「きゃあっ!」
目の前に眩い光が襲いかかる。目を開けていられないほど眩しく、晶穂は思わず手を離した。
その瞬間に灰理は解放される。
「はあっ、はあっ」
「ご無事ですか?」
「……っ、千輝さま……?」
倒れ込んだ灰理を助け起こしたのは千輝だった。
「お怪我は?」
「ないと、思います……」
まだ息苦しくて上手く呼吸ができないが、既に首の痛みは引いている。
「よかった」
千輝は優しく微笑んだ後、くるりと晶穂の方を振り返る。
晶穂は光を諸に受け、まだ目が開けられないようだ。その手には帯紐を握りしめている。
「っ、何するのよ……っ!」
「それは私が問いたい。我が婚約者に何をしていた?」
千輝のものとは思えない低い声に思わず灰理は息を呑む。
「婚約者? もしかして、紫上院様ですか!?」
晶穂は両目を押さえたまま、声を頼りに千輝の元に駆け寄る。
「わたくし、黒須家の長女の晶穂と申しますわ。紫上院様にお会いできて光栄です」
先程までとは異なる猫撫で声で晶穂は続ける。
「そこの娘はとても紫上院様の伴侶が務まる女ではございません。ご覧になられたでしょう? あの女は死なない化物なのです」
「死ななければ、何をしてもいいと言うのか?」
「え……」
晶穂は目が見えていない。だが千輝の只ならぬ雰囲気を感じ取ったのか、びくりと身を震わせる。
「死ななければ殺そうとしてもいいと言うのか?」
「こ、殺すだなんて滅相もない! お戯れですわっ」
「これがお戯れで済むと思うのか」
「あ……ああ……」
目を開けた晶穂は恐怖で顔を歪ませる。
目の前には恐ろしいまでに美しい男性が、物々しい迫力で睨み付けている。
「このようなことが平気でできる貴様こそが化物だ」
千輝は吐き捨てるように言うと、晶穂はブルブルと震えながら腰を抜かす。
その後バタバタという足音がして伯父が駆け寄ってきた。
「し、紫上院様!」
「この娘が私の婚約者の首を絞めていた。一体どういうことか説明願おうか」
「もっ、申し訳ございません!」
伯父は晶穂の隣で土下座をし、晶穂の頭も下げさせた。
「娘の愚行、どうかお許しくださいっ」
「黒須殿、残念です。この婚姻を機に黒須商会への援助も視野に入れていましたが……」
「紫上院様っ、どうかそれだけは……!」
「手紙で我が花嫁を丁重に迎え入れたいと書いたはずですが、ご理解いただけなかったようだ」
千輝は冷ややかな視線で射抜いた後、灰理に手を貸して立たせ優しい手で灰理の首元に触れた。
「よかった。痕は残っていませんね」
「は、はいっ」
紫水晶のような美しい瞳が目の前にあり、思わず心臓が飛び跳ねる。
「さあ、参りましょう」
千輝は灰理に向かって手を差し伸べる。どうしていいか戸惑いながら、恐る恐る彼の手を取った。
その大きな手はとても温かく、優しい手だった。
(お父さま……)
幼い頃に手を繋いだ父の手を思い出し、懐かしくて泣きそうになる。
「それでは失礼する。もう二度と会うことはないだろう」
千輝は黒須親子に向かって踵を返す。
「待ちなさいよっ!」
その背中に向かって晶穂は叫んだ。
「どうしてそいつなの? その女の何がいいのよ!」
「晶穂! やめないか!」
「だって、納得いかないもの。私の方がずっと器量が良くて美しいのに、どうしてドブネズミの化物なんて……っ」
「貴様には説明するだけ時間の無駄だ」
千輝は氷点下の瞳で吐き捨てた。
「その口を閉じろ。不愉快だ」
晶穂はへなへなとその場にへたり込み、放心状態だった。完全に千輝に圧倒されたのだろう。
今まで晶穂は蝶よ花よと甘やかされ、気に入らないとすぐに癇癪を起こすので皆なるべく晶穂を怒らせないようにしていた。
妹の史乃は常に姉のご機嫌を窺っていた。
誰も彼女を咎める者がいなかったが故、晶穂はいつまでも幼い子どものまま。善悪の分別もつかない、我儘でどうしようもない子どもなのだ。
(どうしてあの人を恐れていたのだろう)
化物と呼ばれても心が動かなかった理由がわかった。
千輝が父から受け継いだ尊い力だと言ってくれたからだ。その言葉が灰理を包み込み、勇気をくれた。
「さようなら。今までありがとうございました」
もうこの人たちと会うことは二度とないのだろう。
灰理は一度も振り返ることなく、黒須家と決別した。



