪は、枯葉色に変わっていた。自分で触って確かめたが、本当に色が変わったのだと実感する。

「優次郎曰く副作用だそうだ」
「副作用?」
「私に大量の輸血をし、急激に再生力の瑛気を使った代償だろうって」

 瑛気には使用できる限度がある。ほぼ無尽蔵だった灰理の瑛気だが、流石に大量の血を一気に抜かれて再生するには莫大な瑛気が必要だった。

 丸五日間ずっと眠り続け、ようやく目覚めたところだったという。

「五日も眠っていたのですか?」
「ああ。ちなみに私は昨日まで眠っていたそうだ」
「そうだったのですね」
「最初の二日は痣が残っていたらしいが、徐々に薄まり消えていったらしい。灰理の瑛気が私を救ってくれたんだ」

 千輝はぎゅっと灰理の手を握りしめる。

「ありがとう、灰理。君が私を生かしてくれた」
「そんな……よかったです」

 きっとこれは奇跡なのだろう。
 上手くいくかどうかわからなかったが、奇跡が起きた。

 灰理は千輝の手を握り返す。確かな温もりを感じられることが、彼が今生きている証拠だ。

「うれしい。やっと、同じになれました」
「同じ?」
「千輝様と同じ時を生きていけるのですね」

 二人にとっては当たり前のことが当たり前ではなかった。
 わずかな時間しか残されていなかった千輝と、ほとんど永遠を生きる灰理。

 だが、これからは二人で同じ時を過ごしてゆける。
 同じ歩幅で生きてゆける喜びは、何ものにも代え難いものだった。

「千輝様、愛しております」

 灰理は目尻に涙を浮かべたまま、真っ直ぐ菖蒲色の瞳を見て微笑む。

「ずっとおそばに——きゃっ」

 言い終わる前に腕の中に閉じ込められた。

「私の方こそ、愛してる」
「千輝様……」
「愛してるよ、灰理。これからもずっと、私の妻として共に生きてほしい」
「はい……っ」

 両親を亡くし、黒須家で化物と虐げられていた日々が随分と昔のように感じられるくらい、千輝と過ごす時間は穏やかで幸せなものだった。

 ただそばにいられるだけで幸福で、それ以上を望んではいけないのだと思っていた。

 だが千輝の時間は限られていて、そばにいることさえも難しい。
 彼の背負う呪いを自分に移せるのならそうしたい。この命をすべて捧げてもいいと、本気で思っていた。

 でも本当は——千輝とともに生きたい。
 有限のこの時を、二人で一緒に歩んでいきたい。

 その願いが叶う奇跡は、今まで生きてきた中で至上の喜びだった。

 灰理の目尻からとめどなくあふれる涙を、千輝は親指で優しく拭う。

「……かわいいな」
「え?」
「この髪色の灰理も愛らしい」
「千輝様ったら」

 とびきり甘い声で囁かれ、耳まで真っ赤になってしまう。
 そんな灰理に優しく微笑み、千輝はくいっと灰理の顎を上げる。

 意図を察した灰理の鼓動が大きく跳ね上がったが、瞼を閉じるとゆっくりと唇が重なり合った。

 今この時だけでも時が止まればいいと思えるくらい、幸せな口付けだった。