有限の時を貴方様とともに〜化物姫は呪われた貴公子に寵愛される〜


 *

 自宅へ戻る帰路、背後からこちらへ迫り来る足音と強い風の音が聞こえた。

「誰かーっ! 泥棒!」

 その直後、女性の叫び声がして振り向くと目の前を女性ものの鞄を持って走る男が迫っていた。

「灰理さん、危ない!」

 千輝が叫んだ直後、灰理は男に突き飛ばされてその場に尻餅をついた。
 同時に強い突風が灰理の真横をすり抜ける。

「あっ」
「灰理さん! 大丈夫ですか?」

 千輝はすぐに駆け寄り灰理を助け起こす。

「大丈夫です。これくらい何ともありませんから」

 よろけた時に手をついて少しすりむいたが、この程度はすぐに治る。
 背後からは「誰か泥棒を捕まえてください!」と叫ぶ中年女性が走ってくる。

(追いかけたいけど、ものすごい速さだった。私の足では到底追いつかないわ)
「灰理さん、少し離れていてください」
「え?」

 千輝はゆっくりと立ち上がり、視線を正面に向けたまま一歩前に出る。
 銃のように人差し指を前に突き出し、狙いを定める。もう一方の指をパチンと鳴らすと、遠くの方で何かが光ったと同時に「うわあああああ」という男の叫び声が聞こえた。

「えっ?」

 何が起こったのかわからず、灰理は目を凝らす。はっきりとは見えないが、先程の男が何やら苦しんでいる様子が伺える。

「ご安心ください。ただの目眩しですから」

 いつのまにか千輝の手には女性ものの鞄があった。
 それを持ち主と思われる中年女性に手渡す。女性は何度も何度もお礼を言って頭を下げていた。

「いつの間に……」
「光の速さというでしょう?」

 千輝は茶目っ気たっぷりに笑う。

「あの男は風を纏っていたようですが、光の速さには敵いませんよ」

 どうやら千輝は男の目の前に目眩しとなる光を放ち、足止めをした。
 その隙に自分の体を光に変え、光速移動で鞄を奪い返した。

(こんなこともできるなんてすごいわ)

 優次郎曰く千輝の持つ光の瑛気は希少性が高く強力だが、扱いが難しいらしい。一見簡単そうだが、相当の鍛錬を積んでこその今がある。

「寄り道になってしまいましたね。今度こそ帰りましょうか」
「はい」

 あの泥棒が風を扱う瑛人で誰にも追いつけない速さだったとはいえ、あの場にいた者たちは誰も女性を助けようとしていなかった。
 瞬時に行動を移したのは千輝だけ。彼の迷いなき善意が女性を救った。

(やはり千輝様は素敵な人)

 父の面影を求めているのではなく、千輝という男性に惹かれているのだと改めて実感した。

「ただいま」
「ただいま戻りました」
「お帰りなさいませ!」

 帰宅すると抄子が出迎えてくれた。

「ちょうど夕餉の支度ができたところですよ」
「ありがとう、抄子。楽しみですね、千輝様」
「……」
「千輝様?」

 次の瞬間、ぐらりと揺れたかと思うと千輝が玄関に倒れ込んだ。

「千輝様!?」

 灰理が慌てて千輝の体を助け起こそうとすると、苦しそうに吐血する。千輝の口から滴る鮮血を見て、灰理は真っ青になった。

「抄子! 誰か呼んできて!」
「は、はいっ!」
「どうかされましたか?」
「兄さん! 千輝様が……!」
「! 千輝様!!」

 普段冷静沈着な直道が血相を変え、千輝に駆け寄る。

「抄子! 紫倉先生を呼んでこい!」
「はいっ!」
「千輝様! しっかりしてください!」

 先程まで楽しく談笑しながら歩いていたというのに、何故こんなことになってしまったがわからず灰理は軽く錯乱状態に陥った。
 千輝は苦しそうに荒く呼吸をし、顔は真っ青で汗をかいていた。

「千輝様! 千輝様!」
「灰理様、離れていただけますか」
「でも……っ!」
「千輝様を部屋までお運びいたします」

 そういうと、直道は両手を出して千輝の前にかざす。するとゆっくりと千輝の体が宙に浮かび上がった。

「あ……」

 そのまま千輝を部屋まで運び、ベッドに寝かせた。直後息を荒くした優次郎が部屋に入ってきた。

「千輝!!」

 息が乱れているところを見ると、走ってきたようだ。すぐにベッドに駆け寄り、千輝の脈を測る。

「おい! 千輝は瑛気を使ったのか?」

 優次郎にギロリと睨まれ、思わず灰理はびくりとする。

「は、はい。帰り道に引ったくりを捕まえた時に……帰る時もずっと夜道を照らしてくれていました」
「そんなことのために瑛気を使ったのか!」
「え……」

 優次郎は灰理に怒号を浴びせた後、千輝の着物を脱がせた。その体を見て灰理は目を見開き、息を呑む。
 千輝の体には黒い痣のようなものが広がっていたからだ。痣は胸元から腹あたりまであり、腕にもある。

「こ、これは……」
「灰理様、こちらへ。後は紫倉先生にお任せしましょう」
「で、でも……」
「先生のお邪魔になります」

 直道に諭され、灰理はふらつきながらも部屋を出た。
 千輝の体の痣が目に焼き付いて離れない。動揺が隠せず、指先が震える。

「直道さん! 千輝様はご病気なのですか!?」
「……」

 直道は言いづらそうに視線を逸らす。その琥珀色の瞳は、すべてを知っているのだと静かに物語っていた。

「教えてください! 私、千輝様にとんでもないことをしてしまったのかもしれません……!」
「……灰理様には黙っているようにと、固く口止めされていたのですが」

 直道は拳を強く握りしめ、痛切な面持ちで静かに口を開いた。

「千輝様には、短命の呪いがかかっています」
「短命の、呪い……?」
「瑛気を増幅させる代償として、その力を使うたびに自らの命を削る呪いです」

 直道の声が、かすかに悔しそうに震える。

「もう一年も生きられないと言われています……」
「そ、んな……」

 (千輝様が、死ぬ……?)

 灰理は全身の力が抜けて、その場にへたり込む。直道が心配そうに灰理を呼んでいたが、その声は耳をすり抜けていた。

 (私は、不死の体なのに……どうして……)

 後にも先にも、これほどまでに自分の不死を呪ったことはなかった。
 ただそばにいられるだけで幸せだと思っていたのに、それさえも許されない。
 灰理は顔を覆い、冷たい廊下で声をあげて号泣した。