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「この方が私の婚約者となる黒須灰理さんだ」
「黒須灰理と申します。どうぞよろしくお願いします」
食堂に入ると別邸に仕える使用人たちが勢揃いしていた。
かなりの大人数かと思いきや、意外にも抄子を含めて五人という少人数だった。
五人だけでこの広い別邸の仕事を任されているのだと思うと大変だなと思う。
「紹介しましょう。まず私の秘書で右腕でもある、水野直道」
「よろしくお願いします」
黒いスーツを見に纏い、黒髪を七三分けにした真面目そうな男性だった。瞳の色は琥珀色をしている。
「あら? 水野といいますと?」
「私の兄になります!」
抄子が元気よく答えた。直道は真顔を崩さず「妹がお世話になります」と頭を下げる。
(瑛人は兄妹でも瞳の色が違うのね)
直道は琥珀色の瞳だが抄子は普通の黒い瞳だ。二人はどのような瑛気を持っているのだろうと気になった。
他にも調理担当の男性が一人、女中がもう一人、庭師の男性が一人いた。
「ここにいるのは私が自ら選んだ優秀で信頼のおける人材ばかりです。皆、私の大切な人をよろしく頼むよ」
「はい、千輝様」
大切な人。他意はないとわかっていても、胸がきゅっと締め付けられる。
食事はとても豪華でどの料理も食べたことがないほど美味しかった。
黒須家にいた頃は残り物を与えられていたし、山小屋で暮らしていた頃も毎日一食分を確保するのがやっとだった。
こんなに美味しいものをお腹いっぱいになるまで食べるなんて、初めてのことだ。
「とても美味しいです」
「それはよかった」
料理人も安堵したような笑みを浮かべていた。
「あの、千輝様。何か私にできることはございますでしょうか」
「できること?」
「私にも何かお手伝いをさせていただけたらと」
「いえ、必要ありませんよ」
千輝はにこやかに即答した。
「あなたはここにいてくださるだけでいいのです」
「……そうですか」
「ああ、でも明日は優次郎が訪ねてきます」
「紫倉先生が?」
「あなたの健康状態を診てやってくれと頼んでおきました」
「え、でも私は何ともありません」
「そうは言っても長旅でしたし、慣れない土地に身を置くと疲労が溜まるものですよ」
風邪すら引いたことのない灰理をそんな風に気遣ってくれるのは千輝だけだろうと思った。
翌日、白衣姿の優次郎が訪ねてくる。相変わらずの仏頂面とぶっきらぼうな口調だ。
「紫倉先生、わざわざお越しいただきありがとうございます。健康状態を診ていただけるとのことですが、私は風邪もひいたことはなく……」
「何を言っている。健康診断に来たのではないぞ」
「でも、千輝様がそうおっしゃっていました」
「表向きはってだけだろう。俺が診るのはあんたの瑛気だ」
「瑛気ですか?」
きょとんと首を傾げる灰理に優次郎は溜息をつく。
「千輝のやつ、説明くらいしておけよ……」
愚痴をこぼしてから優次郎は真っ直ぐに灰理を見据えた。
「いいか? 瑛人にとって重要なのは自分の瑛気を正しく理解することだ」
「正しく理解……」
「瑛気というのは人によって少しずつ変わる。この世に全く同じ瑛気はないと言って等しい」
「では、私と先生とでは同じ治癒の瑛気でも異なるのですか?」
「それを今から調べるんだ」
そう言うと優次郎は鞄から針を取り出し、自分の指を刺した。刺し傷からじんわりと赤い血が滲み出る。
「この傷を治してみろ」
「えっ!? どうやって……?」
「傷の前に手をかざし、針に糸を通すことを想定して一点に集中するんだ」
灰理は言われるがまま優次郎の指の前に手をかざす。
「ここから、どうすればいいのですか……?」
「最初はとにかく瑛気を絞り出せ」
そう言われても具体的にどうすればいいかわからない。灰理なりに針に糸を通す想像をしてみたり、雑巾を絞る想像をしてみたりするが変化は起こらない。
優次郎の指からは血がポタリと滴る。
「真面目にやっているのか?」
「やっております……!」
「ではかざすのではなく、直接触れてみろ」
言われた通り優次郎の指に触れてみる。傷口を押してみたり、指を握ったりしてみたが灰理の手に血がついただけだった。
