*
灰理は優次郎から瑛気について学ぶことになった。
本来瑛人の子は幼少期に学ぶのが当たり前らしく、今更ながらに勉強している。
別邸で何をすれば良いかわからずにいるとこぼすと、「だったら瑛気について学べ」と優次郎が言った。
「あんたの瑛気は自分しか癒せないが、他にできることがあるかもしれないだろう。勉強しておいて損はない」
優次郎は最初こそ怖いと思っていたが、口が悪いだけで案外面倒見のいい人物なのだとわかるようになった。
灰理は有難く優次郎の元で勉強させてもらい、今もこうして彼の診療所を訪れている。
「非瑛人同士の間にも稀に瑛気を持った子が生まれることもある」
「それは貴族の子ですか?」
「貴族もいるが平民に生まれる場合もある。平民に生まれた時が大変だ」
瑛気の存在は平民の間ではほぼ知られていないため、瑛気によっては大騒ぎになるらしい。
たとえば火の瑛気なんてわかりやすいものだと大変なことになる。
「大騒ぎになったら、どうするのですか?」
「記憶を消す」
「記憶を消す?」
「そうだ。忘却部隊ってのがいて、忘却の瑛気でその人物に関する記憶丸ごと消されるんだ」
「では、黒須家も……?」
彼らは瑛気という存在は知らないが、灰理の体がほぼ不死だと知っているし千輝の光の瑛気を見てしまっている。
だが優次郎は首を横に振った。
「それはない。そもそもあんたの存在は上にはばれてない。ばれる前に俺たちが見つけ出したんだからな」
「そうでしたか」
「それに奴らは瑛気をはっきりとは認識してないし、今頃それどころじゃないだろ」
晶穂の着物を送り返した時に聞いた話だが、どうやら黒須商会には借金があるらしい。
晶穂が我儘を言ってなんでもねだり、言われるがまま買い与えていたら借金が膨らんでいたとかいう話だが実際のところはわからない。
紫上院との縁談で支援をアテにしていたが、それも切られて火の車だそうだ。もう灰理には関係ない話だが。
「ところでずっと気になっていたことを聞いてもよろしいでしょうか」
「なんだ?」
「紫倉先生と千輝様はいつお知り合いになられたのですか?」
「俺が理人様の弟子になった頃だから、俺が八歳で千輝が六歳とかだったな」
「えっ、先生の方が年上なのですか!」
勝手に同い年くらいだと思っていたので、二つも年上だとは思っていなかった。
「八歳の頃からお医者様になろうとしていたなんて、ご立派ですね」
「別にそんな大層なもんじゃない。治癒の瑛人は大体医者になるからだ。俺の話はいいから、早く手を動かせ」
優次郎はなかなか自分の話をしてくれないが、優次郎からも理人の話を聞いてみたい。
ぶっきらぼうな人柄ながら、理人を尊敬する思いは不器用な言葉の中にも滲み出ている。
口が悪くても彼ともっと話してみたいのは、そういうところだ。
「先生にとって父はどんな存在でしたか」
「命の恩人だ」
優次郎は真顔のままきっぱりと言い切った。
「あの方には数えきれないほどの恩がある。なのに、俺は……」
急に優次郎は苦しそうに拳を握りしめ、眉間に皺を寄せる。その顔には苦悶の表情が表れている。
もしかしたら優次郎は、医者として理人を救えなかったことを悔やんでいるのかもしれない。
灰理にはかけるべき言葉は思い至らなかった。
「随分仲良くなったのだな」
ハッと振り向くと、そこに立っていたのは千輝だった。思わずパァッと表情を明るくさせる。
「千輝様、もう戻られたのですか」
「今日は早めに仕事を終わらせて帰ったのに灰理さんがいないので聞いたら、ここにいると言われた」
千輝はいつも通りにこやかに笑っている。だが何故かその笑顔がいつもと違うような気がした。
違う気はするが、どう違うのかは上手く説明できない。
「別に。このお嬢さんに瑛気の勉強をさせていたところだ」
「私は瑛気について無知ですから、紫倉先生に教えていただいていたのです」
「そうでしたか。だったら言ってくだされば、私が教えたのに」
千輝は少し不満げに灰理を見つめる。やや拗ねたようなむくれた表情を見るのは初めてで、不覚にもときめいた。
「でも、千輝様はお忙しいでしょう?」
「灰理さんに頼まれたらどんな時間でもつくります」
「そういうわけには……」
「もしかして、私ではなく優次郎の方がいいのですか」
「ち、違います!」
突然どうしたというのだろう。なんだか千輝らしくない。
「千輝様、どうかされたのですか? なんだかその、いつもと違うようです」
「だって、せっかく早く帰って来たのに優次郎と仲良くしていて、面白くないじゃないですか」
「別に仲良くはない」
優次郎は呆れて肩を竦める。
「千輝、いい年してみっともないと思わないのか。お前はすぐに自分のものが取られそうになると不機嫌になる。理人様にべったりひっついていた小僧の時と何も変わってないな」
「それはお前もだろう。叔父上の隣を我が物顔で陣取っていたのは誰だ。年上のくせに大人げない」
「今のお前にそのまま返すぞ」
「あ、あの! お二人ともその辺にしませんか」
雲行きが怪しくなる二人の間に灰理は慌てて割って入る。
「紫倉先生、本日はありがとうございました。そろそろ帰りますね」
「わかった。ついでにそいつも連れて行ってくれ」
「言われなくても一緒に帰るよ」
千輝はにっこりと笑ったが、口調は刺々しかった。優次郎は気にする素振りもなく、「とっとと帰れ」と手で払う。
「さあ行きましょうか、灰理さん」
「は、はい」
「千輝」
優次郎が千輝を呼び止める。
「……薬は、ちゃんと飲んでいるのか」
「飲んでるよ」
千輝はそれだけ言うと灰理を促し、優次郎の診療所から出て行った。
灰理はとても気になったが、何も言えずに千輝の後を追いかけた。



