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「……あ」
「灰理! 気がついたのか!」
灰理が目を開けると、視界に優次郎の顔が飛び込んできた。
「ここは……?」
「もう大丈夫だ」
どうやら優次郎に運ばれているらしいことがわかった。
だんだんと頭が覚醒してくると、灰理はハッとする。
「千輝様は!?」
「っ、千輝は——」
「降ろしてください!」
灰理はガシッと優次郎の着物を掴む。
「お前、まだ体が」
「何ともありません!」
灰理があまりにも身を捩らせるので優次郎は不本意にも灰理を降ろす。
すぐさま振り返り、走り出そうとする灰理の腕を引き止めた。
「どこへ行く気だ!」
「千輝様のところへ行かなくちゃ!」
「灰理様、危険です」
灰理の目の前に直道が立ちはだかる。
「千輝様より灰理様を安全な場所までお連れするように仰せつかっております」
「でも、千輝様が……っ!」
その時、水車小屋の方から爆発音が轟いた。
あまりの激しさに地面が少し揺れた。
「千輝様!!」
「灰理!」
「灰理様!」
優次郎と直道を振り払い、灰理は駆け出す。
水車小屋の周囲を警官たちが取り囲んでおり、中の様子が見えない。
喚き声が聞こえた後、警官に連行される蘇芳が現れた。
だが灰理にとってはそれどころではない。
「千輝様! 千輝様!」
警察たちを押し退け、灰理は水車小屋へ近づいていく。
元々崩れかけていた小屋は完全に倒壊しており、濡れた木片が散らばっている。
やっとのことで人混みから抜け出すと、ぐったりと倒れる千輝を運ぼうとする警官たちの姿が視界に飛び込んだ。
「千輝様っ!」
警官たちはすぐに灰理を止めようとしたが、灰理は何度も千輝の名を叫ぶ。
「千輝様っ、千輝様ぁっ!」
だらりと垂れた手の甲にも痣が広がっていた。身体中を蝕む痣はついに顔まで到達し、千輝の頬にも黒い痣が見える。
「千輝様! 目をお開けください!」
警官を押し退け千輝に駆け寄り、その手を握りしめたが驚くほどに冷たかった。
「うそ、いやです……」
震えながらも千輝の頬に触れるが、やはり冷たい。千輝の彫刻のように美しい顔は、唇まで真っ白だった。
灰理の涙が黒い痣の上にこぼれ落ちる。
「千輝さまぁ……っ」
「っ、千輝……!」
灰理を追いかけてきた優次郎は息を呑む。直道は苦しそうに目を伏せた。
灰理は目を真っ赤にさせながら、優次郎の方に向き直る。
「紫倉先生、輸血してください」
「え?」
「私の血、いくら使っていただいても構いません」
「だが……っ」
「お願いします!」
藁にもすがる思いで懇願する。
「私はどうなってもいいです。どうか千輝様を助けてください……っ」
輸血の危険性については何度も説明された。
絶対に助けられる保証がないことも承知している。
だがこのまま何もできなければ、千輝の命の灯火が消えてゆくのを見ているだけになる。
もう迷っている余裕などない。これしか千輝を救う方法はないなら、やるしかない。
自分自身がどうなろうとも、千輝の命を救えるのならすべてを捧げる。
「お願いします!」
「……わかった」
優次郎はぎゅっと拳を握りしめる。
「本当にいいんだな?」
「はい、いくらでも私の血を使ってください」
灰理の覚悟を悟った優次郎も腹を括ったように、大きく息を吐いた。
「直道くん、千輝をこの辺りに寝かせてくれるか」
「は、はい」
直道が千輝に向かって手をかざすと、彼の浮遊の瑛気によって体が宙に浮かび上がる。同時に瓦礫を移動させ、千輝を地面の上に寝かせた。
その隣に灰理も寝そべる。
優次郎に指示され、灰理はそっと千輝の指に自分の指を絡ませる。
指先まで冷たくなっているのが苦しくてたまらない。
「紫倉先生、お願いします」
「わかった。始めるぞ」
優次郎が二人に向かって手をかざすと、灰理の体が内側から熱くなる。体から何かを絞り出されていくような感覚は、今まで感じたことのない激痛だった。
(千輝様のつらさに比べたら、こんなもの……っ)
灰理は歯を食いしばり、必死に耐えた。だんだんと意識が朦朧としていく。
ここで気絶するわけにはいかないのに、灰理の視界が霞んでゆく。
(灰理)
耳元で灰理を呼ぶ優しくて懐かしい声がした。
(大丈夫だよ、灰理)
「おとうさま……?」
視界の端で黄金色の髪が揺れた気がした。そして温かく優しい光が灰理を包み込んでくれるような——そんな心地よさを覚えた。
「おとうさま……」
灰理の頬に一筋の涙が伝う。何故か体の痛みが徐々に和らいでいく。
「千輝様の顔色が……!」
「千輝! 息をしているのか!?」
直道と優次郎の声が聞こえて、顔を横に向けると真っ白くなっていた千輝の頬に赤みが差していた。
微かだが呼吸音も聞こえる。指先からも血が通っているのが伝わる。
「千輝さま……よかった」
だが限界を迎えたのは灰理だった。そのまま意識を手放し、絡めていた指も離れてしまった。