その他にも色々試したが、結局何も起こらずいつの間にか血は止まっていた。
「おかしい。本当に理人様の娘なんだろうな?」
優次郎は訝しげに灰理を見やる。
「娘です……」
そう答えたが、何だか自信がなくなってしまった。
いや理人の娘で間違いないと思っているものの、期待通りの結果にならずに凹む。
優次郎はふむ、と唇に手を当てる。
「あんたは傷ができた時、痛みは感じるのか?」
「はい、最初は感じます」
「その後すぐに感じなくなるのか」
「そうですね。深い傷ですと時間かかる場合もありますが、痛みは消えます」
「傷が治る時、どんな感覚なんだ?」
「うーん、気づいたらなくなっているので何とも……」
最初の頃は傷の治りが早い程度にしか思っていなかった。火事の時は最初こそ息苦しくて気絶したが、その後発見された時には何ともなかった。
そのことを優次郎に話すと「なるほどな」と呟く。
「黒須灰理、恐らくあんたの瑛気は再生力なんじゃないか?」
「再生力?」
「要するに自分の傷しか治せないってことだ」
治癒の瑛気は通常自分以外の相手の傷や病を癒す。
しかし灰理はそれができないので、正確には治癒ではなく再生力の瑛気ではないかというのが優次郎の見解だ。
「俺は自分の傷は治せないんだ」
「そうなのですか?」
「理人様はこの程度の刺し傷は自分でも治せるとおっしゃっていたが、神経をかなり使うので基本はやらないとおっしゃっていた。だからずっと変だと思っていたんだ」
灰理に対して強い警戒心のようなものを感じていたのは、それが理由だったらしい。
「私は理人の娘です。信じていただけないかもしれませんが、本当に娘です」
「別に疑ってない。親子でも瑛気は違うものだ」
優次郎は大きく肩を落とし、深い溜息をつく。
「それにしても自分しか治せないなんて……とんだ誤算だ。これで千輝を……」
「千輝様を?」
「あ、いや、なんでもない」
優次郎らしくなく少し動揺しているのを感じ取った。灰理の気のせいかもしれないが、焦燥感のようなものを感じる。
「……お役に立てず申し訳ございません」
灰理はしゅんとして肩を竦める。
救世主と呼ばれた理人のように自分も誰かを救いたいと思っていたが、それは叶わないらしい。
「いや、今のは……悪かった」
優次郎は少々ばつが悪そうに言った。
「やはり私は不死なのでしょうか」
「いや、不死とは違うな」
その言葉に灰理は顔を上げる。
「そもそも瑛気は無限に使えるものではない」
「と、いいますと?」
優次郎の説明によると、通常は年老いて体が衰えていくにつれて瑛気も衰えてゆく。五十を過ぎた頃から急激に弱まっていくものらしい。
「だから正確には不死ではない。寿命がきたら命は尽きる」
「そうなのですね」
それを聞いて少し安心した。
「それに瑛気を使いすぎると本来の寿命より早く消費する可能性もある」
個人差はあれど、瑛気を使用できる上限があるらしい。
その上限を超えると若い人でも瑛気を失うのだそう。
灰理の場合、再生する上限を超えたら傷は治せなくなるし病にもかかるというわけだ。
「瑛気の容量を正確に測る術はないが、あんたの瑛気が通常の何十倍、下手したら何百倍も大きいのはほぼ間違いない。そういう意味では実質不死と言えるのかもしれないな」
「なるほど……」
父から受け継いだ黄金色の髪とどんな傷も瞬時に治る再生力。これが灰理の“不死”の正体だった。
ずっと自分の体のことが知りたいと思っていたが、その胸中はとても複雑である。
昔、母の誕生日に花を摘んで贈った。
母はとても喜んでくれたが、その数日後にはしおれて枯れてしまった。
落ち込む灰理に母はこう言った。
『たとえ短い時だったとしても、この花が美しく咲き誇っていた記憶はしっかり刻み込まれているわ。それにね、命は限りあるものだからこそ美しく尊いのよ』
命は限りあるものだからこそ美しく尊い。だから不死の自分は醜い化け物、そんな風に思うこともあった。
(やっぱり私は化け物なのかしら……)
せっかく前向きになれていたと思っていたが、また後ろ向きな考えになってしまう。
せめて父のように誰かを助けられたなら、まだ自分は誰かの役に立てるのだと思えたというのに。



